影山 飛雄04

リベラル・ダイニング


「美味しそうに食べるねぇ」
 ダイニングテーブルの向かいに座る飛雄に言葉を投げかける。例のごとく、うちの家のカレーを食べに来た飛雄は、1杯目のカレーはかっ込むように食べていたが、2杯目は味わって食べているのか、普段ではなかなか感じられないほどのゆるりとした空気をまとってカレーを口に運んでいる。
 食べ終えた私は、コップに残った麦茶を喉奥に流しこみながら飛雄の様子をまじまじと眺めていた。
「家のカレーも好きだけど、やっぱりン家のカレーって特別な味がする」
 ボソリと言葉をこぼした飛雄に、私も頷いて応える。
 同じ食べ物でも普段食べ慣れているものとは味付けが違うし、余所のレストランで食べるよりも舌が味に馴染むからこそ、もう一個の家庭の味というものに触れると特別な味のように感じていた。
 おばあちゃんの家のごはんを食べる時と同じような気持ちになる。少し新鮮で、そして懐かしいようなそんな気持ち。
「うまかったッス。ごちそうさまでした!」
 食べ終えたお皿をキッチンへ運んだ飛雄は、お母さんに対して感謝の意を伝えている。
「お粗末さまでした。またいつでも食べに来てね」
「はい!」
 いつになく嬉しそうな飛雄は、うちの家のカレーがここ数年ずっとポークカレーが続いていることを知らない。たまにはチキンカレーも食べたいと思って、休みの日のお手伝いということで何度か作ったことがあるのだけど、食べたところでコレじゃない感があって、結局は私自身もポークカレーの方に慣れ親しんでしまっているのだと思い知らされるだけだった。
「飛雄ちゃん、安心してね。にはちゃんとおばさんが教えとくから、将来食べたくなったらを頼るといいわよ」
「まじっすか。ぜひよろしくお願いします」
 聞こえてきた二人の会話に、口元で傾けていたコップの中の水を吹きこぼしそうになる。コップを離し、手の甲で口元を拭いながら視線をキッチンへと差し向けると同時に、目を輝かせた飛雄がこちらを振り返った。

「な、なによ」
「お前、ちゃんと美味く作れるように練習しろよ」
 今しがた食べ終えたばかりだというのに、将来のカレーに対しての期待でよだれを垂らしそうな顔をした飛雄は、厚かましい命令を私に突きつける。お母さんは幼いころによくある「おおきくなったら飛雄のお嫁さんになる」だなんて宣言が今でも有効だと勘違いしているフシがあるが、飛雄までそんな冗談に乗る必要はないだろうに、今日に限ってどうしたことか。大方、カレーの話題に何も考えずに食いついているだけなのだろうけれど、そんなものに振り回されるこっちの身にもなってほしい。
「やだよ。飛雄の未来のお嫁さんに作ってもらいなよ」
 それは私ではないということを暗に含めながら伝えたが、飛雄はむくれた頬を隠さずに更に言葉を続けた。
「味が違ったら意味が無いだろ。バカかお前」
「そうじゃなくて……」
「だいたい、別に俺が他のやつと結婚してもン家にカレー食いに行くくらいいいだろ」
「どこの愛人の嫌がらせですか」
 結婚しても幼馴染の家にカレーを食べに行く旦那なんて嫌過ぎる。不倫を責められるだけならまだしも、未来の飛雄のお嫁さんに刺されそうだとさえ思う。
 だが、それ以上に飛雄の未来の中に、私が飛雄のお嫁さんになるという選択肢が浮かばないことに対して諦めの気持ちが湧いてくる。小さく肩を落として溜息を吐くと同時に、こうなったら意地でも飛雄にはカレーを作りたくないという気持ちが生まれた。
「やだよ。私、結婚したら自分の息子と旦那さん以外の男の人には御飯作らないもん。今決めた」
 私の決意は固い。もうコレ以上の会話は続けませんよと言う代わりに、両手で自分の耳を塞ぐ。
「はぁ? なんだよ、それ」
 それでも手のひらの隙間から聞こえてきた飛雄の嫌そうな声は耳にこびりつく。不満の色を濃く見せた飛雄はキッチンから飛び出して私の方へとずんずんと歩み寄ってくる。
 真正面に立って視線をこちらに落とした飛雄は、への字に口元を曲げている。子供の頃から変わらないその表情の作り方に、図らずも懐かしさを覚えてしまうほどだ。
「じゃあ、お前結婚するな」
「……はい?」
 簡潔に告げた飛雄の言葉が理解できずに聞き返す。だけど私の疑問を無視するかのように、飛雄は頭を縦に2回揺らした。まるでいい案が浮かんだとばかりに薄い笑みを見せた飛雄に、私は目を丸くすることしか出来ない。
「いいだろ、それで。今決めた」
 私の言葉を真似して言う飛雄に、漸く重い頭が動き出す。
 ――孤独死を強要された。
 結婚するなということは、そういうことだ。自分がいつでも私の元へカレーを食べに行きたいからこそ、私に一人で居るように命じるだなんて、なんて酷い男だ。ぱくぱくと、餌を待ち受ける金魚のように口を開閉したが、呆れて返す言葉が見つからない。
「だから、お前は安心して料理に励んでいいからな」
 料理、とひとくくりに言われた。親子丼だとか、ハンバーグだとか、カレーでなくても嬉しそうに目の前で食べる飛雄の姿が脳裏を過ぎる。
 ニッと妙に満足そうに笑った飛雄に、じゃあ、いっそ私と結婚したらいいじゃん、だなんて戯れでも言える気がしない。



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