020.思い出す
「試合開始までにつけるといーなあ」
信号待ちに引っかかる度に、隣を歩く姉ちゃんが溜息混じりに言葉を零す。ポケットからスマホを取り出し繰り返される言葉は、もう何度目か思い返すのも煩わしいほどだ。
そわそわと落ち着きのない様子を見せる姉が、男バレの試合が行われるという市内の体育館への道を急ぐ理由は明白だった。誰か目当ての男が出場するのだ。きっとそうだ。
うちの学校の男バレで有名な選手といえば、及川とかいうアイドルエースだ。彼の追っかけを始めたのかと尋ねたら「及川くんは関係ないよ」と否定していた。だが、じゃあ別の男かと尋ねれば「は知らなくていいの」と諭された。
今までバスケに掛かりっきりだったのに、突然男バレに興味を抱き、友達ではなく事情がバレても支障のない妹を連れてくるあたり本命がいるのだと推察するに容易い。受験も控えてるっていうのに呑気なものだ。
バレーを観たい気がしなくて嫌と断ったけれど、姉の半強制的な命令を拒絶できる訳もなく、追撃の「今度肉まん奢るから」という誘惑に負けてついてきた。
「あ、ねぇコンビニ寄っていい?」
道すがら、脇目に入ったコンビニを指差し示すと、ほんの少しだけ前を歩いていた姉ちゃんがこちらを振り返る。
「? いいけど」
「アイス食べたくなっちゃった」
「えぇー……もう11月も目の前だよ?」
寒がりな姉ちゃんは両腕をかき抱くように寒そうなポーズをとり、顔を蒼白とさせる。だが、食べたくなってしまったものは他人に否定されたからといって諦める理由にはならない。どうせ体育館なんて熱気で暑い場所に入るのなら少しでも涼を取っておきたいってものだ。
「まぁいいや。私はポカリでも買おうかな」
「じゃあ、早く行こうっ」
「はいはい」
悠長な様子を見せる姉の腕を取り、小走りで店内に入ると、一目散にアイスの平台のショーケースの前に立つ。カップタイプのものや棒タイプのものなど目移りさせていると、さっさと目当てのものを買ったらしい姉ちゃんが近付いてきた。
「ねぇ、いつまでアイス選んでんのさ?」
「んんっ?!」
「どうしたの? その驚き方」
「いや、なんかデジャヴュが……」
目を瞬かせて、姉を見上げる。きょとんとしたその丸っこい目を見ていると、浮かび上がりかけた記憶が薄れていくのを感じた。姉ちゃんの言葉が耳に入り込むと同時に、猛烈な違和感に襲われたということは、別の誰かと交わした言葉なのだろうか。
唐突に現れた驚きを無視するかのように、今一度アイスの群れと向き合う。目に入った定番のカップアイスが妙に気になって手に取った。
「決めた?」
「え? あ、いや……やっぱりこっち!」
逸る姉ちゃんの声を受け、慌ててバニラ味のそれを元に戻し、ガリガリ君に手を伸ばす。体育館で食べることを考えれば、棒タイプのものの方が食べやすいだろう。
「なら早く買ってきてよー。試合始まっちゃう」
小さい肩掛けバッグからスマホを取り出した姉ちゃんは時刻を確認しながら私を促す。それに頷いて返し、レジに向かおうとしたが、不意に足がその場に縫い止められる。
なんの変哲もないバニラ味のアイスに後ろ髪を引かれるような思いがする。自分で好んで買ったことなどほとんどないのに、どうして。
今一度、ショーケースに視線を戻し、先程のカップアイスと同列に並ぶカップを視線でなぞっていると、別メーカーのデザインが目に飛び込んでくる。
同時に、そのカップアイスを手にしたまま固まっていた陰鬱とした少年の影を思い起こさせた。
「あぁ、そっか」
バレーって聞いた時にもやっとしたのは、あの男子のせいだ。昨年の夏の記憶を思い起こす。苦虫を噛み潰したような横顔は、忘れていたのが嘘みたいにくっきりと脳裏に蘇ってきた。でも、それだけじゃなかったはずだ。
アイツが、私に見せた表情はもう一つ、あったはずだ。
「、もうそれ買ってあげるから行くよ」
姉ちゃんの声に、辿り着きそうだった記憶が分断される。顔を上げるよりも早く、私が手にしていたガリガリくんを取り上げた姉ちゃんはサクサクとレジでお金を支払い、また私の元へと戻ってきた。バーコード部分にシールが貼られたそれを私に持たせ、腕を引かれる。手を引かれるままに歩きながらも、じっとガリガリ君の袋に目を向ける。
小さく溜息を吐き出すと、あの日、同じように溜息を吐きこぼした少年の姿が脳裏に鮮明に呼び起こされた。
彼の姿が目に止まったのは、偶然なんかじゃなかった。
茹だるような真夏の日差しを避けてコンビニに逃げ込んだ私は一目散にアイスの並ぶショーケースへと走り込んだ。急に涼しい場所に入ったため、汗が冷えてはいけないとタオル地のハンカチを頬に押し付ける。
ふぅっと一息を付いて一番最初に目に入ったのは、胸が躍るような色とりどりのパッケージではなく、黄色いバニラカップを手にした男子の姿だった。
彼の顔は、何度かこのコンビニで見かけたことがあるものだった。シャー芯切らしたとか、不意に夜に買い物に来た時なんかに見かけて、同じクラスの男子だろうかと一瞥し、見たことのない顔だと思ったのが最初で、その後、数度続けばいつもの知らない人だと思うくらいには見知った顔だった。
大きいバッグを肩にかけて窮屈そうに平積みになったジャンプを拾い上げる姿を何度か見たが、こんな風に暗い雰囲気を纏っていたことは一度もなかったはずだ。
もう選んだのかな?そう思い、彼の隣に並んでアイスのパッケージを見比べる。クラスで話題になった新商品はあるだろうか。キョロキョロと視線を彷徨わせたが、名前は知っているものの外装がどんなデザインなのかわからないため見つけることができない。
――と、いうよりも。
チラリと視線を右上に向ける。先程目にした時と寸分違わぬ様子でカップに視線を向ける男子と、視線がかち合うことはない。
無遠慮にもまじまじと彼の顔を見つめたが、私どころかアイスのカップさえも目にしていないように思えた。
「ねぇ、いつまでアイス選んでんのさ?」
煮え切らない彼の態度が気になって、思わず声をかけてしまう。小さく目を見開いた彼は、ぎこちなく私に視線を向け、戸惑いをその表情に浮かべた。
「買わないんなら退いてくれる?」
見ず知らずの相手に掛ける言葉にしては余りにも無慈悲すぎる追討ちに、あぁ、と力なくつぶやいた彼はのろのろとショーケースの前から退く。
元気のない様子でレジへと向かった彼の背中を目にし、ぐっと喉の奥に力を込める。覇気のない様子がたまらなく惜しい気がしたのだ。手直にあったガリガリ君を手にし、隣のレジで会計を済ませ、彼の背中を追いかけた。
「ねぇ、ちょっと」
声が耳に届かなかったのか、はたまた自分が声を掛けられていたとは微塵も考えていないのか、彼は振り返らずに緩やかな足取りで立ち去ろうとする。
逃がしてたまるか。思うと同時に手が出ていた。彼の背中の白いシャツを掴むと、流石に彼は立ち止まった。
吃驚したように目を丸くした彼は、私を見下ろして、目を数度瞬かせた。
「え? ……と、なに? どうかしました?」
「ちょっと、一緒にアイス食べようよ」
「へ?」
「あ、や。変な意味じゃないから」
掴んだままだったシャツを手放し、手のひらを翳して待ったをかける。顔は背けながらも意識は彼に向けたまま離さない。
「……えっと、はぁ……わかりました」
渋々とは言え、承諾するかのように頭を縦に揺らした彼に、少しだけ気持ちが膨らんだ。早速、とばかりに彼の背中を押しながら近くの公園へ誘導する。幸いにも木陰に設置されたベンチが一つ空いていて、二人並んでそこに腰掛けた。
ビニルの包装を破り、アイスに噛み付く。シャリとした食感と冷たさに、上がり始めていた体温が抑えられるような気がする。チラリと横目で観察すれば、彼もまたアイスと向き合っているさまが見て取れた。咀嚼するまでもなくさらりと溶けたアイスを飲み下し、声を絞り出した。
「えっと、……お、あ……キミ?」
お前やあなたというのが憚られて、思わず気取った口調になってしまう。声をかけたくせについ視線を逸らしたのはせめてもの抵抗だった。姉ちゃんの口調が移ったといえばそれまでだけど、無駄に恥ずかしくて仕方がない。
「あ、あぁ。俺、縁下。縁下、力」
チラリと顔を見上げれば、視線がかち合う。それで察しがついたのか、彼は自分の名前を名乗った。
縁下。呼びかけるのになんか長ったらしい名前だなと失礼なことを考える。下の名前の方が呼びやすそうだと思った途端、口が先に反応していた。
「じゃあ、力――チカはさ」
「んんっ!?」
「あ、私、ね。。青葉城西、1年」
眠たそうな目を丸くした彼――チカの衝撃を無視して言葉を繋げる。小さく肩を落としたチカから諦めたという言葉が滲み出しているようだった。
「たまに見かけてたんだよ、チカのこと。同い年くらいだな、でも学校違うなって」
そんなにしょっちゅう見かけたわけじゃなかった。多分、月に数度くらいの感覚で、数にしてみれば両手でやっと足りなくなるくらいのものだ。
話したことは一度もなくて、でも視線が交わることがなかったわけじゃない。
「俺も……さんのことは知ってたよ」
ポツリと言葉を零したチカは、そのまま口を噤んだ。じっと彼の横顔を眺めて待ってみたが唇が動くことはない。淡々と事実だけを告げたチカは、先程と同様に胡乱な視線を地面に落とすのみだった。蟻一匹見つからない地面に、何かを見出すわけじゃないのだろう。じくりと痛むほどに暑い日差しに負けまいと、もう一度アイスに噛み付いた。
今日コンビニで見かけて、こうやって連れ出したのは、思いつめたような表情を浮かべたチカを放っておけないと感じたからだ。
気まぐれといえばそれまでだ。だけど実際、手が伸びてしまったのだからしょうがない。
「なんで、そんな顔してアイス選んでたんだ?」
ムッとしたのか口元を引き締めたチカに、怯むことなく向き直る。交わった視線は、これまでコンビニで偶然向けられた視線とは全く質が違った。
尖った唇を解いたチカは訥々と言葉を零した。時折言葉を詰まらせながらも告げられた話を要約すると、厳しい監督の元でのバレーがしんどくて逃げている、というものだった。
「部活サボってることに、違和感というか…罪悪感があるっていうか」
大きく肩を落としたチカは、いつしか手にしたアイスのカップからそれを掬うことを止めてしまっていた。じわりと表面が溶ける。柔らかなバニラが、チカが既に食べて出来た空洞を侵食する。その様子が、なんだかとても歯がゆかった。彼の話の内容も相まって、一層強く、印象づけられる。
「スイマセン、なんか見ず知らずの人に」
「いや、別に……本当に言いたいことって、事情知ってる人には言いづらいこともあるっしょ」
曖昧に笑んだチカの言葉は、単純な後悔だとか未練だとかとは違って聞こえた。釈然としないのはそれを感じ取ってしまったからだ。
真っ直ぐに、正解の道ばかりを選べるわけではない。だけど自分で捨てたくもないものを、解っているのに諦めかけているチカが、もったいないと思った。
ぐっと喉の奥が詰まる。友達でもない、たまたま居合わせただけの相手に説教まがいのことが出来るはずもない。ただ、頑張って欲しいと背中を押すような無責任なことも憚られる。
なにか、彼の気持ちを楽にできるような言葉はないんだろうか。
「やりたきゃやりゃいーし、やりたくなきゃやんなきゃいーさ」
探して、探して、やっとの思いで見つけた言葉は投げやりとも聞こえるようなものだった。なにかもっと良い言葉はなかったのか。両手を眼前に持っていき後悔に呻くと、ひんやりとした感触が額に触れる。なんだ、と視線を上げると、持ったままだったアイスの冷たさが近づいたせいであったことを知る。
あ、と思いついた途端、またしても自然と唇が開いていた。
「じゃあさ、これに賭けてみる?」
「え?」
「アタリが出たら戻る。ハズレが出たら戻らない」
提案してから、いささか分の悪い賭けだと気付く。隣に座るチカが目をまんまるにして驚いているのだから、その懸念は間違いではないはずだ。
「それだいぶ偏ってないかっ?!」
「まぁ、いいからいいから」
この日一番の大きな声を出したチカをいなし、しゃくしゃくと食べ進める。憮然とした表情で私を眺めていたチカは、小さく溜息を吐き出して、だいぶ溶けてしまっているアイスを掬い始めた。
冷たいものを急に食べたことで起こる頭痛を手のひらで誤魔化しながらもアイスに噛み付いていると、不意に歯にアイスの棒が当たる。
「お」
「ん?」
乗り気ではなかっただろうに、結果が出れば気になるのか、チカもまた動きを止めて私の動向を見守った。口から引き抜いてアイスを眼前に翳す。何も書いていないことを確認し、まだ文字が見えるような場所ではないのだろうかと裏返す。
「うわ……」
「ど、どうした?」
「当たった……かも」
「え、本当に?」
軽く私の方へと頭を傾けたチカに合わせて、私もまた彼の方へと体を寄せる。
見せつけるようにして、掲げたアイスの棒には「1」とだけ書かれていた。まだ確証を得たわけではない。先を望むようなチカの視線を受け、一度頷いて、また再度アイスを食べ進めた。
全部食べきってから改めて確認すると、先程予告したとおり、そこには「1本当り」と、書かれていた。
確率なんて知らない。でも10本や15本に1本だとか、もっとそれ以上に出ないはずだ。賭けても負ける可能性が高い。それでも勝ちを引き寄せたことで、スっと胸の奥に安堵のような感情が流れ込んできた。
「縁起いー……」
呟いた私の言葉に、チカは頷く。チラリと視線を向けると、放けたような表情でアイスの棒を見つめていた。
* * *
「、着いたよ」
引かれたままだった腕を揺すられる。姉の言葉を受けて視線を巡らせれば、彼女の言うとおり、目的地であった体育館へ辿り着いていた。
チカの記憶を掘り起こしていたことで、ぼうっとしていたのを気にしているのか、姉ちゃんが私の目を覗き込むように顔を寄せてくる。
「元気ないけど、疲れた?」
「んーん、平気だよ」
何気ない会話を交わしながらも、チカのことが頭を過るばかりだった。そういや、あの後コンビニではち合わせることもなかったな。何回か時間変えずに通ったんだけど、と思いつつ、苦笑する。
気にしているのは私だけなのだと、諦めて忘れてしまっていたのか。なんか片想いみたいだなぁ。
自虐的なことを思いつつ、またひとつ溜息を吐きこぼした。すっかり忘れていた記憶も一度蘇ってしまうと、もう1年以上前の出来事なのに、こんなにも鮮やかに思い出せる。
事情も知らないくせにお節介を焼いてしまったことは少なくない。だがその相手は身内である姉や、友達相手のみで、チカみたいに見ず知らずの相手を対象にしたことはない。妙に後から気まずさを感じてしまうのは何故だろう。
まぁ、いいさ。今日まで会わなかったんだ。もうきっと、会うこともないはずだ。
「よかった。まだ試合始まってないみたいだ」
階段を上り、観客席へと着いた姉ちゃんは安堵の息を吐きながら、周囲を見渡す。程なくして少し離れた場所にいる青葉城西のメンバーを見つけて、嬉しそうに手を振り始めた。
私が手近にあった席に座るのと、姉ちゃんが着ていたコートを私の隣の席に置くのはほぼ同時のものだった。
「ちょっと私、向こうに行ってくるから、荷物預かってもらってもいいかな?」
「あいよー」
「アイス、こぼしたらダメだよ」
「へーきへーき」
バタバタと運動靴を鳴らして急ぐ姉の背中を見送り、先程買ったばかりのアイスの包装を破る。いつもと変わらないサッパリとした味を噛み締めながら、漠然とした視線をコートに落とした。
バレーかぁ。チカも居たりするのかな。って、チカってどこの学校だったっけ。
思い出したばかりというのもあって、イマイチ記憶がきちんと結びつかない。そもそも高校がどこか聞いたか全く覚えがなかった。
何回かコンビニでジャージ姿のチカを見かけたことはあったはずなんだけどなぁ。
足を組んで、その上で頬杖をつく。首を捻ってみても、記憶が閃くことはなかった。
思い出せないものにすがりついても仕方がない。気を取り直して、再度アイスへと向き直る口元へと運ぶ。その、瞬間だった。
「サッ 来ォォオい!!!」
唐突な叫びにアイスを取り落としてしまいそうになる。
恨みがましい目で声の主を探すために、階下のコートへと視線を伸ばすと、真っ黒なユニフォームの男子の姿が目に入る。
不意に、カラスが、飛んだ気がした。
室内において、そんなわけがないと頭を横に振るう。改めて、コートの中へと視線を向けると、その中のひとりの横顔が、先程思い返したばかりの陰鬱とした表情と重なる。
「あれ」
一瞬、重なった面影も、まばたきをした途端、彼の力強さに簡単に上書きされる。ギラついた表情は、相手チームに負けじと戦う、男の姿だった。
「よっしゃ!いいぞ!力ぁ!!」
力、という呼びかけに視線を横に流せば、金髪のファンキーなお姉さんがメガホンを振り乱しながらコートの男子へと声援を向けている姿が見える。
チカと思しき男子に視線を戻せば、彼が労いの輪の中心に居ることに気付いた。顎や腕にに擦ったような傷があるのを目にし、チカがコートに体全体をぶつけるかのように滑りこんださまを思い返す。
――あんな風に、一生懸命になれるやつだったんだ。
ぼうっとしてアイスのほとんどを溶かしてしまったトロ臭さなんて微塵も感じさせない。一端のスポーツマンらしい力強い熱を体全体から迸らせていた。
チカの熱に触発されたのか、胸にじんわりとした暖かさが広がる。満たされていくような想いは、喜びによく似ていた。
試合の行方を眺めながら、じっと彼の姿を目で追ったが、今、試合に向かい合うチカと、二階席にいるだけの私の視線が交わることはない。それだけで、チカが真剣に試合に向き合っているのだと知る。あの時、投げ出そうとしたものをもう一度、チカは掴んだのだ。
食べかけのアイスをしゃくりと食べる。チラリと棒の先端に視線を向けてみたが、そこには何も書かれていなくて、それだけで食べ終える前に外れたことを認識する。
やっぱり、普段は外れるんじゃん。小さく、溜息を吐き出したものの、そこには外れを嘆くような気持ちはなく、妙に清々しい気持ちが胸を満たしていた。
顔だけは見知った相手だった。けど口も聞いたこともなかった。たった一度だけ、一緒にアイスを食べた。それだけの交流とも言い難いほど希薄な関係だ。それでも――。
ゆるりと口元が綻ぶ。アイスで冷たくなったはずの口の中がいつになく熱い理由を追い求めず、少しだけ水っぽくなった鼻を啜る。
――元気そうで、良かった。
歓声の真ん中で誇らしげに笑うチカを眺めながら、心の底から、そう思った。