美馬01:慈愛

慈愛


「なんだか今日、いつにも増して美馬の熱視線ヤバくない?」

 日を追うごとに肌寒さが増し、中庭や屋上でお弁当を広げるのに少し抵抗がでてきた今日この頃。教室の真ん中よりも少し前あたりでいつもの3人と机をくっつけあってお弁当を食べていると、不意に目の前に座るがそんな言葉を漏らした。その言葉を機に、私の隣に座る子もの隣に座る子も、こちらへと視線を差し向けてくる。
 も気づいてるでしょ? とでも言いたげな視線に思わず口元を引き締める。自分ひとりだけなら自惚れと流すことは出来た。だが、3人もとなるとガラリと認識は変わる。どうやら私だけの勘違いでは済まされないらしい。朝から薄々と感じていた異変を言い当てられたことで私もまたゴクリと喉を鳴らす。
 ほんの少しの興味に背中を押され、おにぎりを頬張りながら美馬へと視線を流してみる。チラリと横目で盗み見るつもりだった。きっとバレないだろうという予感だってあった。だけど、私の思惑とは裏腹に、鋭い目つきでこちらを見ていた美馬と視線が交差する。
 バチリ。そんな音さえも聞こえてきそうなほどに合致した視線はそう簡単には外せそうにない。鋭い眼光に気圧されたままキュッと唇を結ぶ間も、美馬の視線はこちらに刺さったままだ。

?」

 からの呼びかけでようやく硬直が解ける。浴びせられる眼光には引き止める効果でもあるのだろうか。やっとの思いで美馬から視線を外し、らとの会話に戻ることが出来たころには肩にずしりと疲労がのしかかっていた。

「ねぇ。今も美馬、のこと見てなかった?」
「……多分」

 重なる指摘に尻込みしつつ応じればその場に呆れとも感嘆ともつかない溜息が重なった。

「……朝、挨拶した時はそうでもなかったんだけどなぁ」

 食べかけのおにぎりと向き直るままぽつりと言葉を零す。いつから美馬の異変が始まったのか。変化のタイミングを探るべく、たまたま下駄箱前で鉢合わせた時の美馬の様子を脳裏に浮かべる。
 下駄箱で上靴を履き替える美馬は、野球部の朝練を終えたばかりだろうに息ひとつ乱さず立っていた。いつも通りに「おはよ」「今朝も早いね」なんて他愛もない会話を交わした時は、今みたいに変な感じはしなかったはずだ。階段を上るころには黙ってしまった美馬とは、それぞれ他クラスのともだちと鉢合わせたタイミングで自然と離れた。
 その次は、とさらに記憶を辿る。だが、教室で美馬の視線に気付いた時にはもう今の眼光が始まっていたのを思い出すだけだった。
 本当は朝から何か言いたいことがあったのか。それとも別れた後に気になる点が出たのか。今になってはもう美馬しかその答えを持っていない。
 ――寝癖がひどいとかかなぁ。
 顔を合わせた時に何も言われなかったなら背後になにかあるんだろうか。そんな疑念と共に後ろ頭に手をやったが朝整えたままの指通りが確認出来ただけだった。今日は体育もないし、そもそもパッと見でヤバい髪型になっていたら美馬以前にらに指摘されることだろう。
 だけど念の為、と髪を軽く指先で整え、前髪を流す。昨日軽く切りそろえた前髪がサラリと元の位置に戻ったのを感じながら、改めて美馬の視線の意味を考える。
 ――なにか話しかけられたらいつだって応えるのに。
 美馬の視線に気付いているのなら「何か用?」と聞けばいいとわかっている。だが、他でもない美馬が相手となると簡単にはいかない。気のある相手の異変にどうしても臆病になってしまう。
 こんなことなら最初に気付いた時にさっさと声をかければよかった。そんな後悔を今更抱いたところで時すでに遅し。朝のHR後も含めてすでに3回分の休憩と昼休みも半ばは過ぎている。その間、募りに募った疑念は山積みで、今ではもう美馬からの指摘を待つしか無い心境に陥っていた。
 他の人に同じような視線を差し向けられたのなら、きっと軽い気持ちで尋ねることが出来るのに。そんな思いとともにひとつ溜息を吐きこぼした。

「美馬の視線ってさ、なんて言うか……動物的だよね」

 隣に座るがぽつりとこぼした言葉に自然と俯いていた顔を上げる。お箸の先を口元に当てたままのは、怪訝さを顔に出した私と目を合わせるとそのまま正面に視線を向けた。

「ふれあいコーナー系じゃなくてサファリパーク系ね。なんかそういうとこない?」
「猛禽類とか、獰猛な……?」
「ライオンとか熊とか……?」
「そうそう。あと、それだけじゃなくて……授業中とか集中してるっぽい時とさ、今、を見てる時のって違くない?」
「あぁ。食べたいほどかわいいよ、とかそういう?」
「それ!」

 勝手な見解を展開させていく3人に思わず口を閉ざしてしまう。かわいくて食べてしまいたいほどというのならもっとやわらかい視線になるんじゃないだろうか。例えば初孫に目尻を下げるおじいちゃん的な。
 そんな反論を思い浮かべつつも口を挟んだところで会話の流れが変わるわけでもない。美馬への違和感を飲み下せないまま、代わりに、とご飯を喉奥に流し込む。

「ねえ、はどう思う?」

 その質問と共に3人の視線がこちらへと差し向けられる。二口目を頬張ったばかりだったので思わず目を白黒させた私は、手のひらを立てることで待ったをかける。
 咀嚼する間、自分の中にある違和感の正体を探る。らと今抱えている感覚の共有が出来るかどうか。考えたところであまりしっくりくる言葉は出てこない。それでも待たれている以上、なにか言葉を紡がなければ。そんな義務感と共に漠然と感じている違和感の切れ端を口にする。

「……かわいいはともかく、視線で食べられちゃいそうなのはあってるかも」

 美馬の視線が動物的だという例えはかなり近い。見つめられる場所から剥がされてしまうような心地は、悪い意味で心臓が締め付けられそうになる。

「なにか美馬の気に障ることしたのかなぁ……」

 嘆きにほど近い言葉を紡げば近くで溜息が3つ重なった。

……アンタもう少し都合よく捉えたら?」
「そうだよ。美馬のあの熱視線を独り占めしてんのくらいよ?」
「〝あの〟熱視線だからわかんないんじゃん」

 らは良いように言っているが美馬の視線を受け止めているのは他ならぬ私だ。一切甘さのない視線を一体どうやって自分に都合よく変換できるというのだろう。
 やれるものならやってる。なんなら代わってほしいくらい。――いや、代わるのはやっぱり嫌かも。
 咄嗟に浮かんだ考えを即座に覆した自分の強かさにキュッと唇を結ぶ。怪訝な視線であっても美馬が他の女子を見てるのはちょっと――いや、かなり見たくない。
 ――我ながらとんでもなく歪んでるなぁ。
 恋心は、たしかにある。だけど今抱く感情は恋と称するより恐怖と呼んだ方が相応しい。そんな心境なのに、それでも美馬の視線の先を譲る気がないなんて本当にどうかしてる。
 溜息をひとつ零しながらお弁当箱に箸を向けた。最後に残った卵焼きを口に運び、そっと視線を美馬へと伸ばす。難なくかち合った視線にグッと喉奥がつまった。うっかり卵焼きで溺れそうになった私は軽く咳き込みながら美馬から視線を外す。
 今もなお、離れない視線の気配を感じながら、美馬が何を考えているのかなんてわかるはずもないのに思いを馳せた。あわよくば、それが恋であればいい、なんて願いながら。

 * * *
 
 遠くで最終下刻時間を知らせるチャイムが鳴る。部活を終える頃になると、ほとんどもう日が落ちていた。秋にほど近いこの時期は、日を重ねる毎に夜を迎えるのが早くなる。
 夕陽の差す中、部活仲間と自転車置き場まで足を運び、帰路につく友人らを見送った。さて、残された私たちも駅に向かうか。そう思いっつ踵を返すと、不意に野球部の集団に出くわした。
 その中に美馬の姿を発見すると同時に、横からの肘打ちが入る。彼女の意図に気付きながらも、ふいっと視線を外して無視を決め込むと即座に二発目が放たれた。
 痛みの残る肘を押さえながら、ちらりと目線を彼女に向ければ、目を輝かせたは力強く首を縦に振った。
 あまつさえ親指まで立てGOサインを繰り出すに自然と溜息がこぼれる。
 こんな場面を美馬に見られたら困る。その一心で彼女の親指を握り込むことで引っ込めるよう伝えれば意外にもあっさりと指が下ろされた。だが、その視線は今も変わらない。なんなら「早く声をかけろ」とばかりに顎で示される始末だ。
 またひとつ溜息を重ねながら改めて野球部へと向き直る。の思惑通りに動くのは本意ではないが、美馬に出会って無視するつもりも毛頭ない。キュッと手のひらを握りこんだ私は、ほんの少しの勇気と共に美馬へと声を投げかけた。

「美馬! おつかれ!」

 少し離れた場所にいた美馬を含め他の野球部員も一斉にこちらを振り返る。なんてことないと装うために屈託のない笑みを浮かべ、手のひらを振った。
 目が合うと、いつも美馬はほんの少し驚いたように目を開く。不意に美馬に話しかけられた時、私もまた同じ反応を取っている自覚はあるが、美馬が同じ反応を見せてくるとどうしても胸の奥が甘く痺れる。その痛みを感じる度、美馬も同じ心境だといいのに、なんて自惚れとも妄想ともつかない祈りが心の底に張り付いているのを思い知らされた。
 自分の傲慢さと美馬に直面した恥ずかしさが胸の奥で綯い交ぜになる。頬に熱が集まりそうな気配を感じた私は「また明日。バイバイ」と手を振ってその場を離れようとした。

「おい」

 短い呼びかけに踏み出したばかりの足を止めるよりも先に、美馬の手が私のエナメルの紐を掴んだ。ずるりと落ちた紐から美馬の手が離れるのを横目に、そっと肩に紐をかけ直す。位置を調整しながら美馬を見上げると、真っ直ぐ射抜くような視線が落ちてきた。
 至近距離で食らった圧に思わず息を呑む。美馬の真剣な表情は鋭く、固い。瞬きすらも封じるような強い視線と引き締まった口元に、只事ではない雰囲気が滲んでいた。

。駅に向かうんだろ? 歩きながらでいいから少し話をしないか」
「え?」
「あ、じゃあ私先帰るわ! じゃあね、!」
「えぇ?!」

 私が答えを出すよりも先にいち早く反応したは額に手をかざし、敬礼ポーズのまま駆けていく。つい先程まで「部活ヤバい、マジ疲れた」なんてうだうだ言っていた姿からは想像できないほどのスピード感に思わず呆けてしまう。

、いいか?」

 美馬の問いかけに、肩が撥ねる。恐る恐る美馬を振り返れば教室で盗み見た時とまったく同じ瞳が私を見下ろしていた。

「えっと……じゃあ、駅まで」

 よろしく、と口の中だけで呟いた。正直、美馬に届いたか怪しいが、確かめることは出来なかった。
 部活終わりに顔を合わせることは今までも何度もあった。その度に「おつかれ、バイバイ、また明日」なんて言葉を交わしてきた。だが、一緒に帰ろうと誘われるのは初めての経験で、頭の中を「どうして?」で埋め尽くされていく。戸惑う私をよそに「ん」と頭を揺らした美馬はさっさと歩き始めてしまう。


「う、うん」

 ついてこない私を数歩先まで進んだ美馬が振り返る。促されるままに隣に並ぶと一瞥がこちらへと流された。
 帰路につく美馬は押し黙ったまま歩みを進める。話をしないかと言い出したのは美馬なのに、一体どうしたっていうんだろう。
 チラリと横目で美馬を見上げたが真っ直ぐ引き締められたままの唇から言葉が紡ぎ出される気配は一切感じられない。こちらから何か言うべきか。頭の中にいくつか浮かぶ話題も「美馬は何を話したいんだろう」なんて考えた途端に呆気なく霧散する。
 数秒の沈黙さえも数分、数時間かのように感じてしまう。そんな緊張の中、口元を引き締めたまま足を動かしていると、頭上から「」と声が降ってきた。自然と落ちていた視線を美馬へと差し向ければ、相変わらず鋭い瞳と視線が交差する。美馬から降り注ぐ圧に耐えかねた私は思わずごくりと喉を鳴らした。

「お前、髪切ったか?」
「へ?」

 思いもよらぬ点を指摘され、驚きのあまり変な声が出た。喉から出た声を無かったことには出来ないのに思わず手のひらで口元を隠す。

「あぁ、うん。前髪だけ少し」

 美馬の視線がかすかに合わなくなる。若干ズレた視線の行き先は明白だ。目下観察されているだろう前髪を隠すべく口元に当てた手のひらを10センチほど上げる。
 たしかに昨夜、お風呂に入る前に髪を切った。部活の邪魔にならないように目にかかりそうな長さだけ適当に切ったのだが、「案外上手く切れたんじゃないか」なんて出来栄えに満足していた。今日一日一緒にいたらからも特に指摘を受けなかった点も自分の腕前への自信に拍車をかけた。
 だが美馬にバレたとなると、その認識は180度変わる。何かしらの違和感があったのではと勘繰ってしまうし、友人からの指摘がなかったこともあまりに酷い出来にあえて何も言われなかったのではないかと不安に駆られてしまう。
 変かどうか聞いてしまいたい。だが、変だと言われたら立ち直れない。おろおろと立ち尽くす私をよそに、質問が正解だったことに納得したのか、美馬は大きく頭を揺らした。

「やっぱりな。そうだと思った」

 妙に満足気な美馬に思わず目を瞬かせた。随分と呆けた視線になったのだろう。私へと視線を戻した美馬は軽く目を開き、眉根を寄せた。

「どうした?」
「……へ、変かな」

 美馬の怪訝そうな顔つきに、つい先程まで聞けるはずもないと投げやっていた疑念を思わず口にしていた。

「あぁ。なにかあったか? 妙な顔つきをして」
「そっちはそっちで傷つくけど違くて……その、前髪の話」
「? 別に変じゃない」

 あっさりとした態度で私の疑念を吹き飛ばした美馬は軽く首を傾げる。たったそれだけの動作で、自分の不安が的外れだったと知るには十分だった。
 先程まであった疑念が晴れるままにそっと胸を撫で下ろす。緊張が表情にも及んでいたのかいつになく固くなっていた頬のあたりが必要以上に緩んだ。

「よかったぁ……。そんなに似合ってないのかって心配になっちゃった」
「似合ってないなんて言ってない。そもそもそんなこと気にする必要ないだろ」

 軽く目を見開いた後、眉根を寄せた美馬の言い分に小さく苦笑する。他人の評価なんて取るに足らないと美馬は言う。それもそうだと納得する気持ちもあるにはある。だが、たかが前髪とは言え美馬の評価なら気にしてしまう。そんな複雑な乙女心を仔細に説明出来るはずもなく、苦し紛れに切りそろえたばかりの前髪を指先で流した。

「それにしてもよく気付いたね。今日、誰にも言われなかったのに」
「そうなのか?」
「うん。友だちも何も言ってこなかったし」
「ふぅん……」

 気のない返事にパチパチと瞬きを繰り返す。チラリと横目で美馬の表情を盗み見るが、美馬が何を考えているかまったく読めない。視線を進行方向へと戻し、そのまま美馬の言葉を待ったが、またしても沈黙がこの場を支配する。道路を往来する車の音だけが耳に残る状況にやきもきしていると、不意に「が」と声が降ってきた。

「朝から雰囲気が違うのには気付いていたがイマイチ確信が持てなくてな」
「もしかして、今日私のこと見てた理由ってそこ?」
「あぁ、そうだ」

 断言した美馬を思わず見上げる。だが、美馬は今度はこちらを見ておらずまっすぐ帰り道を見据える横顔が目に入るだけだった。その涼しげな表情に、今日一日積み重なった不安が羞恥に変遷し一気に身に降りかかってくる。
 ――それならそうと早く言ってよ!
 身体の奥から熱が爆発したような心地に耐えかねて手のひらで顔を覆った。美馬の視線の意味を種明かしされた今、昼休みにらと交わした会話のすべてが槍のように突き刺さる。
 口では美馬の視線が怖いだなんて被害者ぶっておきながらその実、ずっと別の意味で気にしていた。あまつさえ恋であればいいなどと調子に乗った考えを抱いてしまった自分の痛さたるや。馬鹿な子を通り越して痛い子だと称した方が近いだろう。
 穴があったら入りたいほどの羞恥に身を焦がした私は顔を隠すだけでは到底足りず、痛み出した頭を抱えこんだ。

「何やってんだ?」
「何を……やってたんだろうね?」

 問われるがまま、今日一日美馬の視線に翻弄され続けた私の心情が走馬灯のように脳裏を駆け巡る。更に痛みを増した頭に抗えず「うぅ」と唸り声が口から漏れた。
 
「わけのわからないやつだな」

 溜息交じりの美馬の言葉にトドメを刺された。美馬に呆れられたのだと知ると同時に、その場にしゃがんでしまいたいほどの心境に陥る。だが実際はそんな悲劇のヒロインじみた行動を起こせるはずもなく、美馬から顔を背けるだけで精一杯だ。抱えていた頭を解放し、いまだに熱を帯びたままの顔を手のひらを耳の前で立てることで美馬から隠す。目線を逸らしたまま歩いていると隣で溜息がまたひとつこぼれ落ちた。

「おい、

 鋭い呼びかけが耳に飛び込んでくるのと同時にぐいっと腕を引かれた。隠していた顔が暴れると同時に、反射的に美馬を見上げる。至近距離で視線が交差する。今日一日、まっすぐに私を見ていた瞳だ。そう気付くと同時に居たたまれなさよりも、羞恥よりも、美馬に見つめられているというその事実のみに翻弄される。

「や、あんま見ないで」
「なんでだよ」
「恥ずかしいじゃん……」
「別に恥ずかしいことなんてしてないだろ」

 恥じ入るように顔を背けたところで美馬の視線からは逃れられない。視界に入っていない分、視線の圧をより一層強く感じてしまう。
 私の腕を掴む手に力が入る。ぐいっと引っ張られるままにとうとう足を止めてしまう。それでもまだ美馬の顔を見ることが出来なくて俯いたままでいると正面から声が落ちてきた。

「お前が言ったとおりだよ。俺は今日一日お前ばかり見てた。昨日と何が違うのか違和感の正体を知りたかったのもあるが、お前のことならなんだってわかるようになりたかった」

 実直な言葉に身体の奥底から熱が吹き出した。今日一日の視線に意味は無いと言ったその口で、どうしてそれ以上の爆弾を落とすのか。もうこれ以上、美馬に翻弄されないように気をつけなければ。そんな決意も呆気なく打ち砕かれそうになっている。

「うわぁ……」
「なんだよ、その反応」
「いやいや。別に気にしないで欲しいんだけど……勘違いしそうになるよね、今の」
「勘違い?」
「いや、わかんないならいいの。忘れて」

 十分痛い目を見たんだ。これ以上望んでなるものか。美馬の薄い反応を確かめることで、特別な意味なんてないと自分自身に言い聞かせる。
 そうやって心の安寧を手に入れようと試みたというのにいまだ身体の内にこもる熱は一向に落ち着きを見せやしない。その熱ひとつで美馬の言葉を勘違いしたがっている自分がいるのだと思い知らされる。
 キュッと唇を結び、まだ勢いを増しそうな熱を堪えているとまた一段と美馬の手のひらに力が入ったのが伝わった。こちらを痛め付ける意図はないと知りつつもさすがに無視は出来ない痛みだ。離して欲しいと訴えるべく顔を上げると、今日一日、目にした中でいちばん強い視線が降り注いだ。

「お前、わかってないみたいだからきちんと言うが、俺は今、お前のことを好きって言ったんだぞ」

 怒ったような表情でこちらを見つめる美馬の視線と言葉に、薄氷のように頼りない決意のすべてが砕かれる。勘違いじゃないと美馬は言った。他ならぬ美馬の言葉なのに、にわかには信じ難い。揺れる心は鳴動する心音よりも早く駆け抜ける。
 信じてもいいんだろうか。美馬の頬に滲む熱は黄昏時に迫る夕暮れによるものではないと信じてもいいのかな――。
 更に強さを増した熱に、勘違いしたがってる自分の存在が浮き彫りになる。私の腕を掴んだままの美馬の手から伝わる熱さに気付くまで、息をするのも忘れたみたいに一身に美馬を見上げていた。



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