春恋12

春恋12


「そういえば今日の試合、仮調整でブラスバンドの応援が入るんだってな」
「え、そうなんですか?」

 春の都大会、そしてゴールデンウィークの遠征と、怒濤のように押し寄せる試合の数々に帯同し、部活にも慣れたと自信を持ち始めた頃。関東大会を目前に控えた土曜日。今日もまた、いつものように練習試合が組まれていた。
 稲実のグラウンドで相手を迎えるべく準備を整えている中、不意に紡がれた原田先輩の言葉にドキリと心臓が引きつるような心地がした。投球練習用のネットを運ぶ手がぎこちなくなったのを感じ取ったらしい。反対側を抱えていた原田先輩が、地面に落としていた視線をこちらへと向ける。

「どうした? 靴紐でも踏んだか?」
「あ、いえ。大丈夫です。その、まさか練習試合にブラスバンド部が来るなんて思ってもいなかったので少し驚いちゃって……」
「あぁ。まぁ、珍しいよな」

 理由を伝えると、納得がいったとばかりに原田先輩は頭を揺らす。マウンドの前でネットを降ろし、角度を微調整する原田先輩の動きをぼんやりと眺めながらたった今、耳にしたばかりの言葉を反芻する。

「ブラスバンド部……」
「あぁ、そうだ。――そういや、多田野も背番号貰ったんだったな。ちゃんとブラスバンド部のやつに何の曲が使いたいか伝えたか?」
「いえ。応援が入る話を初めて聞きましたので」
「そうか。悪かったな、ちゃんと伝えてなくて」
「いえ! そんな! 原田先輩は悪くないですよ!」

 大慌てで胸の前で手のひらを振る。原田先輩がわざと黙っていたなんてことは絶対にない。それ以前に監督からの伝達がなかったことを思えば、取り立てて気にするようなことでもないのだろう。
 ただ、俺がその言葉を特別に捉えているだけの話だ。
 ――ちゃんが試合を観に来るのか。
 もちろん、部活の一環で来るだけなので俺の応援のためではないことは重々承知している。だけど、たとえ練習試合だとはいえ、このグラウンドにちゃんが来ると思うと簡単に心は浮き立った。

「それにしても、ホント珍しいですよね。練習試合なのに応援が入るなんて」
「あぁ、なんでも向こうの1年生らが夏の大会でどういう流れで演奏するのか勉強させるんだとよ」
「そういえば都大会はブラスバンド部の応援がありませんでしたね」
「入学してすぐはあちらさんの練習に専念するんだろうよ。それでも夏大はこっちの応援を優先してくれるらしいから頼もしいよな」

 ふ、と口元を緩めた原田先輩は記憶を辿るように視線をスタンドへと投げかけた。一瞥を送り、改めてこちらを振り返った原田先輩はゆったりとした口調で言葉を紡ぐ。

「こういった練習は昨年も、その前の年もあったし、このくらいの時期に試運転的に組み込まれるんだろうな」
「へぇ……そうなんですね。でも、いいんですかね? その、紅白戦ならともかく、練習試合でなんて」
「向こうの学校の許可は監督たちの方で取ってあるから気にしなくていい。俺たちはいつもどおり試合をこなすだけだ」
「なるほど。毎年恒例のってやつなんですね」

 1年のために、と聞くとますます居ても立っても居られなくなる。ブラスバンド部がどういう形態で楽器を奏でるかよく知らないが、1年のための練習というのならちゃんがトランペットを吹くのは確定と思っていいだろう。
 ただ、こちらの応援として入る以上、ブラスバンド部の応援席は自分たちのベンチ側のスタンドになる。ちゃんが演奏する姿なんて見えるわけもなければ、どの音か判別できるはずもない。それでも、滅多にないイベントのような特別感に簡単に気持ちが弾む。
 目に見えてそわそわし始めた俺を目にした原田先輩は、ほんのりと口元を緩めた。

「好きなのか?」
「えぇ?!」

 唐突な原田先輩の言葉に過剰に反応してしまう。声が裏返るほどの反応を見せた俺を一瞥した原田先輩は、またネットの角度を調整する作業に戻った。
 
「球場の応援が好きかと聞こうと思ったんだが……なんだ、その反応。ひょっとしてこの前、鳴が暴こうとしてた彼女のことでも思い出したか?」
「はい! あ、いえ!」
「どっちだよ」
「その、なんというか思い出したのはあってるんですけど、彼女ではない、ので……」
「そうか……なるほどな」

 しどろもどろになって説明する俺を、原田先輩はくつくつと笑った。察しがついたと隠さない原田先輩の態度に、俺は身体を小さくさせて顔を赤らめることしか出来ない。俺の失言に対する追求はなかったが、原田先輩にはちゃんが好きなことは完璧にバレてしまったことだろう。
 告白未遂まで行ったとは言え、同じ立場の以外誰にも悟られてないような状況で、まさか部活の先輩、それも正捕手というライバルに当たるひとにバレてしまうとは。天を仰ぐように顔を上向け、ぎゅっと目をつぶって恥ずかしさに耐える。
 もうこうなったら逆に考えるしかない。バレたのが原田先輩でよかった、と。原田先輩ならきっと鳴さんみたいにむやみやたらに言いふらすようなマネはしないはず。それが唯一の救いだと思い込め。
 唇を噛み、自分のうちにある羞恥が通り過ぎるのを待っていると、原田先輩がかすかに笑ったのが聞こえた。

「応援、あると嬉しいよな。本番じゃなかなか楽しめないことの方が多いが、声援にはいつも後押しされる」
「そうですね。まだ高校野球の応援は自分で味わったことないですけど、テレビで見てても、こう……身体の底から力が湧いてくるような感覚になる気持ちはわかります」
「あぁ。――うちのブラスバンド部もかなりいいぞ。今日は楽しみにしとけ」
「はい!」

 ネットの向きにようやく納得がいったのか、原田先輩は屈めていた背をのばし、スタンドへと視線を向ける。押し黙ったままその風景を目に焼きつける原田先輩にならい、俺もまたスタンドを見上げた。
 ブラスバンド部どころかまだ誰の姿も目に映らない。それでも、あと1時間もすればちゃんが来るのだと思えば簡単に胸は高鳴る。試合前の高揚感も相まって、鼓動はどんどん早くなった。
 ひとつ息を吐き、こちらを振り返った原田先輩は、俺が同じようにスタンドを見つめているのを目にし、また小さく笑った。

「今日の練習試合の次にブラスバンドが入るのはもう関東大会と本番だけだ。それまでにお前も自分が何の曲を使いたいかちゃんと考えておくんだぞ」
「はい! あと背番号返上させられないように頑張ります!」
「はは、その意気だ。じゃあ次を運ぶぞ」

 言って、踵を返した原田先輩の背中を追う。小走りに駆けながら、本当に頑張らないとな、とギュッと拳を握った。


 * * *


 グラウンド整備の後、簡易的な打撃練習や内野の守備連携の再確認を行う。その間にブラスバンド部が入っていたらしく、自分たちの掛け声に交じって楽器の音がグラウンドに響いていた。
 練習を終え、ベンチへと引き上げるタイミングで、一度だけスタンドへ目を向けた。その反応は俺だけではなく、他の1年や先輩方にも現れる。どうやら珍しがっているのは俺だけではないらしい。
 意外にも、観客の多さを一番喜んでいた風だったのは鳴さんだった。投球練習を終えた鳴さんがマウンドから降りる際、かぶっていた帽子を脱いで観客にアピールするとスタンドから普段では聞こえないような黄色い声援が響き渡った。満足げに笑った鳴さんは機嫌良くベンチの中に引っ込んでいく。
 ――いつもはおじさんばかりだからなぁ。
 OBだったり、スカウトだったり、近所のひとだったり。この練習場まで足を運ぶひとは圧倒的に男性――とりわけ、40~50歳くらいに見える年齢のひとが多かった。練習試合もまだ片手で足りるほどしかやっていないからこそ、女子が球場にいることに慣れていない。鳴さんも激励や野次を飛ばすおじさん相手に愛想よくするよりも、目に見えて歓声を上げてくれる女子の方に愛嬌を振りまきたくなったのだろう。
 ――それにしてもブラスバンド部って思ったより部員が多いんだな。
 遠目からざっくりと見ただけだが、軽く100人近くはいたように思う。あの中からちゃんを探そうとしたら骨が折れそうだ。
 他の部員とぶつからないように気をつけながらベンチの中に入り、自分の鞄の中を探る。マスクとヘルメットを外し、そのまま取り出したタオルで顔と頭を拭った。
 一通り汗を拭き、身なりを整えると、ペットボトルを傾ける鳴さんと視線がかち合った。今日の先発を任されている鳴さんは、もう登板する準備は整っているようだった。その捕手を任されているのは原田先輩だと理解しつつも、胸にある炎をさらけ出さずにはいられなかった。

「鳴さん! 今日は俺、本当に頑張りますから! 絶対に鳴さんの球を後ろに反らしたりしません!」
「はぁ? いきなりなんだよ、樹」

 飲んでいたスポドリを唇から離し、手の甲で口元を拭った鳴さんは当惑を隠しきれない表情でこちらに視線を向ける。一方の俺は、言葉に出したことでなおさら士気が上がる思いを感じていた。ぐっと拳を握り、防具の胸の当たりを強く叩く。
 ――今日、初めてちゃんの前で野球が出来る。情けない姿なんて見せられない。
 不思議と、力が湧いてくる。肩に力が入るのとはまた違う。闘争心に火がつくというのはこういうことなのか。常日頃からプレイは丁寧に、と心がけているがいつも以上に気合いが入ったことを自覚する。
 自然と目元に力がこもる。まっすぐに鳴さんを見つめていると、鳴さんは目をぱちぱちと瞬かせた後、ニヤリと相好を崩した。

「あ、お前、ひょっとして女子がたくさんいるからいいとこ見せようって魂胆なわけ?」
「え? いや。そういうつもりじゃ……」

 女子というよりちゃんただひとりに見てもらいたいだけだ、とは言えるはずもなく、思わず口ごもってしまう。戸惑う俺を目にした鳴さんは、動揺したのが言い当てられたせいだとでも勘違いしたのだろう。ププーっと、わざとらしく音を出して笑った。

「なになに? ひょっとしてこの前チューしてた子がいるの?」
「なっ……鳴さんには関係ないでしょ! というか、してないって何回言わせるんですか!」

 鳴さんの鋭い追求にドキリと心臓が撥ねる。焦りに顔を歪めた俺を目にした鳴さんはますます楽しそうに表情を緩めた。

「別にお前が張り切ろうがどうでもいいんだけどさぁ! それ以前に出番あると思ってんの?」 
「いや、もちろんスタメンじゃないでしょうけど! でももしかしたら途中出場のチャンスがあるかもしれないじゃないですか!」
「いーや、無理だね! 今日の雅さん、かなり気合い入ってるから誰にも譲るつもり無いみたいだし!」
「ぐぅ……」

 意気込んだのも束の間、鳴さんにより現実を突きつけられた俺は情けなく唸ることしかできないでいる。たしかに練習試合とはいえ、簡単にほかのチームに勝ちを譲るようでは頂点なんて狙う資格はない。球数という負担を考えれば、原田先輩よりも先に鳴さんがマウンドを降りる可能性の方が高いだろう。バッテリーを組むどころの話ではない。まして身体の丈夫な原田先輩が、試合中に退く可能性はとてつもなく低い。
 ――それでも、手をこまねいているだけでは何も変わらないじゃないか。
 俺が試合に出れるか出れないか。すべては監督の采配次第だ。だけど、出番がないからと初めから戦う意思すら持っていなければ、いざ出場したときに何も出来なくなってしまう。
 だからこそ、心の炎は決して絶やしてはいけない。鳴さんの言葉は一理どころか百理あるけれど、それでも俺は諦めず自分の出番を信じて待つべきだ。
 胸の前で拳を作り、意気込んでいると、飲みかけのペットボトルを片付けた鳴さんがこちらへと近寄ってくる。

「なあ、樹。お前、知ってる?」
「え、なんでしょう」
「ここだけの話なんだけどさー。雅さん、ブラスバンド部の部長と付き合ってるらしいよー?」
「えぇ?!」

 突然の言葉に驚いたものの、先程の会話を思い返せば、原田先輩はブラスバンド部に対しやけに好意的な言葉を紡いでいたことに気付く。てっきりそれは応援してくれる相手への敬意かと思っていたが、好意であっても決しておかしくはない。むしろまだ誰も入っていないスタンドを見つめる背中なんて、俺と同じ気持ちで見ていたのだと言われれば「納得だ」と胸にストンと落ちる。
 そんな憶測が頭をよぎると、妙な親近感が湧いてしまう。鳴さんの言葉を鵜呑みにして原田先輩に確かめることなんてできないが、一方的なシンパシーは止まない。
 ほくほくと胸の内を暖めていると、またもや鳴さんがププっと笑った。

「しかもさ、雅さんの彼女。超絶美人なんだって。美女と野獣……いや美女とゴリラだよね。ウケる」

 鳴さんは口元を手のひらで覆い隠しているつもりらしいが、おおきく笑っているためちっとも隠れていない。キシシと笑い、白い歯を見せる鳴さんにゴクリとつばをひとつ飲み込んだ。
 ――この人に知られたら自分も、ちゃんのことでこうやってからかわれるんだろうな。
 原田先輩とは違い俺はまだ片思いという状況だが、この分だと〝身の程知らず〟くらいは罵られてもおかしくはない。ただでさえ、先日の一幕をからかわれ続けているというのに、これ以上からかいの種を増やしてなるものか。
 ププ、と笑い続ける鳴さんを前に、やはりバレたのが原田先輩で良かったと心の底から安堵した。




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