黒バス:小金井 慎二01

013.慰める


「ねーねーー」
 昨日のドラマの話でらと盛り上がっていると、不意に呼びかけられた。このちょっと甘えた声の持ち主は、振り返らなくたって誰かわかる。隣の席のコガだ。
 椅子を引いて振り返ると、コガの指先が私の肩へ触れる。朝のホームルームの予鈴が鳴る直前に、教室へと滑り込んできたコガは、席に着くよりも先に私に声をかけたらしい。カバンを背負ったまま、ほんの少しだけ息を弾ませているコガは、バスケ部の朝練に出ているはずだ。もしかしたら今日はメニューがきついものだったのだろうか。いつもよりも紅潮した頬を目にして、リコちゃんが張り切ったのではと訝しんでしまう。
「おはよ、コガ。どうしたの?」
「おはよー。ねー、、ハサミ持ってない?」
「ん? あるけど。ちょっと待ってね、でもどうして?」
「いやぁ、実はさあ、これもらっちゃって」
 カバンの中を探りつつ問いかけると、自慢げに笑ったコガは薄い胸を反らしながら、人差し指と中指の間に挟んだ紙を示す。同時に、走ってやってきたコガに追いついたらしい水戸部が戸惑った顔でコガの肩を掴んだ。引き止めるような仕草に気を取られたのも一瞬で、たちが妙に高い声で反応をしたことに触発され視線が戻る。
 まず目に入ったのは、誇らしげな笑みを浮かべたコガの顔。そして指先の間でひらひらと再度翳された紙だった。まじまじと観察してみれば、女の子らしいピンクの封筒に花のシールで止められているものだと気付く。コガの様子と併せて考えれば、答えは自ずと解った。十中八九、ラブレターだ。
 こんな古風な真似をするような子がいることに物珍しさも感じたけれど、その奥ゆかしさにきゅっと胸の奥が鈍く痛んだ。控えめながらも、きちんとコガのことを好きだと示すことができる女の子がいるんだと、リアルに感じられる。
 こっちは中学の頃から友達という枠に収まりつつの大絶賛片思い中だというのになんてことだ。
 私の焦りを感じ取ったのか、目の前の水戸部が心配そうな顔をして私の顔を覗き込んでくる。一緒に喋っていたらもまた、肘で私を小突いてくる。気付いていないのは浮かれた様子のコガだけだ。ずっとこうやって気付かれていないから、と、気のおけない友人という立場を守ってきた。
 慢心していた、と言われれば否定しようがないが、コガから恋愛感情には程遠い友情のベクトルを浴びせ続けられた私には、意を決して一歩踏み出すということが出来なかった。
「ここで開けんの?!」
「それは、流石にデリカシーがないよ!」
 口篭ってしまった私の代わりに、らがコガへと非難轟々に言葉をぶつける。猫のような目を丸くしたコガは、私に差し向けた手を引っ込め、微かに唇を尖らせた。
「でもさ、もし今日の放課後に待ってます、だったら今すぐ見ないとじゃん」
「だったらせめてひとりの時に開けなよ」
 の言葉に、迷いを見せたコガだったが、やはり気になるのかじっと手元の封筒へと視線を向ける。数秒、思案する様子を見せたコガだったが、振り仰ぐや否や、私へ真剣な視線を差し向けた。
「うー……やっぱり開ける! っ! ハサミ!」
 看護師にメスを、と指示を出す医者を思わせる仕草で手を差し出したコガに、思わず手帳の中からハサミを取り出し渡してしまう。呆れたような溜息は隣から、背後から、正面からと、まさに四面楚歌のような状態で浴びせられた。周囲に生まれた微妙な空気に、もちろんコガは気付いていない。
 持ち運びの邪魔にならない程度のサイズのハサミは、コガの手には小さすぎるようで、15センチにも満たない封筒の端っこを切ることさえも苦戦しているようだ。変わりに切ってあげようかという進言も頭を過ぎったが、私のコガへの淡い想いに楔を叩き込むような封筒であることを思うと、それは憚られた。
「その、コガ……さ」
「んー」
 ちまちまとハサミを動かすコガに掛ける声が自然と震えた。だが、ハサミを動かすことに専心するコガは私を振り返らずに相槌のみ返してくる。
「その子と付き合うの?」
「んんー」
 手を止めずに唸ったコガは猫っぽい口元を引き締め、微かに頭を傾けた。思案する間も小さく切り進める手は止まらない。コガの動向を見守るうちに、ホームルームがの始まりを示す予鈴が鳴り、周囲にいた水戸部や友達たちが席を離れた。幸いなのか不幸なのか解らないが、担任はまだ教室へ入ってくる様子が見られない。
 コガの言葉を待つのが私だけになったことに、ほんの少し心もとなく感じたけれど、ぎゅっと自分の両手同士を握り込めることで不安な感情を堪えた。
「――わかんない!」
 3分の1程を切り終えたところで、要領を掴んだのか、スイスイとハサミを滑らせな始めたコガは悩んだ素振りを一掃し私の質問を投げ捨てた。
「だって、オレ、この子のことまったく知らないし、付き合うならちゃんと仲良くなってからがいいな!」
「そんなに嬉しそうなのに?」
「そりゃ誰かに好きって思われたら嬉しいじゃん」
 そんだけ! とやけに明るい声で言ったコガは、晴れやかな表情で私を振り返る。手元にあった封筒は綺麗に端っこだけ切り離されていて、あとは中から想いを認めているだろう便箋を取り出すだけの状態になっていた。喉の奥に、息が詰まる。
 ――もしかしたらコガに彼女ができてしまうかもしれない。
 頭に浮かんだ考えにごくりとひとつつばを飲む。明日からコガは誰かの彼氏になってしまう可能性を前に、足が竦むような心地を味わう。
 阻止できるとしたら今だけだ。だけど、それは私からコガに告白をして受け入れてもらう以外の道は無く、そもそも教室のど真ん中でコガへの想いをを口に出来る度胸などあるはずがなかった。もし、そんな度胸があるのなら、初めから友だちなんかに甘んじていない。
「ハサミありがと」
 持ち手の方を向けて渡されたハサミを受け取り、うんと、ひとつ頭を揺らした。
 ウキウキとした横顔に、掛ける言葉が見つからない。状況をもう見守りたくない。早く担任が来ないだろうかと普段は考えもつかない祈りさえ抱いてしまった。
 丁寧に折りたたまれた便箋を開き、目を落とすコガにさらに胸の奥に苦い感情が広がっていく。だが、胸躍ると言った言葉が相応だったコガの表情が瞬時に曇る。
 そっと水戸部へと視線を向けたコガは、読んでいたはずの手紙を封筒の中へと戻した。落胆しています、と隠しもしないコガは、手をだらしなく机の下に投げ出すようにして机に突っ伏した。撃沈、という言葉が相応しい行動に戸惑い、躊躇いながらも声を掛ける。
「ど、どうしたの?」
「詐欺だよ……」
「詐欺?」
 詐欺、という物騒な単語に疑問符が頭の中にひしめき合うように生まれる。以前、詐欺師とペテン師の違いをに懇切丁寧に説明されたことがある。頭の片隅でそれを思い出し、手紙の差出人にお金でも要求されていたのだろうかと訝しんでしまう。机に額を押し付けていたコガが、体勢は変えずにこちらに顔を向ける。目元が潤んでいることを思えば、傷ついているのだろうことが推察された。
「……水戸部宛だった。放課後連れて来てって、さ」
「あぁ……」
 簡潔な説明に合点がいく。水戸部の通訳として来て欲しいということか。想いを告げたところで返答が水戸部から聞けないかもしれないとなるとコガは必須だ。と、言っても、是か否かくらいなら水戸部が喋らなくても察しがつくだろうに。お騒がせなやつめ、だなんてワザと頭の中で吐き捨てて沈みきっていた気持ちを持ち上げる。
 思ったより長く詰めていた息を、一息に吐き出す。安堵に塗れた呼吸を恥じて、手の甲で自分の頬を打つ。
「オレの幼気なハートが……」
 半泣きでしょぼくれたコガに、手を伸ばし、そのまま横髪に触れた。私のものよりも幾分かごわっとした感触に、男の子なんだ、だなんて考えてしまう。
「泣かないのー」
 自分で行動したくせにドキッとしてしまったことを隠すため、ワザとコガの髪の毛を乱すように、撫で付けてやる。慰めにもならないだろうに、スンスンと鼻を啜る真似をしたコガはされるがままになっている。数度、手を往復させていると、コガは泣き顔を少しだけ引っ込めて目を細めた。
と一緒にいると落ち着く……」
「そう?」
「オレもにとって、そうだといいのに……」
「コガに癒されたことはないなぁ……」
 正直な言葉を投げかけると、コガは先程より強く、悲嘆をその表情に浮かべる。
「ひどっ」
「仕方ないでしょ」
 苦笑しながら答え、ポンポンと二回、コガの頭の上で手のひらを跳ねさせる。足りなかった言葉は、補わないといけない。コガに彼女ができるかもしれないという事態を今回は回避できたけれど、次は出来ないかもしれない。付き合うなら仲良くなってから、とコガは言った。ならば、これから出会う子達よりも、すでに友達として付き合いのある私の方にアドバンテージがあるはずだ。
 きちんと、私の気持ちがコガに向かっているのだと、少しずつでも示して、ちゃんとした告白に辿りつかせるしかない。
「元気になるよ。コガ、いつも頑張ってるから」
 元気がもらえるというのは嘘じゃない。心からの気持ちだ。元気になりすぎて、コガの調子に合わせてはしゃぐことしかできないことが多いけれど、と小さく苦笑した。
 私の言葉に気をよくしたのか、俯いたままだったコガはガバリと起き上がる。その表情にはもう悲しみの色は浮かんでいなかった。
「そうだよ! 元気があればなんでもできるもんね!」
 フンと鼻を鳴らしたコガは、両腕を頭の横に持ち上げて筋肉を見せるかのようなポーズを取る。それを見て思わず笑みがこぼれた。やっぱり元気なコガっていいな。楽しそうだし、明るい気持ちになれる。
 先程の名残なのか、ほんのりと赤らんだコガの頬を、いつか私が赤く染めてみせるぜ、だなんて心の片隅で誓いながら、私もまたコガと同じポーズをとった。



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