西谷 夕04

耳を澄ませば


「星の瞬きの音が聞こえそう」
 隣から聞こえてきた言葉に、正面に向けていた視線を右に滑らせた。暗闇の中にあっても映える色白の横顔は、俺の方へは向けられていない。肩が触れるか触れないかの距離にあって俺の視線に気付かないらしいの目は空中に向けられたままだ。普段、は割りと賑々しいタイプだというのに、今日に限っては黙りこんで歩いていた。やっと口を開いたかと思えば、訳の分からないことを言い出すものだから、思わず俺は目を丸くしてしまう。
 帰り道の途中にある坂ノ下商店で買ったガリガリ君を口元に持っていったままぽかんと口を開いて固まったは、自分が今、言葉を口にしたことさえもわかっていなさそうに見えた。
 俺もまた、食べかけのガリガリ君を左手に持ち替え、右掌をの目の前でひらひらと翳してやる。それでもまだ夜空を仰いだままのの様子に、小さく肩を竦めた。呆れるというよりも、諦めるといった心境の方が正しいかもしれない。
 覚束ない足取りで帰路を進み続けるを横目に、前方に一度視線を戻し、危険が正面に無いことを確認し、俺もまたに倣って空へと視線を向ける。首を逸らして大きく息を一つ吐き出した。先程紡がれたの言葉に、簡単に共感してしまう。抜けるような暗闇の中に、遠く輝く淡い星の光。吸い込まれそうな星空というのはこういうものなのかもしれない。圧倒されたように呆けたをバカには出来ないなと、考えを改める。
 感嘆の息を漏らし、もう一度へと視線を転じる。俺よりも情緒的に多感なのか、はいまだに空へと一心に視線を向けていた。
 ぶつかったり転んだりしないようなら放っておいてもいいかもしれない。そう思い直し、また進路へと目を向けかけた。だが、の持つガリガリ君に異変を感じ、目を彼女の手元へ滑らせる。
 夏の熱さに触れながらも、食べかけのまま放置していたそれは、アイスの棒を伝ってずるりと下がり落ち始めていた。

 ――あ、垂れる。

 そう思った時には身体が動いていた。ぼうっと空中を眺めたままのの手を掴み、引き寄せる。だが、不運にも手を動かしたことでアイスが棒からずり落ちた。棒を持ったの指先に触れたアイスを舐めとる。ソーダ味とはまた違う味が舌先に残る。瑞々しいこの味は、梨味のものだ。
「ににに西谷夕っ?!」
 漸く意識がこちらへと戻ってきたのか、キョドったような声でが叫ぶ。驚いて目を丸くしたは、ブンと腕を上に振るった。俺の手から引き剥がされた手にはしっかりと棒は握られてはいたが、肝心のアイスの部分は遠くへ飛んで行ってしまう。
 運良くというか、偶然にもアイスは側溝の中に落ちる。ナイスインと囃すことは出来なかったが、思わず感心してしまう。
 ガリガリ君の行方を見守った後、再度に視線を戻す。あまり視線の高さの変わらない場所にあるの頬は、普段は陶器のように滑らかな癖に、今だけはそこに朱の色を惜しみなく注ぎ込んでいた、唐突な行動で驚かせてしまったようだ。
 に振り払われたまま、置所を見失っていた手を、自分の首の裏へと持っていく。
「あ、悪ぃ。結局落とさしちまった」
「や、私もぼうっとしてたし……」
 両手のひらを翳してブンブンと横に振るは俺から視線を逸らし、引き攣った笑みを浮かべる。気まずそうな表情に、ほんの少しだけ申し訳無さを感じる。
「食うか、これ」
 左手に持ったままだったソーダ味のガリガリ君を掲げてみせると、の視線がこちらへ戻ってくる。アイスに視線を向け、そしてまた俺と視線を合わせたは、右側に頭を傾ける。
「どうして?」
「アイス、足りねぇだろ?」
「えぇー……」
 眉根を寄せて嫌そうな顔をしたは、喉の奥から声を絞り出すように唸った。間接チューだとか、そういうのを気にするタイプだっただろうか。
 過去の記憶を思い起こしても、アイスに限らず肉まんだとか焼きそばパンだとか、結構一緒のものを食ったことがあるはずだ。まぁ、があまりにも美味そうに食うから俺が勝手に取り上げて食べることがあっただけといえばそれまでなのだけど。
「そこじゃ、なくてさ……」
 呆れたように呻いたは額を抑えて俯いた。そうかと思えば少しだけ顔を持ち上げて、手のひらの脇から俺を盗み見る。
「ん?」
 どうした、と聞く代わりに首を傾げると、は目を少しだけ細めた。
「食わねぇなら食っちまうぞ」
「あぁ、もうホント西谷夕は……」
 大仰に息を吐きだしたは、一歩分だけ俺の方へと近付いた。変わらないその背丈が近づくと。簡単にの額が俺の右肩口へと触れる。顔を見られたくないということなのだろうか。それならば、と右手を持ち上げての後頭部に押し付ける。
「どうしたー、。アイス落としたのがショックかー?」
「うー……もうそれでいいから……」
「かわいそうになぁ」
 労りの言葉を口にしながら後頭部を乱暴に撫で付けると、簡単に髪の毛が乱れる。怒るかなと思ったが、意外にもは動かなかった。
 顔を少しだけ逸らして、ガリガリ君を口に運ぶ。耳の奥から心臓が鳴動する音が響いた。



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