影山 飛雄11

069.攫う


 移動教室の帰り道。同じクラスの友達と次の授業の宿題の答え合わせを口々に言い合っていると、不意に短い呼びかけが耳に飛び込んできた。
「おい」
 ちょうど、階段前あたりだった。別棟からの出入り口をくぐり抜け、そのまま友達らと通過しようとした。だが、その声の主だったんだろう。教科書を抱えた腕を、強引に引かれる。驚きに短い悲鳴が口から飛び出した。だが、その叫びが続くよりも早く、大きな手のひらで口を塞がれる。
「騒ぐな」
 声の主は私の背中を自分の胸に押し付けるかのように、口を塞いでない方の手で私の肩に腕を回した。その低い声に驚いて、顔を持ち上げようとしたが顎を抑えられているため、窮屈な動きになった。それでも頑張って顎を上げれば、口元をへの字に曲げた飛雄の顔が目に飛び込んでくる。目を瞬かせて飛雄を見つめていると、飛雄は鋭く舌を打ち鳴らした。
 誘拐まがいのことを学校で、それも幼馴染相手にされるとは思っていなかった。我が身を襲った衝撃をうまく飲み込めなくて、ただ呆然とその場に立ち尽くしてしまう。もっとも、足を動かそうとしたところで、ますます強く飛雄に取り押さえらることになるんだろうけれど。
「あれ、?」
「トイレにでも行ったのかな?」
 つい先程まで一緒に歩いていた友達らの不思議そうな声が遠ざかっていく。よもや道すがらに幼馴染に捕獲されました、だなんて誰にも言えない。ここは彼女らの疑念通り、恥を承知でトイレに駆け込んだことにでもしておこう。
 ほかの人が通らないことを確認しているのか、周囲をこそこそと見渡した飛雄は、私の腕を引き階段の陰に隠れた。そこでようやく解放される。まともに喉を通る空気に安心し、自然と呼吸が大きくなる。時間にしてみれば1分足らずのことなんだろうけれど、随分長く掴まれていたような気がした。
「……どうしたのよ、突然」
 不服だと言葉に出来ない代わりに眉を下げて飛雄に問いかける。学校では極力関わるな、だなんて以前言われたからそれを忠実に守ってきたのに、飛雄の方がそれを破るのであればそれなりの事情があるのだろう。そうでなくては、困る。
 手こそ壁についていないが、壁を背に追い込まれている状況で凄まれるのは、気分的にはあまりよろしくない。ほかの人が見たら、色恋沙汰のもつれに見えるのか、それともカツアゲに見えるのか。圧倒的に後者だと判定される数の方が多いだろう。そのくらい、飛雄の表情は鬼気迫るものがあった。
 ムッと口元を曲げた飛雄は私を睨み据えたかと思えば、ふいっと顔を背ける。珍しく煮え切らない態度を取る飛雄に首を傾げた。私の反応を一瞥した飛雄は苦々しく口を開く。
……お前、今日はシューバンか?」
「シューバン?」
 飛雄の口から聞いたことのない単語が出てきた。わからなくてそのまま復唱してみたが、パッと頭に浮かぶことはなかった。言いづらそうに後頭部を掻いた飛雄は、またひとつ、舌を打ち鳴らす。
「アレだ、委員会のやつ」
「あぁ、週番か。違うよ、今年はもう先週ので最後」
「チッ」
 今ので3回目だ。不機嫌を全面に押し出し続ける飛雄は、とうとう頭を抱えるように右手で自分の額を抑えた。諦めたようなのと、困惑しているのと。その中間の表情を浮かべた飛雄は、私に視線を流したり、廊下を誰か通らないか確認したりと落ち着きのない態度を見せる。忙しない行動を見せる飛雄が珍しすぎて、ますます何がなんだかわからなくなる。
 週番じゃないと何か問題があるんだろうか。私が当番だとして、飛雄になんのメリットがあるのかを考える。風紀委員の仕事には教室だけではなく部室の施錠のチェックも含まれている。例えばバレー部でミーティングをするから見逃せとか、そういう頼みごとなんだろうか。
 でも、もしそういう頼みごとをされたとして、私が見逃したとしても、ひとりでチェックするわけではないから庇い立てはできないんだけどな。そういう説明も先にしておけばよかったんだろうか。こんな風に落ち着きのない態度を見せる飛雄は、のっぴきらない事情があったからこそ私を呼び止めたんだろうし、その願いを打ち砕かれてこんな風に迷いを見せている。
 ちょっと、もうしわけがないな。そんな想いが表情に出たのだろう。私の顔を一瞥した飛雄は、ぐっと喉の奥に力を入れて自分の感情を飲み込んだように見えた。
 前髪のあたりをガシガシと掻いた飛雄は、ほんの少しだけ目元を赤らめた。怒らせたんだろうか。その考えが浮かんだ途端、反射的に胸に押し付けた教科書類を持つ手に力が入る。
、今日は待ってろ」
 身構えた私に、唸るような飛雄の声が落ちてくる。だが、声のトーンとは裏腹に、そっと私の手の平に伸びた飛雄の縋るような指先は柔らかかった。指先だけで私の指を掴む、子供のような触れ方に驚いて目を瞬かせてしまう。
 飛雄の表情を伺うようにそっと見上げると、そこにはいつも以上に顔を歪めた飛雄の表情があった。
「肉まんおごれ。2つな」
「え、なにそれ」
「なにって……」
 殊勝な指先からは想像もつかない恐喝に、思わず反論してしまった。私の言葉を掴まえた飛雄は呆れたような表情で、私を睨みつてくる。
「お前、忘れてるのかもしんねぇけど…今日俺の誕生日だから。肉まんくらいいいだろ」
「え、忘れてないよっ!」
「なんだよ。覚えてたのかよ」
「忘れるわけないでしょ。何年幼馴染やってると思ってるの」
 飛雄の発言に、今度は私が呆れる番だった。卑屈とは程遠い性格をしているくせに、どうしてそんな考えを抱いたのか。自分が忘れっぽいことを加味しているのかもしれないけれど、生憎、私は記憶力を必要とする勉強は得意だったし、それ以上に飛雄のことでなにかを忘れたことなんて今までで一度だってないと断言できる。
「そっか」
 安心したように呟いた飛雄の表情から暗いものが消え失せる。憑き物が落ちたかのような表情の変化に、こちらまでなんだか安心してしまうほどだった。
「プレゼントも別に用意してるけど…肉まん、食べたいの?」
 私の言葉にこくんと黙って頷いた飛雄は、その味に思いを馳せたのかいつになくきらきらと目を輝かせる。ホント、バレーと食べ物のことになると殊更に嬉しそうにするんだから。飛雄の喜びがこっちまで移ったようで、私の表情も自然と緩んでしまう。
 本当のことを言えば、朝から飛雄がそわそわしているのには気付いていた。登校してすぐに3組の前を通りかかった時にやたらと硬い表情で黒板を睨みつけるさまや、ついさっきまで同じクラスの男子と喋っていたのにポカンと口を開けたまま固まったさまを目にしていた。
 だけどそれはもうすぐ冬休みで、バレーの全国大会が控えているからこその挙動なのかと考えていた。まさか私から「おめでとう」の一言がないからこその反応だったなんて想像もしていなかった。
「じゃあ、今日は一緒に帰ろうね」
「……おぅ」
 調子に乗って下校の約束を取り付けてみるとあっさりと承諾された。どうせ断られるんだろうな、だなんて思いながらの提案だったのであっけにとられてこっちが驚いてしまう。まぁ、坂ノ下商店で待ち合わせしたところでバレー部のコーチがいるのだから誤魔化しがきかないと諦めただけなのかもしれない。私と一緒に帰ることで生じる周囲からの誤解と、ホカホカの肉まんをその場で食べれる幸せを比べた時に、肉まんが勝っただけの話なんだろう。
 まぁ、それでもいっか。ゆるりと飛雄に笑いかけてみせると、ぎこちないながらも飛雄もまた口元を緩める。ほんの少しだけ目元を赤らめた飛雄の表情は、たしかについさっきも目にした反応だ。目にした飛雄の反応に、目を瞬かせ、またひとつ、笑みを深くした。
 さっきのは怒ったんじゃなくて照れていたのかと知るにはそれで十分だった。



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