影山 飛雄01

不器用なジェラシー


「チィッ!」
 舌を打ち鳴らす音が耳に届く。音の発信源を探して左右を確認すると、飛雄が廊下の外からこちらを睨みつけている様が目に入る。
 中学の頃からも割とあったけれど高校に入学してから飛雄が舌を打ち鳴らす頻度が上がった。目の前に居る時なら理由を聞けるけれど、あんなに遠くから不機嫌であることを伝えられても受け止めることすらままならない。
 ムスッとした顔つきも、剥き出しにされた敵愾心も、向けられる理由が見当たらない。
 飛雄は教室の外から睨んでるけれど、私が気付かない時もああいう風に睨んでたりするのだろうか。そんな不毛な真似をさせているのは本意ではないけれど、だからと言って、何故そんな真似をするのかと聞いたところで飛雄がきちんと答えてくれるかどうかあやしいものだ。
 小さく溜息を吐くと、正面に立った山口君がきょとんと目を丸くさせた。
「どうしたの、さん」
「いや、何もないよー」
 両手のひらを肩の高さまで持ち上げて左右に振る。視線は先程向けた飛雄から反対に逸らした。ただ、その動きが余計だったのか、察しがいいのか、山口君は私の視線に釣られること無く飛雄の方を向き「影山だ」とポツリと零した。
「うわぁ、影山なんで睨んできてんだろ……」
 呆れたような山口君の言葉に、今一度自分の肩越しに飛雄を振り返ってみると、彼の言うとおり、飛雄はまだこちらをその鋭い眼光でもって射抜いていた。
 話しかけに行った方がいいのだろうか。でも多分、私が近づけば逃げるんだよなあ。幼馴染であることがバレたくないと言って、中学時代も学校の中では避けるように指示されたことを思い出す。もっとも、どこからか聞きつけたオイカワさんという人によってその目論見は打ち砕かれたのだけど。
 高校に上がってからその話は出ていないけれど、今のように睨んでくることはあっても話しかけてこないし、こちらから歩み寄ってもその長い足を活かして逃げられるのだから、今度こそとバレないようにと誓っているのかもしれない。
 関わり合いになりたくないのかと思えば、たまにうちに晩御飯を食べに来たりするし、ついでに宿題を教えろというか解けと強要してくる。
 経験則を思い返しながら、指先で耳の下を掻く。飛雄に向かって苦笑してみせると、飛雄は鼻を鳴らして自分のクラスへと大股で歩いて行った。
「あぁ、怖かった……。俺、なんかしたかなぁ……」
「どうだろうねぇ……」
 よもや私を睨んでいたのだとは知らない山口君は眉を下げて困ったような表情を浮かべる。それに曖昧に返すと、すぐ近くから非難の声が上がった。
「ねぇ、なんで君たち僕の周りで喋ってるの」
 自席に頬杖をついて座った月島君が、顎を微かに持ち上げこちらを睨めつける。寄せられた眉間の皺に怯みながらも、彼の言葉に、私がここまで来た用事を思い出す。さっきの授業で行った英語のミニテストの間違えた単語の書き取り10回を放課後までに教師に提出するように、山口君に伝える、というものだ。
 教師の言葉そのままを告げると、山口君は肩から力を抜いてしょんぼりとした様子を全面に押し出し、そんな山口君を眺めた月島君はハッと鼻で笑うだけだった。
「ツッキー、俺部活行く前に職員室行かなきゃだー」
「そう、行ってらっしゃい」
 あっさりと流した月島君の冷たい言葉に、いつも2人でいるのにそういうところはついて行かないんだなと意外に思った。観察されている視線に気付いたのか、月島君はこちらにその冷たい視線を向ける。
「で、いい加減鬱陶しいんだけど。用事が済んだなら早く自分たちの席に戻ってくれる?」
「あぁ、うん」
「ゴメン! ツッキー!」
 自分たち、という言葉の中に私だけではなく山口君さえをも追い払う要素を含んでいた。
 女子の中ではかっこいいクラスメイトとしてこの人の名前が上がることが多かったが、こんな辛辣な言葉を放つ人だったのかと面食らってしまう。山口君が慣れている様子からして特別私にだけ冷たいというわけではないらしい。
 観賞用の男の子だな、と失礼なことを考える。同時に、ほんの少しだけ飛雄に重なるところもあるのかもしれない、と先程の飛雄の様子を思い浮かべ小さく息を吐きだした。

* * *

 その日は偶々、帰りが遅くなっただけだった。風紀委員の取り組みで、最終下校まで居残り、鍵の施錠が完了しているのか教師と一緒に見まわるという、所謂、週番というやつだ。
 月1か月2で回ってくる当番もつつがなく終わり、同じクラスの風紀委員とも正門前で別れてしまってまっすぐ帰路につく。
 学校からの下り坂を降りきって、一息つくと、ちょうど坂ノ下商店の中から飛雄が出てくるのが目に入った。
 一昨日、うちの晩御飯がポークカレーだと聞きつけてやってきた飛雄に、たまには一緒に帰りたいから待っててもいいかとお伺いを立て、当然のように嫌がられたことを思い出す。大好きな温玉を乗せてホクホクしていたにも関わらず、ひどいやつだ。
 周囲を軽く見渡し同じ高校の人が居ないことを確認する。飛雄自身も別に誰かといる様子を見せていないことに安心し、腕を持ち上げ飛雄に声をかけた。
「飛雄ー! お疲れさまー!」
 別に大きな声ではなかったはずだ。だけど過剰に背中をびくつかせて驚いた飛雄が、そのサラサラな髪を振り乱してこちらを振り返る。甘い笑顔を期待していたわけではないけれど、その鬼のような形相に掲げていた手を瞬時に背中に隠した。
「なんで話しかけてくんだボゲェ!」
「ボケって……」
 苛ついた様子を隠さずに叫んだ飛雄は、肩に掛けた鞄を揺らしながら大股でこちらへと詰め寄ってくる。
 掴みかかる勢いで顔を下げた飛雄の前髪が私の額に触れる。だけどそこには甘い空気も優しい笑みもない。あるのは圧倒的な威圧感だけだった。
「待つなっつっただろ」
「待ってたっていうか、委員会で遅くなっただけだよ。……まぁ、ちょっとは一緒に帰れるかなとは思ったけど」
「だからそれが余計だつってんだろっ」
 肩を捕まれ、低い声で凄まれる。傍から見たらかつあげか恐喝をされてるようにしか見えないんじゃないだろうか。こんな風に育てた覚えはないと泣いたふりでもしてやろうかと思ったが、ふざけた態度をとって益々機嫌を損ねても面倒だなと思って口を噤む。
「なんだ、どうした影山」
「あ、女の子だ」
 騒ぎを聞きつけたのか、お店の中から黒いジャージを着た集団がわらわらと出てくる。飛雄と同じその服装に、バレー部の人たちだろうと当たりをつける。
「あー……クソッ」
 心底嫌そうに呻いた飛雄は私の肩から手を離し、今しがたの距離など無かったかのようにそっぽを向いた。極力関係無いようにと振る舞いたいのだろう飛雄の意志を尊重し、私もまた飛雄から視線を逸らす。本当はそのまま立ち去って欲しいのだろうけれど、あの集団の横を素通りするのも気まずさが残りそうだ。
 別にいいじゃないか。幼馴染とバレたくないのなら中学の時からの友達ですみたいな適当に紹介してくれれば。そしたら私もどうもーって軽く挨拶を返してこの場から立ち去れるのに。
 曖昧な視線を周囲に向けていると、同じクラスの月島君と山口君の姿が目に入る。
 一応クラスメイトだし、飛雄だけの知り合いというわけでもない二人を無視するのもなんだし、会釈くらいはした方がいいのだろうか。
 そう思い、軽く頭を揺らすと山口君は手を振ってくれたが、月島君は興味なさそうにそっぽを向いてしまった。
 一連の流れを見咎めたのだろうか。私を無視していたはずの飛雄の手のひらが私の後頭部を掴み、まるで水道の蛇口を捻るかのように首を動かされた。
っ!!」
 その動作を面食らった様子で眺めていた月島君が目を丸くさせて驚きを示したのも束の間で、何かに納得したかのようにすこぶる意地悪な笑みを浮かべた。
「あぁ、王様って〝そう〟なの」
 王様という単語に飛雄が反応する。掴みかかりでもしないだろうかとハラハラしたが、飛雄は私を背中に隠すように立ち、月島君を睨み据えるだけだった。
 教室では見たこともないような表情を浮かべた月島君がクスクスと笑いながらこちらへと歩み寄ってくる。飛雄に何を言う気だろうかと視線で追ったが、予想に反して月島君は私の隣に立ち、少しだけ上体を傾けた。
「ねぇ、さん。ちょっと僕とお話しようよ」
「ツッキー?!」
 必要以上に近付いた距離に怯んで一歩退くと、その隙間に飛雄の腕がまっすぐ割って入ってくる。
「なにやってんだ、テメェ!! ゴラァ!!」
「あはは、ただの冗談なのに。男の嫉妬ほど見苦しいものはないねー」
 お腹を抱えて笑うポーズを取った月島君は、飛雄の顔を見下ろしてまた満足気に笑い、そのまま山口君の方へと戻っていく。
 嫌がらせをするためにだしに使われたことを知り、呆気にとられてしまう。もしかして飛雄はこういうことをされるのが解っていて私に学校では話しかけるなと私に言っていたのかもしれない。
 悪いことをしてしまった。飛雄を盗み見ると歯ぎしりしそうなくらいに口元を引き締めた表情が見て取れて、思わず肩を竦めてしまう。
「もういい、帰んぞ。
 不機嫌さを全面的に押し出した飛雄が私の腕を掴み、強引に歩き始める。
 先輩なのだろうか。身体の大きい人たちの前を通るときに「…っす」と小さく頭を揺らした。それに合わせて私もまた彼らに頭を下げようとしたが、下げきる前にまた飛雄が私の腕を引いてしまったのでそれもおざなりになってしまう。
「ねぇ、飛雄。飛雄ってば。ねぇ、歩きづらいんだけど、ねぇ」
 連行されている犯人のような状況の中、何度呼びかけても無視をされる。怒った時にすぐに声に出すこともあればこうやってだんまりを決め込まれることもある。黙る時は本当に触られたくない部分に踏み込まれた時に見せる反応だ。
 こういう時一緒に黙ると益々塞ぎこむから極力声を掛けようとは思うものの、さすがにガン無視が続くと掛ける言葉を失ってしまう。
 自然と尖った唇に、多分、飛雄も同じ顔をしているんだろうなと思った。
 足早に歩く飛雄の腕が離されたのは、振り返ってもバレー部の人たちが遠く見えないほどの距離を置いてからだった。
 唐突に足を止めた飛雄の背中に、追いかけていた私は呆気無く突っ込んでしまう。それでふらつかない辺り、飛雄は男の子なんだなぁなんて実感する。
「……だから嫌だったんだ!クソッ!」
 少し痛む鼻の頭を撫ぜながら、飛雄を見上げる。向こうを向いたままの飛雄の顔は見えないけれど、今しがたの声を聞けば怒っていることは明白だった。
「嫌って……何が?」
 態々言葉にした以上、それを聞いてほしいという気持ちが飛雄の中にあるのだろう。そう思い、飛雄に言葉を促すと、飛雄はこちらを振り返る。
 想像していた通り、口元をへの字に曲げた飛雄は、その眦を吊り上げて私を見下ろした。
「わかんねぇのかよ」
「迂闊だったとは思うけど……知り合いです、くらいの態度とってくれたらいいのに」
「なんで俺が嘘吐かねぇといけねぇんだよ」
 態度を変える気のないらしい飛雄が、ムッと口元を尖らせる。確かに飛雄が不器用な人だというのはここ十数年来の付き合いの中で十分理解している。うまいこと立ちまわれる性質なら、もっと楽に生きられるのに、痛いほどに自分に正直だ。
 そういうところが魅力だということも理解していたが、こういう時は困ってしまう。
 学校で見かけた時に、目が素通りを許さないくらい飛雄に惹かれている私にとっては、これ以上の難事はなかった。
 それでも逆らって、もし飛雄がうちに来なくなってしまえば、堪えるのは私の方だ。
 これが惚れた弱みというやつなのだろう。結局、私は飛雄に従う以外の選択肢を取ることが出来ない。
「わかったよ……もうホント声掛けないように気をつける」
 そう告げると、飛雄はその言葉に満足したのか、口元を引き締めたまま「ん」と尊大に頷いた。
 飛雄を甘やかすことしか出来ない自分に、参ったなぁと小さく溜息を吐くと、機嫌の持ち直したらしい飛雄が軽く首を傾げる。
「だいたい、お前、なんで俺以外の男と楽しそうに喋ってんだよ。そんなんだから月島みたいなのに漬け込まれんだろうが」
 飛雄の言葉を受け止めかねて、数度まばたきを繰り返す。自惚れや期待をそぎ落としてもなお、残るのは嫉妬なのか、という疑念だった。
「でも、さっきのは飛雄をからかうための挑発でしょ?」
 頭の片隅にチラついた自分に都合のいい考えを押しやって飛雄に確認するような言葉を掛けると、飛雄はまたその端正な顔を歪める。
「だからに話しかけるための接点になんかなってらんねぇっつってんだろうが。頭悪いな、お前」
 サラリと流して欲しかったのに、益々誤解を孕みかねない言葉を告げる飛雄に、手のひらを額に押し付ける。頭が悪いというのは否定出来ない。どう足掻いても、私にとって都合がいい風にしか、もう考えられなかった。
 演技でもおざなりにすることが出来ないから、極力学校では関わらないでいたいということなんじゃないか、だなんて感じてしまう。
 そういうことを一々愛情として捉えてしまうと、気持ちが保たない。だけど、どうしても考えてしまう。
 男の子と話す度に、飛雄は昔から私に辛辣に当たるようなところがあったっけ。
 小学校の頃の思い出をいくつか頭に思い浮かべながら、最近の飛雄の言動に思いを馳せる。
 山口君と話している時に睨まれたことも、月島君が近付いた時に守るように突き出された腕も、何もかも、独占欲に繋がるんじゃないかなんて感じてしまう。
 それらが、単なる幼馴染相手に対するものなのか。それとも別の、私と同じ想いからくるものなのか。このまっすぐだが不器用な男相手に聞き出すことは容易いようで難しい。
 ――まぁ、それでも。
「飛雄に独り占めされるのも悪くないか」
「なっ……アホ!テメェそんなこっ恥ずかしいことさらっと言ってんじゃねぇぞアホがっ!」
 ポツリと零した言葉を咎めた飛雄は、自分がさっきもっと恥ずかしいことを言ったことを自覚していない。
 そういうところに、どれだけ私が舞い上がったり悶々としてしまうのか、飛雄は解ってないんだろうな。
 手の焼ける人だなと思いながらも、愛おしいと思う感情は泉のように溢れてきた。



error: Content is protected !!