北VS宮01

みかん


「さっきから見よったら……おい、。お前、どんだけ食うねん」
 食堂できつねうどんを食べ終えたあと、デザートに持ってきた3個目のみかんをむいていると、背後から呆れにまみれた声が落ちてきた。
 声の主が誰なのか。そして、その隣にきっといるだろうもう一人の影。振り返らなくたってわかる。正面に座るちゃんたちのなんとも言えない表情が、私の推測を裏付けていた。
 ――今の声は侑や。ほんで多分、治も一緒におるんやろ。
 どこにいても、何をしていても、気づけば双子がそばにいる。同じ学校にいる限り、この腐れ縁が変わらないことは小学校を卒業する頃には確信していた。
 その経験上から考えても、どうせ振り返ったところでろくなことは言われない。ならばここはいっそ聞こえなかった振りをした方がいいやろ、と、自分の中で結論づける。
 むき終えたみかんを割り、一房を口に運んでいると、その動きは背後から伸びた手により阻まれる。抵抗する間もなく腕ごと引っ張りあげられ、指先で摘んでいたはずのみかんは、その手の主によってぱくりと一口に食べられてしまった。
 あ、と呆気ない声を出したところで、そんな非難は報われない。ならば、とぐっと胸を逸らして口を大きく開く。
「何すんのよ、侑!」
「うっさいわ、大声出すなや! 耳キーンってなったわ!」
「そのために声張ったんやもん!」
 心底うるさそうに顔を顰めた侑の態度に、せめてもの抵抗が響いたことを知り、ほんの少しだけ溜飲が下がる心地がした。
「ほんまにかわいげのない女やな……てか、お前手ぇ黄色っ!」
 みかんを食べ終えてもなお、私の手を自らの口元に寄せたままにしていた侑は、そのまま指先に視線を落とす。掴みっぱなしの手をくるりと翻しながら検分し、指摘の通り普段よりも幾分も黄色くなってしまった私の指を見つめ、ハンっとひとつ鼻で笑った。
「3つはさすがに食い過ぎやろ。……俺にもちょーだいよ」
 侑の隣に立ったままもぐもぐとパンを食べ続けていた治がこちらへと身を乗り出す。眼前に伸びてきた手の甲を咄嗟に叩き退けたが、そんな些細な攻撃で怯む治ではない。しっしと私の手を軽く払い除ければ、4分の1ほどを手に取り、そのままぱくりと一口に食べてしまった。
「あー! 私のみかん!」
「えぇやん。十分食うたやろ」
「治、お前、今、俺より多く食べたやろ。ちょぉ、! 俺にもわけろや」
「嫌やって!」
 食べ過ぎだとこちらを非難したふたりが人のみかんに手を出すとは何事か。幼馴染ふたりの波状攻撃に、両腕を振って応じたが、運動部の男子との1対2の勝負に勝てるはずがない。気がつけばテーブルの上に広げたみかんは一口も私の口に入ることなく消え去っていた。
「ほんま容赦ないな、宮兄弟」
 ちゃんの笑い声に「笑いごとやないよ!」と、反論しようと口を大きく開きかける。その時だった。
「食堂で騒ぐなや」
 凛とした声がその場に響く。氷が張ったような涼やかな声は、正しさに満ちていた。ついさっきまで顔を見せていたはずの怒りがパッと消え去り、頬を赤く染める理由がガラリと変わる。
「北先輩!」
 背筋を伸ばし名前を呼ぶと、侑の背中をポンとたしなめるように叩いた北先輩が、こちらを振り返り、会釈をするように頭を縦に揺らした。
「そんな騒いでませんって」
「いや、だいぶうるさかったわ。またさんをイジメよったんやろ。かわいがるのもえぇ加減にせぇよ」
「でも今のはが……」
「でも、やない。だいたいお前らは――」
 治の反論も北先輩は即座に打ち返した。手を出さない代わりに相手に口を出させない物言いというのはこういうものなのだろう。北先輩が正論を並べる度に、侑も治も身体を小さくさせていく。
「せやけど、北さん。見てくださいよ。のやつ、ひとりでこんな食べよったんですよ」
 ぶーたれて唇を突き出した侑は、自分らだけが詰められるのは割に合わないとでも言いたげに矛先をこちらにも向けるよう促した。侑の指先が私を示したことに釣られたのだろう。北先輩の視線が私に差し向けられ、それからテーブルの上に広げられたままのみかんの皮へとついっと流れた。
「……全部食べたん?」
「あ、ハイ! いえ! 一個はまるっとふたりに食べられましたけどっ! 二個は私が食べました!」
 北先輩には嘘をつけない。正しい目を持つ人だから、もし私がつまらない嘘をついたところできっと見抜いてしまうだろう。だが、それ以上に、北先輩と向き合う上で、常に正しくありたいという気持ちが強くあった。
 ――せやけど、今のはただのバカ正直なだけや。
 呆れられたのだろうか。北先輩と、テーブルの上に広がったままのみかんの皮とを見比べる。すでに見られてしまったのだから、もう意味は無いのだが、これ以上、北先輩の記憶に残らないように、と慌ててみかんの皮を掻き集め、持ってきたビニール袋の中に隠した。
「ビタミンは大事やからな。みかんは風邪予防にもえぇし、皮もネットに入れて風呂につけとけばよくあったまるし」
 効能を指折り数え上げる北先輩の瞳がこちらへと転じられる。不意にかち合った視線に、伸ばしていたはずの姿勢がさらに伸びた。
「えぇと思うよ」
 肯定的な言葉と共に、北先輩にはふわりと口元を緩めた。突然差し出されたやわらかな空気に自然と心が高揚する。
「せやったら私! 毎日、段ボール一箱食べますよ!」
「それは腹壊すからやめとき」
 意気込んだ私の言葉に、スンッと笑みを引っ込めた北先輩の正論パンチが炸裂する。ピシャリと言われてしまえば、掲げたばかりの手をすごすごと下ろすしかなかった。



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