流星雨
庭へと繋がる縁側で、足を投げ出して空を見上げる。夜の闇の中にあってもきらきらと光るその星々を眺めていると、胸がざわつくようだった。
落っこちてきそうな星に手が届きそうで、真上に目一杯、腕を伸ばしてみる。当然触れることも近付くことも出来ないのは解りきっていたとしても、自然と溜息は零れた。
「何やってんだ、」
背後から届いた低い呼びかけに、首だけを捻って振り返る。
「飛雄」
唇を掠めて紡いだ名前に、夏のものとはまた違う熱が頬に生まれる。ただ、今、浮かび上がったものは恋なんて甘ったるい理由ではなく、思いつくままに取った奇行を飛雄に見られたことに対する羞恥によるものだった。
お母さんからもらったのだろうスイカの皿を片手に、こちらへとやってきた飛雄は、そのまま私の隣に腰を下ろす。一番大きなスイカを遠慮無く拾い上げた飛雄は、背中側にお皿を置いて、それに噛み付いた。
ひと口ふた口と食べ進め、時折プッと庭先に種を飛ばす仕草は子供の頃と変わらない。
まごつかせた口元でむにゃむにゃと言い訳を探していると、喉を鳴らしてスイカを飲み込んだ飛雄がこちらを振り返らずに言葉を続けた。
「また星でも取ろうとしてたのか」
また、という言い草に心臓が跳ねる。幼馴染というのはたまに、居心地が悪い。自分が何気なく取った行動をいつまでも覚えられていたり、気にしていることを簡単に話題に出してくる。
「またって…別にそんなしてないじゃん」
「いや、お前ガキの頃よくやってただろ。腕伸ばすだけじゃなく、ジャンプしたり木に登ったり」
微かな抵抗も虚しく、より鮮明な記憶を口にする飛雄に顔を引き攣らせる。この分だと、屋根の上に上って降りれなくなり、号泣したことさえも言われそうだ。溜まったもんじゃないと口を噤むと、反応を返さない私を怪訝そうな顔をして飛雄が振り返る。口元を引き締めて複雑な顔をした私を目の当たりにした飛雄は、小さく小馬鹿にするように笑った。
「、星好きだったもんな」
やわらかな笑みを携えたまま言う飛雄に、喉の奥がグッと詰まるような感覚が走る。その違和感を飲み干したくて、スイカに手を伸ばし、慌ててそれに噛み付いた。
じわりと口の中に広がる甘みと水っぽさを飲み込み、飛雄がしていたようにスイカの種を飛ばす。飛雄の笑みが目に焼き付いていることの気恥ずかしさに触発され、子供っぽい振る舞いをワザと取ってしまう。
スイカの種の飛ばしっこだなんて張り合っていた過去の記憶に思いを馳せると、収まりかけた熱が瞬時に復活する。
誤魔化しきれない熱を抱えたまま、そろりと視線を飛雄の方へと向ける。
一つ目のスイカを食べ終えたらしく、上体を捻ってお皿の中に手を伸ばした飛雄は、右か左か、その奥かと手のひらを動かしている。どうやら大きさを吟味しているようだ。
別にいくつでも食べればいいのに、と小さく肩で息を吐く。泳がせていた手で、一番手前のスイカを手にした飛雄は、また縁側へと視線を向け、勢い良く種を吹き出した。結構な距離を飛んだ種が、奥の植え込みへと飛び込む。誇らしげにこちらを振り返る飛雄に小さいころの記憶がもう一つ蘇ってきた。それはどこかのバレーの合宿に赴いた飛雄が、おみやげで買ってきてくれた一枚のポストカードだった。
の祈りがたくさん叶うように、と添えて手渡されたカードには、花火のように方々へ散っていく夜空の星が描かれていた。流星雨だというのだと笑った飛雄の誇らしげな顔が、さっきの顔と重なる。
あのポストカードはどこにやっただろうか。まだ机の中を探したら見つかるのだろうか。
大事にしまい込みすぎてどこに隠したのか思い出せなくなっている自分に呆れたが、捨ててはいないのだからきっとどこかにあるはずだと内心でどこか安心してもいた。
しゃくしゃくと食べ進めたスイカの甘さが、青っぽいものへと変わったのを契機に、お皿の端に食べ終えたそれを置く。
両手のひらを背中側につき、上体を薄く逸らして天上を眺める。
空が澄んでいるとはいえ、流れ星なんて滅多に見れない。ましてそれらが勢い良く降り注ぐことなんてきっと見られるはずがない。
それでも、もしもかつての飛雄が言ってくれたように、たくさんの祈りが叶うのなら、こうやって飛雄と居られる時間が長く続けばいいのに、と思う。
幼馴染というよりも、もうすでに家族みたいな対応しか取ってくれない飛雄に、恋人同士になりませんかと誘いをかける勇気がない私にとって、それが精一杯の祈りだった。
眉を下げて溜息を吐く。体重をかけていたことでじわりと痛みが広がった手のひらを動かし、麦茶でも取ってこようかと上体を起こす。それと同時に、こめかみにふわりとした感触が触れた。瞬時に、いつも以上の鳴動が胸で弾ける。
「ちょっと……飛雄」
戸惑いながらも、非難の声を上げる。人の頭を支えにするように寄りかかってきた飛雄は、私の声に言葉を返すことをしない。もしかして、眠ってしまったのだろうか。
視線を持ち上げてみたものの、上手く飛雄の表情を見ることが出来ず、小さく溜息を吐いた。
蝉の声がやけに煩く聞こえる。ただそれ以上に心臓の音が保たないんじゃないかと言うほどに響いていた。この音が飛雄に聞こえなければいいのに、とハラハラとした思いを抱える。
ドギマギとした視線を泳がせ、自分の足元へ落としたそれを、飛雄の手元へと伸ばす。長い腕の先の、大きな手は、しっかりとスイカを掴んでいる。それがおかしくて、クスリと口元から笑みが溢れる。
「……ったく。ホント子供だなぁ」
寝てもなお、食欲を失わない様子が飛雄らしい。だが、その緊張が解けたのも束の間だった。
「……誰が子供だよ」
低く、不機嫌な声が耳元で生まれる。反射的に背筋を伸ばしたが、飛雄が乗っかっている頭を避ける事はできなかった。
「飛雄起きたの?!」
「んだよ。誰も寝たなんて言ってねぇだろ」
「いや、だって……」
「黙ってろ」
私の言葉を遮った飛雄は、相変わらず頭を傾けたままで、それはつまり、私と飛雄の頭が触れ合ったままであること意味していた。普段入り慣れた距離であっても、違和感は拭い去れない。
「察しろ、ボケ」
ピッタリと寄り添うように座ったわけではなかったからこそ、若干の距離があり、そのせいで長身の飛雄の頭がきちんと私の頭に収まっている。
この状況で察すって何を知ったらいいんですか。問いかけようと思えば聞けた。だけど聞いてしまって飛雄の機嫌を損ねるのも得策ではないだろう。そのくらいの知恵は回る。打算だと言ってしまえばそれまでだけど、飛雄が言った「察した結果」がそれなのだから致し方無い。
一方的に預けられたままだった体重を、ほんの少しだけ飛雄の方へと傾ける。
先程祈った微かな願いが、数分も経たずに進化しそうだ。自覚している胸の内を隠しながらも、堪え切れない笑みが口元に浮かんだ。