twst :カリム01

104.探す


 聞き覚えのある声が聞こえた気がした。
 就寝時刻の迫るころ。スカラビア寮の廊下を歩いているオレの耳に飛び込んできたその声に、思わず足を止める。
 夏の夜。昼間はなりを潜めていた虫が一斉に鳴いている。その奥に混じった声は、ハッキリとは聞こえなかった。だがそれでも懐かしさは胸に沸き起こる。
「……?」 
 自然と唇がその名前を紡いでいた。ナイトレイブンに入って以来、顔を見せることのなくなったもうひとりの幼なじみの名前は、久しぶりに口にしたはずなのによく舌に馴染んだ。
「どうした? カリム」
 突然、足を止めたオレに気付いたのだろう。先程まで隣を歩いていたジャミルが、数歩先から振り返る。月の光に照らされたジャミルの顔は怪訝そうに顰められていた。一瞥をジャミルへと流し、そしてまた夜の風景へ視線を戻す。
「今、の声が聞こえた」
「は?」
「こっちから聞こえたんだ! ちょっと探しに行ってくる!」
「待て、ここは3階だ! だいたい、いきなり何を言っているんだお前は」
 手すりから身を乗り出したところを、ジャミルに引き留められる。捕まれた腕の強さに、欄干にかけたばかりの足を下ろした。
 怒っているのか心配しているのか。ジャミルの厳しい表情を見上げてもなお、声の在処を確かめたい気持ちは収まらない。かち合った視線を、ついっと右へと流せば正面から溜息が落ちてきた。
「……いい加減、諦めたらどうだ。は自分で選んでお前から離れたんだ」
「だけどお前だって見ただろ。あの時、はまともじゃなかった」
 がオレの前から姿を消した日。オレの暗殺を企てていた首謀者のうちのひとり――親戚筋の男が撒き散らした血の中に佇んでいた獣の姿は今も目に焼き付いている。獰猛な姿はライオンそのものだった。だけど、どうしてかそいつがなのだとわかった。
 眉をひそめてこちらを見下ろすジャミルに、実直な視線を返す。オレの気持ちが変わらないことを察知したのだろう。ジャミルは目を閉じ、深いため息をこぼした。
「頼むから学園にいる間くらいおとなしくしてくれ」
「それは無理だ」
「……だったらせめてホリデーまで待たないか? まとまった時間をとって探した方が効率が良いだろう」
 効率の善し悪しなんてわからない。今、の声が聞こえた。その事実の方がはるかに重要だった。
「わかった! じゃあ今日はオレひとりで探しに行く! ジャミルは先に寝ててくれ!」
「おい、そういう意味じゃない! 待て! カリムッ!!」
 宣言と同時に踵を返す。背中に投げかけられたジャミルの制止の声を振り切って宝物庫へと駆け込んだ。
「おーい、絨毯! 今から空の散歩としゃれ込もうぜ!」
 明るく声をかければ部屋の隅に丸まっていた絨毯がふわりと広がった。楽しそうに揺れたそれに飛び乗り、窓から飛び出す。
 熱気を孕んだ風を受け、寮の屋根をぐるりと飛び越える。廊下から身を乗り出して叫ぶジャミルにひらりと手を振り、夜の空に飛び込んだ。
 絨毯の上から身を乗り出し、地上に視線を落とす。寮の近くの建物の中に入ってしまったのであれば見つからないが、どうしてだかそれだけは無いように感じていた。
 こういう直感は信じた方が良いと経験から知っていた。特別勘が良いというわけではないが、自分を信じることがの発見への近道なのだと信じていたかった。
 今、の姿が人間なのか獣のままなのかは知らない。
 ――どちらの姿だって構わない。決して見誤ったりするもんか。
 きゅっと唇を結び、目まぐるしく変わる景色を見つめたまま、たったひとりの姿を探し続ける。を失って、もう一年も繰り返してきたことだ。
 のいない秋が深まり、冬を過ぎ、春を超えてまた夏がやってきた。夏の夜空に浮かぶ星は遠く、目が眩むほどの輝きを放っている。この空を共に見られない歯がゆさに下唇を噛みしめた。
 どうして戻ってきてくれないんだ、と恨み言のような言葉が頭を過る。不意に浮かんだ考えを振り払うように頭を振った。突然ぶるりと震えたオレを気遣ったのだろう。絨毯がほんのりとスピードを緩めた。
「悪ぃ、気にすんな。たいしたことじゃないから」
 ねぎらうようにポンポンと絨毯を叩き、あぐらを組み直しながら空を見上げた。を探し始めてからずいぶん時間が過ぎたのだろう。真夜中の空を見上げれば三日月がずいぶんと高い位置にあった。そのまばゆさに目を細め、飛び出す前に耳にしたジャミルの言葉を反芻する。
 ――〝は自分で選んでお前から離れたんだ〟か。
 その言葉が今にして胸に重くのしかかる。考えないようにしていた言葉だったからこそ、こんなにも堪えるんだろう。
 もう一度、頭を横に振り、きゅっと眉根を寄せる。弱気になるのは好きじゃない。に直接言われるまで、信じるもんか。
 なにか誤解や勘違いがあってオレから離れるというのなら、何度だってオレが手を伸ばす。
 ――ずっとオレの傍にいてくれよ。
 入学を目の前にした夏の日に、と約束したんだ。今みたいに魔法の絨毯に乗って、満月に照らされたは涙をこぼして頷いた。あの夜の笑顔を、嘘にしたくない。
 あの日を思い出すと同時に喉の奥に詰まるような息苦しさが生まれた。あの日はふたりだった。今、ひとりでいることがたまらなく寂しい。やっぱり隣にはがいてくれないと困る。
 ――絶対に、お前を見つけ出してみせるからな。
 両手をぎゅっと拳に変えて、まっすぐ正面を見据えた。
 奇跡は待つものじゃない、起こすものだ。物語だってそうじゃないか。いつだって、お姫様を救い出すのは王子様の役目ってやつなのだから。
 



error: Content is protected !!