月島 蛍09:drop

drop


 
 部活を終え、いつものようにふたりで帰る道すがら。もうすぐやってくる春休みには山口を含めた三人でどこかに行きたい、だなんて。結局、春休みを迎えたところで部活三昧で終わる予感を無視して話に花を咲かせていると、にわかに空が真っ暗になった。
 日が落ちかけているのを差っ引いても薄暗い風景と肌で感じる湿っぽさにもうすぐ雨が降るのだといやでも気付かされる。

「ちょっと急ごっか」
「……そうだね」

 隣を歩くもまた、空気が変わったのを肌で感じ取ったらしい。顔を顰めながら空を眺め、先を急ごうと口にする。
 いつもより早い歩調で歩けば自然と口数は少なくなる。だが、団欒を犠牲にしてでも家に帰り着くまで持てば良いと願ったのも束の間。僕らの祈りを嘲笑うかのように、雨は激しく降り注いだ。

「なにこれッ!! ゲリラ豪雨ってやつ!?」
「観測はいいから! あっち、急いで!」

 閉ざしていた口を開けば途端に悲鳴が溢れ出した。呑気にも空を振り仰ぎ見るの手を引き、バタバタと急ぎ足で店の軒下に逃げ込んだ僕たちは、部活用のタオルを引っ張り出して制服に染み込んだ雨粒を退治しにかかる。
 激しい勢いは長くは続かず、ひと通り身なりを整えれば雨足は少しずつ弱くなっていることに気付く。それでも傘無しで歩けるほどでは無い天候を見上げては遠くにある雲の切れ目に早くこっちに来いと念を送った。
 軒先に張られた天幕の先からぽたり、ぽたりと雨粒が落ちてくる。それとタイミングを合わせるように指先を出したり引っ込めたりするの横顔を眺めていると、不意に記憶にある姿と重なった。
 そう言えば、昨年も――。

「昨年もさぁ、一緒に雨宿りしたことあったよね」
「……え。あぁ、うん」

 タイミングがいいのか悪いのか。たった今、僕が思い出した記憶をも引っ張ってきたらしい。思わず跳ねた心臓は簡単に僕を動揺させる。
 まごついた返事に、僕の心境を察したのだろう。目を丸くしてこちらを振り仰いだは、次の瞬間にはニヤリと意味ありげに笑った。

「あの時、蛍が勝手にキスしてきたんだよなー」
「ハァッ!?」

 感慨深げに両腕を組んだの爆弾発言に思わず素っ頓狂な声が出る。
 たしかにの言う通り、僕からにキスをした。そして付き合う前にそんな話を持ち出したのも僕だ。
 だけどアレは僕にとって、長く続いた片思いの果て、真っ当なアプローチなんて届かないと悟り、苦渋の決断で選んだ駆け引きで。そんな踏み込んだ提案をしたのは、何を言っても皮肉と受け取るへの想いに立ち向かうためには「キスでもする?」くらい言わないと通用しないと追い詰められていたからで。
 タイミングやシチュエーションが重ならなければ、決して口にはしなかった。
 そういう状況や心情を全部丸ごと無視してからかってくるの根性に、苛立ちと羞恥が綯い交ぜになって襲いかかってくる。

「僕、ちゃんと聞いたよね? 〝する? 〟って。君がいいよって言うから僕は――!」
「聞かれたけど、ホントにすると思わないじゃん。っていうか、そもそも付き合う前にキスするかしないかの選択肢が出るかなぁ、普通」
「じゃあ、ちゃんと断ってよ!」
「それ、蛍が言う?!」

 言い合いが重なれば自然と声は大きくなる。雨音を掻き消すほどの声量に顔を顰めると、も我に返ったかのようにぐっと口元をへの字に曲げ、言葉を飲み込んだようだった。それでもまだ腹に据えかねるものは残ったらしい。「あーぁ!」と大袈裟に溜息を吐きこぼしたは、下を向き腰に手を当てたまま頭を横に振った。

「これから先が不安だわー」
「何それ。聞き捨てならないんだけど」
「べっつにィー? 他の子にも同じ事するんじゃないかな、とか思ってませんけどぉ」
「ハァ? バカじゃないの? そんな通り魔紛いな真似するわけないでしょ」

 軽い口調とわざとらしく尖らせた唇に、も本気で言ってるわけではないと判断する。それでも僕を苛立たせるためだけに吐かれた言葉に苛立ちを抑えきれず、挑発されるがまま言葉尻を強くしてしまう。

「ねぇ、いい加減変な顔やめてよ」
「えぇ……顔のこと言う? 私、父親似だからさぁ、文句ならお父さんに言ってほしいよね」
「顔の作りじゃなくて、不貞腐れるのやめてって言ってるんだけど」
「知らないの? 蛍。気分の乱高下はそう簡単に制御出来ないんだよ」

 ――本当に口が減らない。
 一向に態度を改めず文句ばかりをぶつけてくるに呆れてものも言えない。どちらかが折れるまで、この茶番のような口論は続く予感にいくらでも溜息は零れた。
 大して怒ってもないくせに雑な対応を見せ続けるに辟易した僕は、キュッと眉根を寄せてを見下ろす。視線が交差した瞬間、軽くたじろいだだが、次の瞬間にはわざとらしく舌を出してきた。
 本格的な喧嘩にまで発展させるつもりはないものの、先程以上にふざけた顔をするに〝一言、返さなければ〟なんて気持ちが強くなる。

「言っておくけど、僕は君のことが好きだったから、あんな提案したんだからね」

 思わずこぼれ落ちた本音に、一瞬で体温が上がる。
 売り言葉に買い言葉とは言え〝つい口を滑らせてしまった〟では済まされないほどの失態だ。慌てて手のひらで口元を覆ったが、一度吐き出した言葉を飲み干せるはずもなく妙に上がった体温を指先で感じ取るだけだった。
 撥ねた心音を落ち着かせることも出来ず、それでもの反応を見ないのも怖くて、恐る恐る視線を戻せば、間延びした表情が目に入る。目が合うと、呆けた顔つきのまま肩を揺らしたはぎこちない様子で「お、おぅ……」と口にした。

「オゥ、って何? 妙な返事しないでよ」
「いや、急に蛍がストレートなこと言うから……びっくりして……」

 恥ずかしさを誤魔化すように再び刺々しい言葉をぶつけたが、先程までの嫌味の応戦とは違い、目を丸くしたは戸惑いだけを露わにする。
 ――そんな顔をされると、こっちまで照れるんだけど。
 既に羞恥の渦中にいることを棚に上げ、内心で悪態をつく。
 の言う通り、たしかに僕にしては必要以上に素直な言葉を吐いた感は否めない。それでも、あの日の僕がどんな想いでいたかを知らないとは言え、他でもないに茶化されるのは我慢ならなかった。
 その根幹にあるのは怒りではなく、悔しさに近い感情で、そもそもでなければキスどころか一緒に帰ることすら選択肢に入らないというのに、は何もわかっていない。
 考えれば考えるほど、深みにハマるというのはこういう状況を言うのだろう。への怒りで生まれたはずの熱は失言により恥ずかしさに取って代わり、それを通り過ぎると再び屈辱にも似た感情を味わわせてきた。
 怒って誤魔化すこともできない状況に、むず痒さばかりが募る。相変わらずの間抜け面を引っ提げたままのにぐっと喉奥が詰まるような居心地の悪さを覚えていると、不意にの笑い声が響いた。

「ふはっ」
「ちょっと、なに笑ってんの」
「いや、蛍がマジな顔してるの見てたら、おかしくて……」
「ハァ?! 何言ってんの?!」

 つい先程、人の顔をいじってくるなと自分で言っておきながら何を言い出すんだ。こっちの怒りに気付きながらも笑い続けるは、肩にかけたタオルに顔を突っ込んで肩を揺らしている。漏れ聞こえる笑い声を黙ったまま睨み付けていると、ほんの少しだけタオルから顔を浮かせたは軽く首を捻ってこちらを見上げてきた。

「ね。今、めっちゃ照れてんでしょ、蛍」
「……ッ!」

 言われなくてもわかってますよ、と言わんばかりの表情と口調に一瞬で熱がぶり返した。何か言い返そうにも、ガラにもなくテンパってしまいまともな言葉が思い浮かばない。そうこうしているうちに、またタオルの中に顔を埋めてしまった相手に今更怒ってみせたところでまったく響かないことは明白だ。これ以上何か言ったところで墓穴を掘るだけだと悟れば、悔しさを飲み込む以外の選択肢は取りづらかった。
 身内に生まれた熱を長い息を吐き出すことで和らげることしか出来ない。そんな状況に不満を覚えるがまま道路に作られた水たまりを睨み付けていると、横目にが身じろぎするのが入った。

「……いやぁ、なんかこっちまで照れるわ」

 天幕を叩く雨音に紛れて、辛うじて耳に入った言葉に今度は僕が目を丸くする番だった。驚いてを振り返れば、相変わらずはタオルで顔を隠したままだ。だが髪の隙間から見える耳のフチが、いつになく赤く燃えているのを目の当たりにすると、いち早く反応した心臓が早鐘を打ち始める。

「こっちまで照れる、って……。僕のせいにしないでよ」

 絞り出した声は情けないほど弱々しいものだった。今みたいな掠れ声ではに届いたかどうかすら危うい。
 下手したら胸の内を叩く心音よりも小さな声だったかもしれない。弱まったとは言え、ぽつぽつと降り続ける雨の音に掻き消されたか、はこちらを振り仰ぐことなく顔を覆ったままだ。受け取ってもらえなかった反論をもう一度口にする気にはなれなくて、悔し紛れに唇を尖らせる。
 僕が何も言ってこないことを怪訝に思ったのだろう。タオルから顔を浮かせ、首に引っ掛けたは、時折、口元にタオルを押し付けながらもチラチラとこちらに視線を送ってきた。
 その視線を受け入れないと口にする代わりにそっぽを向いたままでいると、もようやく諦めたらしい。肩でひとつ息を吐くと、雨足を確認するように空を仰いだ。
 雨が弱まるのを待つ間、しばらく無言を貫いた。だが、どことなく落ち着かない熱を身内からも隣からも感じながらも無視を続けるのはひどく困難で、空気に負けた僕は、頭の中で無難な会話を選出するとそっと口を開いた。

「……ねぇ。雨、弱まってきたけど、どうする?」
「うーん……。もう少し待ってもいいかな」

 いたたまれなさから逃げようと軽く帰宅を促してみたものの、は呆気なく断りを入れてきた。まだ解散するつもりがないと言われると、むず痒さの奥にほんのりと熱が灯る。
 僕の微弱な感情のゆらぎなんて意に介さないは、空を指差し「あっちの方に雲の切れ目があるからさぁ」なんて理由を付け足したが、正直、気の抜けた返事すら返せそうになかった。

「蛍は? 急いで帰る理由ある?」
「別にないけど」

 こちらを振り仰いだに首を横に振って応える。
 山口のように嶋田マートに寄る予定もなければ、兄貴のチームでの練習予定も今日はない。端的にそう伝えればはひとつ頭を揺らした後、ゆるいカーブを口元に描いた。

「じゃあ、もう少し一緒にいようか」
「……っ、うん」

 唐突に投げ込まれた直球に思わず言葉が詰まった。だけど、そんな些細な反応は拾わないとばかりには悠然と笑う。その余裕綽々な態度に〝敵わないな〟なんて、内心で白旗を掲げた。
 ――君の方が、よっぽどストレートだよ。
 苦し紛れの言い訳に紛れて本音を零しただけの僕よりも、さらりと気持ちを口にできるの方がずっと、強い。
 中学の頃から変わらない印象に、思わず目を細める。ド直球な性格が示す距離感に、友情以上のものを感じて久しい。言葉と態度が直結するの素直な性格を好ましいとも感じている。だが、彼女と付き合うようになった今でも、バカ正直なの言葉に翻弄される度、悔しい思いがわき起こる感は否めない。
 ――あぁ、ムカつくなぁ。
 単純バカなのくせに、なんて内心で悪態をついたところで溜飲は下がらない。それどころか〝僕ばかりドキドキさせられるのは割に合わない〟と考える傍から負けた気になってしまっている。先程の勝ち誇ったような顔を思い出せば尚更で、喉の奥から唸り声が出てくるのではないかと危ぶむほどだった。
 それでも、まだうっすらと耳の縁を彩る熱を目にすれば、ここから巻き返せるのでは、なんて考えてしまう。恋に勝ち負けを持ち込むのはおかしな話だが、に振り回されてばかりではいられない。
 ここには今、昨年と同じシチュエーションが再現されている。そんな状況で「キスでもする?」って尋ねたら、はどんな反応を見せるんだろうか。
 慌てふためくんだろうか、それとも怒るんだろうか。「したいの?」だなんてまたからかわれでもしたら癪だから言わないけれど、頭の中に浮かんだイタズラめいた考えは少しだけ僕の心に余裕をもたらす。

「? なんか機嫌よくなった?」
「別に、そうでもないけど」
「そ?」

 あっけらかんとした言葉とは裏腹に、表情だけは雄弁なは〝なーんか怪しいな〟とでも考えているらしく、怪訝そうに頭を傾けてこちらを覗き込んでくる。
 ――ホント、暢気な顔をして。
 訝しげな視線をまっすぐに受け止めるまま、へ手を伸ばす。首裏から下げたタオルを掬い上げ、髪から流れ落ちた雨粒を拭ってやればは「え、何?!」と過剰な反応を示した。

「何って。髪、まだ濡れてるから」
「いや、言ってくれたら自分で出来るってば」

 照れくさそうな顔で僕からタオルをひったくったは「油断ならないなぁ、もう」と悪態をつきながらも、またしても耳元を赤く染め抜いた。素直な反応を目の当たりにすると、生まれたばかりの余裕が優越感までをもつれてくる。
 一度は頭の中で取り下げた提案を、魔が差すままに口に出すのか、それとも何も言わずに実行に移すのか。さっきまでは「誰が言うもんか」とさえ思っていたのに、今となっては悩む間ですら悪くないと思ってしまうんだから、本当にひとの心って単純だ。
 風向きと雲の流れを見る限り、雨が止むまであとわずか。むず痒い心地を抱えたまま、まっすぐに僕を見上げるの視線を受け止め続けた。





error: Content is protected !!