西谷 夕06

神様仏様田中様!


 二学期も終わりにさしかかろうかという頃、頻繁に田中が西谷の元へ足繁く通うようになった。
 以前から仲がいいということは知っていたけれど、大会前ならともかく、こうも頻繁ではなかったような気がする。ほかのクラスメイトなら気にしないけれど、そこに西谷が絡んでいるとなると気にしてしまう。
 ちょっと喋りたいな、と西谷の姿を探せば、そこには田中の姿があって、何度も溜息の数を重ねたものだ。
 今日もそうだ。昼休みに入るや否や、お弁当を食べながらも西谷と田中は顔を突き合わせ、何やら作戦会議を行っている。
「潔子さんを狙う男どもの排除は俺たちの使命だからな!」
「おう! やるぜ、龍! 潔子さんの聖夜は俺たちが守るんだ!」
 二人とも声が大きいせいか、教室のどこにいても二人の会話が聞こえてくる。友達とお弁当を食べている会話が時折止まってしまうのは、彼らの声にかき消されるせいでもあった。
「まーた、西谷はキヨコさん、かぁ」
「ホント情熱的」
 困ったように眉を下げつつも笑い混じりに言うたちに苦笑して返す。困ったもんだよ。こんな風に別の人に対して想いを熱く吐露することを厭わない西谷の声を毎日聞かされるなんて、さ。
 言葉には出来ない代わりにいつものように肩を竦めて見せると、また小さくは笑った。
も頑張んなよね」
 何を、だなんて愚問を投げかけることはせず、曖昧に頷いてみせると、彼女の手のひらが私の頭上で撥ねた。労われたことを甘受しているとまた一つ、ふたりの声が耳に届いた。
「打倒っ! っ!!」
 最近、キヨコさんと親しくしていると言う先輩の名前を無遠慮に叫んだ西谷たちは立ち上がり、力強く互いの腕を組み合わせる。
「よし、もう一度練り直すぞっ!」
 また着席し、ああだこうだと作戦を立てていた二人の白熱した様子は、昼休みのが終わる五分前の予鈴まで続いた。
 の机の上に広げたお菓子を空き箱にしまい込み、空っぽになったお弁当の箱と重ねて自分の席に戻る。そこは西谷の右隣の席でもあった。
新学期になればまた席替えがあるのだと考えると、冬休みが来なければいいのにだなんて考えてしまう。
 まだ興奮しているのか、妙に血色のいい表情の西谷夕を見下ろしながら、その隣に回り込む。
「今日も激論だったね」
 椅子を引きながら声をかけると、私を振り仰いだ西谷は口を真横に引っ張ってニッカリと笑う。
「潔子さんは今年で卒業だからな! 焦って関係をつなごうとする輩がきっと出る!」
 目の奥に炎を宿し、力強く断言した西谷は、ダン、と机を叩き、その上で拳を固めた。
「絶対に潔子さんの邪魔はさせない……」
 誓いとも取れるその言葉に、私はまた胸中で、困ったな、と呟いた。
「そっか。じゃあ西谷夕はクリスマスはキヨコさんの警護なんだね」
「ん? 別にそういうわけじゃねーぞ。部活も休みだしな」
 諦めにも似た言葉をぶつけたが、それをいとも簡単に西谷は打ち返す。当日に護衛をしないというのなら、先程までの計画はどうして立てているのだろう。それを尋ねれば、当日に家の前で護衛なんてしたら嫌われるぞと縁下に釘を刺されたらしい。一年の頃と比べたら、西谷や田中の扱い方に磨きが掛かっているなと、思わず感心してしまう。
「そうだ」
 両手の平を叩き合わせた西谷は、体全部をこちらに向け、私の目を真っ直ぐに見つめる。何度となく向けられる視線なのに、いつもドギマギとしてしまう。慣れることなんてあるんだろうか。一向に考えられない未来を慮りながら、なんとなく、私もまた膝を揃えて西谷に向かい合うようにした。
。24日ヒマか?」
「え、ヒマだよ」
 唐突な予定の確認に驚いて、目を瞬かせる。私の驚きをよそに、西谷は、よっしゃ、と膝の上で小さく拳を作った。
「じゃあさ、一緒にうまいもの食って、綺麗なもの観にいこーぜ」
 名案を思いついたとばかりに嬉しそうに笑った西谷が、前のめりになって私に手のひらを差し出す。西谷の言葉を受け止めかねて目を何度も瞬かせた。24日は、所謂クリスマスイブというやつで、そんな日に二人で過ごそうだなんて、片思いの相手に言われて驚かない女子は、きっといない。
、好きだろ。キラキラしたもの」
「ひ、人をカラスか何かのように言うなぁ」
「そんな悪いもんじゃねーだろ」
 胸の奥に生まれた熱を持て余し、足元が覚束無いような錯覚が沸き起こり、何かに縋りつきたいような心境に陥る。咄嗟に椅子の背もたれを掴むと同時に、後ろの席の男子の筆箱に指がかかり、反射的に謝った。
 その一連の流れをじっと見守った西谷の視線に再度向き直る。いつも以上に真っ直ぐさを感じ取ってしまうのは、今、私が彼の視線から逃れたい心境が多分に関わっているのだろう。
「き……キヨコさんとは行かなくていいの?」
「ばっか! お前! そんな! 滅相もない!!」
 顔を真っ赤にして両手を振るう西谷は、本当に自分がキヨコさんと一緒に過ごすだなんて微塵も考えていないようだ。はぐらかすために投げかけた言葉に対する反応に、胸に平穏が戻ってくるようだった。キヨコさんのことで落胆するのは、もう慣れていたからだ。困ったな、といつもと同じように淡々とあるがままを受け入れる。
 西谷にとって私は、簡単に誘えるだけの間柄、ということなのだろう。気のおけない友達として、大事にされていることを痛感させられる。
 それでも西谷とクリスマスを一緒に過ごせることには変わりがない。
 持ち上げられて、ポイッと軽く落とされた期待を飲み下せないままに、うん、と一つ頭を揺らした
「わかった。一緒遊ぼ。まぁ、さすがに私じゃキヨコさんの代わりとしては頼りないかもしれないけれど」
 あはは、と軽く笑ってみせると、西谷はくるりとした目を更に丸くさせた。
「なーんか誤解してんなぁ」
 机の上に頬杖をつき、私の表情を眺めた西谷は、片眉を持ち上げ釈然としないさまをまざまざと見せつける。
「お前だから誘ってんのに」
「そだね。ちょっと卑屈すぎた」
 照れ隠しに頭の裏を掻いて、改めて西谷夕に向き直る。不服そうな西谷の様子に、純粋な好意を向けてくれたことを知る。それでもう、充分じゃないか。
 ストン、と胸のつかえが落ちる。友情だとしても、西谷が私を選んでくれたことが嬉しくて、今度は自然と笑みが浮かんだ。
 だが、反して西谷は眉を持ち上げ、ほんの少しだけ口元を引き締めた。
「大体なー」
 スっと背筋を伸ばし、フン、と鼻を鳴らした西谷は、薄い胸を反らして言い放つ。
「男はな、本当に好きな女にだけは頑張るもんなんだよ。…そこんとこ、ちゃんと覚えとけ」
 唇を尖らせながら言った西谷は、眉根を寄せているため不機嫌そうにも見える。だけどそのほんの少し、いつもよりも色付いた頬が、そうではないのだと直感的に感じてしまう。
 西谷の手が翻る。真っ直ぐに伸ばされた人差し指が、私の額に鈍い痛みを与える。デコピンをされたことに反射的に目をつぶってしまう。
 額を抑えながら目を開けば、いつもと同じ自然な笑みを浮かべた西谷の表情が目に入った。その笑みに、胸の奥で太鼓のバチで叩かれたかのような痛みが生まれる。
「そ、それはどういう――」
「あ、先生来た」
 引き戸を引く音に対して瞬発力よく教卓へと視線を転じた西谷に触発されて前を向くと同時に、今日の日直の起立を促す声が教室内に響き渡る。染み付いた動作で立ち上がり、頭を下げ、椅子に腰掛ける。
 改めて西谷へと視線を転じたが、既に西谷はこちらを見ておらず、一心に黒板を見つめていた。彼の表情は見えないが、西谷の短い髪では隠し切れない赤みが頬や耳に浮かび上がっている。それに気付くと同時に、更なる熱が私に襲いかかってくる。
 教科書に触れる指先が震えた。取り落としそうになり、慌てて掴む。指先の感覚が覚束無い気がして、親指で他の指の甲を触る。
 平静を保ったまま授業を受ける自信がない。だからと言って、西谷にさっきの言葉の続きを、聞かせてよとお願いすることなんてもっと出来ない。
 教科書に皺が入るくらい、手に勝手に力が入る。もうそんなことどうでもよかった。どうせあと3ヶ月もしたら用のなくなるものだ。普段は決してぞんざいに扱ったりしないのに、そんなことを考えてしまう。
 どうせ授業に身が入らないのなら、と。教科書を開いたまま机の上に立て、先生から見えないように両手のひらを合わせる。
 ――田中!次の休み時間は絶対に来ないで! 私に西谷と話をさせて!
 菩薩スタイルの田中を頭に思い浮かべながら、胸の中で必死に拝んだ。  



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