北 信介03:持て余す

088.持て余す


 部活生の最終下校時間も残すところあと20分といった頃合い。部室で帰り支度をしようとエナメルに使ったタオルなどを詰めていると、カバン底からチカッとした光が見えた。
 どうやら部活の合間に届いたメールの着信を知らせるランプが赤く光ったもののようだ。エマージェンシーとも取れるランプの色はデフォルト設定のものだ。そうとわかっているのに、なぜかこの時ばかりはただ事ではないように思えて確認するのに躊躇してしまう。
 だが、そうは言っても報せを受けて見ずに後悔するようなことがあってはならない。気乗りはしないが意を決して携帯電話に手を伸ばす。
 ゴクリとひとつ喉を鳴らし、拭いきれない胸騒ぎを抱えたままメールフォルダを開く。いくつかの問題ないメールに紛れて「アランくん助けて!」というタイトルが目に入る。同時に差出人がからだと気付くと、今感じている胸騒ぎの正体は確実にこれだと察知する。
 嫌な予感しかないこのメールをどうにか受け取らなかったことに出来ないかと切実に願った。だが、そんな願い事が叶うはずもなく、からのメールは確かな存在感を放ったまま未読メールフォルダに鎮座したままだ。
 肩で大きく息を吐く。ジャージから制服に着替えるでもなし、たいした時間は掛からない。それでも今はただ、普段しないことをしてでもインターバルが必要だ。
 とりあえず、と詰めたばかりのタオルをエナメルから引き抜き、丁寧に畳んでなおすことから始める。問題を先送りにしたところで何の解決にもならない。だが「メール来た! ハイ今すぐ読む!」というテンポで読めるほど豪胆でもいられない以上、ひとまず心を整えるだけの余裕は欲しかった。
 ゆっくりとした手つきでタオルの四隅を合わせながらメールの差出人のことを考える。は俺にとっては友人でもなければ、部活の後輩ですらない。ジュニアバレー教室で一緒になったことはあるが、あんな大人数の中でわざわざ知らんやつに声をかけることなんて無い。があの双子の幼馴染なんてもんをやってなければきっと知り合うこともなかっただろう女だ。
 それでも、何の因果か。なかったはずの接点が重なるにつれ〝双子の幼馴染みの女の子〟から〝会えば挨拶をする程度の知り合い〟を経て〝やたらとこちらを頼ってくる後輩〟へと変遷した。
 ――はじめは会釈すらもせんやったのに今は「アランくん助けて」なんやもんな。
 振り返ってみれば、まともな自己紹介をしたかどうかすら危うい。それでも結果として名前で呼び合う仲に発展しているのだから、「こういう知り合い方もあるもんやな」としみじみ思う。 
 そんなは、ガキのころからいわゆる〝こどもらしいこども〟という印象の強い女だった。ちょっとした冗談も真に受ければ、侑や治の挑発にすぐ乗ってしまうような骨のある一面も持っている。その中でも素直さが一番強い印象として残っているは、いくつになってもあどけなさの抜けない笑顔で接してくるものだから本当にあの双子の幼馴染みかと疑ってしまうほどだった。
 小・中・高とかれこれ5年以上の付き合いになる。濃度はそれほどではなくとも為人を知るには十分な時間だった。今となっては、ある種の稲荷崎バレー部名物になりつつある情景だが、侑も治も昔からやたらとのことを構い倒していた。ふたりにとっての〝聖域〟と呼ぶにはあまりにも言葉が綺麗すぎるが、絶対不可侵という意味ではあながち間違っちゃいない。
 が近付くか、それともに近付くかは関係ない。関わりのある野郎どもを意欲的に排除していく姿はさながら歴戦のSPのようだった。その排除対象に一度だけうっかり入り込んでしまった俺が言うのもなんだが、あの双子がここまで執着するものかと恐れ入ったものだ。
 ――言うてもその〝一度だけ〟だって名前が横文字でかっこいいなと褒められただけのものなんやけどな。
 真実を知ればなんてことのない賞賛だ。だが、が発した「アランくんってかっこいいな」という言葉を拾った双子は自分らだって同じようなことを言ったのを棚に上げて大いに騒ぎ立てた。

「それやったら俺かてツムやぞ」
「俺はサムやからな!」
「それ自分らが勝手につけただけやん。アランくんのは天然ものやから全然違うよ!」
 
 幼いころに目にした光景がすんなりと脳内で再生される。当時の俺はまだ彼らをよく知らず遠巻きに見る程度の間柄だったから、脳内で「いや、魚か!」と突っ込んだものだ。
 たまにあるバレーボール教室で顔を合わせる度に似たような光景を見てきたが、それが今でも続いているのは本当に面白いというか呆れるというか。
 が他の男と話す度、侑も治も機嫌を悪くする。嫉妬に満ちた視線だけでなく行動までも差し向ける双子は、正直、番犬よりも忠義深いのではないかと疑ってしまうほどだ。
 そんな双子ガードは俺が知る限り、5年経った今も強靱な強さでもって防衛を維持し続けている。だが、そんな鉄壁をくぐり抜け、いつの間にかのハートを射貫いていた者がここにいるのだ。
 十中八九、からの要件はこの男についての相談だ。過去に何度か同じ件名で届いたメールを思い返しながら、ちらりと横目で北を盗み見る。日常生活に一分の隙もない北は、流れる汗を拭ったタオルを丁寧に畳み、Tシャツの裾を捲ってシーブリーズを自らの身体に吹きつけていた。見慣れた一連のルーティンは入学したころから変わらない。
 反復・継続・丁寧。そんな標語が似合いすぎる北に対し、いつしかは憧れの眼差しを向けていた。
 いつから好きなのか。そもそもいつ、どこで知り合ったのかすら知らない。記憶を巡らせても俺らが二年のころはそんな素振りは一切見られなかった。入学したばかりのが侑や治によってバレー部出禁を言い渡されていたというのもあり、北と知り合う機会すらなかったからだ。だが、進級して試合の観戦が解禁された日にはもうすでにから北への熱い恋心は炸裂していた。
 空白の一年。その間に北との間に何が起こったのか。がバレー部の試合を観に来たところで、角名や銀さえも近付かせない双子の鉄壁に対しどうやって立ち向かったのか。それを知るために俺はジャングルの奥地へと足を運ぶ――ような真似はしない。
 同年代の恋バナに対し、興味が無いといえば嘘になる。だが、今回ばかりは組み合わせが最悪だ。ふたりがどこか俺の知らない遠いところで結ばれてハッピーエンドで締めくくるのなら話は別だ。
 だが現実を顧みれば、はともかく、北とは同じ部活仲間として切っても切れない縁にある。もし北とが仲良くする姿なんて場面に遭遇すれば、に好きの集中砲火を放つ双子はきっと黙っていないだろう。
 その結末に辿り着くまでの間、双子が荒れることを考えると、どう足掻いても被害に遭うのは全員と何らかの関わり合いがある俺だ。ぶっちゃけ、そんな目に見えた地雷原に踏み入れる勇気は無い。喚き散らす双子を想像しただけで胃に穴が開きそうだ。微かに痛みを伴い始めた気がして、そっと腹に手を添える。
 ――それにしても、もなんで北を選ぶんや。
 あれだけ侑からも治からもビシビシと好意を差し向けられているにも関わらず、はまったく靡く様子を見せなかった。むしろふたりの想いに気付いてない節すらある。
 もちろん、ふたりのかわいがり方がお気に入りのおもちゃレベルの幼稚なものだから伝わりにくいというのもあるだろう。だが、それらを差っ引いてもがコロッと北に惚れる展開はあまりにも予想外すぎた。「いやほんまなんでそこ?!」と頭を抱えずにはいられない。
 だが、とっととどっちかとくっついてくればと思う反面、どちらかを選ばれていたら果てしなく続く兄弟喧嘩が勃発するのが目に見えている。
 ならば、ふたりの想いに気付いてないならそれでいい。せめて想う相手を俺の知らんやつにしてくれたら被害がこっちに及ぶことはなかっただろうに、と嘆いたところで意味をなさない。同学年とか他校のやつとか、探せばいくらでもあっただろう候補を頭に思い浮かべたが、彼らと共にあるはずだった未来のことごとくを侑と治によって潰された。
 の恋路は、あの双子の幼馴染として生まれ、同時に惚れられた時点でほとんどのルートが詰んでいる。そんな中で、巡り巡ってようやく辿り着いたのが北だったのだろう。
 あの双子らにとっては一番相手にしにくい人物だと思えるだけに皮肉なものだと同情せざるを得ない。だが、あえて言おう。何度でも言おう。
 ――いやほんまなんで北やねん。
 〝北でなければ〟と思う気持ちは強くあるが、北を貶すつもりなんて微塵もない。責任感のある北は恋愛だけで終わるにしろ結婚まで行き着くにしろ、部内で一番、自信を持って紹介できる男だ。なんなら紹介した俺の株が上がるほどの男だとすら思っている。
 ただ、本当に組み合わせが最悪なのだ。が双子に惚れられてさえなければ、もしくは北と双子が先輩後輩の関係にさえなければ大手を振って応援したことだろう。
 だが、残念ながら現実は厳しく、ときに無情だ。俺の望む平穏も来なければ、もいい男を選んだものだと賞賛する未来もやって来ない。
 ひとつ、肩で大きく息を吐く。色々と考えている間に帰り支度は済んでしまった。あとはもう部室を出るだけだが、いまだ赤いランプが点灯する携帯に手を伸ばすことが出来ないでいる。
 からのSOSを無視するつもりがない以上、早く返信してやった方がいいのはわかってる。だがこのメールに応じたあと、騒ぐであろう双子を想像するといつまでも問題を先送りにしたいような気になってくる。
 ――ほんま、俺を巻き込まんで欲しい。
 手のひらで顔を覆うと、脳裏にの顔が浮かび上がる。眉毛を八の字にして縋りついてくるは、今日の昼休みにも双子にコテンパンにされたと聞いている。
 それを思えばを手助けしてやれる相手は俺を置いてほかにいないのだろう。想像の中にいるはひどく情けない顔を浮かべている。その顔つきはジャイアンやスネ夫にいじめられてドラえもんに泣きつくのび太くんとよく似ていた。

「って誰がドラえもんやねん!」
「そんなん言うとらんぞ」

 突然、脳内に映し出された映像は俺が青い着ぐるみを着てどら焼きを頬張る姿だった。おぞましい想像に思わずツッコミを口にしてしまうと同時に、隣にいた北がすかさず口を挟んでくる。冷静な正論パンチにむっ、と唇を結ぶ。
 ――が惚れた相手というなら北はさしずめしずかちゃんか?
 まじまじと見下ろしたものの、あまりにもしっくり来ない想像に苦い笑みを浮かべてしまう。北としずかちゃんとの共通点を探るが同じ人類だという以外取り立てて思いつかなかった。
 こんな愛嬌のないやつをヒロインに据えるよりも、もっと適任がいたのではと内心で首を捻る。そこまで考えた途端、とある人物の影が脳内に閃いた。

「出来杉くん……」
「誰がやねん」

 北をドラえもんの登場人物に当てはめるのであれば間違いなく出来杉くんだ。そんな確信の元、その名を口にすれば、すかさずツッコミが入ってくる。

「いきなりどうしたんや」
「いや――いや。忘れてくれ」
「そうか。ほなあほなこと言うとらんと、さっさと帰ろか。はよせんとそろそろ最終チャイム鳴るで」
「おん」
 
 俺の妙な言動を意に介さない北は、部内に忘れ物がないか点検をした後、スタスタと出入口に向かって足を運んだ。俺もまたエナメルを肩に掛けがてら、携帯電話を引っ掴んで部室から出る。
 施錠した後、鍵をちゃんといつものポケットにしまい込む北を見下ろしながら、そっと携帯電話を開いた。以前ならば、が俺を頼るとき、十中八九双子絡みだった。だが最近ではその割合に北絡みがくい込んでくるようになった。もっとも、前提として「双子が教えてくれなかったから」という理由が含まれているため、ある意味双子の割合は変わってないのだが。
 ひとつ溜息を吐きこぼす。は友人でもなんでもないが、小学生の頃からの知己だ。妹分と言っても差し支えない程度の交流はあるし、かわいい後輩のひとりであることには変わりない。
 力になれるのなら、なってやりたい。そんな心境に後押しされながらも、躊躇いに躊躇いを重ねてメールの文面に目を通す。
 目にしてしまえば何をあんなに躊躇していたのだろうと思える程度の内容が書かれていた。「北先輩の好きな食べ物を知ってたら教えてください!」という主旨と共に、侑や治に聞いても教えて貰えなかった旨も書かれており、恐らく昼休みに騒いだ原因はそこなのだろうと理解する。
 ビビる程のものではなかったことに安堵の息を吐く。だが、一息ついたのも束の間。正解を知らない俺にとっては割と悩ましい質問でもあった。
 知らんと一蹴するのは簡単だ。だが、が困ってる顔を思い浮かべると、聞いてやらねばという使命感が滲み出る。
 
「北」
「ん?」
「お前、好きな食いもんなんやったっけ」
「なんや藪から棒に」

 この正論パンチを掻い潜り、俺が得られるものはなんなのか。その答えを知るために、俺はこの困難な道へと足を踏み入れる。

「いや、明日も食堂でめし食うやんか。何が来たらテンション上がるかちょっと知りたくなってな」

 あたかもただの雑談であるかのように振る舞うと、一度目を瞬かせた北は「ふむ」と小さく口にし自分の顎に手を添えて思案に入る。

「せやなぁ……」

 考えながら足を踏み出した北に合わせて俺もまた帰路につく。背にした校舎から最終下校時間を報せるチャイムが流れてくるのを耳にしながらも、いまだ思案中といった様子の北の頭の中には目まぐるしくおかずの品目が脳裏を駆けていることだろう。

「豆腐ハンバーグやな」
「おん?」

 さらりと紡がれた言葉を思わず聞き返してしまう。ハンバーグとだけは耳が拾った。だが、その前に告げられた言葉は、和風だとか目玉焼きが乗ったやつだとか。ハンバーグに添えられる単語として聞き慣れたものではなかったように思える。
 頭の上にクエスチョンマークを乗せたような顔をしていたのだろう。ちらりと俺を見上げた北は、目をゆっくりと瞬かせたのち、また進行方向へと目を向けて口を開いた。

「だから豆腐ハンバーグや」
「豆腐? あの味噌汁とか吸い物に入っとるやつ?」
「冷や奴や湯豆腐のな」

 再度尋ねれば、俺が思うとおりのものであると北は告げた。豆腐ハンバーグ。メニューとしては聞いたことはあるが、口にした覚えはない。小・中の給食で出ただろうかと首を捻ったが、味どころかその姿さえも朧気にさえ思い出せなくてますます渋面を刻んでしまう。
 いささか渋い選出に、俺はまだ納得しない心境で北を見下ろした。「なんで?」とでも書かれたような顔をしていたのだろう。こちらに一瞥を流した北は、淡々とした口調で言葉を紡ぎ始める。

「出汁と生姜の効いたやつな。食ったことないか? 結構うまいで」
「そうなんか。俺んちでは出たことないなぁ。普通のハンバーグとは違うんよな?」
「せやな。挽き肉も入るけど半分くらいは豆腐やからな。油っこいとこなくて口当たりもえぇよ」
「……健康によさそうやな」

 ハンバーグと言えば滴る肉汁に舌鼓を打つものでは無いのか。北の言う豆腐ハンバーグの説明を聞く限り、どうしても淡白な印象を受けた感が否めない。
 育ち盛りの俺たちには不向きに思えるメニューが食堂で出てきても複雑な心境になりそうだ。だが、そんなメニューとは言え、北は好きだと言う。人の好きなもんを頭から否定するわけにはいかない。ならば、と出来るだけ耳障りのいい言葉を伝えようとしたが褒めるべき要素はほとんど見当たらなかった。同じ材料を使うなら、麻婆豆腐が出た方が俺のテンションは上がることだろう。

「夏場やとどうしても食欲は落ちるし、そういう時にはさっぱりしたもん食いたいやんか」
「まぁ、それはわかるけども」

 夏の暑い昼間に食べる素麺は格別だと思う。薬味やつゆを変えたら無限に食える。さっぱりしたもん代表を頭に思い浮かべると、今度はしっかりと同意出来た。俺の肯定に今までとの温度差を感じたのだろうか。北はほんのりと口元を緩めた。

「まぁ冬に出ても嬉しいけどな。ばあちゃんが作ったやつ美味いんや」

 北の言葉に、北のばあちゃんが作る弁当を思い出す。色どりがいいとは言い難いものの、いつ見てもどれも美味そうなもんが入っていた。

「聞いてたら美味そうな気がして来たわ。でも食堂では出んやろうなぁ」
「せやなぁ。手ぇかかる割に腹はそんな膨れんから人気はなさそうやな」
「なるほどな……」

 頭を揺らして同意を示すと、北もまた「うん」とひとつ頷いた。途切れた会話に話題の終わりを感じ取る。次の話題に転換する前にに教えておいてやろう。
 ちょうど信号待ちに差し掛かったところやし、忘れないうちに、とメールに文面を打ち込んでいく。ちゃんと「出汁と生姜の効いたやつ」と注意事項を添え、送信ボタンを押した。
 ――これでミッションコンプリートってやつだ。
 達成感に促されてひとつ息を吐き出せば、いつの間にか肩に力が入っていたらしく思いのほか楽になった。あとはが何らかのコトを起こした時に、双子が暴れないことを祈るのみだ。
 まだ見ぬ未来に一抹の不安を覚えながらも。信号が青になったことで一歩踏み出すと、北が小さく肩を揺らしたのが横目に入る。

「ふふっ」
「なんや急に笑いだして」
「いや、休憩時間に聞いた話を思い出してな」
「? なんかあったか?」

 いつになく漠然とした言葉を紡いだ北は、俺の言葉を受けると同時にまた「ふふ」と笑い出す。妙に機嫌の良さそうな表情に首を捻れば、北はこちらを振り返って口を開いた。

「なんや今日の昼、食堂で双子とさんがやり合うたらしいやんか」
「なっ……! お前、それ聞いとったんか」

 喧嘩するほど仲がいいとはよく言ったもので、互いに遠慮がないからこそ、ちょっとしたからかいさえも言い合いに発展するだけなのだ。そんな三人の姿はある種のお約束のようなもので、喧嘩することに対して特別な心配はしていない。
 今日行われたものだってそうだ。双子の悪行と言うべきか、の逆襲と言うべきか。バレー部名物の場外乱闘とも言える昼休みの喧噪は俺の耳にも入っていた。だが、その話題を口にしたのはを悪し様に言う常習犯とも言える双子だ。すべてを鵜呑みにしてはあまりにもに不利すぎる。
 食堂の箸やお盆を投げつけての大喧嘩をしただとか、あまつさえテーブルを壊しただとか。部内でのの評判を落とすためならありえないことを平気で口にするふたりの弁に耳を傾ける価値はない。
 そもそも俺らだって昼飯は食堂で食ったんや。そんな大立ち回りがあったらさすがに気付いたことだろう。

「仲いいんか悪いんか……。聞けばほとんど毎日言い合っとるらしいしな。そこまで行くともう名物やな」
「あぁ……まぁ昔からあいつらはあんなもんやし、アレはアレでもう成立しとるってのはあるな」
「それにしても……侑が言うには、今日はふたりしてさんにズボン脱がされたらしいやん。ふふっ。どんだけ隙だらけやねん」
「いやそれ8割は侑の誇張やから信じんどいてやってくれな?!」

 実際に脱がしたかどうかは知らない。だが事実がどうあれ惚れた男に痴女のように勘違いされるのはさすがにが気の毒すぎる。
 焦って弁明する俺が面白かったのか、北は目を細めてこちらを見上げた。

「まぁ、わかるわ。さん、元気な子やけどそこまで妙なことはせんもんな」
「いや、正直ならうっかり脱がしてもおかしくないところはあるけども……」
「そうなんか?」

 ちゃんとフォローしてやるつもりだったが、普段のの様子が頭に浮かぶとつい確信への後押しをしてしまう。思わず口を噤んだが後の祭りというやつだ。
 丸っこい目でこちらを見上げる北にどう釈明するべきか。下手な嘘を吐いたところでいずれ自分との身を滅ぼしかねない。言い訳が通用しない以上、正直にがどんなやつなのか伝えてしまった方がいいだろう。

「わざと悪いことするやつやないんやで? ただ結果としてむちゃくちゃやりよったなって思うときがないわけではないと言うか……」

 ここから先の説明を上手く話す自信はなかった。から妙な経緯で被害を受けた経験のある俺や双子の間では「そういうやつなんよな」で済む話だが、果たして北がどう思うか。

「まぁ、とおったらそのうちわかる程度の話なんやけどな。何においても間が悪いねん、アイツ」

 は決して、双子を辱めようだとか、パンツが見たかったとか、そんなクソみたいな理由で人のズボンを脱がすような女では断じてない。だが目の前にあるものを後先考えずに掴んだ結果、それがたまたまズボンだったがために人様のパンツを公衆の面前に晒す結果になってしまう。そういう抜けたところがあるやつだった。
 人によっては悪意がない分、なおさらタチが悪いなんて話にもなりかねないが、俺らにとっては想定内の事件なので大袈裟にするような話でもない。もっとも侑にしてみれば北からへの印象を下げるための絶好のチャンスとでも思ったのだろう。そこに付け込まれたのはの落ち度でなくとも、こればかりは双子ガードの一環のようなものなのでには諦めてもらうほかない。

「とにかく!  悪いヤツではないのは確かやから誤解せんでやってくれ!」

 多くを話せばボロを出してしまうかもしれない。そんな危惧のもと、無理やりに話を打ち切ってみれば、北は相変わらずまったく考えの読めない視線をこちらに差し向けた。

「そうか。まぁ、なんとなくわかったわ」
「なんとなくってなんやねん」

 北にしては珍しく曖昧な物言いだ。ハッキリしない同意を示した北の横顔を見下ろしたまま軽く首を捻ると、北は相変わらずまっすぐ前を見つめたまま口を開いた。

「なんとなくはなんとなくや」
「それはそうなんやろうけど……なんや、北に言われると妙に落ち着かんな」

 いつもきっぱりとした言動で周囲を黙らせる傾向にある北がまさかゴリ押しをしてくるなんて思ってもみなかった。弁論とは言い難い言い草に「はは」と笑い混じりで応じると北は一瞥をこちらに流し、また進行方向へと視線を向ける。

「それにしても随分かわいがっとるんやな。さんのこと」
「いや、それは別に……普通やと思うけど」

 表情の崩れない北が淡々と紡いだ言葉に思わず口ごもってしまう。これが双子のどちらかが発したものならば間違いなく嫉妬によるものだと確信できるのだが、相手が北ではどういう意図をはらんだ言葉なのか読み取れない。
 なんてことの無い言葉のはずなのに、つい先程まで談笑していたのが信じられないほど答えに窮してしまう。後頭部に手をやり思案するものの一向に答えは見えてこない。空中に視線を投げやったとろで昼の風景から夕方を挟まずに夜に向かっていく空しか目に入らず、溜息を吐きこぼすことしかできなかった。

「というか、あのザマ見とったら誰かてに肩入れするわ」
「あぁ、昔からやられとるらしいもんな」

 治はともかく、侑のやり口は相当目に余るものがある。俺やなくてもきっと誰もがを助けたことだろう。それこそ北が俺と同じ立場にあったら、もしかしたらもっとの被害は少なかったのかもしれない。
 たらればを口にしたところで意味の無い妄想だからいちいち北には言わないが、小さい頃に知り合うてたらは間違いなく北にべったり張り付いて離れなかったやろうな。そうなってた時、双子は離れが出来ていたのか。それとも今以上に執着していたのか。ありもしない過去に思いを馳せてみてはふふ、と笑ってしまう。笑う俺を横目で見上げた北もまた、俺と同じように口元を緩めていた。

「せやったら、お前ら4人は幼馴染ってやつなんやな」

 学校からここまで歩く中で長々と口にした話を総括した北はなにやら納得したように頭を揺らしていた。北にしてみれば俺らがガキのころからの知り合いであるように見えたのかもしれない。たしかに双子とはケツの青いころからの仲だと聞いている。だが、俺に関しては違う。実際あいつらと初めて会ったのなんて小5の時や。そんな年で出会ったやつなんか幼馴染とは言わんやろ。

「別に幼馴染ってほどやないで。ただちょっと昔から知っとる程度のもんや」
「そうなんか。どっちにしろ、今、仲ようしとるのが結果やから大差ないとは思うが――ええな、それ」

 ふわりと口元を緩めた北に思わず面食らってしまう。その「えぇな」が一体何に掛かっているのか。気心が知れている人間が複数いることに対する憧れなのか。ガキのころから信頼できる関係を築き続けていることに対する羨望なのか。それとも――。
 ひとつの仮定を頭に過らせた途端、思わず喉をごくりと鳴らした。だが、そんなにとってうまい話があるんだろうか。
 ――まさか北に限って〝と昔から仲がいいのを羨んだ〟なんて展開はないよな?
 から北に向けての矢印がビンビンに刺さっている現状を思うと、どうしてもそっち方面に思いを巡らせてしまう。
 そんな展開があって欲しいのかどうか。の一方的な想いなら双子との兼ね合いを考えて大手を振っての応援は出来ない。だが、もしも北もそういうつもりなら話は変わってくる。双子とは長い付き合いではあるが、北だって同い年の大事な部活仲間だ。  
 ――というかあの北やぞ。
 初めてユニフォームもらって泣いてしまうほど嬉しかったくせに、いちいち理由をつけんと喜べんような男が好きな女が出来たなんて言おうものなら、俺は聞いた瞬間に赤飯を炊くために材料を求めて走り出してしまうかもしれない。
 果たして北はどういうつもりで今の言葉を言ったのか。それを知るために俺は身を乗り出して話を聞くべきか、あえて気づかなかったフリをするべきか。
 好奇心は猫を殺すという言葉がある以上、野暮な詮索をするべきではないのはわかっている。だが、目の前で始まりかけている青春の一端を暴きたい気持ちがないと言えば嘘になる。
 ――ほんま、悩ませてくれるわ。
 からのメールに始まり、北の好きな飯を聞き出してようやっと解決したかと思えば、ここに来てまさかの北のセリフだ。部活終わりに頭を悩まされてばっかりやと溜息を吐きながらも、どうしてか口元はむずむずと緩みたがっていた。



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