多田野02:16歳

16歳


 1月28日23時55分。16歳の誕生日まであと5分を切った。例年なら特に気にせず眠りについている時間だが、今年だけは違った。
 二段ベッドの下段に横たわったまま眠れない時間を過ごしてもう一時間近く経っている。明確な就寝時間を設けられているわけではないから誰かに咎められるわけではない。あまり遅くまで起きていると明日の朝練に支障が出ると知ってもなお眠れない理由はひとつ。ちゃんからのメールを、俺は待っていた。
 今日の夕方も、普段通り「また明日」と言って別れた。その時になにか特別な約束を交わしたわけじゃない。それでも、生まれて初めて彼女のいる誕生日というやつを迎えようとしている今、正直、期待してないといえば嘘になる。
 メールか、電話がかかってくるんじゃないだろうか。そんな期待が膨らむとおちおち眠りにつくことは出来なかった。
 先輩たちが外でまだ素振りや投げ込みを行っている気配を窓の向こうから感じながら日付が変わる瞬間をじっと待つ。
 手にした携帯電話を頭上で開いた。先程から何回目かわからない動作を繰り返せば、ディスプレイに23:59と表示されていることに気付く。もう秒読み段階なのだと気付けば、喉を鳴らして待つしか俺には出来なかった。
 操作せず待っていると消灯に向けて携帯電話の画面が暗くなる。来るかどうかもわからない連絡を待つ時間は、どうしてかやけに楽しくて知らず知らずのうちに胸が高鳴った。
 その瞬間は、不意に訪れる。ディスプレイに表示される時間が1/29 0:00に変わった瞬間、メールが届くよりも早くパッと画面が輝いた。
 ――来た!
 煌々と輝く画面に、メールの着信を知らせるアイコンが点灯する。せっかちな心臓は中身を見る前から期待に膨らんだ心地と共に駆けだした。
 マナーモードに設定していた携帯電話を抑え、手早くメールフォルダを開く。予想してたとはいえ、と書かれたフォルダの横に新着メールを告げるアイコンが付いているとただそれだけでさらに脈拍が上がる心地がした。
 ぎゅっと下唇を押し上げ、込み上げてくる感情を抑えつつ、メールを開く。そこには〝お誕生日おめでとう〟という祝いの言葉と共にちゃんらしい言葉で愛情深さを感じられる言葉が綴られていた。
 画面をスクロールさせる度、期待以上の言葉が目に入るとどんどん胸の内が温まっていく。左手で緩んだ唇の先を触っていると、下ボタンを押しても画面が下がらなくなったことに気付く。
 同時に〝もし、このメール見たのが起きた後なら見なかったことにして欲しいんだけど〟という文章の後に添えられていたメッセージに、思わず目を瞠る。またしても気の早い心臓が駆け出すのを感じながらじっと文章を目で追った。
 〝29日の朝、練習前に会えませんか?〟
 ちゃんからの誘いの言葉だ、と気付いてしまうともう平静なんてものは遠い空の彼方へと飛んで行く。首の裏に走る熱に翻弄されるがままに何度も目を行き来させる。
 ――見間違いじゃないよね?!
 不安よりも興奮にほど近い感情に惑わされ、うっかり自分の都合のいいように捉えてないか。文章を目で追い、それでも足らず指を添え、咀嚼し、飲み込んだ。やはり俺がはじめに見たときと同じ文字が綴られていることを確認すると生まれたばかりの熱が更に膨らんだ。
 〝もちろん! 会いたいよ!〟という気持ちが大前提だ。だが、朝練が6時スタートであること。練習前だから時間がそんなにとれないけれど大丈夫か。会う上で困難に思われることをいくつかメールに綴る。そのどれをもちゃんは大丈夫だと快諾してくれた。
 〝それじゃ、明日の朝、5:15にグラウンドの門の前で待ってるね〟
 そう締めくくられたメールを受け取った俺は、眠りにつけるか危ういほどの気持ちを抱えたまま目を強く瞑った。

***

 時刻は朝の5時。普段の起床時間よりも30分ほど早い時間。念のため同室の人を起こさないように、と枕の下に敷いていた携帯電話が控えめに鳴動する。あの後すぐ寝付いた割にすっきりと目覚めた俺は、普段ならば寒さに縮こまる身体を軽快に動かして準備に取りかかった。
 下だけを練習着に着替え、いつもよりも入念に顔を洗って歯を磨き、立っていた寝癖を整えれば待ち合わせの時刻8分前になっていた。慌てて部屋から飛び出たが、やはり寮を出る直前は少しだけ緊張する。
 固く閉ざされた玄関を開き、そっと顔を出し、周囲に誰もいないか確認する。朝練前の外出に規制はないから監督に咎められることはないんだけど、なんとなく警戒してしまう。今からちゃんに会うことがやましいわけじゃない。特別なことをしている自分を鳴さんたちに見られて冷やかされたらと思うと気恥ずかしさでどうにかなってしまいそうだった。
 ――よし、誰もいない。
 ひとつ、頭を揺らして玄関から飛び出した俺は、グラウンド前の正門を目指して駆けだした。坂を降りていると、目指す先に、学校にも着てくるコートに身を包んだちゃんが立っていることに気がつく。待ち合わせしているのだから初めからそこにちゃんがいることを知っていたのに、それでも心臓が早鐘を打った。

ちゃん!」
「樹くん! おはよう!」

 遠くから呼びかけると同時にこちらを振り仰いだちゃんが右手を上げて手を振った。その左手に提げられた紙袋にますます心臓が高鳴る。誕生日プレゼントをもらえるんだともらう前から考えるのは浅ましいことかもしれない。だけど、そう期待してもいいのだと教えたのは他ならぬちゃんだった。
 スピードを上げてちゃんの前へと辿り着くと、普段ではこの位の距離では乱れない呼吸が荒くなっていることに気付く。手の甲で口元を隠しながら、ちゃんに視線を合わせると呼吸が整わない内から口を開いた。

「随分、早かったね。待たせちゃった?」
「ううん。私もさっき着いたところだよ。タイミングバッチリだったね」

 ふふ、と笑ったちゃんは軽く握った拳を口元に添える。ほんのりと赤くなった指先に手を伸ばせば、いつもよりも冷えた体温が手のひらに触れた。

「寒かったでしょ」

 特に冷えた指先を握り込めながら尋ねると、ちゃんがまた小さく笑ったのが耳に入ってくる。

「いつもはこんなに早くに出ないからちょっと驚いちゃった。カイロ、背中に貼ってくればよかったなぁ」
「だよねぇ。朝、早いのにこっちに来てくれてごめんね。でも、ありがとう」
「ううん。今日は樹くんの誕生日だもん。特別。こっちこそ朝早くに呼び出しちゃったの、いやじゃなかった?」
「まさか。いやなわけないよ。朝からちゃんに会えてうれしいもん」
「ありがとう。――ねぇ、樹くん。今日は、その……まだ、誰とも会ってない?」

 俺が一方的に絡めていた指先に、きゅっと力が加わる。手元に落としていた視線を上げればふわりと上気した頬が目に入る。若干の緊張を纏ったちゃんの表情に、質問の意図を知るには十分だった。

「うん。ゆうべは早目にベッド入ったし……。だから、ちゃんが一番だよ」
「うれしい。樹くんのこと、私が一番にお祝いしたかったから」

 自惚れなのではと疑うこともせずに伝えてみると、ちゃんから想像以上の言葉が返ってくる。こんな風にいじらしいところを見せられるとこれ以上ないほど好きだったはずなのに、ますます好きになってしまう。頬が緩むままに「来てくれてありがとう」と伝えると、ちゃんは「うん」とひとつ頭を揺らした。

「ねぇ、樹くん」
「ん?」

 握ったままだった手にやんわりと抵抗を感じたのを機に解放すれば、今度は左手が差し出される。遠目からは気付かなかったが、その手にはふたつの紙袋が握られていた。

「お誕生日おめでとう!」
「わぁ、ありがとう! ふたつもいいの?」
「うん! こっちは普通にプレゼントなんだけど、こっちはね、ゆうべカップケーキを焼いたんだ。樹くんのお口に合えばいいんだけど……」
「絶対に合うよ! むしろ合わせるから!」

 意気込んで言うと、ちゃんは「もう、そんなこと言って」と言いながらも照れくさそうに笑った。
 小さいころに母親がお菓子を作っているところを見たことがあるが、結構な大仕事だったように記憶している。ちゃんだって昨日も部活があっただろうに帰ってから作ってくれたんだなぁ、と気付くとその心遣いにまた胸の内が暖かくなっていく。

「生クリームとか果物は使ってないから2、3日は保つと思うけどなるべく早く食べてね」
「えぇー。もったいなくて食べれないかも……」
「ふふ。気に入ってくれたらまた作るよ。だからいつでも言ってほしいなぁ」

 いつものように整えられた前髪を指の甲で流したちゃんの言葉に自然と頬が緩んだ。また、を頼んでもいいのだと思うと毎日でも、なんて思いが湧き出てくる。相当、浮かれているらしいと気付きながらも、ちゃんを前にすると、いつもふわふわした心地になるのはこの9ヶ月で身に染みついた感覚だった。

「樹くん、まだ時間は大丈夫?」
「うん。もうちょっとくらいなら平気だよ」

 ポケットに入れていた携帯電話のディスプレイを確認したが、まだ普段の起床時刻よりも早いくらいだ。ここからグラウンドは見えないが、もし誰か外に出たのならそれなりの声は響くはず、というのも頭にはある。まだ十分時間は残されていることを告げると、ちゃんは「よかった」と口元を緩めた。

「それじゃ……ねぇ、樹くん。少ししゃがんでくれる?」
「え? うん」

 言われるがまま、腰を落とす。なにか内緒話でもするんだろうか。そう思ったのは教室でふたりきりで話すときに時折伝えられる言葉だったからだ。
 だが、普段は左肩にだけ添えられる手が、今日はその両方がこちらに伸びてくる。慣れない動作に驚くよりも先に、唇にやわらかな感触が触れた。キスをされたのだと気付くよりも先に胸に飛び込んできたちゃんを受け止める。初めてしたわけじゃない。これで12回目だとはっきりと記憶している。だけど不意打ちに近い行動に、元々早まっていた鼓動がますます加速する。

「……大好きだよ。生まれてきてくれて、出会ってくれて、好きになってくれてありがとう」
「こっちこそありがとう。俺もずっと、ちゃんが大好きだよ」

 背中に回された腕の力強さに、言葉以上のちゃんの想いが込められているように感じると、自然と自分の腕にも力が入った。
 ぎゅっと身体を抱きしめあったまま、どのくらいの時間が経っただろう。そっと身じろぎしたちゃんにあわせて俺もまたゆっくりと身体を離す。冬の朝日は意外と眩しい。突き刺すような閃光に目を細めると、もう一度だけ、と口に出さないままそっと背を屈めた。

***

「おぉ。おはよー、樹」
「鳴さん! おはようございます」

 ちゃんとの束の間の逢瀬を楽しんだ後、寮に戻れば玄関で鳴さんと鉢合わせた。玄関先に座り込んで靴紐を結ぶ鳴さんはチラリとこちらに一瞥を流したかと思えばまた足下へと視線を落とす。

「なに? 朝から走ってきたの? 元気だねー」
「え? あぁ、いや。今日は走ってませんけど」
「はぁ? じゃあなんでそんなに顔、真っ赤にしてるわけ?」

 鋭い指摘に思わず喉の奥に力がこもる。だが、なにか反応をすれば怒濤の質問攻めに遭うのは目に見えている。幸いまだ鳴さんは左足の靴紐を結び終えたばかりで、右足の分を残している。今のうちに表情を取り繕えばまだ間に合うはずだ。

「いえ、少し、その外に出てただけなんですけどね。温度差もありますし……それでじゃないですかね」
「あっそ。それより早く上、着替えて来たら? 今朝はちょっと投げておきたいんだよね」

 まだしまりきってはいない顔を手のひらでなでつけることで取り繕っていると、靴紐を結び終えた鳴さんがスッと立ち上がる。左肩を右手押さえ、ぐるぐると肩を回す仕草を見せる鳴さんに、弛んでいた気持ちがきゅっと引き締まる。

「はい! わかりました! すぐ着替えてきます!」

 外靴を脱いで手に取り、廊下へと足を踏み入れると同時に、ちょうど杉と江崎が階段から降りてきた。

「お、樹! おたおめー」
「おめでとー。練習終わったらあとでプレゼント持ってくなー」
「うん、ありがとう!」

 ふたりの呼びかけに応じると、玄関前に立ったままだった鳴さんが肘を伸ばすストレッチをしながらこちらへと声をかけてきた。

「樹。今日誕生日なの?」
「えぇ、まぁ、一応」

 照れくさくて会釈混じりで応じると鳴さんは気のない声で「ふぅん」と漏らす。だが、とある考えが閃いたのだろう。パッと表情を明るくさせたかと思えば、目を三日月にしてこちらを振り返った。

「あれ? もしかして、今、カノジョ来てたの?」
「え? いや……さぁ、どうですかね? ちょっと、忘れました……」

 ――なんでそんなことを言い出すんだ!
 手にしたプレゼントを後ろ手に隠し、一瞬で包まれた焦りに冷や汗を流す。まさか当たりだと言うわけにはいかない。だが、先輩相手に嘘をつくのもしのびない。中途半端な思いに囚われると、当然、中途半端な言葉となって口を出る。そして、そんな言い訳にしては苦しい言葉を見逃してくれる鳴さんではない。
 目に見えて動揺した俺が面白かったのだろう。先程細められたばかりの鳴さんの瞳がますます細くなる。

「さてはお前、今度こそあの子とチューしてたんじゃないの?!」

 過去に散々イジられた言葉が久々に投げかけられる。その言葉を反射的に否定できればよかった。だが、先程重ねたばかりの唇の感触がふわりと蘇るままに咄嗟に手のひらで隠してしまったのが運の尽き。練習が始まるころには、部員全員では収まらず国友監督の耳にまで入ったことを林田部長により知らされたのだった。



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