北 信介05:憧れる

056.憧れる


 部活を終え、体育館を飛び出た俺たちは我先にと水飲み場に向かって駆け出した。
 真夏の体育館は、ハッキリ言って地獄だ。窓もドアも全開にしていてもなお残る蒸し暑さはサウナなんて生易しい呼称では間に合わないほどの息苦しさを与えた。
 ただその場に立っているだけでもかなりの苦痛を味わう。そんな状況にも関わらず、体力の続く限りボールを打ち合い、拾い、時にはジャンプして相手の行動を妨げる。そんな酔狂にも似た行動を毎日毎日繰り返す。
 何かの拍子に吐いてしまうのではと危ぶまれるほど肉体も精神も追い込んで得られる対価は決して多くはない。それでもバレーを止める選択肢は頭に思い浮かばないんだから、俺も含めてバレー部のやつらは全員、どうかしてる。本来なら周りの存在を頼もしく思うべきところだが、部活を終えたとの苦しさに塗れているとどうも素直に賞賛する気にならない。
 ――いや、もはやそれ以前の問題だ。
 共に戦う仲間の頼もしさよりも、今はとにかく〝暑い〟以外の言葉は頭の中に浮かばなかった。
 水飲み場に足を進めながらも、少しでも涼を取ろうと一様にTシャツを脱ぎ捨てた。下も脱ぎたいだのさすがに脱ぐなだのと騒ぐ双子。そして、それを止めようとする銀を横目に、そそくさと水飲み場の一角を陣取ると蛇口を捻り、頭から水をかぶる。
 ――生き返る。
 蛇口から注がれる水は随分と生ぬるいが、それでも水は水だ。流れる汗のベタつきを洗い流すだけでも爽快さを感じられる。目を瞑り、流れる水の心地良さを味わっていると、少し離れた場所から侑の叫び声が飛んできた。

「オイ、角名ァ! お前、抜け駆けすんなやッ!」
「……もう十分浴びたから、使ってもいいよ」

 じゃぶじゃぶと水をかぶったことで、芯まで冷えたとは言えないがそれなりに涼しくなった。頭を上げ、蛇口を捻りながら「どうぞ」と明け渡せば「そういうことやない!」と侑は憤る。じゃあ何だ。治のように「やかましいわボケッ!」と叫んで暴言の応酬でもすればよかったのか。
 ――それはさすがに面倒だ。
 決してやるもんか。そんな思いと共に顔を顰めると、侑は「なんやねん! 何か言えや!」と理不尽なコメントを投げつけてくる。だが、そんな侑の矛先がこちらに向かってる隙に治が水を浴び始めれば、即座に侑の意識は治へと引き戻される。
 再び始まった双子の喧騒に巻き込まれないようにと距離を取りながら髪から滴る水を手の甲で拭う。並んで蛇口の下に頭を突っ込んだまま言い合いを続けるふたりの言葉は口に入る水に邪魔されてほとんど聞き取れなかった。
 ――毎日毎日、本当に飽きないな。
 遠巻きに眺めながらひとつ溜息を吐きこぼす。双子と言うからには、生まれた日も同じはずだ。アレが一生続いているのかと思うと辟易すると同時に、ある種の尊敬の念が生まれてくる。
 ――一緒に生まれたものは仕方ないとして、アレの幼馴染なんて続ける自信はないな。
 高二にもなってなお双子の被害を一身に受け続けるクラスメイトの姿を脳裏に浮かべながら側溝の近くへと足を進める。存分に汗を吸ったTシャツを絞れば身体中の水分が出たのではと訝しんでしまうほどの水が滴り落ちた。
 地獄になんて行ったことは無いけれど、やっぱり体育館は地獄のひとつなのでは。そんなことを考えながらムム、と顔を顰めれば銀がTシャツを頭からかぶりながらこちらへと寄ってくる

「角名、そろそろ北さん出てくるで」

 北さんからの「表で脱ぐな」という至極真っ当な注意は今年に限らず昨年から散々受けている。その指摘の中心にいるのは例のごとく双子なのだが、俺らまで脱いでいるとなると部室に戻って説教が始まること必至だ。銀の注意に対し、ん、と頭を揺らし何食わぬ顔をでTシャツに袖を通すと、そそくさと部室へと足を向けた。

 ***

 あの後、俺と銀は無事に逃げおおせたが、双子はしっかり北さんに捕まった。今もなお、床に正座したふたりは部室の真ん中で上半身裸のまま北さんの説教を食らわされている。シンと静まりかえった部室に北さんの静かな声が紡がれる度、部室内の気温が下がるようだった。
 誰もが口を閉ざし、帰る身支度を調える中、俺もまたきゅっと唇を結んだまま滲む汗をタオルで拭う。

「この前も俺言うたよな。他の部活の連中の目もあるんやから部室までは我慢せぇって」
「……ウッス。聞きました」
「ならなんで脱ぐん?」

 胸の前で腕組みをした北さんの前でしおしおと項垂れる双子を尻目に、拭い終えたタオルを鞄へと仕舞い込む。的確に痛いとこを突いてくる北さんの言葉を耳に入れているとこっちの胸まで痛みが走った。それは双子への同情と言うよりも、身に覚えのある指摘だからにほかならない。
 今日は難を逃れたが、次はそうもいかないかもしれない。アレは俺が外で脱いでるのを北さんに見つかった時の姿だ。そう考えるだけでいくらでも肝は冷えた。
 際限なく滲む汗は運動によるものなのか、それとも冷や汗が由来なのか。判別はつかないままに首筋に浮かぶ汗をボディシートで拭き取っていると、北さんの説教が聞こえなくなったことに気がついた。ようやく解放された双子は、北さんの目が離れたのをいいことに、肘で互いを突き合っている。
 性懲りも無く小競り合いを始めたふたりの音もない攻防戦を横目に入れながら、ロッカーの中に忘れ物がないか検める。昨年の期末試験前だっただろうか。運悪く梅雨時期に重なったタイミングで誰かが部室にタオルを置き忘れてしまったがために、数日後見るも無惨な姿となった布の塊が発見された事件があった。結局犯人はわからずじまいだったが、大惨事の記憶だけは根深く残っているため、いつも必要以上に確認してしまう。
 自分のロッカー内も、ロッカーの上や身の回りにも忘れ物がないと目視確認した俺はひとつ頭を揺らす。

「俺ら先に出とくわ」
「おん」

 着替え始めた双子の背に声をかけ、銀と連れだって部室を出ようと足を進める。バス停までの短い距離ではあるものの、なんとなく一緒に帰る習慣がついていた。他の先輩や部員と「おつかれ」と交わしながら出入口へと向かう途中、離れた場所の話し声が耳に入ってくる。
 
「北、今日の帰りはどうする?」
「あぁ、さんと待ち合わせしとるから先に帰ってくれるか?」

 さん。その名前に思わず声の主へと視線を向けると、使ったばかりのタオルをきちんと折り畳む北さんの姿が目に入った。
 北さんの言う〝さん〟が誰なのかは知らない。出来るのは〝さん付けで呼ぶからには十中八九女子だろう〟という推測を立てることだけだ。
 ――でも〝〟って言ったら〝〟しか浮かばない。
 北さんの発言をきっかけに、ひとりの少女の姿を脳裏に浮かべる。。単なるクラスメイトと称すより、あの双子の幼馴染としての認識がかなり強い彼女は、想像の中ですら侑と治にやり込められた際の怒ったような顔を浮かべていた。
 ――写真撮っとらんと角名くんも止めてよ!
 咎めるような声すらも再生されると、ますます北さんの言う〝さん〟が〝〟なのではと思い始めてしまう。
この学校に以外のさんを知らないのも理由のひとつだ。だが、他の女子と比べるべくもないほど頻繁に話す間柄のの印象が強く残っている、という理由も拭いきれない。当のが、北さんへの想いを隠すことなく振る舞う姿を見ているからこそなおさらだった。
 授業の合間にある短い休み時間中の教室や廊下。掃除時間で訪れる中庭や、果ては昼休みでの食堂に至るまで、は隙あらば北さんを誉めそやす。まるでアイドルや俳優に熱を上げるかのごとく振る舞いは、の友人だけでなく治や俺らにも披露されていた。
 恋愛か憧れの区別はつかなくとも、のあけすけな態度を日常的に見ているクラスメイトの誰もが、が北さんを好いていると知っていることだろう。北さんを直接知らないやつさえも、〝バレー部の主将はの好きな北先輩〟として認識しているだろう予感があった。
 その彼女の口から上る「北先輩」の甘い響きは、どの恋愛ドラマを見るよりも生々しい。だが、それ以上に鮮やかなものに感じることの方が多かった。
 治の「相手が悪すぎるわ。諦めろ」という言葉にも、侑の「なんでや、俺の方が付き合い長いやろ」というちょっかいにも耳を貸さず、はまっすぐ北さんだけに熱を上げている。
 ――そんなと北さんが、待ち合わせをしている、かもしれない。
 一度は打ち捨てた考えが、もしかしたら現実なのかもしれないと思うと妙に気になってしまう。唇を真一文字に引き締めたまま、ソワソワした心地と共に北さんへと視線を送ってしまう始末だ。
 だが、面と向かって「その待ち合わせ相手ってあのですか」なんて聞いてしまえば最後。またしても双子の喧騒が始まるに違いない。
 聞けないのなら、北さんの様子から何かヒントが漏れていないか。まじまじと遠慮の無い視線を送っていると、さすがに俺の様子に気付いたらしい北さんがこちらを振り返った。

「おう、お疲れ。気ぃ付けて帰れよ」
「うっす。お疲れ様です」

 隣を歩いていた銀がいち早く頭を下げる。さっさと帰るよう促されてしまえば、これ以上黙って見守るのは難しい。ましてや待ち合わせ場所に向かう北さんをこっそり追いかけるようなマネも出来るはずがない。諦めるしかないのだと悟った俺は「お疲れ様です」とだけ残して部室を後にした。

 ***

 ――とは言え、気にならないわけがない。
 あの後、双子どもと合流して帰る道すがら。他愛のない話をかわす間も、北さんが会うさんとやらの正体に意識は持って行かれたままだった。
 会話も疎かになってしまうほど気にするくらいなら、部室で聞いてしまえば良かったと後悔は募る。だが、聞くにしても一体どんな顔をして聞けばいいのか。
 俺はに対して、特に思い入れがあるわけじゃない。侑や治のような情熱もなければ、尾白さんのように面倒見るためなんて目的もない。あるのはただの野次馬のような好奇心。そんな心境では北さんに絡むだけの気概が沸き起こるはずもなく、悶々とした帰り道を送る羽目になった。
 とは言え、素直に引き下がるのはどこか釈然としない。北さんから聞き出せないのなら目の前を歩く双子から何らかの情報を得られないだろうか。そう思うと頭をもたげた質問が口から飛び出てしまうのを押さえることは出来なかった。
  
「なぁ、今日の練習、来てた?」
? アイツには見学来るな言うとるし来んやろ」
「そもそもこんな暑かったら来い言うてもクーラー無いとことかイヤやしって真っ先に帰るもんな」

 俺の問いかけに対し、侑も治も首だけを捻ってこちらを振り返る。まるで鏡合わせのように同じ角度で口を開いたふたりはまた同じタイミングで前を向いて歩き始めた。

「そう」

 練習にも来てなかったと言うなら待ち合わせ相手はやはりではないんだろう。同じ苗字の女がライバルなのかもしれない可能性に気付くと「何だ、その奇縁」と別の意味での興味が湧いてくる。
 そんな状況にあるとが知ったら。そしてそんなの絶望を双子が目の当たりにしたら。起こりうる未来を想像してはニヤニヤと緩みそうになる口元を引き締める。
 口元の攻防戦に集中する俺を尻目に、隣を歩く銀が不審げに顔を顰めたのが目に入った。

「せやけどさんに似た子、さっき部室の近くで見たで」
「ハァッ?! なんでや!」
「なんでて……知らんよ!」

 銀の言葉にまたしてもふたりは同時にこちらを振り返る。違う点を上げるとしたら俺らが引くほどの表情と迫力だろうか。唾を飛ばす勢いで銀に詰め寄った侑は叫んだままの顔付きで銀の肩を掴んでいるし、治は治でぎゅっと眉根を寄せて銀に迫っている。

「銀、隠し事は体に毒やぞ。一息に吐いてまえ」
「いや、だから知らんて! パッと見やったし、そもそも似た子ォやから! さんやないかもしれんやろ!」

 ふたりの圧に対し、必死の弁解を口にする銀は手のひらを双子の間に挟んで抵抗を試みる。顔色も旗色も悪い銀に助太刀するか否か。一瞬だけ検討したものの、こちらに飛んでくる被害を考えればそっと距離を取るほかない。
 わーわーと大声で迫ってくるふたりを尻目に軽く唇を結ぶ。そうやって存在感を消してことの成り行きを見守っていると、次第に銀の説得がふたりに浸透していくのが目に見えてわかった。

さんやったらふたりに声かけんわけがないやろ!」

 冷や汗を飛ばす銀の苦し紛れに放った言葉が決定打になったのか、一際顔を顰めたふたりは詰め寄ったままの身を引いた。そのまま来た道を睨み据える双子に今後の展開を危ぶんだが、さすがに「学校に戻る」なんて言い出すほどバカではなかったらしい。釈然としない顔つきではあるものの、大きく息を吐いて、今度は静かに語り始めた。

「……いや、がおったら真っ先に俺らが気付くはずや」
「せやな。それに部活にも入っとらんがこんな遅くまでおるわけがない。銀の見間違いや」

 強ばった表情や固く握られた拳。随所に興奮冷めやらぬ様子は残っているがが、ふたりなりの落とし所を見つけたらしい。まるで〝すっぱいぶどう〟のような負け惜しみだったが、そこを突っ込むとまた面倒くさい絡み方をされそうだし、ここは口を閉ざす一択だ。
 侑も治も再び前を向いて歩き始めたのを目にした銀がホッと胸をなで下ろす。銀がふたりの背を追い始めたのに合わせて俺もまた詰めていた息を吐きながら三人の輪に加わった。

「それよりなんでまたさんを出禁にしたん?」
「アイツ、また北さんの周りウロウロしよるからな。クラスでもうるさいんやもん。部活ん時くらい見たくないわ。なぁ、侑」
「せや。のぼせあがっとるのも今だけやろうけど見苦しいねん、アイツ」

 暗に「幼馴染の恋愛を目の当たりにして溜まるか」と込めた治と侑の弁にクラスでのの様子が脳裏を過る。同時に、日中、耳にしたの声が耳に蘇った。
 ――そう言えばのやつ、今日は委員会があるとか言ってなかったっけ。
 同じクラスなんやから、席が近ければある程度の会話は聞こえてくる。何時間目の休み時間かは忘れたが、そんなボヤキを友人らに伝えていたはずだ。おぼろげな記憶を探れば机に突っ伏したが伸ばした手の先をパタパタと動かす姿が脳裏に描かれたが、さすがに時間までは思い出せなかった。
 ――つっーかその時、治もおったはずなのに。もう忘れたんかコイツ。
 別クラスの侑はともかく、治は一緒にしゃべってたんやなかったか。ちらりと視線を転じると、隣を歩く侑に「今日もめっちゃうるさかったわ」とぼやく治の横顔が垣間見える。その不機嫌さを全面に押し出したような顔つきは、が居残りしている可能性などまったく考えていないように見えた。

「……あーぁ」
「ん? どうしたん、角名」
「いや、まぁ……別に」

 こちらの嘆息に気付いた銀の問いかけに曖昧に答える。ふたりが欲しがっているはずの情報を自分だけが握っている状況はあまりいい気はしない。だが、それを口にしてしまえば先程、銀が食らった攻撃がこっちに向けられると思うとおいそれとは伝えられなかった。

「あー!! 俺らが乗るバス!!

 突然叫びだした侑に驚いて目を見開けば、いつも双子が乗る系統のバスが横を通り過ぎて行った。今から駆けたところでバスに乗れるのか乗れないのか微妙なラインだ。

「おい、行くで治」
「待てや侑!」

 走り去るバスの背を追うように走り出した双子だったが、10メートルほど走ったところで諦めたようにその場に膝をつく。部活後のすっからかんの体力では早く帰り着くメリットよりも乗れたところで車内で息も絶え絶えになるデメリットの方が大きかったのだろう。
 道端で項垂れるふたりに思わずスマホを構えて写真に収めた。今度なにか双子がやらかした時にでも、追い打ちで見せてやろう。にんまりと口元を緩め、スマホをジャージのポケットに仕舞い込んでいると、その場に腰を下ろした治が首を仰け反らしてこちらを振り返る。
 
「なぁ、お前らも時間あるんやったらちょぉアイス食わん?」
「え、今からか?」
「暑いんやもん。家に帰るまでに溶けてしまうわ」

 銀の問いかけに対し、今度は侑が答えた。どうやらアイスを食いたい気持ちが強すぎて双子特有のシンクロが起こっているらしい。
 ふたりの近くまで足を運んだ俺たちは互いに唇を尖らせて視線を合わせる。たしかに茹だるような暑さに辟易しているのは俺も同じだ。それに夕方よりも夜にほど近い時間帯は微妙にバスの待ち時間が長くなる。アイスひとつ食う程度の時間はあるだろう。
 いいんじゃないの、の気持ちを込めて軽く頭を揺らしてみせれば、隣に立つ銀は深く頷いた。

「わかった! 俺らも食うから早よ行こうや」

 道端に座ったままの双子の背中をポンと叩いた銀を横目に眺める。人通りが少ないとは言え、こんな場面を北さんに見られたら――。そんな不安がありありと描かれた横顔に、部室での一幕を思い返す。道端で4人揃って正座、はさすがに無いだろうが、公開説教は十分にありうる。思い描かれた想像に俺もまたふたりへと一歩踏み出し「立ちなよ」と声をかけコンビニへ立ち入った。
 ひんやりした店内に癒やされつつも、それよりも体内温度を下げたい一心で我先にと目当てのアイスを手に取る。レジ前でこの前貸した金がどうのと揉め始めた双子を背にバス停へ向かった。
 戦利品を片手に時刻表を眺めていれば、程なくして追いついてきた三人が横に並んだ。それぞれが次のバスがいつ来るのかと確認しては「次は10分後やなぁ」「げ、俺ら15分もあるわ」と言葉をこぼす。
 先に時間を確認してからコンビニに向かえば良かったと後悔しても後の祭り。今更言っても仕方ないと気を取り直した俺たちは、バス停の傍にある街路樹の下に誰彼ともなく近寄って、アイスを口にする。
 ソーダアイスのシャリシャリした食感は熱を持つ体内を冷やすのに最適だ。それでも立ち止まれば途端に噴き出す汗を抑えることは出来ず、遠くに聞こえる蝉の声に、18時を過ぎでなお残る陽射しと相まってより一層の夏を味わった。
 アイスを食べる間、大人しくしていた双子だったが、食べ終われば途端に喧しく騒ぎ出す。

「パピコ半分はやっぱ足りんわ。おい治。お前、なんで今日昼飯代しか持ってきてへんねん」
「せやからこの前お前に貸したから足りんくなったんやって言うたやろ。早よ返せや」
「アァ? 後で耳揃えて返したるわ、ボケ」

 レジ前での揉め事を再現しはじめた双子に対し、ギョッと目を剥いた銀は、うっすらと冷や汗を流しながら話題の転換を試みるべくふたりへ話しかけた。

「せやけどなんやかんや言うて、結局ちゃんとふたりでアイス分け合うんやから偉いよなぁ」

 チョコモナカジャンボを頬張る銀は手放しでふたりを誉めそやす。きっと単純な双子はそれだけで気をよくするだろうと俺も思っていた。だが、予想に反して治も侑もとんでもない形相で銀を睨めつける。

「侑がちゃんと金返しとったらこんな半分やなくて丸ごと食うてたわ。そもそもコイツ、オレの名前が書いてあっても勝手に食うからな」
「なに被害者面してんねん、食ってへんわボケ」
「ハァ? この前も俺のプリン勝手に食うたやつがなに言っとんじゃ。それも返せや」

 またしても言い合いを始めたふたりは空いた手でお互いの胸ぐらを掴み合う。よかれと思って話題の転換を促したというのに、何を言っても喧嘩の火種にしかならない。そう察した銀は眉根をぎゅっと寄せて頭を抱え込んだ。

「また、コイツらは……。なぁ、角名からもなんか言ってくれや」
「いや、こうなったらもう無理だって」

 嵐が過ぎるのを待つほかない。そう諭せば、項垂れた銀は観念したように大きく溜息を吐き出した。別に止める必要なんてないのに、ずっと苦労を買ってでる銀は尾白さんから次代のツッコミ役を任されるだけのことはある。責任感が強いな、と感心しつつも巻き込まれる様を見ているだけの俺からしたら、それさえも関西人特有のお笑いのように思えて笑ってしまった。
 銀を宥めてるうちに双子の方が盛り上がりを見せてくる。とうとう本格的な戦闘に入りそうな気配を感知した俺は目を光らせてふたりへと視線を向けた。これはいい波乱の予感。動画で撮って明日誰かに見せてやろう。そう思いつくと同時にポケットに入れていたスマホに手を伸ばした。
 
「ん……?」

 カメラを構えた途端、今まで意識していなかった景色に気を取られる。車道を挟んだ向こう側。男女ふたりが睦まじく歩く姿に引き寄せられるように視線が流れた。
 北さんと、。それも〝顔も知らないさん〟ではなく〝〟の姿に思わず目を見開く。あまりにも予想外な光景に目がおかしくなったのかと訝しむ。だが、見間違いではないかとまじまじと見つめてみたところで、ふたりが紛うことなく北さんとだと確信するだけだった。
 釣りにでも行くのかと尋ねたくなるほど大きなクーラーボックスを肩にかけた北さんは、と共に帰路についてるようだった。 明け透けなはともかく、北さんの想いなんて知らん。だが、さすがに双子を通さず会うような間柄とは思っていなかった。ましてや待ち合わせてまで一緒に帰るなんて予想外にもほどがある。
 あまりの展開に呆然とした視線でふたりの姿を見守ってしまう。北さんの隣を歩くは、いつも以上にふわふわとした足取りを披露している。まさに夢見心地といったの様子に、いつぞやの記憶が脳裏を過った
 あれはゴールデンウィーク明けだっただろうか。班単位で割り当てられた掃除のエリアで、体育館近くに振り分けられた時期があった。その時、ちょうど北さんも近くで掃除しとったらしく、のやつがゴミ袋を持ったまま北さんの前に立ち尽くしてるのを何度も見かけた。
 あの日見かけた、憧れと緊張に包まれてガチガチに固まっていたと、今、北さんの隣でこれ以上ないほど幸せそうに笑う。あまりにもかけ離れた姿にいつまでもギャップは埋まらず、別の人間ではと訝しんでしまうほどだった。
 せいぜい校内で居合わせた時に挨拶する程度だと思っていたのに、どうやらそれ以上のものがあるらしい。そう感じたのは、多分、だけが原因ではない。いつになくやわらかい北さんの表情が俺の疑念を後押しした。
 緩みきったと比べたら微かな変化だが、北さんは北さんで部活中には絶対お目にかかれないような顔で笑っていた。俺らの前ではしない顔。尾白さんや大耳さんたちと話す時ともまた違う。じゃあ誰に向ける顔なんかと聞かれたら、北さんのバァちゃんの話しとる時の表情に似とるような気もする。年寄りと年下の女子に向ける表情が同じでいいのかと思わなくもないが、親愛の表情と言えば聞こえはいい。にジャッジさせたなら「家族と同列ってことやんな?!」とまたもやクラスを巻き込んでの大フィーバーを起こすに違いない。
 それほどまでに、今の北さんからは、種類はわからないけれど少なくない愛情がに差し向けられているのだと窺い知れた。
 ――まさか、付き合ってるなんて言わんよな。
 好奇心と一抹の不安がほどよく混じり合った直感が閃いた。だが、他でもない普段のの様子を思い出せば即座に「それはないな」と否定する。
 昨日の昼間だってもらったジュースを飲むの飲まないのどころか、紙パックを捨てるの捨てないので散々グズグズしていたの姿が脳裏を過る。あんなストーカーじみた発想を彼氏相手にするはずがない。
 と言うことは、やはりの片想いなんだろう。そう言い切ってしまいたいのに、どうしてかその線も薄いような気がして〝もしかして〟ばかりを考えてしまう。じっとふたりの姿を見つめては、北さんの想いの種類を見極めようと頭を巡らせる。
 いつもキビキビした動作で生きているはずの北さんが、の歩調に合わせてか、目に見えてゆったりと歩いている。時折肩を揺らして笑う北さんらが何を話しているのかは当然聞こえない。それでも傍目から見ただけでも窺い知れるほど楽しそうな様子に、やはり〝あれは恋なのでは〟と勝手に期待を膨らませてしまう。
 ――だって、その方が絶対に面白い。
 起こりうる未来を想像しては口元がにんまりと緩んでしまう。北さんと。ふたりともにそれなりの接点はあるが、どちらに対しても必要以上の思い入れがないからこそ、起こるすべてを面白おかしく聞ける自信がある。
 ――それよりも今やったら、北さんの弱点になるのでは?
 一学年下の女子にデレデレしている姿なんて、ほかのやつならともかく北さんにとっては醜聞と言っても過言ではないほどのスキャンダルではないだろうか。侑や治に見せたら大惨事になること必至だが尾白さんならこんな一大事を目にしたらいいツッコミを見せてくれるかもしれない。期待に胸を躍らせながら改めてスマホを構えた。

「……」

 ふたりをフレームに納めて写真を撮ろうとした。だけど画面に映り込んだふたりを目にした途端、シャッターボタンに合わせていた親指から力が抜ける。
 面白いはずのふたりの様子を前に怯んでしまったのは、画面越しだからこそより一層客観的に事態を捉えてしまったせいだった。正しく恋と呼ぶに相応しい表情を見せるも、その笑顔を真摯に受け止める北さんも、きらきらと眩しく見えて、他人の俺が茶化してはいけないような気持ちを抱かせた。

「あー……。彼女欲しい」
「ハァ?! なんや藪から棒に!」
「気でも狂ったんか?!」

 目の前の光景に魂が浄化されたのか。ただ単に正面から恋の波動を受け止めてしまったせいか。思わず漏れた言葉に、たった今、目の前で乱闘を繰り広げていた侑と治がこちらをぐるりと振り返る。

「お前も人でなし枠やろがい!」
「大体お前は女子も男子もそんな興味ないやろ! いっつもひよこのオスメス仕分けるみたいな捌き方やんけ!」
 
 ステレオで展開する罵声に顔を顰めずにはいられない。
 ――そういう時だけ息合わせんのかい。
 ツッコんでしまっては負けな気がして頭の中でだけ反論するも、当然腹の虫が収まることは無い。だが今の発言は確かにふたりへ餌を巻いてしまったようなものだ。とんでもない言葉を口走ってしまった自覚を持てば、多少は気持ちが落ち着いた。

「……狂ってないし、冷静に考えたらやっぱりいらんよな」
「ハァ?! その変わり身の早さなんなんッ!」
「いや、でもそのスンってした顔見ると落ち着くわ……」
「もう話落ち着いたんやったら角名にまで絡まんでえぇやろ。ホラ、これ食わしたるから大人しくしとけや」

 言いたいだけ言ったふたりはチョコモナカジャンボを食べる銀から一欠片ずつわけてもらったことで途端に静かになる。小さい子どもなんかも飴を与えたら黙るって言うし、本当に忙しない。目の前にあった嵐が過ぎると自然と溜息が漏れた。
 ――お前らの意中の〝〟が絶賛大恋愛中だってのに、何をのんきな。
 そんなことを口にしてしまえばこの場は荒れに荒れるだろう。それはそれで見てみたい気もするが、とばっちりで北さんに睨まれんのも癪だ。起こりうる喧騒を頭に思い浮かべ、言わない方が安全だと結論づける。
 ――それでも。
 モグモグとアイスを頬張る双子から視線を転じ、北さんとの姿を探す。ゆっくりとした歩みのまま先を歩くふたりの姿は、すでに背中しか見えない。それでもつい先程目にしたふたりの姿はありありと脳裏に焼き付いていた。
 北さんと並んで歩くの表情はいつもとひと味違って見えた。教室で仲のいい女子と喋ってる時や双子を前にして怒ってる顔。どれと比べるべくもなく、きらきらして見えた。もしかしたら、ドラマで見る女優の笑顔よりも、ずっと。
 ――あんな顔を向けられるであれば、恋愛も悪くないのかもしれない。
 羨望とよぶにはあまりにも希薄すぎ、遠い憧れと呼ぶにしてもいささか綺麗すぎる。単なる興味と言ってしまった方が近いかもしれない。だが、それでも「いいな」と思った自分は誤魔化しようがない。
 一介の男子高生として、女子に対するある程度の興味はある。ただ、今は部活もあるし、お付き合いに辿り着くまでの過程。そして成立以降の維持にかかるであろう労力が果てしなく面倒くさいので、今は彼女なんて必要ない。それでも、そうやって遠巻きにしながらも、いずれ「よし、彼女でも作るか」なんて思った時は、〝あんな顔して笑ってくれる子を選びたい〟なんて淡い期待は沸き起こる。
 そのくらい、今、目の前にある恋は、いいもののように見えた。
 ――まぁ、それはそれとしてやっぱり面白いから写真は撮っておこう。
 もしかしたら将来的に北さんがと結婚するなんて事態が起こった際に、なれ初め紹介ムービーの一場面として採用されるかもしれない。随分と気の早い、しかも妄想に限りなく近い想像をしてはフフ、と口元を緩めてしまう。
 一通り双子の相手に手を焼いていた銀が顔を上げるのが横目に入る。あらぬ方向にスマホを差し向けた俺の視線を追った銀は、その先にあるものに気付いたらしく驚いた顔をこちらに向けた。
 口元に人差し指を立てて秘密の共有を促した俺を目にした銀は大きく二回頷く。口元を緩めた俺は銀に深く頷いて返し、そのまま視線を転じると、改めてスマホを構え、きらきらとした風景を写真に残した。



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