孤爪 研磨01

上手に呼べましたー


「研磨先輩っ」
 妙に明るい声が背後から聞こえてきた。最近、ようやく耳に馴染みつつあるその声の主を探して振り返れば、こちらへ向かって大きく手を振る一人の少女の姿が目に入った。周囲にいた友人らしき女子たちに別れを告げたは購買で買った袋を片手に駆け寄ってくる。
「こんにちはっ!」
「あぁ、うん……」
 快活な声に触発されつつも曖昧な返事だけを返す。と同様に、おれもまた手にした購買の袋をなんとなく揺らしてみせる。視線を合わせようか。少しだけ逡巡して、チラリとの表情を盗み見る。目敏くおれの視線の動きを発見したは、おれと視線がかち合うとより一層浮かべた笑みを深くさせる。近所の家で飼われている人懐っこい犬を思い出し、こちらの表情も緩んでしまうようだった。
「研磨先輩もお昼、パンですか?」
「うん、も?」
「はいっ! パン買ってみんなで中庭で食べようかーって。今日天気いいから。研磨先輩もお外で食べたりしますか?」
「俺は……だいたい教室か、部室かな」
「バレー部の作戦会議立てながらとかですかっ?! 秘密戦略会議っぽくてかっこいいですね」
「かっこよくはないけど……まぁ、そんなとこ」
 矢継ぎ早に繰り出される会話に乗ってしまう。
 コミュ力モンスターを避けてしまいたい気持ちもなくはない。だけど向けられる真っ直ぐな瞳を苦手だと感じるよりも先に、笑っているを見ると、まぁいいかと落ち着いてしまう。
 ――別に悪い子じゃないんだよね。会話のテンポ早すぎるけど。
 まじまじとの表情を眺めながら漠然と考えた。
 おれの視線を受けたは表情を輝かせたまま言葉を紡ぎ続ける。作戦名とかあるのかだとか、研磨先輩はどういう必殺技を繰り出すのかなどと質問を羅列するの頭の上に手を乗せる。今はスマホのアラームがもっぱらだが、昔ながらの目覚まし時計を止めるかのような動作に、の口がぴったりと閉じる。そのまま柔らかくぐるぐると頭を回転させ、接触もそこそこに掌を離した。
「……行かなくていいの?」
「あ、もう行きます。研磨先輩見えたからちょっと挨拶だけでもって、先に行ってもらったんです」
「そっか」
「それじゃ、研磨先輩。また夜にゲームでっ!」
「うん、またね」
「今度おすすめのパン教えてくださいねーっ」
 先程と同様に大きく手を振ったは、時折こちらを振り返りながらも中庭へと駆けていく。転ばなきゃいいけど。過ぎ去った嵐の背中を眺めながら、ひとつ息を吐く。
 ――ほんと、悪い子じゃないんだよな。
 どストレートな好意を向けられることに慣れていなくて、差し向けられるままに受け入れてしまう。多分、単純に「親愛なる友よ」とかいうレベルの好意なんだろうけれど、あぁも実直な眼差しやキラキラとした笑顔を向けられれば、山本あたりはコロッと陥落してしまうんじゃないだろうか。ここにはいない部活仲間に思いを馳せていると、いやに粘着質な声が背後から聞こえてくる。
「なぁ、おい研磨ァ!」
 結構な勢いで肩に腕を回され、首周りを絞めるように背中側へと引き寄せられる。一番見られたくない相手に見られた。視線を向けなくてもこの腕の持ち主が誰かわかった。出来れば、わかりたくはなかった、と我が身に降りかかった不幸を呪う。
「……なに、クロ」
 離してくれと言う代わりに回された腕を引いたが、かなりの力が加えられているそれを簡単に引き剥がすことは出来なかった。
「お前どうやってあんなかわいい子とお知り合いになったんだよっ?!」
 ちっちゃくて明るくて楽しそうに笑うをストレートにかわいいと表現したクロに視線を向ける。細められた視線にはモテない事を嘆く思春期の少年による恨みよりも強く、面白いものを見つけたガキ大将のような輝きを孕んでいた。
「……どうやってって……単にリエーフのクラスメイトだから」
「お前も後輩に女子を紹介してもらうようになったか……」
 態とらしく身を翻したクロは感動したとばかりに口元を掌で覆い、泣き真似をするかのように眉根を寄せる。解放さればかりの首元をさすりながら演技過剰なクロを睨みつける。
 語弊がある。たしかにリエーフからの紹介でと知り合った。
 だがそれだって元々彼女が始めたゲームがおれがプレイ中のものと同じで、レア武器取れないってクラスで嘆いている奴が居るからパーティ組んでやってくれってリエーフに頼まれたからだ。了承したのは、相手の詳細も何もなくゲームアカウントの書かれた紙をぺろっと渡されて「まぁいいか」と気まぐれにフレンド登録しただけにほかならない。
 後日、が直接お礼を言いに来た時に、初めてが女の子だったと知ってどれだけ驚いたことか。そんな言い訳を並べ立てたところでクロが聞き入れてくれるわけがないことを長年の経験で知っていた。だからこそ、溜息を吐きこぼすだけに留めて口をつぐみ、自分の教室に戻るべく足を進めた。
「いいよなぁ。俺にも誰かカワイイ後輩紹介してくんねーかな。……なぁ、同じクラスににカワイイお友達いねぇのかよ」
「……いない」
「いねぇことねぇだろ。ひとりやふたりいるだろ」
「仮にいたとしても友達じゃない」
 追いすがるように紡がれ続けるクロの言葉を背に、スタスタと足を進める。走って振り切ってしまいたいような心境だったが、楽に追いつかれることを考えたらその案は得策ではないことがわかりきっていた。
クロから紡ぎ出される呪詛にも似たオネダリを聞き流し歩き続ける。中庭に差し掛かったところで不意にクロがおれの肩を掴んだ。
「あ、おい。研磨」
「……なに」
「さっきの子、いるぞ」
 視界の端で動いた指先に釣られるかのようにパッと反応してしまう。クロが指し示した方を確かめれば、まさしくクロの言葉通りにそこにはの姿があった。と、同時に一人の女子を挟んだ隣にリエーフの姿を見つける。
 そう言えばクラスの友達と食べるって言ってたっけ。同じクラスのリエーフがいてもおかしくはないのだけど、鼻白むような心地に陥ってしまう。
「研磨さんっ! 黒尾さんっ!」
 目敏くおれを見つけたリエーフが、その長い腕をもって少し離れた位置にいるの肩を叩く。先程おれがクロにされたように指し示されたはおれの姿を捉えると嬉しそうに笑って立ち上がった。
 リエーフに促されたがひとつ頷く。一言二言、友人らに言葉を残したふたりは一目散にこちらへと向かってくる。駆け寄ってくる大型犬と小型犬のセットのように錯覚した。
「お疲れさまっス! お昼ですかっ!」
「そー、さっき研磨と合流してよ……キミといっしょにいるところ見かけてさ」
「え、ホントですか? なんか照れちゃいますねっ」
 ふふ、と照れくさそうに笑ったは会話の流れでさらっとクロに自己紹介をする。目当ての〝かわいい後輩〟とお知り合いになれたことに喜んでいるのか、クロの表情が今までにないくらい緩んでいた。
 あーぁ……。
 何をそんなにがっかりしたのかは分からないが、途端に面白くない、という気持ちが湧き出てきた。だらしないクロの笑みを見ていると、暗い気持ちが増幅してくるようで、そんな自分の感情の揺らぎを直視したくなくて思わずクロから視線を逸らした。手に持ったままの袋を揺らし、クロの太ももの裏に当てる。言外に「もう行くよ」という意味を込めて睨みつけたが、ニッと笑ったクロに「まぁまぁ、もう少しいいじゃないの」と宥められる。
 軽く眉根を寄せて3人の会話を眺める。たまにから振られる会話に適当に相槌を打ちながら、どこかピントの外れた視線を彷徨わせていた。クロの、おれとどうやって知り合ったのか、だなんて質問に対し、「俺が研磨さんにを紹介しました」とふんぞり返ったリエーフが説明する。
 そう言えば、と、昨夜、とゲームをした時に、もう一つ難しいクエストに挑もうかという話をしていたことを思い出す。もしもそれを今日実行に移すのなら、その前準備をしておく必要がある。今のうちに聞いておけば帰り道で出来るな。軽く算段を脳裏に浮かべながらに呼びかける。
「ねぇ、
「えっ?」
「……あ」
 手のひらで口元を押さえつける。そんなことをしたところで、飛び出してしまった言葉を隠すことなんてできないのは解りきっているのに行動せずにはいられなかった。
 失言だった。呼んだこともないのに、だなんて親しげに振舞ってしまった。おれの動揺を気取ったクロがやたらと口の端を引っ張って笑う。
「研磨先輩、今……」
 やたらと感激したかのように目をキラキラとさせたの様子に気まずさに拍車がかかる。
「ごめん。リエーフのが移っただけだから」
「えっ! 俺、今の聞き逃したッス! 」
 なぜか呼ばれたよりも興奮した様子を見せるリエーフの伸びる腕を掻い潜る。ねだる様な手を振り払い、今一度に視線を向けると、やはり彼女もまたおねだりする子供のような視線をおれに差し向けていた。
「もう一回だけでいいんで! お願いしますー」
「いや……本当にもう無理だから」
「ダメです?」
 甘えるように眉根を寄せたが、軽く首を傾げてみせる。多分おれ相手よりもクロ相手に使った方が効果があるに違いない。そんな仕草で簡単に心は動かないと自分自身を戒める。
 ただ、残念そうな表情を浮かべたのことを無碍にできるはずもなく、小さくため息を吐き出す。
 ちょんちょん、と指先で彼女の肩を叩く。残念であるということを隠しもしない瞳に、思わず苦笑する。
「ちょっと耳貸して」
「え、この流れでですか? 期待しちゃいますよ、いいんですか?」
「いいから。一回だけだよ」
 おもちゃを買ってもらえると確信したこどものような笑顔でおれを見上げるが飛び跳ねるかのような勢いでおれの隣に立つ。だが、彼女に囁くよりも前に、おれの口元との耳の間にデカイ手のひらが差し込まれる。視線を持ち上げれば、不服そうなリエーフが唇を尖らせておれを見下ろしていた。
「ちょっと研磨さんっ! 俺は?」
「リエーフはいらない」
「いいじゃないスかー! 減るもんじゃないし!」
「……嫌だ。リエーフに聞かれたくない」
 クロにも、とは言葉に出さず視線だけで牽制する。おれの意図を早々に理解していたらしいクロは肩を竦め、いつものふてぶてしい笑みを浮かべた。ふいっとそっぽを向き、に向き直る。
 クスクスと楽しそうに笑うの腕を引いて、ぶすくれたリエーフも、ニヤニヤと笑うクロにも背を向けた。軽く背を曲げての耳元に唇を寄せる。いまだ小さな笑いを繰り返すの肩に手を沿え、その動きを抑えた。
「じゃあ、呼ぶよ」
「はいっ!」
 小さく咳払いをして、口元を隠すように手を小さく丸めて添える。元気なの声には及ばないものの、聞こえないからもう一度、とリクエストされないようにほんの少しだけ声を張り、の耳元だけで囁いた。



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