春雷の果てに咲く花 01
元鳴柱である桑島様が身寄りの無い子を新しい弟子として迎えた。そのような話を知らされたのは、つい先日のことだった。それに伴い、藤の家からひとり手伝いに来て欲しいと要請を受け、修行場に一番近く、元々の縁が深い我が家に白羽の矢が立った。
桑島様おひとりの間も折に触れてお手伝いをさせていただいていたが、長期的な支援は初めてのこと。誰が御屋敷に赴くべきか。桑島様と当主である父が相談を重ねた結果、任を受けたのは末子である私だった。決め手は、新しいお弟子さんの年の頃が私と近かったことにあるらしい。
日中の食事や掃除、洗濯などの身の回りの世話に加えて、話し相手にもなってくれと桑島様直々に頼まれた。与えられた役割に不満などは一切無く、むしろお役目を仰せつかったことに感謝したいくらいの気概に満ちていた。
藤の花を家紋に掲げる家に生まれた者は、代々、鬼殺隊への感謝と献身を魂に刻み込まれて育つ。それは決して義務ではなく、むしろその家に生まれたことを誇りに思う者がほとんどで、私もまた、恩義に報いる機会が巡ってくることを幸いに思うひとりだった。
***
桑島様のお屋敷へ向かう道すがら、目映いほどの晴天に目を細める。額に指の甲を当て、空へと視線を伸ばせば、これ以上ないほど青々とした空が視界いっぱいに映り込んだ。
――今日はなんだか、いい一日になりそうね。
天気ひとつで浮かれるのはあまりにも単純かもしれない。それでもこんなにも晴れやかな気持ちにさせてくれる空を前にすると、不思議とそう信じきれた。
――うん、きっと良い日だわ。
納得したのだと誰に伝えるわけでもなくひとつ頭を揺らして私の中にある確信を深めると、目的地へ向かうべく、山道へと足を踏み出した。
履き慣れてきたブーツで踏みしめるように、斜面を歩く。人の往来があることで辛うじて道の様相を保った山道を歩くには、やはり草履よりもこちらの方が相応しかったようだ。
ゆったりと、だけど無駄足は踏まずにまっすぐに先を目指す途中、桑島様ご自慢の桃の木が連なっている林に辿り着くと、天候の良さも重なって更に気持ちが上を向く。桃の花が咲き乱れているさまは、まさに春爛漫と呼ぶにふさわしい風景だった。
壮大な景色に、ふらりと足が吸い寄せられるまま、道を逸れた。春の微睡むような空気に誘われるまま歩いていると、不意に視界が開けた場所に出る。軽く見渡せば打ち込みに使う柱のようなものがそこかしこに立っており、御屋敷のそばにある修行場に足を踏み入れてしまったのだと知る。
簡単に立ち寄っていい場所ではないわ。そう思い、引き返そう踵を返そうとしたのも束の間、桃の木の前に佇むひとりの少年の姿を見つけた途端、足がその場に縫い留められたかのように動かなくなる。
桃の木が風に吹かれるまま花びらを散らす。その風の残りが私の髪を靡かせるのを手のひらで抑えながら、遠くに立つ少年の姿に目を凝らした。こちらに背を向けて佇む彼の表情は見えない。それでも、こんな場所にいるからには桑島様に縁のある者だろうと予想する。
――もしかして、あの子が噂のお弟子さんかしら。
声を掛けるか否か。逡巡しながらも自然と足は彼の方へ向かいはじめていた。
黒髪に黒い着物を身につけた彼は、たしかに桑島様の言う通り、私と同じ歳の頃のようにも見える。どんな人なんだろう。仲良くなれるといいのだけど。
軽い期待と興味に促されるまま口元を綻ばせる。だが、距離が近付くにつれ彼の容貌が見て取れるようになると、ほんの少しだけ眉根が寄った。
陰鬱そうな横顔は誰も寄せ付けないだけの雰囲気があり、どこか刺々しさを感じさせる眼差しは遠くを睨み付けたまま動かない。骨の浮いた体は、長い間、満足な食事を摂れなかったのだと雄弁に語っていて、その薄汚れた風体に、ここに来る前の彼が体験したであろう辛苦が垣間見えるようだった。
元より、鬼殺隊を志す方の中には鬼によって親を亡くしたり、命からがら逃げ仰せたりと散々な目に遭った方が多いと聞く。きっと、彼もそうなのだろう。
――辛かったでしょうね。
にわかに浮かんだ考えに表情が自然と曇る。だが、その感情は余計だと気付くと同時に頭を横に振るうことで払い落とす。同情しているのだと知られては、彼の矜持を踏みにじってしまうはずだ。
そう考え、いつものように藤の家の女に相応しい表情を作り上げ、彼の背中に向けて声を投げかけた。
「あの、もしかして、あなたが桑島様の新しいお弟子さんでしょうか?」
私の声に驚いたのか、体全体で飛び跳ねるようにこちらを振り返った彼は、腰を軽く落とし、警戒心を顕わにしたまま私と対峙する。鋭い目つきで睨まれると〝このまま飛びかかられるのでは〟という懸念と共に微かな恐怖を覚えた。それでも笑顔を崩さず「桑島様の、依頼を受けてこちらに参りました」と続ければ、警戒心を少しは解いてくれたのか、落としていた腰を上げた彼は真っ直ぐに私と向き合った。
見つめ合う――と言うよりも、一方的に睨みつけられること数秒。彼の顔を見上げたまま言葉を待てば、その人は軽く顎を引いた。
今のは頷いた、と捉えてもいいのかしら。はっきりとしない態度を訝しみつつも、表情を動かさないように気を払い「やはりそうでしたか」と両手のひらを合わせると、彼が桑島様の弟子であることを前提に話を進めた。
「初めまして。修行中のあなたのお世話を仰せつかりましたと申します。隊士様の生活に不便がないよう精一杯務めさせていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします」
「アァ?」
改めて深くお辞儀をした私の頭上に、想定外の反応が返ってきた。思わず目を見開いたものの、頭を下げているうちに表情を取り繕うとゆっくりと顔を上げる。
「近くにある藤の家に住む者です。桑島様からお話を聞いていらっしゃらないのですか?」
「……」
問いかけに対し、彼は無言を貫いた。顰められた眉と細められた瞳は、言外に「否」を表していると捉えればいいのかしら。
――随分と警戒してくれるわね。
他人を寄せつけない態度や表情に、信用ならないと言われるよりも強い反発心を感じ取る。
初対面でこの有様では、関係が改善する可能性は低い。ならば早々に見切りをつけ、当たらず触らずを心がけた方が手っ取り早いとは思う。
それでも、今後、一年は彼と毎日のように顔を合わせるのだと思えば根気強く対応する以外の道は考えられなかった。
――ここで同じように態度を悪くさせたら終わりよ。
忍耐よ、忍耐。心の中でそう唱えながら思い人好きのする笑みを浮かべたが、彼はますます渋面を作る。その表情に内心思うところは有り余るほど生まれたが、表に出さないままゆっくりと言葉を続ける。
「隊士様がご存知では無いようなので、軽く私の素性をお話しさせていただきますね」
近くにある藤の花の家紋の家に住んでいること。そして桑島様とお弟子さんの双方を手助けするために馳せ参じたこと。それぞれ順を追って説明する。話のついでとばかりに自分の姉もよそに嫁ぐ前はそうだったと伝えたが、彼は心底どうでもよさそうに息を吐き出すだけだった。
「藤の家からの支援は慣例とはいえ、私自身は初めての経験なので至らない点もあるかとは思いますが……これからよろしくお願い致します」
警戒は解けずとも、最低限の挨拶だけは交わしておかねばなるまい。そう判断し、仲良くしましょう、と言外に含ませながら手を差し出した。だが、私の手のひらを一瞥した彼は、鼻を鳴らしてそのまま黙って立ち去ろうとする。行き場を失った手のひらが虚しく宙に残されたのを目の当たりにした途端、生まれた苛立ちに反射的に顔を上げると半眼で彼の背中を睨めつける。
――さすがにカチンとくるわね。
すげない態度もまだ慣れぬ関係ならばと目をつぶってきたが、こうも立て続けに見せられると釈然としない心地は募る。
とにかく私と距離を置きたいのだろう。突然、桑島様の御屋敷とは別方向に歩き始めた彼の歩く先に回り込むと、にっこりと笑って再び手を差し出した。
「これから、よろしくお願いしますね?」
「……」
ムッと口元を引き締めたまま顔を背けた彼は足を止めておきながら、いまだ私と話すつもりはないらしい。気に食わないのだと全身から滲ませる様子に、言葉にされるよりも強い拒絶が伝わってきた。
――けど、ここで腹を立てたら負けよ、。
そう自分に言い聞かせながら、募る苛立ちを押さえつけ、笑顔を保った。だが彼の次の行動を待ったところで変化はなく、一向に目すら合わせてこない。それどころか「話が通じない女だ」と言わんばかりに大きく舌を打ち鳴らす始末だった。
――前言撤回。もう無理。我慢の限界だわ。
誓ったはずの忍耐は残念ながら数秒も保たなかった。だが上っ面の笑顔が通用しないというのなら、もう体当たりしかない。そう判断すると共に浮かべていた笑顔を引っ込めた私は、残されていた距離を埋めるべく彼に詰め寄る。
不意に動いた私が気になったのか、彼の顔がわずかばかりにこちらに向いた。その一瞬の隙を逃さず、彼の頬を両手で挟んだ私は、ずいっと身を乗り出すと強制的に視線を合わせてやる。
「――な、」
「話をするときは、ちゃんと目を合わせてするものよっ!」
抵抗されるよりも早く、大声で自分の主張を突きつける。間近でぶつけられた声に怯んだのか、彼は反論も忘れたかのように大きく目を見開いたまま固まった。
だが、数秒も経てば、驚愕を映す瞳にも再び怒りが宿り、衝撃が過ぎた先から嫌悪に移り変わる。降って湧いた怒りに、みるみるうちに顔を赤く染めあげた彼はまるで視線で私を殺そうとでも言うかのように、鋭くこちらを睨みつけてきた。
「……ッ! 離せッ!」
「放さないわっ!」
放たれた拒絶の言葉を打ち返すと、彼はまたびくりと肩を震わせた。だが、一瞬は怯みながらも、反発心はいまだ強く残っているらしく、手の甲で乱暴に私の手を払い除ける。
だが、そんなことで折れるようなら始めから踏み込んだりしない。負けん気ひとつで食らいついた私は、払い除けられたばかりの手のひらを翻し彼の着物を掴むと、顔を近付けて彼を睨み付けた。私から睨み返されるとは思っていなかったのだろう。またしてもぎょっと目を見開いた彼だったが、まばたきひとつ挟む頃には負けじとこちらを睨み据えてきた。
「テメェ、さっきまでのしおらしい態度はどこにやったんだよ?! この猫っかぶりが!」
「猫くらいかぶるわよ! 卒のない人付き合いのための処世術ってやつだもの! でも、あなたはそういう顔だと相手をする気にもならないんでしょう? だったら、もう開き直るしかないじゃない!」
「……開き直りだと?」
「そうよ! 悪い?!」」
「ッこの――!」
口を開きながらも罵倒が続かないところを見ると、私の態度の変貌っぷりに言葉を失っているらしい。固く握られた拳の震えに、その怒りの大きさを知ったが構うものか。言いたいことを言うと決めたからには、遠慮なんてしてやらない。理不尽であっても無遠慮であっても、とことん踏み込んでやるわ。
「これからあなたは鬼殺隊を志すんでしょう? あなたがここにいるのは精々一年かそこらかもしれない。だけど――ううん、だからこそ、私はあなたと向き合いたい。私は、あなたと仲良くなりたいのッ!」
「な……」
虚をつかれたのだろうか。薄く開かれた唇から溢れたのは間の抜けた声だった。呆けたような表情からはすっかり険しさが剥がれ落ちてしまっていて、案外幼い顔立ちをしているのだとすら思えた。
だが、その変化も一瞬のもので、我に返るや否や再び怒りを全身に纏い始めた彼は、歯を食いしばり先程以上に凄んでくる。
「……嘘をつくなよ。そうやって他の奴らにも媚びを売ってきたんだろ」
「媚び? そんなもの、あなた相手にも売った覚えないわよ」
「今、お前が言ったんだろうが。なにが仲良くなりたい、だよ。薄気味悪い」
眉根を寄せて吐き捨てた彼は「どうせそのツラで他の男にも取り入ってたんだろ」と付け加えながら蔑みの眼差しを向けてきたが、その程度の言葉など身に覚えのない私に響くはずもない。
「お生憎様。いろんな隊士様……それこそ柱の方々と顔を合わせる機会もあったけど、ちゃんと猫をかぶったうえで距離を置いていたわよ。それこそ、さっきあなたが言ったんじゃない。忘れたの?」
揚げ足を取ってやれば、彼の表情はより一層険しくなる。「してやられた」だなんて頭を搔くような性格ではないとは思っていたが、こうもわかりやすい反応を返されるといっそ清々しいとすら思えた。
「クソみたいな性格だな!」
「あなたから見たらそうかもしれないわね! でも悪いけどあなた以外にそんな失礼なことを言われたことないわ!」
「それはお前がその上品な顔で愛嬌を振りまいていたからだろ! 今みたいな性格を見せてたらその柱とやらも裸足で逃げていくだろうぜ!」
売り言葉に買い言葉、まさにそんな表現が当てはまる口論を繰り広げながら、胸ぐらを掴み合う。山中に響いているのではと疑いたくなるほどの声音に近くの木に留まっていた鳥が耐えかねたのか、方々に飛び去る羽音までもが聞こえてきた。
「クソッ! いい加減に離れろ!」
「だから、さっきも放さないって言ったでしょう?!」
お互いに胸ぐらを掴む手はそのままに額を突き合わせて互いの意見を主張する。怒鳴り合えば自然と息が上がり、肩で吐いた息すらも届きそうなほどの距離にあってもなお睨み合いは続いていた。
まさかここまで強情だなんて……どういう性格をしてるのよ、なんて。お互い様なのを棚に上げ、内心で毒づいた。
――それでも存在を無視されたり、視線を外されたりするよりも、ずっといいわ。
相変わらず彼の眼差しには嫌悪しか映していないのに、まっすぐに私だけを見ているのだと思えばほんの少しだけ許せるような気持ちになれた。あまり健全とは思えない考えに自分自身も呆れてしまうところだが、彼と向き合うにはこれしか方法がないのだと思えば、貫くほか道は無い。
顔を伏せ、ひとつ長い息を吐くと、再び彼を見上げる。うっすらと疲労の見え始めた表情は、多分、私の顔にも似たような形で浮かんでいるんでしょうね。
「ねぇ。あなたももうこんな状況に嫌気がさしてるんでしょう? 手は離してあげるから、ひとつだけ話を聞いてくれる?」
「あぁ? なんで俺が」
「いいから。聞いてくれないと桑島様にあることないこと言うわよ」
「チッ……何を言うつもりだよ」
状況に辟易していたのは彼も同じだったらしい。返ってきた言葉は相変わらずこちらを突き放すような鋭さに満ちていたが、それでも少しは話を聞く気にはなったのか、わずかに着物を掴む手が緩んだのを感じ取る。
私もまた約束通り手を離せば、彼もそれにならったものの、反発心は残っていると言わんばかりに煩わしそうに胸の前を手の甲で払う仕草を見せられた。
だが、足はその場に留められたままだと気付けば、掴みかからずともまともに顔を合わせる状況が整ったことに自然と口元が緩む。今度は偽りでは無い笑顔だからか、彼が突っかかってくることはなかった。
そのまま、まっすぐに彼を見上げた私は、背筋を伸ばし、彼と目を合わせたままキッパリと告げる。
「もう一度だけ言うわ。私は、あなたとちゃんと向き合いたいの。だから、手始めにあなたの嫌う仮面は脱ぎ捨てたわ。どう? これでも関わる気がないと言うつもり?」
「……ッ」
息を呑んだあと、無言を貫く彼は歯が折れるのではと心配になるほど奥歯を噛み締めているようだった。
私の言葉を彼がどう判断したのかは知らない。だけど、今、私がどう思っているのかを一度彼にきちんと理解してもらいたかった。
――ここまで言って、断られたら困ってしまうわね。
もっとも、困るとは言え改める気は毛頭無いのだけど。陰ながら支えるのは性分に合っていないと私自身がよく知っている。それに、彼には悪いけど、私はこの修行の手伝いを辞める気も無いんだもの。
――だから、あなたに折れてもらうほかないわ。
視線に私の気持ちが乗ったのだろうか。見上げた彼の口元がより一層への字に曲がる。それでも視線を合わせたままでいると、黒い瞳がかすかに揺れた。
「先に言っておくけどあなたがここにいる限り、私はあなたに向かっていくわよ。だから諦めるなら早い方がいいと思うのだけど」
「ックソ……身勝手な女だな」
「そうよ? 私の身勝手さが骨身に染みてわかったのなら、まずは名前を教えてちょうだい」
畳み掛けるように主張ばかりを押しつければ、当然反発は生まれる。私への暴言を散々呻き散らした彼だったが、私が意見を変えず名前を知る必要性を説けば、また口をつぐみ、こちらを睨みはじめた。
無言の圧が強まると共に、眉間の皺が深くなる。それでもめげずに実直に見上げ続ければ、私が引かないと悟ったのだろう。二度の舌打ちと三度の溜息ののち、彼はとうとう根負けしたように「……獪岳だ」と吐き捨てるように名乗った。