千早01:気にする01

085.気にする 01



「そう言えば、千早くんはもうさんには会った?」

 昼休みに入り、いつものように野球部のメンバーと屋上で昼食を摂っていると、話題が途切れたタイミングで左隣に座った山田くんから不意に話しかけられた。
 聞き慣れはじめた声から紡がれた聞き慣れた名前。だが、その組み合わせは初めてで、サンドイッチを迎えるために開けた口元を閉じることも噛みつくこともできないまま固まってしまう。
 一度瞬きを挟んでみたが、依然として山田くんの視線は離れない。それどころか答えない俺を訝しんだのか山田くんの向こう隣に座る藤堂くんや要くんの視線までもが差し向けられる始末だった。
 俺の右隣に座っているにも関わらず興味なさそうに弁当を掻っ込む清峰くんが救いになることがあるとは。いまだかつて想像すらしたことのなかった心境に戸惑いつつ、持ち上げたままだったサンドイッチを膝の上に置く。
 さて〝〟と言えば何人かの人物が頭を過ぎるが、一体山田くんは誰のことを言っているのか。
 同じ中学の知人か、通っている病院の看護師か。そういえばマンションの住人にもそのような苗字の家族がいたような気がする。
 だが、山田くんがわざわざ話題に出したんだ。少なくとも俺と共通の交流がある人物に違いないと推察できる。そうなってくると、今思い浮かべたひとたちは候補から外れるな、なんて。
 そもそも、そうやってすっとぼけて遠ざけてみたところで、俺の頭の中にはすでにとある旧友がどっかりと陣取っていたし、めげずに対立候補の顔を思い浮かべたところで、すぐさま彼女に蹴散らされたかのように消えてしまっていたのだが。

「……って、のことで合ってます?」

 わずかに表に出た動揺を飲み込むついでにカップドリンクのストローに口をつける。俺が黙り込んでいた理由が記憶の整理だと判断したのだろう。山田くん以外の視線がそれぞれ手元の昼食に戻っていくのを目の端に捉えながら返答を促した。

「あぁ、うん。そう。ごめんね、言葉足らずで」
「いえ。彼女のことならまだ会ってませんよ。そもそも見かけてすらないですね」
「そうなんだ。クラスが隣でもなかなか会わないものなんだね」

 何の気なしに振られた会話だったのだろう。俺の返事を得た山田くんは、納得したように頭を揺らすと、片手に持ったおにぎりにかぶりついた。その後も特にこちらを気にする素振りがない山田くんに、これ以上の話題を続ける気がないのだと察しがつく。
 質問されて、それにNOと答えた。ただそれだけの会話。
 その中には特に追求する要素はないはずなのに、ムズムズと指先が痒くなるような違和感が残る。だが、俺自身も取り立てての話を熱望しているわけでは無かったので、喉につかえた感覚を吐き出すこともせず、改めて手元に運んだサンドイッチに噛み付いた。

「誰だよ、って。お前らの知り合いならシニアのやつだよな?」

 噛みちぎったサンドイッチを咀嚼していると、無遠慮で不躾な質問を藤堂くんが放った。終わったと思ったはずの話を蒸し返されると同時に、再び指先にチクリと違和感が走る。答えないと宣言する代わりに再びサンドイッチに噛みつけば、俺の行動を横目で確認した山田くんが藤堂くんに説明を始めた。

「千早くんのチームメイトだよ。富士見シニアの。藤堂くんも対戦したことあるんじゃない?」

 元、ですけど。付け足すか迷った事実を言葉にするよりも先に、藤堂くんが「あぁっ!」と声を上げたことで訂正は間に合わないと判断し口を紡ぐ。

「アイツか! 似たヤツいんなって思ったんだよ。いや、マジで本人かよ! 似てねぇなッ!」
「――矛盾という言葉の成り立ちに迫るほど、辻褄が合わないことを言いますね」
「あぁ? 仕方ねぇだろ、似てるけど似てねぇんだからよ」

 サンドイッチを飲み下すと同時に放った俺の指摘に対し、浮かべたばかりの笑顔を引っ込めた藤堂くんは即座に怒鳴り返してくる。簡単に苛つきを見せる単純さにアハハと軽い笑い声を零せば、どうやらその笑い方もまた癇に障ったらしい。目を吊り上げた藤堂くんが「お前も見てから言えよ!」とこちらに箸を向けながら叫び散らすものだから「人を箸で指すだなんて行儀が悪いですね。お里が知れますよ」と追撃してやればますます非難の声は大きくなった。
 両隣に挟まれる形で生まれた喧噪に焦った山田くんが「落ち着いて」と藤堂くんをなだめにかかるのを尻目にひとつ息を吐く。
 やれやれ、藤堂くんも困った人だ。そんな表情を取り繕ってみたつもりだったが、上手にできた気がしなかった。いつものように軽口を叩き続けることも出来ないまま、違和感の残る指先同士を摺り合わせながらぐっと奥歯を噛みしめる。
 ――軽い気持ちで会いに行けるものなら端から行ってる。
 内心で吐き捨てた毒は誰に向けたものなのか。そんなの俺自身が一番分かっていた。
 見たいのか、見たくないのか。の話題が出た上で、たった二択の判断にすら迷う。その挙げ句、別に見なくてもいいと結論づけたくせに、と同じクラスの山田くんはともかく、俺と同じ条件下にいるはずの藤堂くんでさえ今のを見たことがあると聞いた途端、よくわからない感覚に振り回されそうになる自分が本当に嫌いだった。

「ね、ね。今話してるのって、みんなの知り合いの話? もしかして俺も知り合いだったりする?」

 清峰くんほどではないものの、俺たちのやり取りを静観していた要くんが会話に混じりたそうに声をかけてきた。〝興味あります〟と描かれた顔に一瞥を流すと、そっと目を伏せ、再びサンドイッチを口元に運ぶ。
 さすがに同じ仕草を二回も繰り返せば山田くんも気になるのだろう。こちらを気遣うような視線を差し向けた。だが、それさえも無視を決め込めば、一瞬だけ躊躇した様子を見せた山田くんは要くんとの会話に戻っていく。

「知り合いって言うか……。ウチのクラスにいるでしょ? さんって子」
「女子?! 女子だなんて、話すどころか顔を見ることすらムリムリ! ムリリンモンローよ!?」
「あー……。要くんはそんな感じだよね。清峰くんは、どう?」
「知らない。誰?」

 思春期丸出しで否定する要くんと、誰にも興味を持たない唯我独尊男の清峰くんの反応に、山田くんだけでなく藤堂くんもまた苦笑を浮かべた。

「大丈夫かよ。お前ら、俺らしかダチいないんじゃねぇだろうな?」
「そんなことないデスケド。相互フォローいっぱいいるし、いろんな子とツムツムのハート送り合ってマスカラ」

 人を食ったような顔で笑う藤堂くんの軽口に傷ついてませんと無表情を決め込んだ要くんとは裏腹に、清峰くんはすでに興味を失った顔で弁当を頬張り始めている。烏合の衆然とした光景に肩から力を抜いたのも束の間、ぐるりと山田くんを振り返った要くんは手のひらを差し出し、演技掛かった口調で言葉を発した。

「でもヤマちゃんが後ろの席の女子と仲良くしゃべってるのは見てるよ! 羨ましいなって思ってました!」
「いや、別に仲が良いってほどでは……。それに話してるのはだいたい野球の話だから、みんなと話題は変わらないよ」

 野球の話。その言葉ひとつで、の話が続いているのだと察しがつく。
 ――そうか。山田くんは、と仲良くしてるのか。
 耳にした言葉が空っぽの胸の内にストンと落ちる。そこから広がる言い知れぬ感覚に、指先だけでなく喉の奥にまで魚の小骨が刺さったような違和感が生まれた。



 声を張り上げたつもりはなかった。だけど、会話が途切れたタイミングだったこともあり、俺の声は想定以上にその場に響いた。当然のように突き刺さる4人の視線に言葉が詰まりかけた。だが平静を装いながらいつものようににっこりと笑みを浮かべると山田くんひとりに視線を向ける。

「……さんは、元気でやってるんですか?」
「あっ、うん。元気だと思う。今日もお弁当にエビフライ入ってるんだってウキウキしてたよ」
「そうですか。アイツらしいですね」

 山田くんの言葉に、かつてシニアでも見た光景がありありと脳裏に蘇る。横で弁当を食べていた巻田相手に小躍りと共に自慢したエビフライを「おっ、いいじゃん! ありがとなっ!」の宣言と共に箸ごと食いちぎる勢いで奪われたは、俺たちが都立にいるのを見て取り乱した帝徳の監督のような顔をしていたっけ。
 箸を向けられたからにはもらえるものと勘違いした巻田も巻田だが、エビフライを強奪されたことで午後の試合に影響が出るほど怒り狂っただ。遠い日の喧噪を懐かしんでいると、思い出し笑いさえししてしまいそうだった。
 俺の表情が和らいだことに気付いた山田くんが、どこか安心したような顔でこちらを眺めていたが、あえて表情を取り繕わないことで普段通りを装った。同じようにこちらの変遷に気がついたのだろう。要くんもまた向かい側から身を乗り出すようにして話しかけてくる。

「アラ? もしかして瞬ちゃんも、その子と仲いいカンジ?」
「いえ、別に……。単なる元チームメイトですよ」
「そうなの?」
「えぇ。要くんも先日会いましたよね、氷川の練習試合で。あの巻田と同じような相手です」
「巻……?」

 先程は伝えられなかった正しい情報を口にする。もう関係は切れているのだと、切れてなくとも他のやつらと同じなのだと。そう言外に含ませながら伝えたが、要くんは不意打ちで出た巻田の名前の方に引っかかってしまったようだった。
 ――まぁ、別にいいですけど。
 今の言葉は要くんだけで無くここにいるメンバー、そして俺自身に聞かせるためのものだったし、今後必要以上にの話題を振られるのを避けるための布石だった。
 最初にの話題を出した山田くんもまた彼女の性格に巻田と同じにおいを感じる部分があるらしい。「あぁー……」と間延びした相槌を打つもんだから、ふふ、と笑いが込み上げてくるようだった。

「そういやさ、ヤマちゃん、英語の授業のときもその子としゃべってなかった?」

 軽く握った拳で口元を抑えていると、復活した要くんが聞き捨てならない言葉を口にする。たった今〝俺には関係ない〟と袖にした相手が他の誰かと仲良くしていても心を砕く必要なんてないはずなのに、どうしてか固まってしまう。
 気にしなければただの雑談だ。聞きたくなければ聞かなければ良い。それでも間近で交わされる会話を無視するのも難しくて、耳に入れては身内に生まれはじめた違和感と共に黙って聞き入るほかなかった。

「本当によく見てるね……」
「そりゃ、ヤマちゃんのことならなんでも見てるよ!」
「えっ、それはちょっと怖いな……」
「あー! 違うって! ただ、俺もいつかは女子と仲良くしゃべりたいからさぁ。遠くから見て勉強させてもらってんの!」

 そうでしたか。ノリのいいならきっと、要くんともウマが合うと思いますよ。でも、アイツは智将に憧れてる節があったので、もしかしたら今の要くんじゃドン引きされるかもしれませんね。

「っつーか、って投手じゃなかったか? 清峰ェ。お前、張り合ったりしねぇのかよ」
「俺が一番強いし、クラスのヤツは覚えなくていいって圭が言ってた」
「言った覚えないですケド?! 葉流ちゃんはなんでも俺のせいにしないでくれる?!」

 あぁ、は軟投派だから清峰くんとは土俵が違いますよ。スライダーだって清峰くんの方がよく曲がりますし、の完敗でしょうね。よって、勝負する価値ナシ、です。

 無関心を貫きながらも口だけは挟みたがるんだから余計にタチが悪い。せめてもの救いは口に出していないこと。ただそれだけ。
 だが、どれだけ外面的な体裁を保ったところで内面は上手くいかない。吐き出せなかった言葉は質量も重量もないはずなのに、積み重なると胸の内を蝕むような重さを感じさせた。
 要くんを中心に談笑を続ける中、時に愛想笑いを挟んでは黙々とサンドイッチを口に運んだ。
 噛んで、飲んで、噛んで、飲んで。その繰り返しで食事は終わる。
 野球部のメンバーといるときに味わったことのない食事に対する作業感に違和感を覚えながらも、延々と続くの話題に身を入れる気にもなれなくて、黙ってサンドイッチを胃に収めることに専心する。静電気のような痛みが皮膚の表面に走ったような感覚を追い続けていると、耳に遮断機能でもついたかのように4人の声が遠くなった。
 最後のひとくちを飲み下し、染みついた行動をこなし終えた俺は、手元に残ったゴミを袋に収めるときゅっと口を縛ってその場に立ち上がる。

「……さて、今日は、早めに戻りますね。午後の授業の見直しをしておきたいので」
「午後イチって数学だよな? 提出課題でも出てたか?」
「いえ、今日は特に出ていませんが……あの先生、日付と出席番号を結びつけて当ててくるでしょう? 念のため予習でもしておこうかと思いまして」
「あー……。そういやそうだな。その次って番号順で当てられたら面倒だし俺も見ておくかな」

 弁当箱の蓋を閉じ、片付けを始めた藤堂くんにならい、みんなが一様に片付け始める。それらの行動を制するように「大丈夫ですよ」と声をかければ、怪訝そうな顔をした藤堂くんがこちらを振り仰いだ。

「藤堂くんは予習をしたところで理解できないでしょうから、早く戻っても時間の無駄ですよ」
「……お前いつかマジで腹パンするからな」

 俺の言葉に興ざめしたのか、それとも〝それもそうだ〟と考え直したのか。藤堂くんが深く座り直したのを見て残りのメンバーもまた片付け始めた手を止める。

「それじゃ、お先に失礼しますね。ごゆっくり」
「じゃーね、瞬ちゃん。また放課後ねー! 今日こそ吉祥寺行こうね」
「はは、絶対行きません」

 要くんの冗談なのか本気なのか掴めない誘いを躱しつつ、いつものように笑ったまま屋上を後にした。閉まるドアの向こうに辿り着くと同時に、重い息を吐く。
 ――果たして俺はどれだけ〝いつも通り〟を装えただろう。
 正直、途中からまともに取り繕えている気がしていなかったが、あの感情の機微に聡い要くんさえこちらに気を回すことはなかったし、きっと大丈夫だと自分に言い聞かせる。問題は山田くんだが、彼はもしかしたらからなにか言われているのかもしれないし、決定打を打ち込まれるまでこちらからはノーリアクションを貫こう。
 今後の方針を固めつつ、ゆったりとした足取りで階段に足を踏み出せば、誰もいない空間に足音が響く。タン、タンと、滞りなく続いていた音が、タンッと強い音と共に駆け下りる音に変わったことに気付いたころにはすでにあと一段で階段を降りきるところだった。



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