岩泉 一03

053.握りしめる


 青葉城西の文化祭は2日間に渡って開催される。生徒のみで行われる初日と、一般にも解放される2日目、というのが定例だ。
 今年も例に漏れず、2日目には生徒らの友人や親兄弟がやって来るのだろう。人の目が入る前に、ということなのだろうか。初日の生徒だけの前哨戦ともなれば、かなりハメを外すやつが出てくるのは止めようがなかった。いつもは厳しい体育教師でさえ、発破をかける側に回ったのだからなおさらだ。
 3年目となれば勝手がわかりきっているからこそ、どこまで羽を伸ばしていいか十分理解できているというのもあるだろう。卒業まで残り少ないイベントを楽しむのだと、意気込んだ連中は少なくない。クラスの出し物でも花巻のクラスなんて執事&メイド喫茶をやるんだなんて宣伝しまくっていたし、及川なんてミスターコンに加えて女装コンテストにも出るらしい。どれだけ遊ぶんだと呆れながらも、俺だって楽しまなければ損だ、という気持ちは十分にあった。
 バレー部の出店、というほどではないのかもしれないが、腕相撲大会の企画については俺が中心になって回る企画となった。とは言え、準備の中心というよりも、大会の王将として君臨し、金田一などの先鋒を倒した暁には俺へと挑戦できる、という代物だ。
 今のところ、俺へとたどり着いた、15人すべてを返り討ちにしてやった。
 部内で敵はいないとは言え、やはりラグビー部や空手部のやつは筋肉のつけ方が違うし、野球部やテニス部のやつらなんて、腕の筋肉が資本だからか、前述のやつらに比べたら細っこい割に、腕の筋肉に一点特化した瞬発力のモノの違いってやつを見せつけられた。
 難なく勝ってきたわけじゃないからこそ、休憩を挟みつつ、腕をマッサージしたり、カッターシャツの袖をまくり直したりと適度なケアを施しながら次の挑戦者を待つ準備を整える。勝負に言い訳を持ち出さないために、出来ることをやっていた。
 そんな折だった。
「やぁ、岩泉くん」
 いつものように、いつもの言葉でが声をかけてきた。相変わらず大量の女子を引き連れてやってきたの表情も、行動さえいつもどおりだ。だが、やはり文化祭、というべきだろうか。の様子がおかしい。
 様子、というよりも服装、だろうか。ぎょっとして目を丸くしたのは、きっと俺だけじゃないはずだ。
 まさかがここまで全力でハメを外しているだなんて思ってもみなかった。
「…お前、なんつー格好してんだよ」
 華やかな衣装と言えば聞こえがいい。だが、文化祭だからちょっとしたコスプレを、という範疇を逸脱しすぎている。小学生の頃に学年ごとでやった演劇なんてものじゃない。本格的なミュージカルだなんて見たことはないが、それを連想させる程度には浮かれた格好だった。
 タキシードなのだろうか、それとも燕尾服というやつだろうか。赤地のジャケットに茶色いパンツ、そして青いマントを羽織った衣装は、中世ヨーロッパの王子様を思い起こさせる。また、ヒーローというよりも悪役を思わせる禍々しい仮面を付けたに、行ったことも見たこともないのに仮面舞踏会、という単語が脳裏を過ぎった。
 また、そのを追いかけているらしい人数が半端なかった。のそばについてきたのはいつもの5.6人程度だった。だが、30人位いるんじゃないかというほどの大所帯が、どいつもこいつもくんやら先輩やら連呼して教室の窓から鈴なりになって手を振っている。教室に入るほどの勇気がない連中の中に、自分の好きな女子がいるのに気付いたらしい金田一が張り付いたような笑みを浮かべているのが視界の端に映った。
 女子連中が群れを成して移動しているのを数度見かけたがまさかその中心がお前だったなんて。いや、そこかしこで「今日のくんは最高っ!」だなんて声は耳に入っていた。だが、まさかここまでとは、というのが正直な感想だった。
 多分この衣装の提供者の中に演劇部の奴がいる。それも本気の奴が、だ。部長クラスの権力がないとここまで立派に着飾ったりできないだろう。
「あぁ、これ?」
 何も戸惑いが無い様子のは、宝飾として見立てたのだろうガラス玉を腕に巻いた白い手袋を翻し、マントの端を掴んでみせる。
「男装コンテストに出るんだ」
 どこか自慢げに薄い胸を反らしたは、仮面に隠れているため口元しか見えないからこそ、その鮮やかさが際立った。薄いリップを施した口元だけを見ればどう見ても女っぽいのにな、と惜しく思う。
 似合うからいい、んじゃない。似合うからこそタチが悪かった。
「なんの自虐だよ」
「いやあ……主催側で自動エントリーされてて」
 苦笑して答えたは、それでも満更ではないのだろう。えへへ、とはにかむように笑った。コンテストに出るからには、ということなのだろう。きちんとそれらしく髪やら化粧やらをセットされているせいか、普段以上に男っぽく見える。優男というよりも悪い男っぽいアレンジを加えられているその姿に、ドレスを着て男の腕を取るよりも、女を侍らせている方がよく似合うという感想を抱いてしまう。
 どこかむず痒いような違和感を覚えて、鼻の頭をこすった。俺は確かにのことが好きだけど、さすがにこうも男然とした様子を見せられると戸惑ってしまう。まぁ、どんなでも、が楽しんでいるのならそれもいいかという結論に達するのだけど。
「これやばいっすね。何かモデルとかあるんですか? 宝塚とか、そういうの?」
「今年のくんのテーマは美女と野獣なんだよ!」
 他の部員の質問に答えた女子の一人が興奮気味に話しているのが耳に入る。まじまじとを見上げ、服装を確かめながら物語の内容を頭に浮かべる。たしか、王子様が何かをやらかしたか何かで、ライオンの姿に変えられてお姫様の愛で元の姿に戻るとかそういう話だったはずだ。小さい頃に及川の家かどこかで見たアニメ映画を思い出しながら、テーマとして扱われたのであれば、とその意図に見当をつける。
 どうやらそのマスクを脱ぐ、というところまでがセットの演出らしい。外した瞬間に体育館は沸くんだろうな。ぼんやりとそんなことを想像してしまう。
「いつも演劇部の部長にはお世話になっちゃって…悪いとは思ってるんだけど勝負に出るなら勝ちに行かないと、だからね」
 肩を竦めてぺろっと舌を出したは、多分、悪い顔をしているのだろう。その言葉には本気出して女の子を落としにかかると宣言していることにほかならない。女装やら男装なんてものは男は面白おかしく笑うだけで、別の意味で楽しめるのは女だけ、というのが持論だ。現に、俺は正直、の男装には似合いすぎるという意味で若干引いてるし、及川の女装なんてものは目に入れたらゲロを吐く自信がある。
 そういやコイツ、昨年も優勝してなかったか。直接その優勝の現場は見ていないものの、文化祭後の及川がガタガタ抜かしていた記憶なら薄らと残っていた。
くんなら三連覇できるよ!」
「はは……」
 1年の頃の記憶を探れば、確かにが男っぽいからなんて茶化されて男装コンテストに駆り出されていた記憶が蘇ってくる。女装コンテストに選ばれた腹いせに及川が推薦したはずだった。その優勝以来、及川のに対する態度が悪くなった記憶も同時に呼び起こされる。
 本当につまらない嫉妬がスタートだったんだなと今更ながら思い至る。まさかその悪態が2年経った今でも引きずるとは思っていなかったのだが。
「なんだってそんな格好するんだろうなぁ」
 結構かわいい顔してんのに。誰も気付かないんだろうか。顔が整っているからこそ中性的に見え、女どもの理想を重ねられてしまうんだろうか。だがだからと言って、ミスコンの方に出られて男子からの人気が出てしまっても困る。女子がライバルというのもおかしな話だが、現状の方がいくらかマシなんだろうか、と呆れ混じりのため息を吐き出した。
「そういう岩泉くんも面白そうなことやってるね」
「おう。いいだろ」
 斜めに掛けたチャンピョンと書かれたたすきを見せつけるようにして引っ張ってやった。
「それって予選とかあったの?」
「あ、まず俺から戦ってもらうようになってます」
「あぁ、君は、金田一君、だったよね? 久しぶり」
「あ、はい。そうっす、先輩」
 遠巻きに見守っていた金田一が手を挙げながらの質問に答える。一度帰り道で顔を合わせたことがあるためか、簡単な会話を繋ぎ始めたは、イベントの進行を守るべく予選ブースへと足を進めようとする。その腕を、思わず掴んで引き止めてしまう。弾かれたように顔を上げたが足を止めたのを見て、手を離した。
「あー……こいつはいいや。今は休憩中だし、お前は休んでろ」
「え、でも」
「いいから。――勝負なら、俺一人でいいだろ?」
 金田一を制し、に視線を戻す。驚いたように目を丸くしたは、その衝撃を飲み込めないままに目を瞬かせる。
「いいの?」
「あぁ。エキシビションみたいなもんだろ。やろうぜ」
「じゃあ、お願いしちゃおうかな」
 肩に掛かっていたマントを翻し、顔につけていたマスクを外したに、「きゃあ」というよりも「ぎゃあ」という方が相応しい悲鳴が上がった。廊下にいる奴らの中には携帯電話を構えて写真を撮る者までいる。この人数だけで、この盛況だ。もしも今の仕草を体育館で見せようもんなら、今以上に盛り上がるに違いない。演出を考えた奴は、さぞかしほくそ笑むことだろう。
 周りに居た女子が我先に、とばかりにの持っていたマスクを奪う。手に巻いていたガラス玉や手袋も同様に外した瞬間にの手元から消え去った。ありがとう、だなんていつもと変わらぬ笑みを浮かべたが俺へと向き直った。
 眉をキリッと凛々しく持ち上げたは戦闘モードというやつに入っているんだろうか。男っぽくなるようなメイクを施されているせいか、いつも以上に端正な顔立ちに磨きが掛かっている。だが、その奥にあるの瞳だけはいつも見ているものに相違なくて、射抜かれる視線に戦いの気持ちが燃え上がるよりも先に、やっぱり好きだな、なんて不抜けた感想が浮かび上がってしまう。
「お手柔らかに頼むよ」
「……はっ。負ける気ねぇくせに」
「はは。バレたか」
「バレバレだっつーの。――行くぜ」
「うん。負けないよ」
 の手が俺へと差し出される。ドキ、と反応した気持ちを抑え込み、俺もまた彼女へと右手を差し出した。若干の躊躇の末、の手のひらを取る。緊張している俺よりも冷たい手に、女の方が冷え性だというのが正しかったのだと知る。男相手にならば感じることのない体温に、嫌でも胸の奥が高鳴る。
 どうしても女子、だと意識してしまう。指先に触れた肌の質感から違った。柔らかい手を力強く握ることが憚られる。壊してしまいそうだ、だなんて、柄にもなく考えた。
 首の裏が熱を持ち始めたのを意識する。右手はの手にあり、左手で机の端を掴んだ状態では頬に熱が浮かび上がるのを誤魔化しようがなかった。
「それじゃ、レディ……ゴーッ!!」
 審判を務める矢巾が、俺たちの繋いだ手の上に自らの手を乗せ、そして離した。それを皮切りに、俺もも腕に力を込める。だが、他の男子から感じ取っていたほどの力はかからない。それも当然か。こんなナリをしていたとしても、は女子なんだから。
 腕に力を込めて震えるは結構頑張っているとも言えなくもない。触れた際には冷やっこかったはずのの手のひらに熱が移っていく。自分の手がそうさせているのだと気付くと、首の裏にも熱が集まるようだった。手汗をかいているのがやけに気になる。は不快に思ったりしないだろうか。
 手元に集中させていた視線を外し、チラリとの様子を伺う。いつからそうしていたのだろう。まっすぐに俺の顔を見つめるの視線が突き刺さる。さっきは優男だなんて思ったはずなのに、柔らかいところなんて微塵もない。完全にスイッチが入っている。種目や男女の別はあれど、同じスポーツマンとして、勝負になれば負けられない。そういう気持ちはいつだってあるのだろう。
 俺だって、負けられない。それがとの勝負であればなおさらだった。
 考えた瞬間、腕に力が入る。勝負は一瞬だった。今までの均衡はなんだったのかというほど呆気なく、俺の腕はの腕を倒していた。ダンっと派手な音が教室内に響くと同時に、が小さく悲鳴を上げる。その声に、瞬時に焦りが背中を駆け抜けた
「悪ぃっ! 痛くなかったか?!」
「うん、平気だよ。少し、吃驚しちゃったけど」
 反射的に右手をかばうように左手を添えたに、思わず手が伸びる。微かに赤くなっているさまが目に入り、申し訳なさがこみ上げてきた。
「おい、スプレーあるか?」
「あ、はい」
「いや、いいよ。腫れたわけじゃないし、手袋しちゃえばそれで見えなくなるから」
「バカ野郎。女なんだからそういうのちゃんと気にしろ」
 側に立つ矢巾が、教室の隅に置いてある救護箱へと駆け寄るのを横目に入れながら、を諭す。困ったように眉を下げたに、女子たちが大丈夫?や痛くない?などと口々にの身を心配する。軽い声で大丈夫だよ、とかありがとうなどと平静を装って返すの手に小さく力を込める。俺の動向を感知したの瞳が俺へと戻ってきた。
「……やっちまった俺が言うのも変だけど…でも、大事にしてくれ」
「…うん」
「岩泉さん、これ」
「おう、サンキュな。、手、かけるぞ」
 矢巾から差し出されたスプレーを受け取り、親指で蓋を弾いて机の上に乗せた。
「あぁ、うん。お願いします」
 添えていただけだった手で改めての手を取り、裏返しにして手の甲にスプレーを吹きかける。の言うとおり、腫れたわけではないようだが、後から腫れが出たり実は骨折していましただなんてなったら申し訳がない。本当に問題がないか心配で手を傾けたり、持ち上げて目に近づけて現状で異変がないか観察する。
「負けちゃったね」
「お前、この状態でそれを言うのかよ」
「うん。やっぱり勝ちたかったから」
「でもでも!ほかの男子たちよりもくんの方が粘ってたんじゃない?!」
 の背後に集る女子たちは善戦したとねぎらいの言葉をかける。そういう問題じゃねぇ、と言ってやりたかったが、この場の空気を考えたら変に否定するのも悪いかと思い、口をつぐんだ。
「岩泉。お前、やさしーやっちゃなあ」
 いつの間にかやって来ていた花巻が腕を組んで俺との様子を眺めていた。暗に手加減したんだろう、と確かめるような言葉に真っ直ぐに口元を引き締めて応じる。花巻もまた執事喫茶という企画に似つかわしい格好をしているが、を見た後ではインパクトに欠けてしまう。おしゃれメガネを外し、胸ポケットに差しながら前傾した花巻は俺の肩を組んでにやりと笑う。
「でもあれだな。もしが今ので怪我してたら岩泉は責任取んないとダメだぞー」
 いつも対戦しては悔しがるからこそ、の方が善戦しただなんて考えたくもないのだろう。茶化すような態度を取るのもそのあたりが理由だと察しがついた。
「当たり前だ。ちゃんと男として責任取るに決まってんだろ」
「えっ」
「荷物持ちでもパシリでもなんでも言うこと聞くからな、ちゃんと言えよ。
「あぁ。そういう……」
 俺から離れ、肩を落とした花巻がどういう意図で言ったのかは見当がつかなかった。なんなんだ、と不審に思いながらも花巻からへと視線を転じる。困ったような照れたようなの表情が目に入り、あ、こいつ何かあっても言わない気だな、と勘付いた。
「いいな。変な遠慮すんなよ」
「そうだね。もし怪我してたらちゃんと言うから、その時はよろしくね、岩泉くん」
「おう。任せろ」
 うん、とひとつ頭を揺らして応えた。本当に痛みはないのか、は口元に柔らかな笑みを浮かべる。だが、その表情も束の間で、笑みが段々と余裕なく崩れ、照れ笑いに変化していく。頬に熱を走らせたは、躊躇いがちに俺から視線を外した。
「……あの、岩泉くん」
「ん、なんだよ」
「そろそろ、手を……」
 その言葉に、はたと気付く。スプレーをかけてなお、俺がの手を取ったままだったということに。
 しなやかなの手指を覆う俺のごつい手に改めて視線を落とす。目に入ると同時に、慌てて振りほどきたい衝動に駆られたが、乱雑に扱うことが出来なくて、そっと手を離した。離れがたい指先からぬくもりが解けるのを、ひどく惜しいと感じているがそれを表面に出さないように、と心がけた。
「あ、悪ぃ」
「いや、その……手当してくれてありがとうね」
 普段よりもまどろっこしい話し方をするの戸惑いは、俺が感じているものと同じなんだろうか。同じだといいんだけど、だなんて柄にもなく考えながら、もし本当に腫れてしまったら病院に連れて行ってやらなければと責任の負い方を考えていた。
「岩泉君の責任って……」
「それもくんの幸せなら応援しよ……」
 の取り巻きの女どもがみんな一様に口元に手を当て、きゃあきゃあと囁きあっているのが薄気味悪い。花巻もその輪に混じっているので尚更だった。
 やっぱりわけがわかんねーな、と後頭部を掻きながらへと視線を戻す。ぶつけたばかりの手指を守るように左手を添えるは、俺と視線を合わせると、はにかむように笑った。やっぱり王子然とした対応だな、と感じたが、が笑ってんのならそれでいいや、と思った。




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