変わらない愛を君へ 02
最近、の様子がおかしい。
最初にそんな違和感を覚えたのは、ゴールデンウィークを目の前に控えた時期だった。今までならば問題なく連絡が取れた時間に電話をかけてみても出ない時間帯が増えたし、連絡が取れたとしても「学校が終わってから遊ぼう」と誘ったところで「その日は用事が……」なんてはぐらかされる。
初めのうちは「まぁ、そんな日もあるわな」と流していたが、立て続けに断られると違和感を覚えずにはいられない。気まずそうな態度を見る限り、オレに要因があるのでは無くの心の問題なんだろう。そう考え、無理矢理自信を納得させてみたものの、釈然としない日は幾日も続いた。
じんわりと感じていた違和感が決定的になったのは5月も半分をすぎた頃だった。
とある休日の昼下がり。久しぶりにお互い時間が取れたのを機に、デートに漕ぎつけたまでは良かった。だが、いざ顔を合わせたところで電話やメールでのやり取り同様にどこか落ち着かない素振りをは見せた。
じっと見つめると照れくさそうに外されたり、熱を持った視線で受け止められたりしていたはずの視線が、今はうまく合わない。無理矢理目を合わせたとしても忙しなく視線を泳がせるばかりで、動揺しているのだとこちらに悟らせた。
怒らせたのか、それとも飽きられたのか。嫌な予感はそれほど感じないが、それでもこうもあからさまに「疚しい感情があります」なんて態度を見せられれば、いくら身に覚えが無くとも腑に落ちない感情はいくらでも募った。
「、何かオレに隠しごとしてる?」
「えっ?! な、なにも……」
「ホントに?」
「……ホント、だけど」
大通りに面したファミレスで遅めのランチを食べ終え、一息ついたところにかねてからの質問をぶっ込んでみれば、案の定、はわかりやすく動揺した。
ボックス席の向かいに座ったが小刻みに震えるのに合わせて握りしめたグラスの中に入ったオレンジジュースが静かに波打つ。いつになく上擦った声も、合わない視線も、が嘘を吐いている証拠に他ならない。
――さて、はどこまで白を切るつもりだろうか。
そんな気持ちと共に頬杖をついたままを眺める。泳ぐ視線を捕まえようにも、キョドキョドしている相手では思うようにいかない。
――取り繕う笑顔すら作れないクセに、隠してるつもりなんだもんなぁ。
態度ひとつとっても「ウソついてます」と肯定してるとしか思えない姿を見せるにひとつ息を吐く。
があまり自分の話をしないタチなのは分かっているし、それ以上に嘘を吐けない性格なのも重々承知している。
その上で、が強情にも嘘を吐こうとしている理由。その〝思い当たる節〟ってやつを頭に浮かべると自然と溜息が漏れた。
目を逸らしたまま口元でグラスを傾けるがこうなる少し前に、突然ぺーやんから電話が掛かってきたことがあった。
電話自体は珍しくもなんともない。だが、その用件が「誕生日に欲しいものはあるか?」なんて話題では、さすがに〝何か企んでるな〟としか思えなかった。
5年を超えた付き合いの中。今までひとの誕生日なんて頓着したことがなかったはずのぺーやんが初めて吹っかけてきた質問の背景に誰が潜んでいるのか。そんなこと、いちいち考えなくたって予想がつく。
目の前に座るが、オレらの共通の友人であるぺーやんに、オレに渡す誕生日プレゼントの相談をした。聞かずとも見えてくる事の真相を頭に浮かべては、溜め息がこぼれるようだった。
ぺーやんから電話がかかってきた日は、ちょうどから「林田不動産に遊びに行く予定だ」と聞いてたのもオレの予想を裏付ける大きな要因だった。特に、にとってぺーやんとパーちんはこの世で一番信頼している幼馴染なんだ。困ったことがあれば相談相手として選ばれるのは当然だ。
だが、今回ばかりは頼る相手が悪すぎた。案が出なければ聞けばいい。そんな安直な考えに至ったぺーやんが、直接オレに電話をするだなんて、でも想定していなかったはずだ。
ぺーやんの失態でオレにバレたのではと思い込んだが、ぎくしゃくした態度を見せるようになった、というのが今回の事態の全容だろう。
まるで見てきたかのように思い浮かぶ光景を頭に描きながらいまだ目線を明後日の方向にやったままのを見つめる。
は「きっとバレてない、大丈夫」って自分に言い聞かせてる風な顔してるけど、全然バレてるからね。なんならストレートな行動しか取れないあのふたりに相談なんてするから全部筒抜けになるんだぞと教えてやりたい気分だ。
肩で息をひとつ吐くことで燻った感情を追い出すと、飲み終えて空になったグラスにいまだ縋り付くに声をかける。
「それ、空になってんじゃん。新しいの持っておいでよ」
「まだしゃべる?」
「オレはそうしたいけど、はオレとおしゃべりすんのイヤ?」
「イヤじゃないイヤじゃない!」
そういう意図じゃないと知りつつも、あえて言葉尻を捕まえて遊んでやれば、ぶんぶんと首を横に振ったは慌てた様子で「取ってくる!」と言い残し席を立つ。「転ぶなよー」と冷やかし混じりの声をかけつつも、この席から一番近いドリンクバーのマシーンから新しい飲み物を注ぐ背中を眺めているとまたひとつ溜め息が生まれた。
焦っている姿は見ていて飽きないけれど、そればかりでは終わらないからままならない。隠すつもりならもう少し上手く振る舞ってほしい、なんて。そんな考えが頭に浮かぶ時点でオレの中にも少しづつ不満が募っているのだと自覚する。
――なるべく表に出さないように気をつけねぇとな。
人付き合いは我慢ではなく、妥協点のすりあわせの連続だ。特に今回はオレの誕生日を祝うために隠しごとをしているらしいから追求するものじゃない。
――騙されてやるのも彼氏の役目ってやつだもんな。
そう気持ちを切り替えるべく息を吐き切ると、考え事でもしていたのか、満杯に注がれたグラスを恐る恐る運んでくるを迎える。
「そういや、この前パーんとこ行ったんだよな。アイツら、元気だった?」
「えっ? うん、特に変わりなかったよ」
零さず運べた安堵に表情を緩ませたに会話を振れば、幼馴染の話題にさらに気を緩ませたのか、はこの日一番明るい顔を見せた。
「そっか。オレも近いうちに顔出さないとな。最近全然会ってねェし」
「きっとふたりとも歓迎すると思う」
ふふ、と機嫌よく笑ったに口元を緩める。毎日のように顔を合わせていた中学時代に比べると、もそうだがパーペーコンビとも会う機会がめっきり減っていた。2週間も会わなければ「随分顔を見てないな」と物寂しい気持ちが湧いてくる。
「そう言えば、隆くんがアトリエ借りるって話はちょっと聞こえた」
持ってきたばかりのアイスラテに口をつけるの言葉に思わずフリーズする。
――そっちがその話題を振るのかよ。
せっかく見ない振りをしておこうと思った矢先にこれだ。の迂闊さに苦笑よりも呆れにほど近い表情が浮かぶのを隠すため、無理矢理に口角を上げて笑って見せる。
何の気なしに放った言葉だったのだろう。カフェラテにガムシロップを少し垂らしては甘さを確認するは、パーちんたちの話題が続いて嬉しいとでも言わんばかりにニコニコと目元を細めている。
「あぁ、あの電話、も聞いてたんだ」
「! いない、いたかもしれないけど知らない覚えてない」
ちょっとした腹いせの代わりに白々しさをたっぷり含んで言及してやれば、少し和らいだかと思った表情も瞬く間に固くなる。青い顔をしてグラスを両手で包んだは、いまや甘さと苦みのバランスにこだわり抜いたはずのカフェラテの味なんてちっともわからなくなっていることだろう。
意地悪しすぎたかもしれない。そんな反省に似た気持ちと共に息を吐き、オレもまた氷で薄くなったアイスコーヒーに口をつける。
「いや、まぁいなかったってんならそれでもいいけど。あの後、ぺーからいくつか物件を見繕ったって連絡が入ったからさ、近いうちに詳しく話を聞きに行こうと思ってるんだよね」
「そう、なんだ」
「そ。だからも一緒に行かない?」
言葉を重ね、誘ってみるとぎこちないながらもの視線が戻ってくる。目を合わせたままゆるりと口元にカーブを描けば、はほんの少しだけ緊張を解いたようだった。
「えっ、と……それ、いつくらいになりそう?」
「んー、そうだな……。今月はデケェ課題の締切があるし、来月の頭くらいになるかな」
「来月……」
オレの言葉を復唱したは、考え込むように黙り込むとそのまま動かなくなる。頭の中でスケジュールを思い出しているのだろう。無意識に指の甲を唇に押しつけ、眉間にシワを寄せていた。
「どう? 難しいならオレひとりで行ってもいいし、の都合がつきそうなら合わせるよ」
「――ううん。来月なら、多分、大丈夫だと思う」
「了解。じゃあ、また月末にでも誘うわ。あ、それとも今のうちに決めておいた方がいいか?」
「ううん、今、予定わからないから大丈夫。あ、でも土日だともしかしたら急にダメになるかもしれないから、平日の方が助かるかも」
「そっか、覚えとくよ。まぁ、平日の方がアイツらも忙しくないだろうし、学校帰りにでも寄るのがいいかもな」
「うん、そうしよ。約束」
言葉の端々に滲む何かしらの予定に気付きつつも、一切を無視して約束を取り付けると、は安心したように笑った。これで本人は隠してるつもりなんだから本当に迂闊以外の何物でも無い。
問い詰めなくてもポロポロとこぼれ落ちてきたヒントを掻き集めれば、自ずと答えは見えてくる。
の都合ではなく外的要因で予定が決まる、となると義務に近い用事だろう。その上で平日の方が都合が付きやすいということは、学校行事での呼び出しではないと推察できる。
学外の用事。それに連絡がつかない時間が増えたことを加味すれば、アルバイトでも始めたと考えるのが妥当なはずだ。
ほぼ確信に近い予想が頭に浮かぶと同時に、大きく息を吐き出す。
――ったく。こっちはちゃんと希望を伝えたのにな。
物より思い出だなんて謙虚な性格ではないが、実際、取り急ぎ必要なものは思い浮かばない。欲しいものがない以上、無理して用意してもらうよりも、当日は美味い飯でも食ってふたりでゆっくり過ごしたい。
に伝えていた希望は心からのものだった。まぁ、ふたりって言ってもルナやマナも混ざると言って聞かないだろうけど。
起こりうる妹たちの反応を頭に思い浮かべると、自然と口元に苦笑が現れる。目の前に座るも表情の変化に気付いたらしく、不思議そうに首を捻ったのが目に入ったので、「なんでもない」という代わりに手のひらを立てることで返した。
イマイチ納得してなさそうな顔つきで再びアイスラテに口をつけたを眺めながら改めてソファに背中を預けると、これからどうするか、なんて漠然と頭の中に考えを巡らせる。
から「バイトを始めた」なんて報告がない以上、憶測で動くほかない。言ってくれたらこっちもそれ相応の対応ができるが、それさえ内緒にしたいなら目をつぶっておいてやるのが優しさってもんだろう。とは言え、決定的な場面を見たらどうとでも出てやるつもりだが。
――とりあえずこれ以上、が変な動きを見せても動じないようにしてやんねぇとな。
ぬるくなりつつあるアイスコーヒーをグイッと飲み干し、決意を新たにする。
テーブルにグラスを置きながらチラリとの手元に視線を伸ばせば、まだ半分以上ドリンクが残っているのが目に入った。
間違って2回ボタンを押したとしか思えない量は、そう簡単には飲み終わらないだろう。しょうがねぇな、と呆れつつもつい口元は緩む。
「オレももう一杯だけドリンク取ってくるワ。も何か飲む?」
「んーん。まだ残ってるしこれでおしまいにするつもり」
「わかった。じゃあ飲み終わったら次行こうぜ」
話したいことはたくさんあるが、これ以上ここにいても同じ話を掘り返してしまいそうだ。そんな考えの元、次の行動予定を口にすればは素直に頷いた。
それに頭を揺らして返し、ドリンクバーのコーナーへ向かう。新しいグラスに氷を詰めながらも、頭の中はのことでいっぱいだった。
――敷金なんて口にしちまったのは失敗だったかもしれねぇな。
ぺーやんからの電話にの存在が透けて見えたからこそあえて「それは無いだろ」って要望を口にした。まぁ、ぺーにはちょっとは本気にしてもらえたらって思惑がなかったと言えば嘘になるが、それはあくまで不動産屋への意見ってやつだ。
――まさかは本気にしてないよな。
マシーンの前に立ち、コーラのボタンを押すと同時に一抹の不安が頭を過ぎる。
もし本当にバイトを始めたとなると、まとまった金額を手にしようとが画策しているとしか思えない。その目的が敷金分の代金を稼いでいるとしたら。
普通なら「そんな馬鹿な」と一蹴できる程度の考えだ。たが、は、なんと言ってもあのパーぺーコンビの幼馴染。長年ともに過ごせば、思考はどうしても似通ってくる。
――結構、アホなところがあるからなぁ、も。
もしが敷金を払うなんて言い出したとしても、パーちんたちが止めてくれているはずだ。そう信じていても「まさか」がどうしても拭いきれない。
本気で持ってきたときはデコピンしてでも取り下げさせなければ。そんな誓いを胸に抱き、グラス半分ほど注いだコーラを手にしたオレは、とりあえず今日のデートに気持ちを切り替えての座る席へと戻った。
***
「ターカーちゃん! あーそぼ!!」
「あーとーでー」
土曜日の昼過ぎ。に連絡を取ってみようとケータイを耳に当てたところに八戒のいつもの呼び出しの声が飛んでくる。それにおざなりな返事をすれば即座にドアに飛びついたような音が聞こえてきた。
「なんで?! 呼び出したのタカちゃんだよね?!」
ドアの向こうから聞こえてきた悲痛な声に苦笑していると、キッチンから玄関へ向かうふたつの足音がパタパタと響く。
「今、お兄ちゃんは電話かけてるから八戒は大人しく待ってて!」
ピシャッと言い返した声はマナのものだ。ルナもそうだが、アイツらは八戒を自分たちの弟だと思っている節がある。昔から散々遊んでもらってるが、どうやら感謝の念よりも気安さが勝るらしい。
遠慮がないのは仲いい証拠。とは言え、同じ遊び相手の大寿には取らない態度を見る度に「人を見てんな」と思わずにはいられない。
自然と漏れた苦笑を押しとどめるように口元を引き締め、ケータイを耳に当てたまま玄関を振り返る。タイミングよくパタンと閉じたドアに、どうやらルナもマナも家を出てしまったらしいと知る。オレが待ちぼうけを食らわせた詫びにヒマな八戒の相手をしてやるとでも言ってるんだろうと思えば抑えたはずの苦笑がまた浮かび上がるようだった。
取り留めのないことを考える間も規則正しい呼び出し音は鳴り続けた。シンと静まった室内にいるとやけに響く音に耳を傾けたところで、いつまでも変化は起こらない。やがてコール音が途切れ、留守番電話サービスに繋がったのを確認すると特にメッセージを残すことなく電話を切った。
画面に映るの文字が目に入ると同時に、先日ファミレスで交わした会話が頭を過る。
土日は急に用事が入るかもしれない、とは言っていた。今日がその急な呼び出しなのか、元々予定に入っていたのかは知らない。そもそも約束もしてないんだし、連絡がつかないのも仕方ないよな。
そう自らに言い聞かせると閉じたケータイを机の端に置いていた財布と重ねてポケットに入れ、玄関へ向かう。つっかけた靴に踵をねじ込みながらドアを開けば、両腕にマナとルナをぶら下げてくるくると回る八戒の姿があった。
「ヨォ、待たせた」
「お兄ちゃん!」
「タカちゃん!」
声をかけるなりパッと明るい表情を見せた八戒の腕から飛び降りた妹たちは、回る勢いのままこちらに駆け寄り、両サイドから腰にしがみついてきた。
「ワリィな、面倒見てもらっちまって」
「それは全然いいけどさぁ。……はー、肩しんど」
妹たちの頭に手を乗せながら八戒を労うと、重苦しい溜息が落ちてきた。グルグルと肩を回して凝りをほぐす仕草を見せる八戒に「運動不足じゃね?」と茶々を入れれば「ふたりがデカくなったからだよ!」と言い返される。
悲痛な顔をした八戒はよっぽどしんどい思いをしたようだ。この分だと〝大寿ならその程度じゃ音をあげないけどな〟なんて返したらもっとムキになって噛み付いてくることだろう。
「ねぇ、お兄ちゃん。もしかして今から八戒と遊びに行くの?」
「あぁ、少しだけな。留守番任せていいか?」
「しょうがないなぁ。暗くなる前に帰ってきてね!」
「あまり遅くなるなら迎えに行くから!」
「はは。ありがとな。遅くなる時は先に電話するわ」
腰に手を当てて背を反らしたルナもマナも、普段オレがふたりが遊びに出掛ける際に言うお決まりの文句を口にした。ポンポンと頭上で両手のひらをはねさせれば、ルナが「お家はいろっか」とマナの手を引いた。口々に聞こえてきた「いってらっしゃい」に手を振って応えると精魂尽き果てたと言わんばかりの顔つきの八戒を見上げる。
「とりあえずちょっと出るか。色々見てえもんあるし」
「いいよ! 今日はとことん付き合っちゃうからね!」
表情を一変させた八戒が調子の良いことを言うもんだからこっちまで笑ってしまう。「じゃあ行こうぜ」と背中を叩いて歩き始めると、特に目的地も決めず駅の方へ向かった。
適当にぶらつき、気になる店が会ったら入ってみる。そんなことを繰り返しては最近の流行をチェックする。服もそうだが、靴やアクセなんかもしばらく見ないうちにガラリと様変わりしていた。
特に今は夏物が出始めているのもあり、目新しいアイテムを目にしては物珍しさに刺激を受けたり、素材の質感を確かめるために手に取ったりと買い物を楽しんだ。
時折、欲しいものが見つかったと試着を始める八戒に「こっちもいんじゃね」と見立ててやりながら色んな店を見て回る。ひとしきり目当ての店を見て周り、シャツとスニーカーを手に入れたところで、そろそろ小腹が空いてきたなと思い至る。
あちこち歩き回ればそれなりに体力を使うので無理はない。三時のおやつを求めるのは何も妹たちだけの特権ではないとばかりに「ちょっと腹が減ってきたな」なんてこぼせば八戒も同じ腹具合だったようですかさず「減った!!」と食いついてきた。
「ねぇ、タカちゃん! オレ、あの店の期間限定のハンバーガー食べたいんだけど、どう?!」
「おぅ、いいな。じゃあそっち行こうぜ」
信号を渡った先にあるファーストフード店を指さした八戒の提案に二つ返事で頷けば、「やった!」と歓声が上がった。ルナやマナが見せるものと遜色ない反応に苦笑しながら、変わったばかりの信号を嬉々として渡る八戒の背中を追い、店へ足を踏み入れる。程よく混雑した店内を見渡し十分に席が空いていることを確認すると、カウンターの奥に貼ってあるメニューに視線を伸ばした。
季節限定品や店のイチオシから選ぶか、それとも定番メニューから選ぶか。今の腹具合と相談しながら伸びた列の最後尾につけば、カウンター内に見覚えのありすぎる人物が立っていることに気がついた。
「……?」
思わず怪訝な声が漏れた。他の店員と同じユニフォームに身を包み、ヘタクソな営業スマイルを浮かべているのは、紛うことなく本人だ。突然の事態に固まったオレとは裏腹に、当のは接客に一生懸命らしくオレの登場には気づいてないらしい。
――だったらこっちにだって考えはある。
すぐさま気持ちを立て直したオレは、早速行動に移すことにした。
腹が減っているのだろう。早々にレジへ向かいたがる八戒の首根っこを捕まえ、商品を考えているフリをして後ろに並んでいたひとに順番を譲る。
「えー、タかちゃん。まだ決めらんない?」
「あぁ、ちょっとな」
唇を尖らせた八戒に適当な相槌を返したオレはメニューを選ぶ振りをしたまま頃合いを見計らうと、ちょうどが入っているレジが空いたところに滑り込んでやった。
「いらっ……しゃ、せ」
浮かべられたばかりの営業スマイルも、新たな客がオレだと認識すると同時に一瞬で霧散する。動揺のあまり居酒屋店員のような口ぶりを披露したは、それでも懸命に笑おうとしたのだろう。ぎこちなく歯を見せたの顔は、懐かしい〝さん〟の顔だった。
「ご、ごちゅ、もんは」
辿々しい言葉遣いながらも必死にただの店員であろうとするは白を切るつもりなのだろう。オレと目を合わせようともせずぎこちない手つきで「期間限定デス」とテーブルに貼られたメニューを手のひらで示すと、「おすすめデス」と付け加えた。
動揺の止まらないの態度に微かに溜飲が下がるのを感じたが、まだまだこんなもんじゃ足りない。
こっちを見てんのか見てねぇのかわかんねぇの視界に入るべく、グイッと身を乗り出すと手元のメニュー表に指を滑らせる。
「こっちのセット、ポテトとコーラで。……八戒は期間限定のセットがいいんだったよな? ドリンクとサイドはどうする?」
「……同じの」
ツンと鼻先を逸らして答えた八戒の注文はの耳に届いただろうか。青白い顔をしてレジを打ち込んでいるようだが、その指先が画面上で右往左往しているのを見るとさすがに心配になってくる。
「、聞こえた?」
「ひっ、いや、はいっ! えっと……」
オレの問いかけに短い悲鳴をあげたはあたふたしながらもふたり分の注文を復唱する。すべて言い終えたあと、「以上でよろしいでしょうか?」なんてお決まりの文句ではなく「あってる?」と言いたげな視線が向けられた。甘えの残る対応に絆され、うん、とひとつ頷けばは安心したように息を吐く。
そのまま精算に移り、お釣りとレシートを受け取ると同時にの手を掴む。急な接触に緊張がピークに達したのだろう。目を白黒させたは、つい先程緩んだはずの表情を強ばらせる。
「今日、何時上がり?」
「は、はちじ……はん」
「わかった。じゃあそのくらいになったら迎えにくるから。終わったらメールして」
「う、ん」
ぎこちなく応えるの手を解放しながらヨシと頷いてやると、ふと、隣のレジに入っていた店員の視線が差し向けられていることに気付いた。悪質なナンパじみた行為を見咎められているのかと思いきや、目が合うと意外にも柔和な視線が返ってくる。
もしかしたら彼女はと仲がいいのかもしれない。ご馳走様とでも言いたげな視線に気後れしつつも軽い会釈を返し、に「後でな」と声をかけるとドリンクとプラカードを載せたトレイを受け取り、カウンターをあとにする。
適当に空いている席を探し、向かいに座った八戒に話を振るよりも先にへ視線を戻した。気持ちを入れ替えられないでいるのか、入店時に見た時よりも落ち着きのない様子でレジを捌くに自然と口元は緩む。
「いやー……。久々に面白いもの見たワ」
「ご機嫌だね、タカちゃん。……そんなにあの人に会えて嬉しい?」
「そりゃそうだろ。最近会えてなかったし。それに不意打ちってテンション上がんね?」
「わっかんねーって」
自分でも驚くほど滑らかに口が回る。頬杖をついたままストローを囓る八戒が興味なさそうにしているのもオレの熱弁に拍車をかける一因だった。適当な相槌にムキになったわけではないが、「まぁ聞けって」なんて気持ちに背中を押されるがまま話を続ける。
「八戒も見ただろ? の顔。オレが客だって気付いた途端、真っ青になっちゃって……。ホント、かわいーんだか、かわいそーなんだか」
「もー。タかちゃんってば、その顔じゃ答え出てるから」
「なんだよ、かわいーとでも書いてあったか?」
「はぁー……。もうマジで勘弁してよねー……」
心底イヤそうな顔をした八戒は前からのことを気に入っていない。なんなら初対面で嫌ってそれっきりだ。目の前でそっぽを向く八戒の態度に、もまた態度を硬くさせた結果、ふたりの仲の悪さは周囲に知れ渡ることになった。とは言え、顔を合わせては文句を言い合ったり無視し合ったりと、ある意味気の合う素振りを見せているので誰も問題視はしていないのだが。
不仲と言えども、殴り合いを始める訳でもないので放ったらかしにして早二年余り。の話を聞かせれば聞かせるほどうんざりした顔をする八戒も、もう慣れたよと言わんばかりの顔で「で、あの人とは最近どんな感じなの?」とオレの話を促した。
「どうって言っても、マジで最近会ってなかったらなんもねぇよ。オレ、がバイト始めたのもちゃんとは知らなかったし」
「ホラ、あの人そういう不義理なことするんじゃん。そろそろ別れたら?」
「オマエ、二言目にはすぐそれ言うよな」
定番の文句に苦言を呈せば、八戒は「だって」と唇を尖らせる。なんとなく気に入らないを気兼ねなく口にする八戒も、別に本気で別れろと言っているわけではない。追撃が来ないのがその証拠だ。
もしかしたら少しは本音も混じっているのかもしれないが、いちいち本気にしてたらキリがない頻度で言われているのでオレも適当にあしらうことにしている。いつも通り「だって」以降の言葉が続かないのを確認したオレはさらりと会話を戻す。
「まぁ、後で会うしその時にでもちゃんと聞くさ」
「何を?」
「バイト始めた目的と今後の展望?」
「面接じゃん!」
ワザと畏まった言葉を選べば機嫌を治した八戒はケラケラと笑う。釣られて笑ったオレもまた前傾していた身体を起こして椅子に寄りかかると、いいタイミングで出来上がったばかりの商品が運び込まれた。
差し出されたトレイを受け取り、注文が揃ったことを確認するとプラカードを引っさげて店員は持ち場に戻っていく。動く背中を目で追うがままを探せば、相変わらずカウンター内で接客に励む姿が目に入った。
――が持ってきてくれたらよかったのにな。
偶然とは言え、せっかくバイト先に遊びに来たんだ。初めて見る制服姿を間近で見たいと思うのは恋人なら当然の感情だろう。
遠目に新鮮な姿を眺め「マジでレアな格好見れたなー」と感慨深げに口にすれば、すでにハンバーガーに夢中らしい八戒から「ふぅん?」と気のない返事が飛んでくる。それに「もう少しマシな返事しろよ」と返すことも無くの姿を観察する。
髪を上げてんのも珍しいよな。今度ウチに遊びに来た時、ヘアアレンジもさせてもらおうかな、なんて。そんなことをぼんやりと考えていると、休憩にでも入るのか、列が途切れたのを機には隣のレジに入っていた女子と連れ立って奥に引っ込んでしまった。
あと少し遅れていたら顔を合わせらんなかったのか。そう気付くと同時に、いいタイミングで店に誘われたんだと思うと八戒には感謝の念が湧く。まぁ、おかげさまでと言ったところで100%八戒は喜ばないだろうけど。
の姿が見えなくなったことでようやく食事と向かい合う。だが、包み紙を剥がし、ハンバーガーにかぶりついてもなお、久々に会ったのことが頭から離れなかった。
――もう友達が出来たのか、って思うと感慨深いよな。中一のときはあんなに苦戦してたのに。
無愛想とまでは言わないが、幼馴染のパーちんとぺーやん以外には特に興味が無いと言わんばかりの態度を見せたは、同じ手芸部の安田さんたちとでさえも入部当初は折り合いが悪かった。それがいまやものの1ヶ月かそこらで新しい友達を作っちゃうんだもんな。
「タカちゃん、なんか嬉しそう」
「ん? そうか?」
緩む口元を抑えることすらしないオレの胸中を見透かしたかのように、八戒が揶揄うような口調で指摘する。否定も肯定もせず曖昧に笑って流せば、それ以上は深く突っ込まれなかった。
「ま、いいけどね。どうせあの人絡みでしょ」
「はは、よくわかったな」
「わかるって、さすがに。さっきからタカちゃん、レジ見てばっかだし」
肩を竦めた八戒がストローをくわえるのを見てオレもまたカップに手を伸ばす。よく冷えたコーラのしゅわしゅわとした口当たりを味わいながら、揚げたてのポテトをつまんだ。
「まぁな。あの人慣れしにくいが隣にいた子と仲よさそうだったからさ。ちょっと安心したっつーか……」
「あぁ。だってあの子、パーちんくんの彼女でしょ?」
「え? マジ?」
「ホントだよ。オレ、よくから写メもらうから間違いないって。……ホラ、この子」
言って、ケータイを取り出した八戒は手元で軽く操作したかと思うとこちらに身を乗り出して画面を見せてくる。そこに映っていたのはパーペーコンビとともに笑うともうひとりの女子の姿だった。
「この写真知らねぇんだけど」
「えぇ? 食いつくとこそこ?」
「冗談だって。あぁ、でもそれ、あとで送っといて」
「ハーイ……」
話が一段落ついたのを機に改めて見せられた写真に向き合う。
背景を見る限り、林田不動産の事務所に違いない。デスクに座ってパソコンと睨めっこしているパーちんは、恐らく資格を取る勉強でもしているのだろう。馴染みのあるソファに座ったぺーやんとが頭を抱え込んだパーちんを振り返って笑う中、隣に立つ女子がパーちんの肩を元気づけるように叩いている。
その子の顔を注視すれば、さっきと連れ立って奥に引っ込んでいった子に間違いないと気がついた。
そういやこの店舗は前にが「ここ、パーくんの彼女のバイト先」って言ってたっけ。新しくバイトを始めるにあたって気のおけない友人を頼る姿を想像しては緩んだ口元をさらに綻ばせる。
「ホントだ。髪型が違うから気がつかなかったわ。オマエ、よく気付いたな」
「タカちゃんがあの人のこと見過ぎなだけだって」
苦笑交じりに答える八戒を一瞥し、今一度画面に目を向ける。オレの動作に続きを促されたとでも捉えたのか、「他にもあるよ」と口にした八戒はケータイを操作しはじめた。
からのメールには〝どこそこに遊びに行った〟など、その日の簡単な報告が書かれているらしい。その文面を簡単に説明しながら次々と写メを見せる八戒の声に耳を傾けていると、不意に八戒が「それにしても、マジでタカちゃんのためにバイト始めてたとはなー」とこぼした。聞き捨てならない一言に、思わず顔を上げる。
「ハ? オマエ、知ってたのかよ?」
「え? いや、知ってたってゆーか。偶々だよ。この前、が……」
「また?」
「あっ。ナシ、今のナシ!」
慌てて手のひらで口元を覆う八戒は、失言を取り戻そうと「違うからね」と否定する。だが、一度口にしてしまったモノを引っ込めようがない以上、オレが言及するのは当然の流れってやつだ。
「どーせパー絡みだろ。分かってるって」
「まぁ、それは否定しないんだけど……。あー、失敗した……」
後悔を滲ませる八戒はとうとう顔面を手のひらで覆い天井を仰ぎ見る。その態度ひとつで、の話は極力したくない八戒の心情が伝わってきたが、オレにとって今一番関心のある話題を目の前にぶら下げられてはおとなしく引き下がれるはずがない。
八戒もそれがわかっているのだろう。ウダウダと身をよじらせながらも「絶対に話さない!」などとは決して口にしなかった。
「で? がなんだって?」
「……もうこの際だから白状しちゃうけど。四月の終わりくらいかな? 急にから電話がかかってきてさ――」
そう前置いた八戒は、食べ終えたハンバーガーの包み紙をぐしゃぐしゃに丸めながら言葉をこぼしはじめる。さっきまで憶測でしかなかった話が真実にほど近かったと知るのが楽しくて、やけに弾む気持ちとともにまだ熱の残るハンバーガーにかぶりついた。
***
ハンバーガーを食べた後も軽く店を見て回ったオレたちは、散策もほどほどに帰路につく。留守番を任せていた妹たちを連れ出し、公園でたっぷりと遊ばせているうちに日が傾き始めた。
「じゃあ、タカちゃんまたね」
「オゥ、今日はありがとな。ホラ、オマエらもお礼言って」
「八戒! バイバイ!」
「また遊んであげるね!」
おおきく手を振るルナとマナに苦笑しながら八戒は帰っていく。そのまま三人で家に戻り、夕飯を食べさせ風呂に入れてやればおもいっきり遊んだのが効いたのだろう。ルナもマナもいつもより早い時間に眠りについた。
くっついて眠るふたりを尻目にカーテンを閉め、時計へ視線を伸ばせばを迎えに行くにはちょうどいい時間だと気付く。
――そろそろ行かねぇとな。
バイクか、徒歩か。一瞬、悩んだが、話をするなら徒歩の方が都合が良いと結論づけたオレは、手にしたばかりのキーをテーブルに置き、極力音を立てないように気を払いながら家を出る。
昼過ぎは暑かった日差しがない今、夜の涼しい風が心地よい。過ごしやすい空気に当てられるまま、自然と早足でのバイト先へと向かった。
10分ほど歩いた頃、不意にメールの着信音が鳴り響く。ポケットに入れていたケータイを確認すれば、から「バイト終わりました」と報告が入っていた。
「なに敬語使ってんだか」
普段なら使ってこない文言がおかしくて思わず笑ってしまう。次に続く「着替えないといけないのでゆっくりで大丈夫です」の文面と気遣いにはの緊張がありありと滲んでいてさらに笑いを誘った。
それに対し、立ち止まって長々とメールを返すよりさっさと向かった方がいいと判断したオレは「オーケー。店の看板の近くに向かうわ」とだけ打ち込み返事とすると、足早に目的地へと向かった。
とは言え、早い内に家を出ていたのも功を奏し、あとはデカい信号を渡るだけの距離しか残っていない。遠目に店先を眺めたがまだは出てきていないようだと当たりをつけると、青に変わった信号をのんびりと渡る。
煌々と照らされた看板の下に立っていれば、ほどなくしてが店から出てくるのが見えた。
「、お疲れ様」
「あ、ありがと……」
駆け寄ってきたを出迎えるべくおおきく手を広げたが、いつもなら躊躇いがちにくっついてくるはずのが飛び込んで来ない。それどころか目の前に来たくせに一歩後退する始末だ。
「なんで避けた?」
「……油でべたべたかもしれない」
「いいって。そんなの気にしなくて」
歯切れの悪い返事をあしらうと「うりゃ」とワザと声に出しを抱き寄せる。一瞬、身体を硬直させただったが、すぐに力を抜いてオレに身を委ねてきた。
「今日、すげーバイト頑張ってたな」
「や、……それは、その、まぁ……うん」
バイトの話題を持ち出せば、痛いところを突かれたとばかりにの態度がよそよそしくなる。それを機に身体を離せば、後ろめたいと気まずいを両頬にデカデカと書いてあるような表情を浮かべたが目に入った。
「どーしたんだよ、その顔」
「……バイト、始めたの、言ってなかったから、ちょっと、その、驚かせてしまったかもしれない……って思って」
「あぁ、たしかに。つっても察しはついてたけどな」
「え、そうなの?」
オレの発言に驚いたのか、は目を丸くして顔を上げる。心底意外そうな顔をしたに「そうなの」と返したオレは、いつもより強めに頭を撫でてやった。
の言うとおり、少しは油がついてしまっているのだろう。いつもならさらりと戻る髪があちこちに散らばってしまった。
に気付かれると今日の接触禁止を申し渡される懸念がある。バレないうちに手櫛で整え直しはじめたオレは、何食わぬ顔で会話を続けた。
「最近、電話しても出ねぇし、土日も都合つかなかったろ? まぁ、なんかあるとは思うよな」
「ゴメン……」
「別に悪いことしてるわけじゃねぇんだから謝んなくていいって」
報告義務があるわけではないが、話してもらえないのは寂しい。そんな気持ちがなかったと言えば嘘になる。だけど、そんな感情を表に出して仲違いするのは時間の無駄だ。そう考えているオレは、落ち込むを元気づけるべく、軽く肩を叩いてやった。
「とりあえず送ってくわ。――少しくらいなら、遠回りしても平気?」
「うん、今日は遅くなるってお母さんにメールした」
「よかった。じゃあ、公園にでも寄ろうぜ」
「ん」
唇を引き締めたまま顎を引いたに軽く口元を緩めると、こちらに伸びてきた手を引いて帰路につく。明るい道を選びながらも繁華街を抜ければ街灯の数が減り、車通りも少なくなる。
飲み会帰りの集団を避けながら道を逸れ、近くの公園へと辿り着いたオレたちは、手近なベンチに並んで腰掛けた。
「バイト、楽しい?」
「うん。学校違う友達もいるから、新鮮」
「あぁ、パーのヨメもいるんだろ? たしか……由美ちゃん、だっけ」
「そう。その子。今日も隣にいたんだけど、わかった?」
「八戒の方が先に気付いてたよ」
「え、そうなの?」
「あぁ。からよく写メもらうらしくてさ」
他愛のない話を振れば、は楽しそうに笑う。パーちんやぺーやんの話題は歓迎するのに八戒の話題には顔を顰めるところなんかも普段通りで、ただその顔を見るだけで自然とこちらの顔も緩んでいった。
美味しいハンバーガーのアレンジだとか、この前はドラケンとエマちゃんが一緒に来ただとか。身振り手振りを交えて一生懸命話してくれるの言葉に耳を傾け、笑い合う時間が楽しく感じるオレもまたいつになく饒舌になってしまう。
「あ、そうだ。今度から、シフトが遅い日は教えて。店まで迎えに行くからさ」
「え、明るい道歩くから大丈夫だけど」
ひとつ、提案を差し出したがあっさりとに打ち返される。夏が近づくこの季節。たしかに19時を回ってもなお明るい状況を考えれば、大通りを選べばほぼ安全と言って差し支えないだろう。だけど、〝帰り道が心配だから〟と同等の理由がある以上、ここで引くわけにはいかない。
「んー。まぁ防犯もあるけど最近あんまり話せてなかったからさ。たまにはと会いたいなって思って。帰り道なら時間取れるだろ?」
問いかけるとはほんの少しだけ顔を強ばらせた。「ん」と頭を揺らしてもなお残る暗い表情に、話題をミスってしまったことを悟る。だが、この話をなかったことにすれば、また連絡が繋がらない状況にやきもきする日々が続いてしまうと思うと踏み込むしか道は無かった。
「は、オレと会うのイヤ?」
「そんなことは一生ないけど」
「じゃあ、遠慮してる?」
そう尋ねれば、は躊躇いがちに頭を縦に振った。予想通りの反応に、オレはひとつ息を吐く。
「遠慮なら断る理由にしなくていいよ。オレがに会いたいから迎えに来たいだけだし。つっても、課題の締切直前だと断っちまうときもあるかもだけど」
「それはちゃんと断ってほしい」
今度はハッキリと意見を口にしただが、さっきまでとは裏腹に固い表情を浮かべたまま俯いている。気まずさを前面に押し出すがなにを考えているのか。その思考を推し量ることは出来ても、自己完結すべきでは無いはずだ。
そう考えたオレは、の言葉を待つべく軽く身を乗り出すと、合わなくなってしまった視線がいつ戻ってきてもいいようにの顔を覗き込んだ。
「……」
「まだ何か心配してる?」
「……心配、というか」
ぽつりとこぼしたは、恐る恐るといった様子でこちらに一瞥を投げかけ、再び目を逸らしてしまう。なにか言いたげな態度を急かすでもなくじっと待ってやれば、は控えめに口を開いた。
「……怒ってる?」
「怒ってねぇよ」
意外すぎる質問に驚きつつも、それを表に出さないように気を払いながら答えた。だがオレの返答での態度が軟化することはなく、煮え切らない様子で口元を真一文字に引き締めたまま黙り込まれてしまう。
――いや、マジで怒ってないんだけどな。
どうやったらそんな考えに陥るんだよ。そう内心で首をひねりつつも、思い当たる節はひとつしかなかった。恐らく、は黙ってバイトを始めた後ろめたさを抱えているのだろう。その結果、会う時間が減った分を挽回しようとするオレに申し訳なさがのしかかってきた、というのがの懸念だと予想する。
「怒ってるように見えた?」
あえての発言に乗っかって尋ねてみれば「うん」と「ううん」の狭間の反応を見せられた。ぎこちなく首を捻ったの視線に合わせるように頭を傾けると、すっかり眉尻を下げてしまったがこちらを振り仰ぐ。散々泳ぎまくった視線がこちらに差し向けられるとようやく捕まえることが出来た。
こんな風にまともに視線が重なるのはいつぶりだろう。そう思うと、ちゃんと笑いかけてあげたかったのに、うまくいかなくて、自然と眉尻が下がってしまう。
曖昧に笑うオレの表情を目にしたは、一瞬傷ついたように眉根を寄せると、ぶんぶんと頭を横に振った。
「ううん、怒られてない」
今度はきちんとオレの気持ちが伝わったらしい。落ち込んだ様子のはがっくりと項垂れる。申し訳なさそうな顔を見ると、こっちまで胸が痛むようだった。
もうここまで話したのなら、ちゃんと話すしかないよな。そう考えたオレは、バイトの話をしつつもあえて避けていた話題に踏み込んでやった。
「がバイトを始めた理由ってさ」
そう切り出すと、はびくりと肩を揺らした。過剰な反応を目にしつつもオレは極力責めているようには聞こえないようにと気を付けながら言葉を紡ぐ。
「八戒に聞いたんだけど……、オレの誕生日プレゼントを買うためにバイト始めたんだろ?」
「……」
返事はない。だが、否定も返ってこないので肯定と結論づけたオレは、そのまま静かに話を続ける。
「前にも言ったけど、オレはがプレゼントを用意してくれようとする気持ちは嬉しいよ。でも、その代わりにこうやって会う時間が減るんだったら悪いけど歓迎できない」
ゆっくりと、それでもキッパリとした口調でこちらの気持ちを言葉にした。変に誤魔化して伝わらない部分が残るよりも、その方が後の憂いが減ると思ったからだ。特には言われたことをそのまま素直に信じるところがあるからなおさらだ。
オレの言葉に釣られたのだろう。ちらりとこちらを見たの目が遠慮がちに揺れる。
「が頑張ってくれてるのは嬉しい。それは間違いないし、さっきも言ったとおり怒ってもねぇよ。けど、正直、寂しいのは堪えるからさ」
「……うん」
控えめに頭を揺らしたは、膝に載せていた手のひらをぎゅっと握り込める。どうやら今の状況にに思うところがあるのはも同じらしい。
「……寂しいのは、わかる」
が零した「寂しい」の一言に、ほんの少しだけ、慰められるような気持ちが生まれた。
これは、同じ中学に通っていた時にはなかった問題だ。学校に行けば会えるあの頃とは違い、生活範囲が異なる相手とは会いにくくなった。それは目の前にいるももちろんだが、パーちんやぺーやん、それに東卍の連中も同じだ。
ちょっと会えない日が続いたところに、今日みたいに偶然会えれば心は弾む。そういうのも悪くないけれど、会いたいと思ったとき変な理由で邪魔されることなく会える方がずっといい。
もちろん、普通にバイトを始めるってんなら反対しない。だけど今回のようにオレのプレゼントを用意するなんて理由で始めるのなら、それは望んでいないとちゃんとには知っていて欲しい。
オレの話がきちんと伝わったのだろう。寂しい気持ちに促されたようにがこっちに身体を寄せてくる。その背中に腕を回し、ポンポンと優しく叩いてやれば、しがみつくようにシャツを掴まれた。
「バイト、止めろって言ってるわけでも減らせって言ってるわけでもないからな」
「……ん。でも、隆君にちゃんとプレゼント渡したい」
「わかってる。でも無理しなくていいって」
「でも……」
「なんだよ。はオレと一緒に美味いもん食って、イチャイチャすんのイヤ?」
オレへのプレゼントは諦められないとばかりに断りを入れてくるに悪い気はしなくとも、どこか焦れったい気持ちが沸き起こる。複雑な気持ちに促されるままワザと挑発めいた言葉を選べば腕の中では「?!」と言葉にならない声で叫んだ。
返事を待つ間、に少しだけ身体を離し、コツンと額同士を合わせてやれば口元をわなつかせる姿が目に入る。葛藤まみれの表情に少しだけ溜飲が下がる心地を覚えていると、重ねた額をずらしたがオレの肩口に頭を埋めてきた。
「や……」
「や?」
「……やぶさかでは、ない」
断られない自信はあったが、「や」の一言に一瞬だけ心が冷えた。だが、時代劇でしか聞かないような独特な言い回しが続けられたことに安堵が重なると思わず吹き出して笑ってしまう。
「渋すぎ過ぎるだろ、その返事……」
「?! 変……?」
くつくつと笑うオレに不安を覚えたのかは小声で尋ねてくる。その自信のなさそうな声色も相まって、笑い声を大きくさせればさすがにもむくれたのだろう。唸り声と共に身体を突っぱねられた。
両手でオレの肩を押し返すは口元をへの字に曲げてオレを睨めつけているが、そんな顔すらかわいくて、ますます頬が緩んでしまう。
「ワリィ、笑ったのは謝るから機嫌治してくれって」
「……やだ」
完全に拗ねてしまったらしいは、フイッとオレから顔を背ける。ここまで膨れた顔も珍しいが、一度この状態に陥るとそう簡単には挽回できない。
それでも宥める以外の選択肢をとる気にはなれなくて、横顔からも窺える不機嫌さに手を伸ばす。いつもなら噛みつくフリをするか、頭を横に振って拒絶するだが、意外にもあっさりと受け入れられた。
――やぶさかではないみたいだな、ってココで言ったらキレんだろうな。
起こりうる反応を想像しては浮かび上がりかけた笑いを噛み殺す。そのままゆっくりと頭を撫でてやると、少しずつの怒りも納まってきたのか、逸らされていた視線が戻ってきた。
「バイト、次はいつ?」
「……明日もある。でも夜じゃないから大丈夫」
「ん、わかった。でも、あとでシフトが遅い日教えてよ。あまり遅い時間に外歩いてんの心配だから」
「いいよ。そんなに無理しなくて」
「無理じゃねぇって。に会いたいから言ってんの」
聞き分けの悪い子にはお仕置きだ。そんな気持ちと共に、の頬を両手のひらで挟み込み、ぎゅっと押さえつけてやる。そのまま「わかった?」と尋ねれば「うぅー」と情けない声と共には頷いた。
ヨシ、と頭を揺らして解放してやったが、の膨れっ面は納まらない。
「どうした? その顔」
「いつも、その、隆くんに甘やかされてしまっているから……」
おでこに苦渋とでも書かれていそうな表情を浮かべたは、オレに押し潰された頬を労るように摩っている。申し訳ないだとか、釈然としないだとか。思うところは色々あるのだろう。それでもが甘やかされっぱなしをヨシとしないとうのなら、こっちにだって考えはある。
「じゃあ、誕生日はがオレのこと甘やかしてよ。それなら平等じゃね?」
正直、甘やかす方が性に合ってるし、を甘やかしすぎている自覚はある。だが、他でもない好きなコが甘やかしてくれるチャンスを棒に振るうほど無欲でもない。
ひとつの提案と共にニッと笑いかければ、言葉の意味を受け止め損ねたはぽかんと口を開いたまま固まった。それでもじっと待っていればさすがのも理解したらしい。
徐々に頬を朱に染めていくは、最終的に耳まで赤く染め上げたが、あるラインを超えると一挙に反転し青ざめてしまう。
「ハードルがあがった……」
喉の奥から絞り出したような声が絶望に塗れていた。まるでプレゼントを渡したほうが安上がりだったと言わんばかりのの態度に思わず苦笑する。
――そうだよ、そんなモノじゃないもん。オレが欲しいのは。
の時間だったり、気持ちだったり、他のヤツには見せない顔だったり。そういう特別なモノがオレに向けられる特別な瞬間が欲しい。
甘やかすのも甘やかされんのも、オレの特権ってやつだ。
「」
「ん」
名前を呼び、もう一度の身体を引き寄せると自分の腕の中に閉じ込める。そのまま顔を傾けてのこめかみに唇を押しつければ即座には上体を仰け反らせた。
「っな、なんで?!」
触れた箇所を手のひらで隠したは先程以上に顔を赤く染め抜いている。上々の反応を目にすれば自然と口角が上がった。
「今日はこれで勘弁してやるよ」
「! ……やっぱり怒ってるじゃん」
勘弁する、という言い回しにトゲを感じ取ったのだろう。唇を尖らせたは手首の付け根でオレがキスした箇所を擦り始める。
「オイ、それはねぇだろ」
「だって隆君がルール破った」
外では誰に見られるかわかんないからキスはしない、なんてルールはが持ち出したものだ。今まではおとなしく守ってやってたけど別に約束したわけじゃねぇし。それにこめかみはセーフだろと反発めいた気持ちが沸き起こる。
今更拭ったところでノーカンになるわけでもないのに、躍起になったはゴシゴシと拭い続ける。その間もジト目でこちらを睨む姿や擦ったところが赤くなっているのを目の当たりにすると「もっかいしてやろうか」なんてイジワルな考えも頭を掠めた。
――まぁ、今度こそ怒らせそうだからしないけど。
結局、惚れた弱みってヤツがある限り、の機嫌を損ねないようにこっちが折れてやるしかない。とは言え、全部が全部に従うつもりはないので時折こうやって反撃するのだが。
怒らせるのか許されるのか。その塩梅を見極めるのもこうやって顔を合わせられるからこそ出来る楽しみのひとつってやつだ。
「はい、もう擦るのおしまい。あんまりすると腫れちまうぞ」
「ん……」
言いながらの手を引けば、意外にもはおとなしく従った。おや、と思いながらも後頭部に手のひらを添え、そのまま軽く引き寄せると簡単にオレの腕の中に戻ってくる。
「……隆君」
「ん?」
「もう怒ってない?」
おずおずと尋ねる声に思わず苦笑する。あんまりな態度を取ったくせに、まだそんなことを気にしているらしい。
「怒ってないって。オレに内緒でバイト始めたのにはちょっとムカついたけどな」
「ムカつくと怒るは一緒じゃないの?」
「全然違うよ」
そう言うとはわけわかんねぇとでも言いたげな顔でオレを見上げた。が黙ってバイトを始めたことに対し、止めさせるほど怒ってはないが、それはそれとしてムカつく気持ちは少なからずある。ニュアンスの違いを説明してもいいけど、これ以上言葉を重ねたところでが気にして落ち込むだろうと思えば、言い募る気にはならなかった。
曖昧なオレの言葉には釈然としないと唸っていたが、それも回した手で背中を優しく叩いているうちに納まってくる。それでも宥められることに納得がいかない心地が残るのか、ひとつ息を吐いたはぎゅっとオレのシャツを掴むとぐりぐりと首筋に額を押しつけてきた。
「ん? どーした?」
「……どーもしない。……けど、今度から迎え来てって言うし、今日みたいに寄り道してって言ってもいい?」
「いいよ。むしろ大歓迎」
「ん」
重々しく頷いたの頭がすぐ傍で揺れる。さらりと触れる髪の肌触りと心地よい体温を味わいながらの背中を一定のリズムで叩き続けた。が「寝かしつけされそう」と焦り出すまで穏やかな時間を堪能したオレは、誕生日当日、がどうやって甘やかしてくれんのかな、なんてぼんやりと考えては口元を緩ませていた。