岩泉 一01

王子なんかじゃない


「あ! ねぇ、岩ちゃん! アレ見てよっ!」
 昼休みに入り、いつものように隣のクラスからやってきた及川と昼飯を食っていると、唐突に及川が非難の声を上げる。3つめのおにぎりを口に運ぶ手を止め、手元に落としていた視線を及川に向けた。
「あ? んだよ」
 どうせまたくだらないことを言い出す予感はあったが、特に遮って話すことも無いので続きを促す。だが、及川の視線はこちらへ戻ることなく教室の端に向けられたまま動かない。
がまた女の子侍らせて調子に乗ってる」
 及川の口上に「」という名前があがることは珍しくない。
 憎らしげにブスくれた表情を曝け出した及川の視線を追って、教室の隅へと視線を伸ばせば、及川が揶揄した通りの光景を目の当たりにする。数人の女子に囲まれたはニコニコと機嫌良さそうに笑っていて、現状を楽しんでいるのだと察しがついた。
 蟻に集られた飴のように女子が群がるその中心には居て、スラリとしたヤツの手のひらがひとりの女生徒の頭上で跳ねる。それと同時に黄色い声が教室内に響いた。
「ずるいー。くんっ!私もっ!」
「次は私の順番だよー!」
 きゃっきゃと弾む軽い声とは反対に、身近から唸り声が聞こえた。その音の発信源に視線を戻せば先程以上に唇を尖らせた及川の顔が目に入る。面白くなさそうな顔に溜飲が下がるような想いもあったが、それ以上に辛気臭さを感じられずにはいられない。
 俺から言わせれば、お前だって昼休みに入ってすぐに調理実習でマドレーヌ作っただとかで別クラのやつやら下級生やらと手厚いアピールを受けていたくせに、何を羨む必要があるのかと問い質したいくらいだ。
 どうせ、のそばにいる女の中に前の彼女が含まれていることが気に入らないだけなのだろう。バレー優先で構ってくれないだとかしょうもない理由でフラレたらしいけれど、そんな相手に対しても執着をするほど好きだったわけでもないくせに、手から離れれば惜しいと思うのか。
 よくわかんねーな、と止めていた手を口元に運び数度咀嚼する。中心に入った梅干の酸っぱさに眉を顰め、アルミホイルの中に種を吐き出す。口の端についた米粒を舐め取りながら、口の中の衝撃を紛らわせようと及川の後頭部に拳をぶつけた。
「痛いっ!」
 瞬時に上がる声は聴き慣れたものだった。同じく見慣れた情けない表情を取った及川がこちらを振り返り「あんまり暴力的だと女の子に嫌われちゃうよ」だなんて余計な口を叩くものだからもう一発殴るかと拳を掲げる。それを往なすかのように手のひらをこちらへ差し向けた及川の様子に、握りしめた拳を開いた。フンッとひとつ鼻を鳴らして、手に残ったおにぎりを頬張る。
「女子相手にみっともねぇ嫉妬してんじゃねぇよ」
「だって……」
 そう。女子だ。及川がライバルと言わんばかりの態度を取り、女子に囲まれて王子のように崇められるはれっきとした女子だった。
 入学時分は「ちゃんって凛としていてかわいいよね」だなんて俺に同意を求めるほどに好意的だったくせに、自分の領分を侵食するだけの魅力を持つに対していつしか及川は敵愾心を持つようになっていた。だがそのライバル認定されたはというと何も考えてないようなチャラけた笑みで及川に応対するものだから、及川はますます煽られたかのように態度を硬化させる。
「俺に向けられてた視線がにも向けられているのが納得いかない……王子は俺ひとりでいいのに……」
 口惜しそうに唸る及川は親指の爪を噛む仕草を取る。三下みたいだぞ、とからかってやろうかと思ったが無駄に反論されたらまた殴ってしまいそうだと思い直し口を噤む。別に殴ってもいいんだけど、それでまた騒がれるのが煩わしかった。
 しかし、モテる奴の考え方はわからないものだ。大多数の女にちやほやされるよりも、惚れた女一人に想われる方が断然いいだろうに。
 及川は馬鹿だから仕方ないと言えるが、も及川と同じように女子に囲まれてヘラヘラしているのを見れば一人でも多くの女に囲まれていたいのかと訝しんでしまう。
 じっとの様子を眺めていたが、やはり他の固まっている女子の集団とは違うように見える。だけが特別で、と喋りたいがために女子が集っているとしか思えない。おにぎりを飲み下しながら、を観察を続ける。はスラリとした体躯を持ち、華やかな表情を浮かべれば目が吸い寄せられるだけの魅力がある。その他にも性格だとか、態度だとか。理由はいろいろあるのだろうが、どれも申し分ないものをが持っているからこそ成せるワザというやつなのだろう。
 女子に向けていた笑顔が、不意にこちら側へ差し向けられる。観察するような視線を向けていたせいで、さすがに気づかれたらしい。俺と視線を合わせたは、戸惑うような仕草も見せず女子に向けたものと同質の笑みを浮かべ、こちらへと向けて手を掲げる。人懐っこく鮮やかな笑顔に毒気が抜かれるようだった。毒気といったところでほとんどが及川への苛立ちによって生まれたものだったが、別に及川が嫌っているからといって合わせて俺も態度を悪くさせる気は更々ない。実際、が王子だなんて言われて調子に乗ってると思ってるのは及川くらいだしな。
 のように上手く笑える気がしなかったため口元は引き締めたままだが、手のひらだけを応えるようにに向けると、は緩やかで綺麗なカーブを口元に浮かべた。

* * *

 放課後、部活を終えて、テニス部の女子たちと飯を食いに行くのだとホイホイついてった及川は気にせず、他の部員たちと帰路に着いた。道中、コンビニで漫画を立ち読みして帰るだとかバスに乗るだとか各々の都合に合わせて道を別れ、集団だった和が解ける。
 比較的家の近い金田一たちと固まって歩いていたが、ふと、前方に見知った顔があるのが視界に入り、思わず足を止めてしまう。
「岩泉さん?」
 少し先を歩いていた金田一と国見が、足を止めて不思議そうな顔で俺を振り返る。目の端にその様を見てとった俺は、一瞥を二人に投げかけ、また歩みを進めた。
「あぁ。気にすんな。……ちょっと知り合いがいたから」
 煮え切らない言葉を無駄に追求されないのは先輩の特権と言うやつかもしれない。気になったような表情を取った二人だったが、特段そこに着目して話を続けられることはなかった。そのまま今日の部活の話や、ラーメンでも食いに行くかだとか他愛のない会話をしていれば、遥か前方にいたはずの女子の集団に近づいていく。
 女子の歩くペースと俺たちのそれが等しいわけではないのだからそれも当然か。近付けばそれだけ、彼女たちの話す情報が増える。別に意識して聞いているわけでもないのに、妙に甲高い声による彼女らの言葉は金田一たちのものよりも強烈に飛び込んできた。
くんと離れるの悲しいよー」
「まだ一緒にいたいなー」
 名残惜しむような声での服の裾を掴んで帰りたくなさそうな仕草を取る女子どもの姿が、及川の周囲に集っている集団とダブる。この場に及川がいたらまた昼のようにみっともなく嫉妬の言葉を並べ立てるのだろうなとぼんやりと思った。
「ごめんね、私もみんなと一緒にいたいんだけど……あまり遅くなると君たちの帰り道が心配だから」
 彼女たちを宥めるの甘い声がやけに耳に残る。こそばゆいような感じがして耳の裏を人差し指で掻いてみたが、その感覚から逃れることは出来そうにない。
 教室で見かけた時よりも一層目を引くのは、夕日に照らされたの表情が本当に残念そうなものに見えたからだ。嘘偽りのないものに感じさせるから、及川がした時みたいに苛立たないのだろうか。似たような光景に対する評価を漠然と考えていると、を取り囲んでいた和がほんの少しだけ解ける。
「送ってあげられなくてごめんよ。また明日」
 ひとりひとりの女子どもに笑みを返したは、彼女たちを送り出し、その背中を見送る。先の角を曲がりきったのか小さく頷いたは満足そうな顔をして自分の帰路に足を踏み出した。
 颯爽と歩き始めただったが、信号に差し掛かると同時にライトが点滅する。
 ――あ。

 呼び止めなければ、去ってしまう。思うと同時に、別に用事なんて何もないけれど、咄嗟に唇がの名前を紡いでいた。
 呼びかけも虚しく、は俺の声に気づいた素振りを見せない。だが、初めから信号を駆け足で渡るつもりが無かったのか横断歩道の手前で彼女は足を止めた。
 緩い息が唇から漏れ出す。胸を撫で下ろすかのような息遣いは安堵によるものによく似ていて、意識した途端グッと喉元に力が入った。腹の奥に熱を感じて、手を当てる。誤魔化すように肩にかけたカバンの紐を正し、の背中を見つめる。凛とした彼女の背中が揺らぐことも、こちらを振り返る様子も見られない。ただ立っているだけなのに、毅然としているように見えるのは、ただ単に背筋が伸びているからだけではないように感じた。
 声を掛けてみるか。そのまま放っておくか。取り立てて仲がいいわけでもないけれどクラスメイトではある。希薄すぎる関係に遠慮してしまう自分に違和感を覚えたが、なぜかに対して簡単に踏み込むことが憚られた。
 王子扱いされてるに気後れを感じているというよりも、俺の中で女子に祭り上げられているヤツといえば及川で、及川のように雑な扱いをしないようにと気づかぬうちにセーブしているせいなのかもしれない。
 数歩で追いつく。ちらりと視線を信号気に向けたが赤い表示が都合よく変わる訳もなく、小さく息を吐いた。
「……ヨォ」
「やあ、岩泉君」
 ぎこちなく話しかけた俺とは違い、まっすぐな視線で俺の目を射抜いたは爽やかな笑みを浮かべた。
「君も部活の帰り? 遅くまでお疲れ様」
「おぉ。お前もな」
 ひとつ頭を揺らして応えると、の視線が俺から離れ、背後へと伸びる。その視線の動きに合わせて俺もまた振り返ると、黙って後ろを歩いていた二人の姿が目に入った。
「後ろはバレー部の子?」
 後輩なのだろうとあたりをつけたのか、が金田一や国見に視線を合わせる。口元に仄かな笑みを携えたに反して、金田一は少しだけ緊張したような面持ちを見せた。知らない先輩に対してでも畏まるのは運動部のサガというものだろう。
「こんばんは、です」
「あ、はい! 金田一です!」
「……国見です」
 それぞれが会釈してみせたのを確認したは口角を上げて頷き、また俺へと視線を戻す。
「それじゃ、岩泉君また――」
「岩泉さん」
 の明朗とした声に、国見の声が被さる。同時には口を噤んで国見を振り返った。俺もまた国見に視線を向けると、国見は手にしたスマホを操作しながら訥々と言葉を繋げた。
「俺たち、やっぱり腹減ってるんで……近くでラーメン食って帰ります」
「……あぁ、解った。じゃあな」
 居心地の悪さを感じたのだろう国見は、金田一を肘で啄いて促し、軽い会釈を残して先程の女子たちが曲がった角へと吸い込まれていった。ふたりの背中を先程ののように見送り、視線を戻さないままに口を開く。
「……んちってどっち?」
「うん。この道真っ直ぐ行って、大通りでたら右のコンビニのすぐ近くだよ」
 視界の端に、が身振りを交えて道を示すさまが映り込む。表情は見えないが不意の質問を不思議に思う様子は声から感じられない。
「じゃあ、途中まで一緒に帰るか」
 唇を引き締めたまま、言葉を繋いだ。もののついでだ、と軽い気持ちで発したはずなのにいやに緊張してしまう。耳の奥が痛い。つばを一つ飲みこんで緩和させようと努めたがちっとも楽になった気がしない。頬骨のあたりにの視線を感じる。彼女の瞳が真っ直ぐにこちらへ向かっているのだろう。イエスかノーか。審判のくだらない言葉にこれ以上惑わされたくない。グッと喉の奥に力を込めて視線を横に流し、に視線を向ける。
 憮然とした様子の俺を微かに見上げたは、涼やかに笑った。 
「喜んで」
 軽い言葉が耳に心地よく馴染む。案外すんなりと頷いたは、女子共に誘われなれているからなのか、何一つ動じた様子を見せない。
「それじゃ、行こうか」
 言いながらはその長い脚を帰路に向け、また俺を見上げた。肩に掛けた鞄の紐を整えながらの隣に並び、断られなかったことに安堵の息を吐き出す。及川がいなくてよかったと、頭の片隅で思った。
 普段よりも狭い歩幅で、と並んで歩く。景色が違って見えるのは、普段ガタイのいい男としか歩かないせいなのか。居心地の悪さを感じながらも、その新鮮さは決して嫌なものじゃなかった。
「今日の昼休みさ」
 不意にが会話を切り開く。前方に向けていた視線を横に下ろせば、軽く顎を持ち上げて俺を見上げると視線がかち合った。
「何かあった?」
「……あ?」
「珍しく岩泉君が私のことを見ていたから、少しだけ気になって」
 の言葉に、昼休みのことを思い返す。すんなりと記憶に結びついたのはその際向けられたの笑顔で、同時に及川のバカが唸る声が耳の奥に反芻される。
「あぁ。気にすんな。ちょっと及川がクソみたいなこと言い出しただけだ」
「あぁー…及川君か…」
 俺の言葉に苦笑いを浮かべた彼女は、思い当たるフシがあるのだろう。首の裏を掻きながら眉を下げ、困っているのだという様子をありありと見せつける。
 及川の性格を思えば、に面と向かって調子に乗んなと言いに行きかねない。童話に出てくる意地悪な継母じみた台詞を抜け抜けとにぶつける及川が簡単に思い描かれるのは長年の付き合いによる経験則が導き出すものだ。幼馴染の非礼を詫びるべきか考えたが、あいつの知らないところで尻拭いをすることが腹立たしくて、その考えを一蹴した。
 及川といえば、だ。歩けば女子に取り囲まれ、笑えば黄色い声が飛び交うような立場に居るくせに不満を抱える及川の方が調子に乗ってるとしか思えない。女の子が大好きだとなんのてらいもなく豪語するヤツが敵愾心をぶつけるはどうなのだろうか。コイツもやはり女子に囲まれて優越感に浸ったりするのだろうか。
「一個聞いてもいいか?」
「もちろん」
「お前も女が好きなのか?」
 思いつくままにぶつけた問いかけに目を丸くしたは、眉を寄せ、空気を吹き出した。手の甲で口元を隠して笑うさまさえも、どこか品があるように感じてしまう。だが、そんな好印象を抱いたところで笑われたことには変わりない。
「……んな笑うなよ」
「いやあ。ごめんよ」
 謝罪を口にしながらもまだ笑いを引っ込めないを非難するがごとく、口元を引き締めて睨みつける。歯を見せながらも残った笑いを収めようと努めるは目にかかりそうな前髪を指先で流し、俺を見上げる。
「本当に岩泉君はストレートだなあ」
「直球の何が悪い」
 思いついたことを考えなしにぶつけることはないのだからいいじゃないか。顎にシワができるほどに口元をへの字に曲げ、不服であることを全面に押し出す。俺を見るの表情は解けたままだが、そこに嫌味ったらしさは感じなかった。
「で、どうなんだよ」
 改めて、質問を投げつける。言いながら頭の片隅で否定して欲しいからこその質問なのだと薄々勘付いていた。俺の真意に気づかないは少しだけ眉を下げ、口元を仄かに緩めた。
「別に、そういう趣向は全くないよ。女の子たちもそれは望んでいないだろうし」
「ハァ?」
 からの「そうでない」という言葉は望んだものだった。だが後半に繋げられた言葉が解せない。あんなに崇めたてるかのようににまとわりつく女子どもは、及川のそばにいるそれと同種のものに見える。そいつらはいつだって「あわよくば」を狙っていて、も当然その対象にされているのだと思っていた。
 両手の指を組んで、前方に向けて腕を逸らしながら伸びをするは、そのまま両手を首の裏に持って行き頭を後ろに傾ける。どこか幼い子供を思い起こさせるその仕草は少女というよりも少年らしさを強調していた。
「及川君が面白くないのもわかるんだ。私のこと君って呼んでくる子は前は及川君にべったりだった子が多いからね」
「及川が叶わなかったから、ってわけか」
「そうだよ」
 あっさりと肯定したは、目を細める。寂しげな印象を与える目元に、続けるべき言葉が繋がらない。
「私が同じ女で、本気になって恋しないからこそ誰かと共有しても気に触らない。だから大手を振って好きだと言えるし、私がほかの女の子と仲良くしていても怒ったりしない。ストレートな擬似恋愛が楽しめるってわけ」
 組んだ手を解いたは、肩に掛けたカバンの紐を直しながら制服を整える。眉にかかる前髪を流して、ちらりと俺を見上げた。
「そんなもん。なんの意味があるんだよ」
「本気の恋愛は綺麗なだけじゃ終われないことが多いからでしょ」
 はあっけらかんと言ってのける。空いた口がふさがらないとはこのことだ。不毛だ。めんどくさいなんてものじゃない。呆れて言葉を口にすることも億劫な気分になる。
「しょーもねぇ……」
 色々思うところはあったが一番的確な俺の心情を口にすると、はクスッと笑った。歯を見せて笑うさまに、少しだけ心が軽くなる。
「私が彼氏役をすることで僅かでもみんなの気持ちが楽になるのなら嬉しいよ」
 眉を下げながらもニッと笑ったの言葉に嘘は含まれていなさそうだ。思い返してみればは彼女たちに対して恋愛めいた言葉を言うというよりもただひたすらに優しい言葉を投げかけていただけだとも思える。
 王子のように扱われる彼女が、それを笠に着て尊大な振る舞いを見せた様子はなかったのがその理由だ。及川のようにちやほやされたいだとか軽薄な考えでもって女子を侍らせているのではないと信じたいだけなのかもしれないが、そう感じていた。
 教室で見かけるはいつだって、女子だけに限らず、男子や教師に対しても丁寧な接し方をしている。先程の金田一たちに対する態度も思えば気の利いたやつだと思える裏付けとなった。
 王子として擬似恋愛に浸らせることが、にとって友を慰める手段ということなのだろう。難儀なやつだ。なまじ顔がいいばかりに望まない立ち位置に収まることしかできなかっただなんて。
「でももったいないな。男みたいな真似してるの」
「そうかな。自分では案外向いてると思うんだけど」
 男子のブレザーも着こなすよ、だなんて続けながら笑うに、松川よりも似合うのかもしれないだなんて思わず笑ってしまう。
「いや、王子はないだろ。、結構可愛い顔してんのに」
「へっ」
 そんなんじゃ彼氏できねーだろ、だなんて続けるはずだった言葉が飲み込まれる。素っ頓狂な声に触発されてへと視線を向ければ、熟れたトマトのような真っ赤な顔が目の中に飛び込んできた。
 余裕のない表情に胸の奥が燃えた。突如生まれた熱にはたと気づく。今しがた、自分が彼女のことをかわいいと称したことが、嘘偽りのない自分の本心であることに。
 でなければ、たかがひとつ、声をかけるだけであんなに戸惑うはずがない。
「あ、悪い。変な意味じゃない」
 取り繕うような言葉を繋げたが、逸る気持ちが誤魔化せた気がしない。これ以上変なことを言わないようにと口元を押さえつけたが、それは赤く染まる頬を隠すためのものに代わる。
「岩泉君に褒められた……」
「だから失言だっつの。もうそこ掘り下げんなよ」
「あぁ、ごめんよ。女子として言われることって少なかったから……ただ…素直に嬉しくて」
 普段、王子だのかっこいいだのと言われる弊害なのだろう。本当に慣れてない様子を見せるは俺以上に戸惑っていて、それを見ると次第にこちらに余裕が生まれてくるようだった。ひとつ溜息を吐いて気持ちを落ち着けるように努力する。
 改めてを平常心を心がけながら見下ろすと、またはうっすらと唇を開いた。
「岩泉君みたいに、真っ直ぐな人に言われたら、堪らないよ……」
 震えを含んだ声に耳が溶かされるようだ。白く長い指が、の口元を負い隠す。だが頬の全てを覆い隠せるはずもなく、埋まらなかった箇所が赤く燃えるさまをますます映えさせるだけだった。

 ――はスラリとした体躯を持ち、華やかな表情を浮かべれば目が吸い寄せられるだけの魅力がある。

 教室で思い浮かべたへの評価。それは男として、女子が騒ぐのも頷けると評したものだった。だが、この瞬間、別のものへと変遷する。しなやかで華奢な体躯は、月並みだが抱きしめたら折れそうだとか、笑えば目が離せない魅力は同年代の女子に向ける甘酸っぱい感情に由来するのだと気づいてしまう。
 ――どこが王子だよ、畜生。
 覚えのない胸の熱に翻弄されながらも、これからはのことを王子だなんて考えることはできないんだろうなと頭の片隅で思った。



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