保護中: ROOKIES：御子柴徹01

素直でいてよ 「あー、疲れたっ」 明日の英語の予習を終え、椅子からベッドに飛び移る。腹這いになるよう寝返りを打ち、ベッドの縁に置いたままだった雑誌を引き寄せた。東京のグルメを味わい尽くそう、というコンセプトで纏められたその雑誌は、今回は遠方のお店が多く取り上げられており、いいな、と思う店は移動手段が車に限られたものがほとんどだった。 「行けないじゃん……」 表紙の煽り文句に惹かれて、中身を確認せずに買ってしまったのだが、完全に失敗だった。誰かを誘おうにも一介の女子高生には、車を運転できる友達などそういない。自分が行けないことを思い知らされると同時に雑誌から興味が遠のいていく。 パラパラと適当にページを捲るが、全くと言っていいほど内容が頭には入ってこず、コンセントに挿しっぱなしのケータイばかりを気にしてしまう。 マナーモードにしているわけではないのだから、着信やメールが来れば音が鳴る。それは充分承知しているというのに、いつまでも気にしてしまうのは、御子柴君からのメールが届かないかと頭の片隅で考えているせいだった。 別に「部活が終わったらすぐにメールすること」だなんて約束を交わしているわけでもないし、ましてや私と御子柴君はそのような間柄にはない。 それでも、御子柴君は、部活から帰る前や、ご飯を食べてから寝るまでの間に、数通ではあるけれどメールをくれることが多かった。 ここ最近では、野球部がどのように軌道に乗ってきたのかを毎日教えてくれていたのだけど、新庄くんが加わって練習が益々活気づいて来たこともあり、そのメールの頻度は低くなっていった。 御子柴君は何よりも野球が好きだから、仕方ないよなぁ。便りが無いのは元気な証と言うし、実際、明日学校に行けば同じクラスなのだから顔を合わせ、その無邪気な笑顔を見せてくれることだろう。 だけど、それでも――。 「メールこないかなぁ」 これは私の身勝手でしか無いのだけど、空いた時間になればすぐに、御子柴君が何をしているのかと気にしてしまう。 このくらいの時間帯なら、まだ部活をやっているか、自主練に励んでいるのだろうと安易に想像が付く。 それでも、寂しいだとか、気になるだとか。その感情は私が御子柴君を好きだからこそ沸き起こる感情だった。 一つ、溜息を吐くと同時に、ケータイが短く鳴る。その音は充電が完了したことを告げる音であり、期待していたものとは違っていたため、不満を表す溜息が、通常よりも幾分も重く唇から漏れるだけであった。 充電コードを抜き去り、折りたたみ式のケータイ画面を開いたが、待ち受け画面に目を落としても着信やメール受信を告げるマークは現れていない。ベッドに横臥し、電話帳で御子柴君の名前を検索すると、画面に現れたその名前の字面にさえも愛しさを覚える。 メールなんて、一刻を共有できるだけのものであって、それだけで御子柴君の気持ちを私に向けることなんて出来ない。 ただ、毎日くれなくてもいいと思いながらも、メールが来ることを望んでしまう。毎晩繰り返す葛藤に、揺れ動く心は慣れる気配がない。 ――欲張りなのかなぁ。 自分自身に問いかけてみたものの、それに対する答えを返せる相手は今はいない。ディスプレイに表示された御子柴徹という文字列に問うたところで同じであった。 じわりと右頬が痛む。ベッドは柔らかではあったが、長い時間を動かないままでいれば、重圧も重なって痛みが生じるのも無理は無い。寝返りを打とうかと身体を捻ろうとしたが、うまく動かすことができない。 ディスプレイに写った御子柴徹の文字が揺らぎ、曖昧になっていく。眠気が襲ってきているのだ。その考えが頭を過ぎり、深く瞑目すると、その後は何もかんがえられなくなった。 遠くで音が鳴った。 同時に右肩が痛いことに気付き、薄く目を開くと同時に、目の中に淡い色合いの布地が映り込んでくる。ベッドカバーの色だ。そう頭の片隅で思いながら、今一度目を閉じると、耳を劈くような音が入り込んできた。 お気に入りのアーティストの歌声が、お腹の下から響いていることに気付き、慌てて上体を起こす。音の発生源は、ケータイだった。 手の甲で目を擦って見たものの、まだ意識が眠りに傾いているのか視界が一向に定まらない。微睡む目を凝らし、開いたままのケータイのメインディスプレイに視線を落とすと、御子柴徹の名前が点滅していることに気付く。 「え、なんで」 意識が一気に覚醒に引っ張られる。この音楽は、いつも御子柴君からメールが来た時の音ではない。ただそれだけで戸惑ってしまう。 確かに御子柴君からの連絡を欲したのだけど、いつものようにメールではなく、電話だというだけで、普段は感じない緊張が身内に溢れ出してきた。起き抜けだというのと、緊張も相俟って、ケータイがうまく操作できない。 受話ボタンをひとつ、押せばいいだけなのに、手につかないそれは、私の手の中から逃げようと踊りだす。両手のひらで挟むように掴み、やっとのことでボタンを押せた。 それでもなお取り落としそうになるのを堪らえ、ケータイを耳に宛てがうと、私が言葉を発するよりも早く、御子柴君の声が耳に響いた。 「？！」 悲痛な叫びにも似たような声で、御子柴くんは叫ぶ。その声音に、焦りの色が含まれているように思えて、首を捻る。 「どーしたの？」 起き抜けの声というのはどうしても間延びしてしまう。その声に毒気を抜かれたのか、御子柴君は大きく溜息を吐き出した。 「なんだよ、もー……」 「御子柴君？」 「、今寝てたでしょ」 「う、うん」 言い当てられたことに戸惑いながらも是と答えると、御子柴君は怒気を含んだような声色で小さく息を漏らす。 「寝落ちる直前に俺のケータイに電話したの解ってる？」 「そうなの？」 「そうなの！だから慌てて電話出たってのにさ、何にも話さないし、挙句に寝息聞こえてくるし…だから一回電話切って掛けなおしてんの」 小言にも似た不平を漏らす御子柴君の言葉により、漸く、今の状況を招いたのが自分なのだと理解する。寝る前の記憶を辿りながら、少しだけ視線を持ち上げる。 部屋の様子を眺めていると、電話帳を開いて御子柴君の名前を眺めていたことを思い出す。ただ、その後、携帯を閉じたことも電話帳の画面を消したことも記憶にないので、そのまま放置して、何かの拍子に発信ボタンを押してしまったのだろう。お腹の下からケータイが出てきたことを思えば、その仮定はあながち間違っていないだろうことが想像できた。 「ごめん……」 「もーいーよ」 力なく謝罪した私に、御子柴君は呆れたように笑う。電話越しの吐息が、張っていたであろう力を抜いたことを伝えた。怒られなかったことに気を良くした私は、普段ではあまり叩かないような軽口混じりの言葉を御子柴くんに投げかけた。 「いやぁ、御子柴君からメールこないかなって、念じながら寝ちゃったよ」 「どうしたの？やけに素直じゃん」 私のおどけた態度に乗っかった御子柴君のからかうような言葉に、咄嗟に反応できなくて言葉を詰まらせてしまう。「嘘つけ」なんて言葉で、さらりと流されてしまうはずだったのに。 熱を持ち始めた頬に折り合いをつけようと、ケータイを握りなおしていると、焦ったような御子柴君の声が聞こえた。 「うそうそ。ごめん、気を使わせちゃったよね」 御子柴くんの言葉の意味を測りかねて、私は思わず首を傾げた。まだ寝惚けているという訳ではないのだけど、私がいつ御子柴君に気を使ったのか思い出せなかったのだ。 寧ろ、まったくその逆で、御子柴君が部活で疲れていることを知りながら何故メールが来ないのかとやきもきしていたくらいなのに。 キョトンとしているのが電話越しにも伝わったのだろうか、御子柴君は小さく笑い、いつもよりほんの少しだけ声のトーンを落として話し始めた。 「がさぁ、寂しがってくれてるの解ってるから。――自惚れかもしれないから、 あんま言えなかったんだけど……」 目には見えないから定かではないが、御子柴君が照れたように頭を掻いているのか、小さく衣擦れの音が聞こえた。 「だからさ、もしが俺に会いたいって思ってくれているなら、会いたいってすぐ言って。俺はその方が嬉しいよ？」 御子柴君の言葉が耳に広がり、胸にじわりと痛みが走る。締め付けるような甘い痛みに、唇を引き締め、緩んでしまいそうな唇を噛んだ。 それでも熱くなる頬をごまかせる気がしない。 自惚れているのは、きっと私の方だ。今の言葉だけで、御子柴君に大事にされているのだとか、考えてしまう。 ――この人のやわらかさが好きだ。 あんなに必死に部活に励んで、疲れていないはずがない。それでも私が寂しがってることを知ると、会いたいと言えばいいのにと言ってくれる。 自然と笑みが溢れる。私の笑い声が聞こえたのか、むくれたように御子柴君が「なんだよ」と言った。その言い方がまたおかしくて、益々笑ってしまう。 「笑うことないだろ」 「ごめんごめん」 御子柴くんの声は先程よりも尖っていたけれど、怖さなんて微塵もない。会いたいと言えばいい、と御子柴君は言った。その方が嬉しい、とも。 その気持ちは嘘やへつらいではなく、素直な言葉なんだろう。 浮かぶ笑みを抑え切れない変わりに、手近にあった枕を抱き寄せて口元を覆う。 まるばかりの表情を誰かに見られることはないのだが、今の気持ちを抱くことはできない代わりに、枕を抱きしめていたかった。 私の願望に塗れているが、御子柴君が今のような言葉を他の女の子にも言っているだなんて想像がつかない。いつか御子柴君の特別な女の子になれたら、もっと素敵な言葉を聞けるだろうか。 だけど、今はまだ、こんな曖昧の言葉のままがいい。 「今、まだ外？」 「え、なんで？」 「車の音、聞こえる」 「うーん……」 「どうしたの？」 珍しく言葉を濁す御子柴君の歯切れの悪い態度に、小首を傾げる。だが、神妙な空気が流れている気がし、口元を覆うようにしていた枕を横に置いて佇まいを改める。 「いや……実は今、ん家のすぐ傍にいる……って言ったらどうする？」 躊躇いがちに告げられた言葉に、心が激しく揺らぐ。部活を終えたばかりの御子柴くんの体調を慮れば、遠慮した方が彼のためになるだろう。だけど、今だけは、少しくらい自惚れてもいいと、傲慢にも考えてしまう。 「――会いたいって言ったら駄目かな？」 ケータイを握る手に自然と力が入った。声もどこか上擦った調子になったことは否めない。御子柴君に会えるのだと、一瞬でも考えがチラつけば、平常心でいれるはずがなかった。 「俺も、そう思ってたとこ」 電話越しに、御子柴くんが笑った、歓喜が滲むような声が、何よりも私を安心させた。 「じゃあ、今から行く。今どの辺？」 善は急げとばかりにベッドから飛び降り、壁に掛けていた上着を羽織る。鏡に向かい、手櫛で簡単に髪を梳かしてから、部屋を飛び出た。階段を駆け下りる足音が聞こえたのか、私のせっかちさを知った御子柴君がクスリと笑う。 「もーちょっとしたらコンビニ着くくらいかな」 「解った。じゃあ中で待ってて。すぐ行く」 「うん、気をつけてね」 それじゃ、と短く告げて電話を切り、お気に入りのミュールを履いて玄関を飛び出した。 夏の湿気を多分に含んだ空気が肌に触れる。にわかに汗が滲んだけれど、真夏の夜のむせかえるような空気も、胸の内にある熱には敵うまい。 コンビニまで、歩いて５分もかからない。それでも、もっと早く御子柴君に会いたいと願う心が、私に走れと駆り立てる。それに応えない理由など無い。 足音と風の音に紛れて、御子柴君の「」と呼ぶ声が聞こえた気がした。