保護中: 英雄03

おれが面倒見てやんないとダメだよ 咲き始める桜と、散り行く桜が交わる季節。近隣の公立中学でもそうであるように、私たちが通う青南中学でも本日、卒業式が執り行われた。 卒業生と、１、２年生の在校生代表、教師、卒業生の保護者が押し込まれた体育館にて行われた式典も既に終了していて、後は最後のホームルームを残すだけとなっていた。 担任が教室へ戻ってくるまでの短い時間は、青南中学の生徒でいられる最後の時間となる。 感傷に浸るように、私は教室の一番後ろの窓から手を出して、そこからの風景を網膜に焼き付ける。 学校を取り囲むように咲いた桜の艶やかさやは勿論、部活で走らされた運動場への優しくない思い出でさえも、胸を締め付けるようであった。 正門の横に立てかけられた「卒業おめでとう」と大きく書かれたアーチは、登校時間にはきちんと正門を跨ぐように掲げられていたはずだが、風に引き倒されたのか、所々薄紙で作られた花飾りを散らせているようで、その無残な姿に卒業を祝福されていないような気がして、少しだけ笑ってしまう。 「ってば、もうそろそろ先生来るよ？」 軽く肩を叩かれて振り返れば、ひかりが頬を膨らませた顔で立っているのが目に入った。 先程まで比呂君やあっくんが式典中に笑って話をしていたのを咎めていたひかりなのだが、どうやらその怒りをまだ引き摺っているらしい。 怒ったような口調ではあるが、それでも構ってもらえることが嬉しくて不意に口元が緩んでしまう。 「ホラ、しゃんとして」 私の腕を引いて身体を起こさせたひかりは、微かに私の目よりも高い位置へと視線を向け、伸ばした腕で風に靡いたままだった私の髪を手櫛で整えてくれた。 「ありがと、ひかり」 お姉ちゃんみたいにされたのが嬉しくて、朗らかに笑って御礼の言葉を述べると、ひかりもまた口元を綻ばせる。 私とは違って、女らしさを浮き彫りにさせたその笑みに、同性の私でも可愛いな、と思うのだから、きっと他の男子から見ればなおさらなのだろう。 様々な方向から視線が向けられるのを感じながら、そんなことを考える。 ミス青南中の呼び声が高い彼女に向けられる男子たちの視線は熱い。 英雄が居るからこそ表立って告白された様子は無かったけれど、やはり卒業式ともなれば別れもひとしおなのだろう。もう二度と会えないかもしれないと思えば、この熱視線も頷ける。 だけど、ダメだよ。私に向けられたひかりの笑顔は、私だけのものなのだから。 「ひかりぃ！」 普段よりも少し甲高い声でひかりの名前を呼んで、ここぞとばかりにひかりを抱き寄せる。 今日は卒業式ということもあり、いろんな場所で女の子同士で抱き合っている様子は見て取れるが、それでも目の前で好きな女の子が同じ女であっても抱き寄せられると言う映像はショッキングだったらしく、それぞれの視線が凍りついたり、たじろいだりするのを横目で捉えた。 こめかみをひかりに摺り寄せたまま、視線を教室の内部へ向けると、何人かの男子に混じっていた比呂君と目が合った。目を丸くした比呂君もまた、私の突然の行動に度肝を抜かれた１人らしい。ザマァミロ、という意図を込めて舌を出して笑うと、口の動きだけで「バカ」と言われた。 「ちょっと。、苦しいよ」 軽く肩を押し返されて、ひかりから身体を離した私は、しゅんと項垂れてひかりの表情を盗み見る。 「嫌だった？」 「バカね、」 比呂君と同じような憎まれ口を叩くひかりだったが、すぐさま腕を引かれて抱きしめられる。 抱きつくと言うよりもしがみつくと言った方がしっくりくるような抱擁は、私が戯れでひかりを抱き寄せた時よりも力強いもので、卒業式という別れの儀式に、ひかりもまた胸を痛めているのだろうということが伝わってきた。 締め付けるような痛みは、回された腕によるものよりも胸に広がるものの方が大きい。もうすぐひかりと、そして英雄と離れてしまうんだ。 考えないようにと封印したはずの感情は、不意に苦々しく甦ってくるから厄介だ。 一度でも脳裏を過ぎってしまうと、寂寥は重く圧し掛かり、容易く考えを打ち消すことが出来なくなる。 誤魔化すようにひかりを強く抱きしめ、彼女の肩に頭を埋めると同時に背後から声が掛かる。 「コラ、そこのカップル」 言葉と同時に、ひかりの背中に回していた両方の腕が掴まれそのまま引き剥がされる。両手を顔の真横に持ち上げられたまま、首を左右に振ってみたが、隣に人の姿が見えなかったので、首だけを捻って振り返ると、そこには微かに唇を引き締めた英雄の姿があった。 息が掛かるほどの距離に、瞬時に頬に熱が走る。 ――不意打ちは卑怯だってば。 英雄は野球部で、スポーツマンの癖して、なんでこんなにずるいのよ。 こんな理不尽なことを思われてるだなんて露知らず、英雄は平然とした顔で私の表情を覗き込むように見下ろしている。 普段ならば抑えきることの出来る感情が表に出てしまうのを厭うて、ひかりから顔を背けるように固唾を呑んで俯いてしまう。 背中から微かに伝わる英雄の体温に身を捩って抵抗することすら出来ずに硬直した私に、英雄は受け入れたとでも勘違いしたのか、腕を掴んだまま私の前に引き下ろし、そのまま私の肩に顎を乗せる。 抱きすくめられたような格好に、私の心臓は面白いように跳ね上がる。 英雄はきっとひかりと視線の高さを合わせるために屈んだだけで、私のことを微塵も意識していないからこその行動だと自分に言い聞かせる。 と書かれた上靴の先を眺めながら、英雄に心音を気取られないようにと、浅い呼吸を繰り返し、ひかりに気付かれないうちに平常心を装った。 意を決して面を上げ、ひかりに視線を向けると、ひかりは英雄の出現にも行動にも驚いた様子も見せず、「ヒデちゃん」とただ朗らかに笑うだけであった。 恋敵だと思われないことに対して、安堵とも落胆ともつかぬ溜息が漏れる。英雄の私への接し方が、あまりにも性差を意識していないものだから、嫉妬する気にもならないのだろうか。 「あんまりイチャイチャするな。いろんなヤツが嫉妬してるぞー」 英雄の言葉に促され、私とひかりが揃って教室の内部へと視線を向けると、確かに複数の男子の視線が外れていく様を目撃してしまう。 同様の反応を取った比呂君の方へと視線を向けると、しきりにあっくんに話しかけているようであったが、時折目を泳がせていて、意識がこちらへと残っていることが傍目から見て取れた。 「ヒデちゃんは嫉妬してくれないの？」 「めちゃめちゃしてるからを引き剥がしたんだろ」 口元を緩めたまま比呂君の様子を眺めていると、私を挟んだままの状態で英雄とひかりが会話を続行してしまう。 会話に割り入ることも出来るのだけど、密着状態の英雄を意識せずに話すことは困難であることは解り切っていたので、口を噤んだまま、再度教室の中心に視線を移すと、今度は刺々しい視線を受け取ってしまう。 それらの視線を向けるのは、英雄のことを好きな女の子たちからのもので、普段は露にされない感情であっても、このように英雄が私に対して過度なスキンシップを諮ると途端に表に出てくる。いくら普段、彼女たちと仲良くしていても、だ。 彼女たちの視線を受け止めて、小さく溜息を吐いた。 確かに、私は英雄と付き合ってるわけではないのだから、ベタベタすることに対して不興を買っても仕方が無い。でも、その視線を私に向けても何も変わらないんじゃないかな。かと言って、ひかりに向けられても困るのだから、甘んじて受け入れるしかないか。 彼女たちから視線を外し、英雄を見上げてひかりに一瞥を投げかける。その表情は幸せそのもので、きっと同じように英雄も笑っているだろうことが簡単に想像がついた。 こんな風に笑う２人が大好きだった。 だからこそ英雄に対する恋心を表に出せない分、身内に燻り続けていた感情を深く募らせてしまったことを、厄介に感じながらも、持て余すことしか出来ないでいて、それに慣れてはいたけれど、心から２人の幸せを喜ぶことの出来ない自分を薄情だと蔑んでしまう。 私はまだ英雄しか好きになったことがないけれど、人を好きになることって難しいのだと初恋から痛感してしまった。私が英雄が好きだというシンプルな感情さえも赦されないことがあるだなんて、出来れば知りたくなかった。 「そうだ。！ プレート、交換しよ」 「プレート？」 唐突なひかりの言葉に驚いて目を丸くし、数度瞬いてみせる。プレート、という単語を心の中で反芻し、自分の制服の左胸ポケットの上に縫い付けられたネームプレートに目を落とした。 「 」と書かれた横に、あくびする猫のシールが貼られたそれは、３年間肌身離さずつけていた物で、普通ならば恋人同士で交換し合うのが流行っている。 それをひかりと私との間で交換しようと言われたことに、内心で首を捻った。 私には彼氏が居ないのだからひかりにあげても問題は微塵も無いのだけど、ひかりには英雄という恋人が居る。 視線を持ち上げて英雄の様子を確認してみたが、ひかりの発言に気にした素振りも見せずに平然とした様子であった。 目が合うと、口元を上げて笑った英雄はそのまま顔を下ろして私の肩に顎を乗せてくる。 より密着されたことに、頬に熱が走りそうになるのを下唇を噛み締めて堪え、背後に居るのは英雄ではないのだと自分に言い聞かせるのだが、鼻腔を擽る嗅ぎ慣れた英雄の匂いに嫌でも印象付けられる。 唇を尖らせ、浅い呼吸を繰り返し、上がりそうになる心拍数を誤魔化しながら正面に視線を戻すと、ゆるやかなカーブを口元に携えたひかりが私の言葉を待つように私を見つめていた。 「……私のでいいの？」 恐る恐る尋ねる私に、ひかりの笑顔が弾ける。 「がいいのっ！」 いつの間にか手にしていた鋏で、プレートを制服に括り付けた糸の２箇所を切り離す。英雄に掴まれたままだった私の手を取ったひかりは、私の手の中に「雨宮 ひかり」と書かれたネームプレートを押し込み、ぎゅっと握らせる。 私が自分の意思で手を握りこめたことを確認したひかりは手を離し、それと同時に英雄もまた私から身体を離し、近くの机に腰をかけた。英雄が移動したことに内心で安堵の溜息を吐き、そのまま手を開いて中のものに視線を落とし、改めてきゅっと握り締めた。 「雨宮 ひかり」と書かれたそのプレートにも、私と同じ猫のシールが貼られている。お揃いで貼ったのは１年の夏休み前で、それを思い出すと同時に駆け抜けて言った中学生活に思いを馳せる。 最初は私と英雄の２人だけだった関係性も、ひかりや比呂君、あっくんが加わって、５人で居ることが普通になった。 たった３年間と言えば、それだけなのかもしれない。だけど、私にとっても、他の子たちにとっても、共に過ごせた３年間を「たったの」とは言えないだけの想いがあるはずだ。 「、ちょっとじっとしててね」 少ししゃがんだひかりが私の胸のプレートに指をかけ、そのまま切り離されるとひかりの手中に収まった。広げた手の平の中をじっと見つめるひかりも、先程の私と同じようなことを想っていてくれるのだろうか。 「…肌身離さず持ってるからね」 手の中に視線を落としたままのひかりにそう告げると、ひかりは微かに頭を揺らすことで応えた。 その横顔を見つめていると、鼻の奥につんとした痛みが走る。 慌てて手の甲で鼻の下を擦り、感情を誤魔化そうとしたものの、プレートを強く握りこめたひかりが微笑みながら顔を挙げ、その目じりに涙を滲ませているのを見つけてしまい、堪えようとした感情が溢れそうになった。 「」 英雄の声に弾かれて顔を上げると、自分のネームプレートを無理矢理に引き剥がした英雄は、私の左手を取り、ひかりと同じようにそれを握りこませた。 「持っとけ」 「え、でも……ひかりには？」 「ダメだ、これはお前にやるって決めてたんだよ」 力強い英雄の言葉と共に、強く手を握られる。手の平に微かに食い込む硬質さは、紛れもなく英雄のプレートが手の中にある証拠で、手を握られていることよりも強く動揺してしまう。 これは英雄の恋人であるひかりを差し置いて、私が持ってていいものじゃない。 ひかりのプレートを貰うことよりも罪悪感を感じるのは、きっと私が英雄のことが好きだから、ひかりよりも優先されてしまうと、期待してしまうとか優越感を感じてしまうとか、濁った感情が沸き起こるのを恐れてのことだ。 そんな私の戸惑いに気付かないのか、気付かないフリをしているのか、英雄は私の手を握ったまま真摯に私の瞳を見下ろす。 「ひかりにはおれ自身が傍にいれるけど、お前はそうもいかないだろ」 「そうよ、。貰っときなよ」 促すような言葉を繋げられたことに驚いて、ひかりを振り返ると、ひかりは真っ直ぐに私の目を見て、少しだけ微笑んでいた。 「お守りみたいなもんよ。しっかりしてるヒデちゃんのプレートが、のことしっかりと支えてくれるから」 驚きに目を丸くした私を落着いた表情のまま見返したひかりに諭されて、私の決心は揺らぎそうになる。別にプレートに何らかの想いが篭っているわけではないけれど、それでも英雄のことを好きでいる私にとって、それは何よりも特別な意味を持つことになるはずだ。 「な、。持っとけ」 英雄が私の手に重ねていた手に、更に力を込める。 あまりの力強さに少しだけ顔を痛みに歪めたが、私を見下ろしている癖に力を緩めることをしない英雄は、きっと私が、うん、と首を縦に振らない限り、この手を離してくれることは無いだろう。 普段は穏やかな男なのに、そういう頑固さが垣間見える時が英雄にはあった。 ひかりの目を見返し、それから英雄を見上げ、唇を噛み締めることで湧き上がりそうになる感情を抑えこみ、それから２人に頷くことで応えた。甘い熱が心を縛り付ける感覚が胸に走る。気持ちは目に見えるものではないけれど、確かにそこにあるのだと存在を主張する。 「じゃあ、きっと、私のプレートを持ってるひかりは落ち着かない性格になっちゃうかもね」 泣きそうになっているのを誤魔化すために、冷やかしの言葉を続けたが、ひかりはちっとも笑ってくれない。 眉根を厳しく寄せて、私を睨みつけるような視線を向けたひかりの目には、今にも零れ落ちそうな涙が溜まりこんでいた。 ひとつ、瞬きをすれば、それは簡単に目から顎へとカーブを描きながら落ちていく。それはひかりに限らず、頬に伝う熱から、私の身にも起っていることを知覚した。 上手に抑えていたと思っていた感情は、一度蓋が外れてしまえば、もう止めることなど出来ない。 今、私の傍にいてくれるひかりと英雄。大切な親友と、大切な幼馴染。卒業してしまえば、今までのように一緒に居られない。２人と離れてしまう。 英雄に対する恋心によって、傷つくことに怯えていた愚かな私は、２人から離れることで生じる痛みに関して、あまりにも甘っちょろい想像しかしていなかったらしい。 今生の別れではない。高校を違えても、休日は一緒に遊べるかもしれない。 手の甲で涙を拭っても、拭っても零れる涙を抑えることは出来ず、俯いて目頭を指先で抓んだところで、その隙間を縫って溢れ出して来る。 「ひかりなら大丈夫だよ」 頭上から降ってくるのは英雄の言葉だけではない。柔らかな手の平が頭を撫で付ける。小さい頃と同じように、泣いた時に慰めてくれるこの手から、離れることしか出来ないのがもどかしい。 「……そうだね」 うん、と首を縦に揺らすことで、英雄の手の平から逃れ、ひかりの方へと一歩踏み出し、流れる涙を拭おうともしないひかりの柔らかな手を取った。 「泣かないでよ、」 私を咎めるひかりの声は、震えていた。気丈なひかりでさえも、泣いてくれているのだと思うと、悲しみとは違う暖かな感情が胸を過ぎる。 「なんで、千川に行くんだ？ お前、なにやらかすかわかんないから心配で仕方ないよ」 英雄の声は、いつもと同じように真っ直ぐだった。先程のように頭ではなく肩を叩かれ、微かに俯かせていた顔を上げると、学ランの袖で涙を拭われる。 ザラついた繊維が痛くて顔を歪めたけれど、その乱暴な優しさが嬉しかった。呆れたように笑う英雄も、少しくらいは寂しがってくれているだろうか。 「比呂君もあっくんもいるから、だいじょぶだよ」 「あいつらもかなりお調子者だからなー。やっぱお前はおれの傍に居て、おれが面倒見てやんないとダメだよ」 鼻声の主張は、軽やかな笑い声でもって否定される。英雄の傍に居てもいいのだと、英雄自身が口にしたことは、甘い誘惑に溢れていた。 それと同時に、比呂君やあっくんがいても、英雄もひかりもこれからはいないのだということを更に深く知らしめる言葉だった。やはり、私が英雄に恋をしたことは間違いだったのだと思い知らされる。 子供の頃から続くこの感情は、一年生の時に既に粉々に打ち砕かれていると言うのに、何故私はまだ英雄のことを諦めきれないで居るのだろう。一途と言うよりも執念深いと言った方が、より近いこの感情に、私は自分自身を愚かだと蔑むことしか出来ない。 もっと早くに、この想いを捨て去れていれば、この先もずっと英雄とひかりの傍で笑っていれたはずなのに。 恋愛ってもっと甘くて優しくて、胸がふわふわとした心地になるはずなのに、どうして辛い思いしか生まれないんだろう。 こんなのはきっと本当の恋じゃない。こんな苦しい思いが、恋であるはずがない。 高校に入れば、英雄を意識しなくなれば、きっと本当の恋に出会えるはずだから、もう少しだけ、英雄のことを好きでいさせて。 すがるような視線をひかりに向けると、ひかりはしなやかな指先で涙を拭って私の肩を掴んだ。 「もうの手を引っ張って学校行けないんだから、桜に見とれて遅刻とかしないでね」 「しないよ」 「ジュース奢ってくれるからって、好きでもない男子とデートもしないのよ？」 私に向けていた視線を左に転じたひかりは、遠くに立っている山口君を睨めつける。 ２年生の夏休み明け、私がジュースに吊られて山口君と一緒にプリクラを撮ったのが学年中に出回り、カップル成立の噂が流れたことをいまだに根に持っているらしい。 今思い返せば懐かしいなとも思える記憶に、口元が緩まり、それと同時に涙が止まるのを感じた。 チラリと視線を転じると、英雄が微かに眉根を寄せて山口君を睨んでいるのが目に入り、それが少しだけ嬉しかった。例え、そこにあるのが嫉妬ではなく、家族のような存在の者に迷惑をかけられたせいなのだとしても、だ。 「しないってば」 流れた涙の後を消すように、タオル地のハンカチで頬を拭うと、ひかりがまた私へと視線を戻す。 「知らない人にもついて行っちゃダメよ？」 「……それは、したことないなぁ」 「だからこれからもしちゃダメっ！それから…」 「まだあるの？そんなに信用ない？」 苦笑交じりで首を傾げると、正面に立つひかりは、少しだけ上半身を傾け、私と額同士をコツンと合わせた。 隣に立つ英雄が「おいおい」と焦ったような声で制したけれど、ひかりも私もお互いに離れることをしなかった。 呼吸が触れそうなほどの至近距離で見詰め合ったまま、私はひかりの言葉を待つ。 「卒業しても、離れてしまっても、ずっと、私たちは友達よ」 ひかりの潤んだ瞳の綺麗さと、その言葉に、私の身体は硬直する。 友達、という言葉が胸に突き刺さる。私の心の大半を占める英雄への想いを、私はひかりに伝えていない。曝け出せない感情を抱えた私は、果たしてひかりの友達として相応しいのだろうか。 「……ダメだよ」 ひかりの肩を押し返す私が、更に否定の言葉を紡いだことに、ひかりは目を見開いて悲嘆を示す。 驚きに涙が引っ込んでしまったような顔をするひかりに、言葉足らずであったことを知り、ひかりを傷つけてしまったと私の胸に槍で貫くような痛みが走った。 確かに私は、この中学生活の中で一番深い部分をひかりに話せていない。 例え、私のすべてをひかりに見せることが出来なくても、それでも私はひかりのことが好きだったし、私はひかりとただの友達であることよりも、それよりも特別な関係を望んでいることは揺らぎようの無い事実であった。 「私は、ひかりとは友達でなく、親友でいたい」 親友という言葉は、生半可な気持ちで使っていい言葉ではない。 ましてや、一方的に宣言するものでもない。お互いを想い合ってこそ初めて成立するものだ。恋人にも似たような関係を望む言葉は、まるで告白のようだと思えた。 「……ダメかな？」 目を丸くしたまま黙り込んだひかりは、一筋の涙を零す。涙を流れる感触が頬に走り、それを拭おうと持ち上げた腕を、ひかりの手が抑える。そのまま力強く腕を引かれ、気付いた時には、ひかりの腕が私の首に回されていた。 「……っ」 「大好きだよ、ひかり」 嘘を吐き続けた私だけど、その言葉には偽りも欺瞞も存在していない。 世界中の女の子の中で、誰よりも、私はひかりのことが大好きだから。 世界で一番大好きな男の子には決して言えない言葉と想いのすべてを、ひかりに捧げたい。それを受け止めてくれることが、嬉しくて、私もまた強くひかりを抱きしめる。 手の中にある２人のプレートは、机の上に並べて飾ろう。２人がずっと傍に居てくれるように。そう思った。