進撃O:06

天命


信煙弾が放たれた。緑色に染められた煙は、たった一発では取るに足らない量でも、重なれば立派な煙幕として機能する。おびただしい数の信煙弾は、相対する敵の――調査兵団の、命の数だ。
 遠く離れた壁門から、悲鳴にも似た叫び声とともに、馬を操り駆けてくる者たち。だが、束になってかかってきた彼らはこちらに辿り着く前に、獣の巨人によっていとも簡単に蹂躙される。岩石を手のひらで砕いて投げつけるという至って原始的な攻撃方法だが、身を守るすべを持たない彼らには非常に有効だった。

「これならイチコロでしょう!」

 歓喜の声を上げる戦士長に、義理の拍手をしながら目を伏せる。
 ――この分だと、そう時間がかからないうちに、こちら側にいるやつらはすべて倒せてしまいそうだな。
 安堵と慢心が入り交じった息を吐き出し、腰を下ろして足を投げ出した。狭い荷台の中、傍らに設置された樽へ頭をもたれかけ、唇を結ぶ。
 煙が少しずつ晴れていく。その先へとぼうっとした視線を延ばしたまま思案する。岩によって塞がれた壁。その向こうにある最前線で戦うライナーやベルトルトは無事だろうか、と。
 心配することしか出来ないでいる現状に、更に唇を固く結ぶ。先程まで共に居たベルトルトは、前線にいる鎧の叫びを受け、既に戦場へと投げ込まれていた。反してオレはこうやって戦士長が岩を投げているさまを眺めるだけだ。
 淡々と岩石を収集するピーク――車力の巨人の背に乗せられたまま待機。それが今回、オレに与えられた任だった。
 始祖の巨人を持つと思われるエレンを連れて来たらそこで試合終了≪ゲームセット≫というのが、今回の主たるルールだ。巨人であるエレンとの戦闘は、同じく巨人の力を持つふたりに任された。この戦いにおいて人の力は不要だと、戦力外通告を突きつけられたオレに出来ることはない。
 肌身離さず持っている巨人化のための髄液に手を伸ばす。ズボンの尻ポケットに突っ込んだケースは、確かな存在感を手のひらに伝えた。硬いケースを、布越しに指先で叩きながら、今回の戦闘が始まる前の作戦会議を思い返す。
 エレンが抵抗するようなら、オレに食わせた方がいいんじゃないか、というライナーの意見は戦士長により封殺されていた。能力が能力なだけに、慎重に後継者を見つけるべきだというのが理由だそうだ。主張した戦士長の表情を思い返す。腹の底が読めない表情同様に、その主張もまた本心かどうか疑わしい。
 ――まぁ、先日から戦士長に楯突いていたオレへの信用がないというのならそれも仕方がないのかもしれないんだけどな。
 フ、と短く息を吐き、自然と落としていた視線を、戦場へと向けた。
 叫び声は止まない。さっきよりもだいぶ少なくなってはいるが、彼らは引き返さずにこちらへとまっすぐに向かってくる。
 一投目の難を逃れた者が、どうしてまだ、立ち向かおうと思えるのかが不思議でならない。それは勇気と言うよりも無謀だと思えたし、その無謀の根底にある希望や憧れが理解が出来なかった。
 夢見た外の世界は、それほどいいものでは無いのに――。
 同情にも似た感情を拒絶するかのように、信煙弾がまた打ち込まれた。反射的に腕で目元を隠しながら、周囲を警戒する。緑色に染まる視界の奥から悲鳴の声が上がる。きっとまた、戦士長が岩を投げたのだろう。
 投擲の瞬間、地面と岩がぶつかる音と同時に上がった悲鳴が、とうとう聞こえなくなった。完全試合≪パーフェクトゲーム≫の達成は、まもなく確認できるだろう。
 少なからず発していた緊張を解こうと息を吐き出しかけた。だが、横目に捕らえた様子に違和感を覚え、身を翻す。

「――?」

 身体を起こした振動が伝わったのだろう。ピークがオレへと呼びかけてくる。その声に振り返らず、違和感の正体を探る。
 緑色の煙幕は、風に流されて薄らいでいる。だが、ほぼ均一に漂う煙の中、不規則な筋で断ち切られる箇所が散見された。
 どうして、と、目を凝らした瞬間、肌が粟立った。

「戦士長!」

 緊急事態だ。反射的に叫んだ声は届いただろうか。いや、声だけじゃダメだ。

「ピークッ! 戦士長が危ない!」

 荷台から身を乗り出し、車力へと呼びかける。オレの声に、車力は手にしていた岩を捨て、素早い動きで獣へと駆けた。急な反転に抗えず、荷台の中で尻餅をついてしまう。だがそれを痛む暇はない。背を反らし、バネのように飛び起きる。歯を食いしばり、獣の側へと辿り着いたら飛び立つのだと、立体起動装置に移る準備を整えた。
 腰を落とし、半身に構えたまま目を凝らす。獣の姿はまだ遠い。薄い煙幕に目を細め、瞬間的に乾ききった唇を舌でなめた。解れない緊張は、獣との距離が縮まるごとに増幅する。
 勘違いであってくれればそれでいい。だが、今、考えた事があっていたとしたらしゃれにならない事が起こる。
 逸る心臓の音が、身体の中で反響しているようだ。背にかかる圧力のせいか、それとも気持ちが先走っているせいか、次第に身体が前傾する。
 突如、鳴り響いた獣の声に背を震わせる。耳をつんざく怒号に、反射的に耳を押さえたが、脳を揺らすような声を前に、掌程度ではあまり意味をなさなかった。
 獣の叫びは、恐れた疑念が現実となった証明だった。
 ――リヴァイ兵長は、危険です。
 ライナーの声が脳裏に蘇る。今回の戦闘で、一番気をつけるべき人物だと挙げられた者。その兵長が、今、ここにいる。
 薄い煙幕の奥に、戦闘の様子が朧気に映し出される。
 叫び声を上げながら、獣が長い腕を振るう。尖る爪で、ひと思いに切り裂こうとしたのだろう。だが、その動きは完璧に兵長に読まれていた。獣の長い指先を、長い腕を、閃光が駆け抜ける。
 立体起動装置で、空中で、あんなにも思い通りに自分の身体を動かせるものだろうか。ともすれば見とれてしまいそうになる光景に、首筋の裏に薄ら寒さが走った。
 獣の腕を削ぎ切りにしながら駆け抜けた兵長の姿が、ようやく目に入った。一瞬の制止の後、獣の腕が四散する。血を撒き散らしたその腕は、もう使い物にならないだろうことが簡単にわかる。だが、それだけでは兵長の襲撃は終わらない。
 一直線に獣へと戻る兵長。その動きを読んでか、獣は自らのうなじを守るべく指の甲を硬質化させる。
 ウォール・マリアから半円を囲むように並べられた巨人の数を脳裏に描く。その半分とはいえ、相当な数の巨人を斬った後だ。ブレードの数もそう残っていないだろう。
 ――これならば守り切れるはずだ。
 焦燥を伴う安堵に押され、膝の上で拳を作ろうとした。だが、そんな早合点を嘲笑うように、絶望が再び姿を現した。身を翻した兵長の狙いは、初めから別の場所に合ったのだ。守られたうなじなんて見向きもせず、刃を無駄にすることなく、まんまと獣の目をえぐり取った。

「――あ」

 喉の奥から声が出た。意図せず呻いた声は、ひどく情けないものだった。単純な恐怖では足りない。今、目の前にあるものは、絶望だ。
 これは、無理だ。オレなんかの力じゃ、到底敵わない。もしかしたら、戦士長も――。
 頭を掠めた途端、身体の芯から震えが起こる。だが、ひりついた喉の奥からは声はもう出てこない。
 頭から血をかぶりながらも、立体起動を巧みに操る兵長は、攻撃の手を緩めない。獣の両足の腱を斬り跪かせた後、うなじへと襲いかかる。教本に載っているお手本のような流れだ。その速さが常人のものではないことを除けば、だが。
 熟練の技になすすべもない獣の首筋に、兵長は何度も何度もブレードを叩き込む。
 ――あれは、人じゃない。
 人知を超えた動きだ。巨人を殺すために生まれた武器を、あんなにも的確に操る兵長を、ただの人間だと思えない。
 ――どっちが獣だよ。
 声にならない声で呻く。脂汗が額に滲んだ。目の前にいるひとりの人間が、ただただ、恐ろしかった。助けに入るのだと意気込んでいたのが、おこがましい。そう後悔してしまうほど、兵長の斬撃は苛烈を極めた。

。跳ぶわよ」

 硬直したまま立ち尽くすオレに、冷静な声がかかる。

「な、――」

 ――なんだって?
 尋ねるよりも早く、宣言通りピークは跳んだ。半身に構えていたため、今度は転ばずに済んだが、地面に着地する際の衝撃には耐えきれず荷台の上に膝をついてしまう。歯を食いしばり、体勢を再度整えると、車力の口先に、四肢をもがれた戦士長の姿があった。
 あの状態の兵長から、戦士長を救出したというのか。賞賛と焦燥と安堵の入り交じった感情が胸の内で綯い交ぜになる。あまりの心地の悪い感情に、腹の中のものを吐き出してしまいそうだった。
 鈍い痛みを堪えようと手のひらで抑え、壁へと向かって走る車力の後ろ姿を、そして戦士長の姿を眺める。戦士長の凄惨な様子を見る限り、回復までに時間がかかるだろうことが火を見るより明らかだ。
 戦士長の攻撃力を持ってしても兵長に敵わなかった以上、一度、間を置き、対策を講じる必要がある。だが、距離を取ったところで逃がしてもらえるのだろうか。兵長の追撃は決して甘くない。調査兵団に属していた時に追われた記憶が、まだ根強く残っている。
 眉根を寄せ、思わしくない戦況の打開策を思案していると、血を吐き出しながら戦士長が叫んだ。

「お前らっ! アイツを殺せェ!!」

 その命令は、周囲に立つ巨人へのものだった。戦士長の声に反応した巨人たちは、おとなしく整列していた時には考えられないほどの迫力でもって兵長へと襲いかかる。
 駆け抜けていった巨人が味方なのだと思うと同時に、ようやく呼吸が楽になる。吸って吐いて、細い呼吸を繰り返す。ハイは空気で満たされた。だが、じりじりと感じる焦りはちっとも消えやしない。

「我々の勝ちだっ!!」

 それは、戦士長の勝ち鬨の声を聞いても治まらなかった。身体の底からくる震えは、予感だった。戦士長の勝利宣言に水を差すつもりはない。だけど、現実がそれを許さない。
 荷台の縁に手をかけ、そっと後ろを振り返る。一体、また一体と、次々に巨人が沈んでいくさまが目に入った。震えはまた一段と強くなる。
 唇を引き締め、自らの頬を二回張った。染みついた恐怖が剥がれ落ちることはなかったが、正常へと意識は傾いた。いつも通り。努めて明るく。口の端を引っ張って笑みを浮かべる。

「戦士長ー。ご満悦なところいやな報告なんですけど――兵長、まだこっちへ向かってきてますよー?」
「だが、あれだけの数がいれば武器は使い果たすだろう」
「どうでしょうねぇ。壁の中じゃ、人類最強だなんて言われてましたし」

 車力の口先にくわえられたまま、こちらへと視線を向けた戦士長は、痛みにより歪む表情をさらに顰めた。

「どうします? このままじゃ追いつかれちまいますよ」
「お前は気楽でいいねぇ」
「え? へへー」

 頭の裏を掻きおどけた表情を浮かべると、戦士長は呆れたように息を吐いた。戦士長から吹き上がる熱気を眺めながら、先日、戦士長の手首を斬り落とした際にかかった時間を思い返す。
 時間さえあれば傷は回復する。だが、手首ひとつ治すために、あれだけの時間がかかったんだ。腕二本、足二本となれば、どれほどの時間が必要なのか。
 芳しくない状況に、また気落ちしそうになる。だけど、それを訴えたところで状況は変わらない。折れそうになる背を伸ばし、目の上に手をかざして背後の戦況を見守る。

「おー……結構倒されてますよ。すげー、さすが兵長」
「実況はやめてくれよ……」

 戦士長の声に、覇気はない。だが、自分の手配した巨人に対する絶対の自信があるのか、そこに悲観も含まれていなかった。
 たしかに、壁門を囲むようにぐるりと並べられた巨人の数は膨大だった。その半数は兵長によって討伐されているが、それだけ斬れば替え刃も尽きることだろう。
 だが、兵長の勢いは止まない。
 ――人類最強。
 壁内で兵長を指す言葉として幾度となく耳にした。時に、憧憬として。時に、感謝として。追われる立場のオレは、今、その言葉に畏怖しか感じられない。
 ――あー……もう、本当に嫌になるね、まったく。
 首の後ろに手をやり、頭を傾け髪の毛を掻き乱した。壁内から逃げ出した頃から比べたら、ほんの少しだけ伸びた髪に指を通し、掴む。深く瞑目し、ゆっくりと息を整えた。
 ピークは頭が切れるやつだ。兵長から逃げ出すために咄嗟に船へと向かわずシガンシナ区へ向かったのは、鎧や超大型を失うことは出来ないと理解しているからだ。マーレに巨人を持って帰ることなんて、本当は心の底からどうでもいい。だが、さすがにあのふたりの命を無碍には出来ない。無事に帰るためには戦士長の力が必要だ。
 だったら、誰がこの状況を食い止めるべきか。もう、答えは出ている。

「さーってと。それじゃ、オレ、ちょっと行ってきますねー」

 もう少しで壁に辿り着く。だが、立体起動装置が使える場所よりも、更地の方がまだマシなはずだ。離れた距離にいる兵長へと目を向ける。いまだ巨人の討伐数を重ねる兵長の姿に、「やはり空中戦は分が悪い」と自分の考えに確信を抱いた。
 おおきく息を吐き出した。それだけで落ち着かない心境が変わるわけではないが、やるしかないのだと受け入れる覚悟はできた。

「戦士長、ご武運を」
「……あぁ、悪いな」
「いいんですよ。これがオレの役割だってわかってますから」

 貧しいに生まれて、食い詰めて、戦士になって、そこそこの成績を収めたことで戦地へと送り込まれた。この命は、自分で繋いできた命だ。アイツらみたいに寿命の制限は無かったけど、そんな状況で長生きできる気もしなかった。
 そっと首を捻り、立ち塞がる壁を見上げる。
 ライナーとベルトルトが、今、この壁の向こうで戦っている。ふたりがエレンやミカサたちに後れを取るとは想わない。だけど、何が起こるかはわからない。
 オレがあいつらと一緒にこの島へやって来たのは、誰かが巨人の能力を取りこぼしそうになったとき、能力を掬い上げるために用意された、いざというときの保険のためだ。初め描いたものと形は違うかもしれない。だが、紛れもなくその『いざ』が今だ。

「あいつらのこと、頼みます」

 ライナーとベルトルト、そして出来ればアニも、救い出して欲しい。吐き捨てた願望の答えは聞かず、荷台の上に足をかけ、そのまま台から飛び降りた。車力の走る勢いが衰えないうちに跳んだせいか、慣性に従って身体が後ろへと進もうとする。数歩たたらを踏みながらも、靴の裏で地面をえぐるように体重をかける。ようやく立ち止まり、曲げていた背を伸ばすと同時に、オレが留まる場所に兵長は辿り着いた。
 あれだけの数の巨人を倒した後だ。当然、兵長は頭から血をたくさん浴びている。蒸発する巨人の血を纏う兵長の迫力は、まさに人類最強を冠するに相応しいものだった。
 沸き起こる恐怖に自然と息が荒くなる。こちらへと歩み寄る兵長の足取りは決して軽くはない。だが進み続ける限り、道は繋がるのだと知っている足取りが止まることも、また、なかった。

「へーいちょ」

 両腕を掲げて、おおきく腕を振るった。人なつっこい笑みを浮かべ、まるで今でも仲間かのような顔をして声をかける。壁の上へと視線を向けていた兵長は、その声で初めてオレに気がついたようだった。こちらへと目を向けた兵長は当惑の色を浮かべ、顔を顰める。だが、声をかけた相手がオレだと気付いた途端、瞳の色が変わった。
 不審そうな顔つきで、オレを睨み付ける兵長に、オレはふっと口元を緩める。

「ちょーっと時間稼ぎさせてもらっていいですか?」

 その言葉が引き金だった。傍目から見ていたときは、特に気にしたことがなかった。それが今、目の前にある。
 ――人類最強。
 何度頭に思い浮かべたかわからない。その男の発する、自分自身だけに向けられる殺気に、今まで経験したことがないほどぞくりと肌が泡立った。



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