北 信介02:縋る

067.縋る


 食堂に入り、パンを求めてごったがえす売店をすり抜け、食券機の前に並ぶ。普段なら昼ごはんは何にしようか、なんてわくわくめいた気持ちでホワイトボードに書かれたメニューを眺めているのだが、今日だけはそんな気持ちになれない。
 落ち着かない鼓動を抱えたまま、ちらりと手元に視線を落とす。使い込まれたキーティちゃんの小銭入れと共にぐんぐんバナナのパッケージが目に入ると、喉の奥できゅうっと音が鳴った。
 つい先程、北先輩と偶然会えた。それだけでも飛び上がってしまいそうなほど嬉しかったのに、当たったからとジュースまでプレゼントされた。ただそれだけで心は簡単に舞い上がった。
 夢の中にいるみたいな心地で食券を買い、冷たいうどんを口にしてもなお浮き足立った心境が落ち着くことはなかった。もしかしたら2センチくらい宙を歩いていたかもしれない。そんな馬鹿なことを考えてしまうほど、気持ちはふわふわしっぱなしだった。

「……でな北先輩に〝なんでぐんぐんバナナにしたんですか?〟って聞いたんよ。そしたら〝さんが飲んどるの思い出したから〟って言ってくれて……もう、そんなことあるっ?!」
「ハイハイ」

 私の言葉をすげなくあしらったちゃんはミートスパゲティを口に運びながらスマホをいじっている。視線を横に流してもほかのこたちもほぼ同じような姿で黙々とご飯を食べていた。なんの興味もありません、と言われるよりも強く印象に残る態度を見ても、今の私の心境では気落ちすることもムッとすることもない。

「ほんま夢みたいやぁ……」
 
 譫言にも似た言葉を零し、ほぅ、とひとつ息を吐き出した。夢ではないという証明は目の前にある。北先輩からもらったばかりのぐんぐんバナナのパックに人差し指をくっつければ温度差で生じたつゆが指先を濡らした。ただそれだけで気持ちが更に上昇していくのがわかった。見ているだけでうっとりとしてしまう。例え、友だちから暖簾に腕押しな反応しか返ってこなくとも、この気持ちが落ち込む方向へと舵を切ることはないだろう。

「……北先輩がなー……〝これ、当たってんけど二本も飲まんから……さん、良かったら飲む?〟って言うてくれたんよ……」
「何べん言うねん、……もう耳タコやわ」

 昼休みの間だけで三回目だと主張するちゃんには悪いけど、多分まだ言い足りんからこの数倍は言うで。そんなことを言ってしまえば頬を抓られるだけでは足りないだろうと知っていたので口にせずにおいた。
 浮ついた心境のまま冷たいうどんをすすりながらも頭の中にあるのは北先輩と交した会話ともらったぐんぐんバナナでいっぱいだった。大事にします、と口をついてでたのは嘘じゃない。いずれはちゃんと飲むつもりだけど、今はまだ手元に置いて愛でていたかった。

「それよりはよ食べんと昼休み終わるで」
「はぁい……」

 ちゃんの言葉に再び箸を動かし始める。ちゅるっとうどんを啜ると麺つゆが口元ではねた。ぺろっと舌で舐め取りながらも視線はいまだぐんぐんバナナに釘付けだ。じっと見つめることで存在感が私の中に刻まれたせいか、見慣れているはずのぐんぐんバナナのパッケージがきらきらと輝いているように見えてくる。
 またひとつ、うっとりとした息を吐いた私を見咎めたのか、ちゃんは大仰に息を吐き出した。

「北先輩も災難やな。ちょーっとに優しくしたら私たちみたいな知らんやつの間で話題にされるなんて」

 呆れにまみれたちゃんの言葉に思わず目を瞠る。今の言葉は聞き捨てならない。北先輩の話題を持ちかけすぎた自覚はある。だが、それは決して北先輩に迷惑をかけるためのものなんかじゃない。

「そんな悪いもんやないよ! 私はただ北先輩が素敵なのをみんなにも知って欲しいだけやから!」
「いや、宗教か」

 キュッと眉根を寄せて息巻いた私をちゃんはにべもなく一蹴する。ぐぬぬ、と言葉を失う私を尻目にちゃんは牛乳パックにストローを差してほかの子らを振り返る。

「あ。一個思い出したんやけど、ちょっと聞いてよ」
「ん?」
「この前の掃除時間なんやけどさぁ。中庭のゴミ袋持ってく北先輩をが見送っとるのを遠目から見たんよ。そしたらこんなちっちゃくなって手を振っててさあ」
「なんやその振る舞い。皇族か」

 肩をすぼめたちゃんは、その時見かけた私の仕草を真似しているのだろう。胸の前に掲げた手のひらを手首だけで左右に振った。その姿を見た友だちらは苦い笑みを浮かべながらも「まぁ、やしな」と納得しているようだ。
 ――私やったらなんやの、もう。
 この前もこうだった。あの時もそうだった。そんな風に身に覚えがあるようなないような微妙なラインの話に花を咲かせ始めた三人を見ていると次第に唇の先が尖って行く。せっかくの夢心地が鳴りをひそめ始めたのがいやで、うどんを食べ終えたのを機にちゃんたちから視線を外した。

「んで、。それ飲まんの?」
「飲むよ! けどもうちょっと見つめるから!」
「穴が開いても知らんよ」

 言いながらツンと鼻先を逸らした私はそのままの勢いでテーブルにこめかみをくっつけるように突っ伏した。額のそばにあるパックを目線まで引き寄せ、じっとパッケージを眺める。ぐんぐんバナナのパックしか目に入らない限りなく狭い世界。そっと目を閉じれば、先程交わした北先輩との会話や、その時の北先輩の表情が映画のように鮮やかに浮かび上がってくる。

「北先輩……かっこよかったなぁ……」

 熱の篭った譫言をこぼすと同時に頭の後ろから溜息が3つ重なった。

「アカンわ。これ、宮くんどっちかおらんの?」
「おらんのよね、それが」
「ホンット、肝心な時におらんのやから……」
「誰が役立たずや! お前らのツレや思って多めに見とったら調子乗りよって!」

 突然耳に飛び込んできた怒声に薄く目を見開いた。今のは侑の声や。ということは多分、治もおるやろうし、もしかしたら……北先輩も、いるかもしれない?
 そんな考えが頭をよぎった瞬間、ガバリと身体を起こす。上体を捻って振り返ると案の定、侑と治の姿が目に入った。突然起き上がった私を目を丸くした双子が見下ろしていたが、視線を左右に振っても肝心の北先輩の姿は見当たらなかった。
 期待しすぎたことに気付いた私は、はぁ、とひとつ溜め息を零してまた机にこめかみをくっつけた。

「ってお前もなんやねん! 人の顔を見るなり!」

 侑の怒気に塗れた声が耳に入ってきたが、今だけは相手にするような気持ちになれなかった。本物の北先輩がいないなら、今は北先輩からの贈り物を眺めていたい。そっと目を細めてぐんぐんバナナだけの世界に浸ろうとした。だが、まばたきをひとつ挟んだ途端、目の前にあったパックが消え失せる。

「なんで?!」

 驚いて再び身体を起こし周囲を探れば、ムスッとした表情の侑と視線が交差する。胸の前で腕を組んだ侑の手にはぐんぐんバナナは握られていない。じゃあ治が? そう思い、左へと視線を流せば、パックに書かれた成分表示を眺める治の姿が目に入った。

「なにすんねん、治! 返して!」
「なんや、いきなり。飲まんのやったら俺が飲んだろか思っただけやん」
「アカンアカン! 私が飲むんやから!」

 治なら今すぐにでも飲みかねない。せっかくの北先輩からのプレゼントを奪われた挙句、勝手に飲まれるなんてことがあっては溜まらない。そんな考えの元、治の目線の高さまで上げられた腕を引っ張ってジュースを奪い返した。私の剣幕に驚いたらしい治が眉根を寄せてこちらを見下ろしたが、それ以上の強さでもって睨めつけた。
 もう二度と取られるわけにはいかないと戻ってきたばかりのぐんぐんバナナを胸に隠すように抱いた私に、治も侑も呆れを含んだ溜息を吐き出した。

「なんでそんなもん大事にしとるんや」
「ぐぅ……」

 友だちには簡単に言えた理由をふたりには素直に言う気にならない。治はともかく、侑はきっとバカにする。
 幼いころから私が誰々くんがかっこいいと誉めそやす度に要らぬ誹りを受けてきた。要約すると〝見る目がない〟というのがふたりの主張だったが、今回に関してはいつもと勝手が違う。
 傍若無人なところのあるふたりだって、さすがに尊敬する北先輩を悪くいうつもりはないのだろう。だからこそ私に〝身の程を知れ〟と文句を言い放つ。お前の部屋はゴミ屋敷だの、性格がなんかもうだらしないだのと、口々にステレオ放送された罵倒が走馬灯のように脳裏を駆け巡る。
 きっと、北先輩にもらったジュースを大事にしてるなんて伝えたら「いつまでも飲まんと腐らせる気やないやろうな」なんて言い出すに決まってる。言われてもない文句に思わず顔を顰めた。だが、いくら誤魔化したところで私の嘘がふたりに通用するはずがない。観念するほか道はないのだと溜息をひとつ吐き出すと、ぎゅっと手の中のパックを握りしめた。

「……だって、北先輩が」
「はぁ? なんでそこで北さんが出てくんねん」

 顔を顰めた侑が口を挟んでくるものだから、続けるべき言葉を見失ってしまう。ちらりと横目で侑と治に視線を向けたが、ふたりとも追求の手を緩める気は無い顔つきで私をじっと見つめていた。
 ぐっと喉奥に力が入る。北先輩の名前を出してしまった以上、もう誤魔化しは効かない。ここは正直に、起こった出来事だけをふたりに伝えよう。

「北先輩が自販機で当てたジュース、私にくれたから」

 特別な意図はないのだと、端的に事実のみを口にした。ふたりからのからかいを受けたくないがための抵抗だったが、図らずも自分に言い聞かせるようになってしまいほんの少し気落ちする。
 顔見知りの先輩にジュースをもらっただけの、たったそれだけの話。だが、こんななんでもないやり取りが、私にとって僥倖以外の何物でもないのは、北先輩が相手だからだ。だから浮かれもするし、夢のような出来事に浸りもする。
 北先輩との会話を思い出すだけで、自然と耳に熱が走る。じわじわと広がる熱が頬にも現れたのを感じ、そっと手のひらで隠すと同時に侑が吹き出した。

「ふはっ。お前マジか。よりによって今日北さんからモノもらったんか」
「なによ。その笑い方」
「べぇつにぃ?」

 小馬鹿にするような表情を隠しもしない侑は、さらに表情を崩しこちらをおちょくってくる。態度の悪い侑を睨みつけたが、怯むどころかべっと舌を突き出された。更に視線を強くさせたところでちっとも侑に響いた気がしない。
 せせら笑う侑の隣で呆れたような表情を浮かべた治を見上げれば難なく視線がかち合った。
 ――別になにもおかしなこと言っとらんよね?
 尋ねるつもりで頭を傾けたが、ほんのりと眉根を寄せた治の様子にどうやら雲行きが怪しいことを肌で感じとる。途端に生じた不安に眉尻を下げれば、私の懊悩を察知したらしい治は顔を顰めて「はぁ」とひとつ溜息をこぼした。

……お前、知らんかったんやろうけど……北さん、今日誕生日やで」
「へ?」

 治の言葉に思わず目を丸くする。冗談じゃないよねと縋るように治のシャツの裾を指先で掴んだが、「ホンマやって」と簡単に振り払われた。つまり私は、本来ならばお祝いされるべき立場の人からプレゼントを貰ってしまったらしい。初めて知らされた事実に打ちのめされる。

「そうなん!?」

 衝撃に思わず膝裏に力が入る。椅子が床を擦る音がその場に響くと周囲の視線がこちらに集まったが、立ち上がりかけた私の頭を侑が抑え込んだ。行動は乱暴だが隠れておけと言うことなんだろう。なんだなんだと探る視線から逃れるように目立つ双子を壁にして肩を小さくさせた。
 そのままテーブルへと向き直り、取り返したばかりのぐんぐんバナナのパックをそっと目の前に置く。先程までは見つめるだけで心浮き立つ心地だったというのに今は居たたまれなさを増幅させるアイテムとなってしまった。

「そんな……知らんかった」

 治に知らされた事実を考えれば考えるほど顔から血の気が引いていく。いくら北先輩の誕生日を知らなかったとはいえ、あんなに浮かれ倒すなんて厚顔無恥にもほどがある。

「誕生日も祝わんとジュースもらって喜ぶなんて……北先輩に恥知らずって思われてたらどないしよ……」
「お前が恥ずかしいやつなんは北さんも織り込み済みやろ」
「せやせや。伊達に俺らバレー部で言いふらしとらんもんな」
「言いふらすってなによぉ……」

 人が落ち込んでいるというのに、侑も治も傷口に塩どころかわさびを塗るかのようにとんでもないことを言い放つ。まともに座っていることすら出来なくて、テーブルの上に突っ伏した。

「うぅ……」

 いつもならユニゾンで発せられる罵倒に立ち向かう私だが、自分の不甲斐なさや情けなさを抱えたままではそんな気力が湧いてこない。項垂れるままに呻き声を上げれば、背後からだけでなく隣や正面からも呆れを含んだ溜息が聞こえてきた。

「ちょっと宮兄弟。こんな凹まされたらウチらが大変なんやけど」
「知らん知らん。俺ら頼りにならん言うたんお前らやぞ。の面倒くらい見たらええんや」
「いや、そんなんさっきまでの状態の方がなんぼかマシやったわ」

 ちゃんと侑による私の養育権の押し付け合いを耳に入れながらのっそりと身体を起こすと、性懲りも無くぐんぐんバナナに手を伸ばそうとしていた治と視線が交差した。ジュースを取り上げられる前に治の手首を掴めば、治は下唇を突き上げて不満げな態度を露わにする。
 ジュースへと伸ばそうとしていた腕から力が抜けたのを感じ取った私は、治の手首を解放すると同時に戻ろうとする手のひらを捕まえた。ぎょっと目を丸くした治を見上げ、今度こそ、と治に縋り付く。

「なぁ、治……。お願いがあるんやけど……」
「なんや。金の無心なら俺に言うてもないぞ」
「そんなん頼んだことないやろっ! そうやなくて……北先輩に何渡したら喜んで貰えるか教えてよ」

 お願い、と気持ちを伝えるべくきゅっと治の手を握りしめる。真摯な眼差しで見上げているつもりだが、治は口元をへの字に曲げたままだ。辟易したとでもいいたげな表情に治からいい返事はもらえなさそうだと察してしまう。
 もう一度、お願いと口に仕掛けた瞬間、顔を顰めた侑が私の手の甲に手刀を落としてきた。

「痛っ……痛ったぁ! なんやの、もう!」
「知らんわそんなん! 自分で聞けや!」
「聞けんから頼んどるし! そもそも侑には聞いとらんし、こういう時は治しか頼りにならんもん!」
「なっ!」

 叩かれたばかりの手のひらを抱え込み侑に反論する。どうせ侑に頼んだって文句を言うだけ言って最終的にはなにも教えてくれない。だったら気分によっては答えてくれる治を頼った方が何倍もよい。
 紛うことなき事実を口にしただけが、自分だけが頼られることに対して治は気を良くしたのだろうか。ふふん、と侑に対して勝ち誇ったような笑みを向けた。

「そういうことや。まぁ、ここは俺に任せてお前はおとなしくしとき」
「なんやその顔! 腹立つわぁ!」
「同じ顔やぞ」

 双子特有の文句の押収を繰り広げ始めたふたりが喧嘩を始めてしまっては、聞けるものも聞けなくなってしまう。内心で焦った私はもう一度治の気を引くべく、シャツの裾を指先で引っ張った。

「なぁ治。なんか北先輩欲しいもんとか必要なもんとか言うとらんやった?」
「おん? せやなぁ……」

 無視されることが我慢ならないらしい侑は「まだ話は終わっとらんぞ!」と息巻いていたが、治が手の甲であしらうと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。追撃が来なくなったことでようやく考えることに集中できるようになったんだろう。治は「うーん」と鼻を抜ける声を出しながら思案しているようだった。

「そういや最近、学食のメニューに飽きた言うてたな」
「それがなんか関係あるん?」
「せやから、メシやって。メシもらって喜ばんやつはおらんって話や」

 胸の前で腕を組み、ふんぞり返るようにしていった治に思わず目を瞬かせる。

「治……北先輩は治やないんよ?」
「なんでや。北さんかて人間なんやしメシも食えばクソもするで」
「そうやなくて! 高校生にもなって腹一杯のメシ! なんてプレゼントないやろ。そもそも治やっていくら食べもの好きでもさすがにプレゼントに選ばんやろ?」

 私の的確な指摘に対し、治はあからさまに顔を顰めた。食べものならなんでも嬉しい治だって、今まで大量のごはんをプレゼントでもらったなんて聞いたことがない。バレーのシューズだとか、新しい服だとか。その時々で欲しいものをちゃんと選んだはずだ。
 だが、そこまで考えたものの、何年か前、治から誕生日プレゼントに纏わる愚痴を聞かされた記憶が脳裏に閃いた。確かあの時は、腹一杯の寿司ケーキが食べてみたいと母親にねだろうとしたが侑に却下されたとぼやいていなかっただろうか。「トロさえ入っていれば侑も喜ぶと思ったのに」だとか、「ふたり分のお願いなら相当おおきなものを作ってもらえるはずだったのに」と嘆いた治の姿が脳裏を過る。
 幼いころの記憶が蘇ると共に、この提案は治にとっては真剣な答えだったのだと知ると頭の奥から鈍い痛みが生まれてくるようだった。

「ごめんな……治は嬉しいんやもんな……」
「おん」

 額に手を添えて謝ると、顰めていた表情を元に戻した治は頭を揺らした。
 謝ったものの納得したわけではない私は、はぁ、とひとつ息を吐き出す。治には悪いが、どうしてもその提案は受け入れがたい。例え治が喜ぶのだとしても、今回私が喜んでもらいたい相手は北先輩だ。料理の腕に相当な自信があるシェフならばいざ知らず、平凡な女子高生の私が手料理で北先輩を喜ばせるなんて出来る気がしない。

「せやけど誕生日プレゼントに食べものはなぁ……」
「そんなん言うても、普段、俺らが考えてんのなんてメシかバレーのことばっかやぞ。せやから北さんに弁当でも作ってきたら喜ぶんやない? 知らんけど」

 唸る私がいつまでも提案を受け入れないことに業を煮やしたのか、治は投げやりな態度で言い放つ。むくれてしまった治を見上げたが、尖った唇の先は簡単に引っ込みそうにない。

「弁当言うても、あんたらファンの子らからの差し入れ受け取ったことないやん」
「知らんやつが作ったもんなんて食えるか」

 結構な言い草だけど、侑や治ほどの人気者ならそのくらいの警戒心は必要なんだろう。もしかしたら私が知らないだけで過去に痛い目に遭っていたとしてもおかしくはない。
 少女漫画でたまに見かけるが、おまじないを免罪符に結構えげつない描写あるもんな。お気の毒に、なんて気持ちが沸き起こると視線に同情が入り交じってしまう。
 よっぽどな視線になっていたのだろう。私の視線を受け止めた治は「なんやねん、その目」と言うと、手のひらを縦にして私の額を小突いた。

「まぁ、お前やったら別に変なもん入れたところで砂糖と塩間違えたとかそんなベタなミスするくらいやろ」
「麺つゆと麦茶間違えたりな」
「そんなミスせんよ!」

 つい先程までおとなしくしてた侑が私を貶めるチャンスを見つけるや否や首を突っ込んでくる。すかさず言い返したが、侑は首を竦めながらもまたべっと舌を突き出した。

「やったら証拠見してみぃや。ショーコ!」

 本当にまともな料理が作れるのかどうか。それを見るまで私を認めないと言いたげな侑の態度にムッと唇を引き締める。
 ベタな挑発に乗って、これまたベタな手作りのお弁当を渡すのか。北先輩にドン引きされないだろうかという不安は付き纏うが、ここまで言われて引き下がれるほど私は大人ではいられない。

「わかったわ……その代わり受け取ってもらえんかったらアンタら責任もってちゃんと処理せぇよ」
「ふはっ。処理て」
「自分で言うてたら世話ないぞ」

 自信のなさが言葉の端に出てしまったのを双子はここぞとばかりに拾い上げる。些細なことをあげつらわれたことで、羞恥と怒りに頬に熱が差したのがわかった。

「もう! いちいち拾わんでよ!」

 反応すれば双子を喜ばせるだけだということは知っている。だが何も言い返さなければ、どこまで受け入れられるか試すかのごとくふたりは調子に乗るだろう。タチの悪い幼馴染を持ってしまった宿命を恨みながらも、得られるメリットは存分に有効活用せねばと思い直す。

「せや、アンタら私のこと唆したからには今日中に北先輩の好きな食べもの聞いといてよ!」
「はあ? なんで俺らがそんなん聞かなあかんねん」
「だって、もう今日は北先輩に会える気せんもん」
「クラスまで行ったらええんちゃう?」
「無理やって! 第一そんなん出来るんやったら直接欲しいもの聞くわ!」

 侑も治も、私をその気にさせたくせに最後まで面倒を見るつもりはないらしい。辟易したと隠しもしない顔がふたつも並べられると、その印象は二倍になってのしかかってくる。
 小指の先を耳の穴に突っ込んだ侑はそっぽを向いて「俺、関係ないし」という態度を取っていたが、表情を一変させると晴れやかな笑顔を浮かべてこちらを振り返る。

「あ、そういや北さんトロが好きや言うてたで」
「弁当にトロ入れられんし、そもそもそれ侑の好物やん!」
「メシやったらなんでもえぇて言うてくれるひとやぞ」
「100点満点の答えやけどそれも治の好物! もう! ちゃんと相談乗ってよ!」

 侑の弁に便乗した治の悪ノリを一蹴すると、ふたりはまたしても同じ顔をしてこちらを見下ろした。

「おぉ、怖ぁ……動物園のサルの方がまだ大人しいぞ」
「お前、その剣幕ちゃんと北さんにも見せぇよ」
「北先輩は私を怒らせるようなこと言わんもん!」

 まったく思い通りに動いてくれないふたりに腹を立てた私は、わざとらしく眉尻を下げて震えてみせるふたりに大きな声を張り上げる。

「怒られんってわかっとるのになんで聞きに行けんとか言うんや」

 わけがわからないとでも言いたげに眉をひそめた治は首を傾げてこちらに問いかける。私の直面する問題の解決策は目の前にある。だが、それを取り難い理由だってちゃんとあるのだ。
 う、と呻いてそのまま口篭る私を見下ろした侑も、治と同じように首を傾けた。じっとこちらを見つめる視線に戸惑う私を尻目にちゃんらは溜息をこぼしたりニヤニヤとした笑みを浮かべたり三者三様の態度を見せている。
 友人らの態度に逃れるように双子へと視線を戻す。いまだ降り注ぐ視線から追求の念は消えていない。きっと私が答えるまで解放されないだろう。はぁ、とひとつ息を吐き出すと、渋々ながらも観念して口を開いた。

「だって……だって恥ずかしいやん、そんなん」

 正直な気持ちを吐露した途端、言いようのない羞恥が我が身を襲う。ふたりの反応を見ていられなくて頬に手のひらをあてがいそっぽを向いた。
 北先輩を前にすると、自然と背筋が伸びる。よく見られたいという気持ちがそうさせるのだが、裏を返せばかっこ悪いところは見せられないという抵抗めいた気持ちが根底にあった。もちろん北先輩が私のカッコ悪さを嘲笑うひとではないことは十分承知しているのだが、それとこれとはまた別問題だった。大雑把で尊大なところのあるふたりには、小さな胸を焦がす恋する乙女の気持ちなんて一生わからないのだろう。
 頬が熱を帯び始めたことに気づいた私は、手のひらをうちわのように仰ぐことで風を送り込む。そうやって浮かびあがる熱を逃していたが、ふたりの反応がまったく見えないのも怖い、なんて気持ちが湧き起こる。
 喉をひとつ鳴らして覚悟を決めると、恐る恐る横目でふたりの様子を伺った。瞬間、目に見えた光景に、見なければよかったと後悔が襲いかかるがもう遅い。
 存分に顔を顰めた侑は歯を食いしばり、呆れ果てたとでも言いたげな治は開いた口が塞がらないといった顔で私を見下ろしていた。金剛力士像さながらの阿吽の表情は、「キッショ」と口にされてないだけまだマシな顔つきだ。
 蔑みに満ちた視線と頼りない私の視線が交差する。侑と治は私の顔を見下ろしたままユニゾンで溜息を吐くと、ふたり揃ってこちらに背を向けた。

「アホくさ……」
「なっ……ちょっと! 逃げる気?」
「知らん知らん。俺らにそこまでしてやる義理はない。お前ひとりでどうにかせぇ」
「あっ! 待ってよ!!」

 ここまで言わせておいてそれは無い。このままでは無駄に生き恥を晒しただけになってしまう。それだけは断固阻止せねば。
 完全に興醒めしたと言いたげなふたりに追いすがるべく手を伸ばす。本当はシャツを掴みたかったのだが上手く引っかからず泳ぐ手をなんとか伸ばし、ようやくベルトを引っ掴んだ。逃さないとばかりに引っ掛けた指先に力を入れると、腰履きにしているズボンが思ったより下がってしまったことでふたりは甲高い声で悲鳴を上げた。



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