國神01:compass

compass



「錬介、帰ろ」
「うん。これだけ書いちまうから、ちょっと待ってな」

 帰りの会が終わったあと、前の席に座るに声をかけられる。小学校に入学して2週間。このやり取りにも少しずつ慣れてきた。
 いつもはほぼ同じタイミングで席を立つのだが、今日は俺が出遅れたため、を待たせてしまっている。
 詰め込んだ教科書が重いのだろう。先に帰り支度を終えたが億劫そうにランドセルを背負う姿を視界の端にとらえながら、連絡帳に書き込むスピードをあげた。

ちゃん、バイバイ」
「また明日ッ!」
「うん、また明日ね!」

 近くの席に座る女子たちが、に声をかけながら教室から出て行く。その背中に手を振りながら見送ったは、くるりとこちらを振り向くと手元を覗き込んできた。

「錬介ー、まだ?」
「まだ。もうちょい」

 次々と教室から飛び出ていくクラスメイトたちがうらやましいのか、が小さく息を吐く音が聞こえてくる。ちらりと顔を上げれば、つまんなそうな顔をしたが、机の下に収めたばかりの椅子を引っ張り出し、ストンと腰掛ける姿が目に入った。

「もー、いーかーい」
「まーだだよー」

 かくれんぼをする時に使う言葉を口にしたに同じノリで返す。俺の返事に「ちぇー」とこぼしたは、足をぶらぶらと揺らしはじめたようだった。
 を待たせてるんだから、早く書き終えないと。そんな気持ちとともに急いで連絡帳に文字を書き連ねていると、廊下からに声がかかる。

ちゃん、一緒に帰るー?」
「ううん! 錬介と帰るから! ばいばい!」

 正面から聞こえてきた声に、きゅっと唇を結ぶ。
 今みたいに、帰りにを誘う声は少なくない。小学校に入る前からの友達からの誘いもあれば、新しく出来た友達からも声をかけられている姿をしょっちゅう見かける。
 別に、が特別人気者と言うわけではない。入学して、知り合いも増えて、新しい友達や環境にワクワクしている。そんな気持ちをみんなが持っているだけなのだ。――ただ、俺ひとりを除いて。
 寂しい考えが浮かぶと同時に鉛筆を持つ手に力が入る。
 クラスにすぐ馴染んだとは違い、俺はまだ新しい友達が出来ていない。たまに男子に話しかけられても、口から飛び出てくる乱暴な言葉遣いに戸惑っているうちに乗り遅れてしまうばかりだった。女子は女子で身体が大きい俺を怖がって近づいても来ない。同じクラスにがいなければ、一日誰とも話をしない日ができるんじゃないかと危ぶむほどだった。
 今のところは困ってないけれど、このままずっと友達が出来なかったら。そんなことを考えると、食べ過ぎた時とは全然違う感覚で鳩尾のあたりがズンと重くなった。

「錬介-。そんなに何書いてるの?」

 ぐるぐると考えている内に手が止まっていた。そう気付くと同時に気を取り直すべく頭を横に振った俺はこっちを覗き込んできたに目を合わせる。

「さっき宿題のページを言われただろ。それメモってた」
「言われたっけ?」
「言われたよ。家帰ったらちゃんとやろうな」
「えー」

 聞かなきゃよかった。そんな気持ちを隠しもしないは不満を口にする代わりに下唇を突き出した。不貞腐れた顔にふっと口元が緩む。そのまま鉛筆を筆箱にしまうと連絡帳と重ねてランドセルの中に入れた。帰り支度を始めた俺を目にしたは、ぐいっとこちらに身を乗り出す。

「終わった? 帰れる?」
「うん、結構待たせたよな。ごめん」

 そう言うと、はパッと明るい笑顔を浮かべた。飛び跳ねる勢いで椅子から立ち上がったに合わせて俺も立ち上がると、そのままランドセルを背負おうとした。だが、同じクラスの子たちと比べるとかなり身体が大きいせいかすんなりと背負うことが出来ない。
 首を捻りながら腕を通そうとしていると、見かねたのかが背中とランドセルの間に挟まっていた肩紐を引っ張ってくれた。

「どうもな」
「いーよ。それより早く帰ろ」

 ニッと笑ったと連れ立って席から離れた。だけど、ふたり並んで歩き出したところで目ざとくこちらの行動を目にした男子が大声を上げはじめる。

「うぇー! 國神と、また一緒に帰ってやんの!」
「おれ見たぜ! 昨日、が國神んちにそのまま帰ってくの! 結婚してんだろ、結婚!」

 一瞬、何を言われているのかわからなかった。だが、ぎゃははとイヤに耳につく笑い声が教室内に響き渡ると同時にからかわれているのだと気付き、にわかに顔が熱くなる。
 学校帰りにそのままが俺の家に遊びにくるのは珍しくない。だけど、は俺だけでなく俺の姉ちゃんや妹とも友達なんだからそんなの当たり前だ。俺だっての弟のと友達だし、どちらかの家に集まって五人でトランプやかくれんぼをした方がずっと楽しいから、一緒に遊んでいるだけだ。

「なんで?! ちがうよ! そういうのじゃなくて!」

 他人にからかわれることに慣れてないは、説明を試みようと声高に叫んだ。だけど、男子たちが聞く耳なんて持ってくれるはずもなく「違いませーん!」と更に声を大きくさせるだけだった。

「夫婦! 夫婦!」
「ちがう! そんなこと言うな!」

 そう叫ぶ俺の声をかき消すように、男子たちはさらに大きな笑い声を上げた。
 俺は別にいいけど、が笑われているのを見るのはイヤだ。そんな気持ちが沸き起こるとぎゅっと拳を握る。だけど、握った拳を相手にぶつけることは出来なくて、ただ肩を震わせることしか出来なかった。
 こっちが困っているのを見た相手はますます調子に乗ったのか、手拍子を叩き「夫婦! 結婚!」と繰り返す。の友達も一緒になって「やめなよ! ガキ!」と言い返してくれたが、ヤツらは「小一はガキでーす!」とおどけるだけで何も状況は変わらなかった。
 クラス中に拡がった騒ぎに恥ずかしさと悔しさで頭の中がいっぱいになる。囃し立てる声にいくら言い返したところで相手は耳を貸してくれるどころか大勢でよってたかって叫ぶことでや俺の言葉なんてかき消してしまう。

「錬介……」

 不安そうなの声が耳に入る。その声にハッとしてを振り返ると、今にも泣き出しそうなが目に映った。

「――
「ゴメン……先、帰る」

 は、自分が俺を待っていたせいでこんなことになったとでも考えてしまったのだろう。ランドセルの肩紐を強く握ったは、俯いたまま教室の入り口に向かって歩き出す。
 ――ひとりにさせちゃダメだ。
 寂しさに塗れた背中を目にした途端、湧き上がってきた感情に突き動かされるままの後を追った俺は、の肩を掴んでこちらを振り向かせた。

「ダメだ、。一緒に帰ろう」

 俺の顔を見た瞬間、目に溜めていた涙がボロボロと零れだすのが見える。慌てた様子で手の甲で頬を拭うの姿を他のヤツらに見せたくなくて、少しだけ距離を詰めた俺はその頭を抱え込む。
 鼻を啜る音が響くと、が泣いていることに気がついたらしい。さっきまでうるさかった男子たちは息を呑んだように黙り込んだ。

「ねぇ、男子! ちゃん泣いちゃったじゃん! 謝りなよ!」
「いや、でも、別におれたち、ホントのこと言っただけだし……なぁ?」
「そういう問題じゃないでしょ?!」

 の友達が男子に詰め寄るのを横目に「歩けるか?」とに声をかける。胸元で縦に動いた頭を見下ろすとの頭を解放し、その手を引いてを教室の外に連れ出した。
 そのままとぼとぼと歩くと一緒に階段をおりる。下駄箱の前で靴を履き替えた後も、心細そうにしているを見てられなくて「ん」とに手を差し出した。
 俺の手を取ろうとした瞬間、は一瞬、躊躇うように手を引っ込める。だが、それを追いかけて捕まえると、ぎゅっと握り込んだまま歩き出す。

、まだ泣いているのか?」
「……だって……」
「だって?」
「錬介がイヤな思いするから……だから……」

 ぐすぐすと鼻を鳴らしながら歩くに眉根を寄せる。俺だってがイヤな思いをするのはイヤだ。だけど〝バカにされたから〟なんてくだらない理由でと離れるのはもっとイヤだった。
 仲がいいのは悪いことじゃないのに、あんな風に言われるのは意味がわからない。恥ずかしいのが通り過ぎるとイヤな気持ちばかりが胸の中に生まれ始めていた。ムカつくという言葉の意味を体感するのは初めてのことで、お腹の周りが熱を持っているみたいに熱くなる。それでも、俺はどうしてもの手を離す気にはなれなかった。

「言いたいやつには言わせておこう。俺は仲良くないヤツらに色々言われるよりも、と話ができなくなる方がずっとイヤだ」

 正直な言葉を口にすると、俯いていたがこちらを振り仰ぐ。涙でぐしゃぐしゃになった頬にいくらでも胸は痛んだが、俺の言葉に安心したのか、口元を緩めたにこっちまでホッとするようだった。

「ホラ、早く帰ろう。姉ちゃんたちも待ってる」

 本当はまだ胸の中はイヤな気持ちでいっぱいだったけれど、ワザとニッと笑って見せた。そんな俺の表情に釣られたのか。もまた、口角をきゅっと上げる。

「うん。……もう迷わない。錬介と一生友達でいる」
「うん、そうしよう」

 言葉と共にの手を握り直すと、きゅっと強い力が返ってくる。その小さな手のひらに、この上ない安心を覚えた俺は強く頷くととは一生友達でいようと心の底で誓った。



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