実弥01

この想いだけは誰にも譲れない


 ごとり、と頭部が地面に落ちる音がした。一拍遅れて始まった断末魔の叫びは、喧しく山中に響く。だが、そんなものに一々心を動かされるはずもなく、淡々と、斬り落とした頸が塵と化し、短い赤髪が消失するさまを眺めていた。
「オィ、
 腕を振り、刀身に付着した血を払い落としていると、不意に背後から声が掛かった。
 不機嫌であることを隠しもしないのは不死川さんの声の特徴と言っても良いだろう。首だけで背後を振り返ると、真夜中とは言え、今夜は月がひときわ明るいせいだろうか。声と同等、いや、それ以上に渋面を刻んだ不死川さんの表情がくっきりと映し出されていた。
「なんですかァ?」
 負けじと語気を荒げて問いかければ、「アァ?!」と更に強い言葉が返ってくる。あまりの迫力に思わず首を竦めてしまったが、こちらへ近づいてきた不死川さんに襟首を掴まれてははその動作さえも封じられる。
「テメェ……」
 低い声で脅しかけてくる不死川さんの表情は、いつもながら迫力に満ちている。自分だって同じ態度を取ったくせに、それをまるっと棚に上げるんだから本当に性質が悪い。
「お前の担当はこの周辺じゃなかっただろォ……なんでこんなところにいやがるんだァ?」
 返答次第ではぶっ殺す、とでも言いたげな表情を浮かべた不死川さんは、眦を吊り上げて凄む。襟首から手を放し、俺の体を自分の方へと向けさせた不死川さんは、そのままの勢いで羽織の襟を掴んだ。
 力強く自分の方へと引き寄せたかと思えば、額を突き合わせる勢いで迫られ、反射的に眉根を顰める。剣呑とした空気は苦手だ。ましてやその相手が誤魔化しのきかない相手ではなおさらだった。
 襟を掴まれたままでは距離を取れない。せめてもの抵抗として俺もまた不死川さんを睨み返す。反発心が伝わったのだろう。喉元にかかる圧力は強さを増した。
「ちょっと……ボタン取れちゃったらどうするんすか。俺、不死川さんみたいな露出趣味ねぇんですけど」
「この期に及んでふざけるつもりか……イイ度胸だな。とりあえず一発殴らせろォ……」
 言葉と同時に左腕を振り上げた不死川さんに待ったをかけるべく右手を掲げた。
「やめてくださいよ。隊士同士の争いごとは隊律違反ってやつでしょう?」
「隊律違反してんのはテメェだ、
「……そりゃ、スイマセンでしたよ」
 視線を逸らし、謝罪の言葉を口にすると、首元にあった圧がほんの少しだけ緩んだ。だが、解放と称するにはまだほど遠い。掴まれた手は、俺が釈明するまで離すつもりはないのだろう。
 ひとつ、息を吐く。喉が詰まっているせいか、普段する呼吸よりもだいぶ浅いものとなったが、気持ちを落ち着ける役には立った。
 外していた視線を不死川さんへと戻す。俺が視線を外している間も、どうやら睨み続けていたらしい。白目がちの瞳とすんなりと視線がかちあったのがその証拠だった。
 不毛だ、とは感じつつも、頭の中で不死川さんの言葉を反芻する。
 不死川さんの言うとおり、ここは俺の担当する区域ではない。今回の任務で与えられたのはせいぜい隣の山までだ。鬼を追っているうちに、などという言い訳が通用するような距離とも言い難い。
 今一度、詰まり始めた息を吐き、強い視線でもって不死川さんの怒気に応じる。
「俺の区域の鬼はあらかた倒してしまったんでね。不死川さんのお手伝いでもしようかなって遠路遙々やってきたって次第ですよ」
「誰が頼んだ。そんなもん要らねぇんだよ」
「でしょうねぇ……」
 こちらに着いたとき、鬼のほとんどは不死川さんによって滅殺されていた。これに関しては「そりゃそうだ」と納得するほかない。不死川さんの鬼に対する執着は隊内でも随一のものを見せるというのは周知の事実だ。
 だが、それを加味しても、とある噂を耳にすれば、こちらへと足を運ばざるを得なかった。ただ、それだけの話だ。
「テメェが離れたせいで被害が拡大する前にとっとと帰るんだな」
「ハイハイ。んじゃ、不死川さんもどうぞお元気でー」
 別れの言葉を口にした、つもりだった。だが、不死川さんの手が一向に緩まない。じろりと睨めば、それ以上の強い視線が返ってくる。
「……なんすか。まだなんかあるんスか。もう、俺――」

 帰る、という抵抗の言葉を断ち切るように、不死川さんが口を挟む。思わず反射的に口をつぐめば、さらに首元に掛かる力が強くなった。
「お前、煉獄を殺った鬼を探しているらしいな」
「――えぇ?」
 首を横に傾げたのは反射だった。半笑いが浮かんだのは、場の空気にそぐう表情を浮かべようとして失敗しただけだ。
 随分と気持ちの悪い表情に見えたのだろう。不死川さんは顔を顰め、舌を打ち鳴らした。
 嫌悪を露わにする不死川さんを暗澹たる表情で眺めながら、ここに至った経緯を思い出していた。

 俺が耳にした「とある噂」は取るに足らないものだった。「赤髪の鬼」という、ただ一点が除けば――。
 その特徴は、竈門君から聞いた上弦の参の容姿と合致していた。きっと違うだろうという予感はあった。だが、この目で確かめねばと思った時には既に足は動いていた。

 横目で視線を落とす。つい先程、斬り伏せた鬼は、まさしく赤い髪をしていた。日輪刀で頸を落としたためすでに跡形もなく消え失せた鬼が、上弦の参であったかどうなのかは、もう確かめようがない。
 だが、俺ひとりの力であっさりと対処出来たことを考えれば、先程の鬼はただの雑魚に
過ぎないはずだ。
 稚拙な攻撃や理性の欠けらも無い言動は、以前、対峙した下弦の鬼よりも幾分も劣る。なにより、あんな奴に杏が負けるとは考えられない。確信を抱いた一番の理由は、そこにあった。
 上弦の参などという大層な肩書きを背負っているんだ。
 ――あんなに呆気なく、死なれては困る。
「……何考えてやがる」
 不死川さんの声に、落としていた視線を戻す。眉根を寄せ、不快感を露わにした表情は変わらない。だが、嫌悪以上に戸惑いが見える。疑念に首を傾げれば、不死川さんはますます表情を硬くした。
「その薄気味悪い笑顔を止めろォ」
「は?」
 言われて初めて、自分の口元が緩んでいることに気がついた。手を口の端に触れさせ、口角が上がっていることを確かめる。笑ったつもりはなかったのだがな、と自分の行動を意外に思いながらも、そのまま親指と人差し指の腹で左右の唇の端を抑え、表情を取り繕った。
 ひとつ、息を吐きだし呼吸を整える。今はもう、きっといつものような表情に戻っていることだろう。そう自分に言い聞かせ、不死川さんと改めて向き合った。
「別に、何も悪いことなんて考えてちゃあいませんよ」
「見え透いた嘘を吐くな。見たらわかるンだよ。お前、煉獄の弔い合戦でもやるつもりだろう」
「いやいや、さすがにそこまでの度胸はないですって」
 頭を左右に振り否定を示したが、不死川さんの手は緩まない。この答えでは納得しないと口で言われるよりも強く伝わった。
「馬鹿な考えは止めろォ」
「……話まったく聞いてくれませんね」
 大仰に溜息を吐き零せば、不死川さんは脅しをかけるように「アァ?」と凄んだ。先程の口答えで殴られなかったのだから、もうその時点で脅しは効かない。余裕は口にせず、態度で示すべきだ。ゆるりと口元を上げる。今度は、多分、まともに笑えたことだろう。
「そうですね――じゃあ、もしその手筈が整ったら手伝ってくださいよ。あんた好きでしょ、鬼退治」
「馬鹿にしてんのか、テメェ」
「してませんって」
「……」
 納得していないという表情は解けない。だが、それでも俺の意志が揺らがないことは理解出来たのだろう。重い息を吐いた不死川さんは、ようやく、俺の首元から手を離した。
「……耳にしたら声をかけてやる。それまでお前はちゃんと柱としての責務を果たせェ」
「心得ていますよ」
 あんたがそれを言うのかよ、という悪態は口に出さず、素直に従う素振りを見せると、不死川さんは舌を打ち鳴らす。
「それじゃ、俺、元の任地に戻りますわ」
「あぁ、さっさと帰れ」
「へいへい」
 踵を返し、元来た道を戻る。一度、背後を振り返れば、俺が本当に戻るのか信じられなかったのだろう。距離が離れてもなお、こちらを睨みつける不死川さんの姿が目に入った。
 その姿に苦笑しつつ、ひらりと手をかざしてみせる。それでようやく納得してくれたのか、不死川さんは、夜の山の中へと消えていった。
 後ろ姿を見送り、また歩みを再開させる。
「あーぁ、もう……また、空ぶったか――」
 独り言と共に溜息を落とせば、呼気が白い塊となり、うっすらと消えていく。もう冬が間近に迫っているのだ、と嫌でも知覚させられる。
 ――年越しまでにはケリをつけたいんだがな。
 誰に定められた訳でも無い、身勝手な誓いを頭に浮べる。担当地区に戻りがてら、また聞き込みでも始めるとするか。
 算段を立てながら、そっと目線を上げる。山の中だからだろうか。それとも、寒さで空気が澄んでいるせいだろうか。空に浮かぶ月、そしていくつもの星々がくっきりと目に映った。
 あの日、落ちた星の軌跡は今も網膜に焼き付いている。俺の無念を晴らすまで、きっと消えてはくれないんだろう。
 苦い笑みが口元に浮かぶ。不死川さんに見られたら、また薄気味悪いと文句を言われてしまうな。口の端に力を入れ、それでも足りない気がして指先で押し下げる。
 誰に見られるわけでもないのに、表情を取り繕う。新しく癖づいた習性を意識しながらも、そのまま下唇を噛み締め、元来た道を戻った。


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