及川 徹01

いつかアイツだけのお姫サマ


 いつもの月曜日。オフの日の放課後。
 普段ならば適当に誰かと約束を交わして楽しむ放課後も、月に一回の部長会と重なってしまってはそれを楽しめるような時間が残されないことは明白だった。教室に置いたままだったカバンを引き取りに来たついでに、ポケットに入れていた携帯電話を操作する。画面に表示された時刻はすでに18時を回っており、これから遊ぶといった選択肢は取り難い、という印象を強くさせるだけだった。
 昇降口へと向かいながら物は試しに、とマッキーやまっつんたちに連絡を取ってみたが、もう家だから無理だとかラーメン食ってるだとかすげない返事しか帰ってこない。連絡のつかないメンバーも何人かはいたが思い思いに過ごしているのだろうことは簡単に想像がついた。
 なんとなく、岩ちゃんに連絡を取れないまま廊下を辿る。岩ちゃんは俺がお願いして言うことを素直に聞いてくれるタイプじゃない。だが、俺と同じく部長職に就いている誰かさん目当てで、迎えにこられでもしたらそれはそれで面白くない。ダシに使われるなんて真っ平御免だ。
 ニヤついたの顔が脳裏をよぎる。ついさっきまで同じ会議室にいたせいか、やけにくっきりと思い出された幻想の彼女の姿を頭を振るうことでかき消した。
 チッと小さく舌を打ち鳴らし、ポケットに携帯電話をねじ込む。
 夏休みを終えてなお猛威を振るう残暑に、重い息を吐き出す。窓越しに空を見上げ、空の気配を伺う。
 ――やっぱり岩ちゃんにお願いしようかな。
 先程、呼ばないと決意したのにすぐにぐらついてしまうのは、窓を叩く勢いで振り続ける雨が要因だった。台風が迫るニュースは何度か目にしていたが今日の雨の予報はちゃんとチェックしていなかった。傘を忘れたー、なんて言って助けてくれる下級生の子達が居残りでもしてたらよかったのに。
 何度目かわからない溜息を吐き出して、昇降口へと向かう。もしかしたら別の部活のやつらが誰かいるかもしれない。期待を捨てずに生きていこう、だなんて壮大なことを考えて歩みを進める。
 靴箱にたどり着き周囲を見回す。雨が地面を叩く音以外無いシンとした場に、誰かがいることを期待できないなんて気付いていたものの縋るように人の姿を探す。だが、悲しいかな予測通りひとっこひとり見つかりはしない。この日一番おおきな溜息を吐き出す。脱力した肩からカバンが下がる。それを元の位置に戻しながらトボトボと自分の靴箱の前へと足を進めた。埃っぽい空気がじめっとまとわりつくことに眉を細めながら靴を履き変える。
 この1、2分の間に雨が止むなんて都合のいいことも起こることはなく、覚悟を決めてとりあえず、と昇降口のドアを潜った。空を見上げ、どんよりとした雲が厚く遠くまで続いていることを確認し、この雨がどこまでかはわからないが長引くだろうことは簡単に予測がついた。
 げろげろ、だなんてコミカルに考えたところで状況は改善されないし気持ちが持ち上がることなんてまったくない。
 だめだ、やっぱり岩ちゃんに声かけよ。簡単にポッキリ折れた心を立て直す間も持たず、ポケットへと手を伸ばす。持ち上げていた視線を下ろすと、俺と同じく昇降口の外に佇む人影があることに気付く。左手で「参った」とばかりに頭を抱えた彼女の顔は見えない。どうやら俺と同じように傘を忘れてしまったらしい。
 仲間発見。カワイイ子だったらなおよし、だなんて浮かれたのも束の間で彼女が腕を下ろした瞬間に「げ」と言葉が口をついてでた。
 カワイイというよりも凛々しいと称するほうが相応しい横顔が、俺の天敵・のものだったからだ。
 空を眺めていたは、俺の声を聞き取ったのかこちらをかすかに見上げ、吃驚したように目を丸くし、それから口元を緩やかに持ち上げた。
「やぁ、及川君」
 こういう常に爽やかで正しいみたいな態度が癪に障る。俺だけが態度を硬化させていることを浮き彫りにして裏でほくそ笑んでるんじゃないかとさえ思ってしまう。
 目を細めての様子を伺う。斜めにかけたエナメルからはスポーツタオルが出てくることはあっても折りたたみ傘が常備されているとは到底思えない。見ただけでわかる事実を、それでも口にする。
「なに、。傘持ってないわけ?」
「そうなんだよ。今朝、遅刻しかけて…天気予報のチェック忘れちゃったんだ」
 少しおどけるように説明するを鼻で笑うことであしらった。俺の悪い態度を見ても飄々とした顔を崩さないは、ほのかに口元に笑みを浮かべた。
「もしかして及川君も?」
「見たらわかるだろ」
「たしかに。……仲間だね」
 クツクツと笑うは意地悪く口元を持ち上げる。多分、コイツは俺がを嫌っていることに気付いている。だからこそ色々なものを含んだであろう表情に、ムッと口元を引き締た。
「いつもみたいに女の子侍らして帰ったらいいじゃん」
「んー……。声かけるにしても他の部長はみんな彼氏と帰っちゃったしなぁ」
 何人か思い当たる組み合わせを脳裏に浮かべる。仲睦まじく帰宅するさまを思い出せば、砂を噛むような思いが胸に沸き起こる。突如として現れた苛立ちを、躊躇いもなくにぶつけた。
も早く彼氏か彼女作ったら?」
「ははは、そうだね」
 嫌味も冗談もさらりと流したは余裕の表情で笑う。こういう手応えのないさらりとした対応が癪に障るのだと改めて自覚する。さっさとどこかに行けばいいのに、と思いながらも雨に閉じ込められたような状況ではそれも難しい。チッと舌を打ち鳴らし、ポケットに触れたままだった手をそこに突っ込んだ。携帯電話に触れた指先に、そう言えば岩ちゃんに連絡しようとしていたんだった、と自らの行動を思い出す。
 呼ばなくて正解だった。もし、このパターンで迎えに来てくれたとして、岩ちゃんのことだ。きっと「女子優先だ」だなんて至極真っ当な理由でを先に送っていく未来しか見えない。
 ポケットに突っ込んだ手を戻し、改めてに向き合う。もう校舎に生徒が残っていることは考えられない。邪魔の入らないだろうこのタイミングなら、今まで言いたくても言えなかったことを口にしても大丈夫だろう。
「なぁ、
「うん、なんだい?」
「お前、岩ちゃんのこと狙ってんだろ」
 俺の発言に目を丸くしたは、口を半開きにしたまま、言葉が出ないのか黙って俺を見上げた。
 隠していたつもりなのかもしれない。おそらく、の周りにいる女子でこいつの気持ちに気付いている奴は少ないのだろう。
 入学した頃から変わらず女子にチヤホヤされている様を見れば男の影なんて察知されていないはずだ。女子が群れをなして応援する体育館の脇で、同じバスケをしているのにどうしてこうも格差があるんだ、だなんて男バスの部長が嘆いていたことは記憶に新しい。
 ――王子じゃねぇだろ。普通の女子じゃん。
 入学したての頃に、岩ちゃんがに向かって言い放ったその言葉で、が落ちていたのは分かっていた。まぁコイツ自身も自覚したのは岩ちゃんと同時期だったみたいだけど。
 数度目を瞬かせたを、冷ややかな視線でもって見下ろす。追及の手が緩まることがないことを悟ったのか、小さくは息を吐き出した。
「……言葉に慎みがないね、君は」
「否定しろよ」
 狼狽も重圧も感じられないの態度は読み難い。だが、の耳元がほんのりと色づいていることを思えば先程の指摘を肯定しているものだと雄弁に語っていた。
「……プッ」
 何が面白かったのかはわからないがが唐突に吹き出した。俺を見上げる迷いのない瞳が、ケンカを売っているかのように感じてしまう。
「答える義理ないべさ」
「諦めろよ。岩ちゃんにはもっとかわいい子が似合うんだから」
「はは、そりゃそうだ」
 わかってますよ、と言いたげには笑い飛ばした。それでも真っ直ぐに俺を見上げる瞳だけは揺らがない。
「自覚あるなら手を引けばいいじゃん」
「嫌だね、バーカ」
「お前……それ俺の真似してんだろ」
「あ、わかる?」
 挑発でもしているつもりなのか、目を細めたは俺を見上げフフンと笑う。コイツもたいがいいい性格をしているな、と思わずにはいられない。何が王子だよ。まるっきり悪役じゃないか。岩ちゃんどころじゃない。青城の女子のみんなは騙されてるよ、と声を大にして言い連ねたいくらいだ。
「岩泉君のこと見てたら自然と君のことも目に入るからね」
「ホンットにかわいくないな、お前」
「いや、及川君ほどじゃないよ」
 売り言葉に買い言葉というつもりなのか。普段の「優しい君」からは想像できないほどに反撃の言葉が返ってくる。目に見えない火花が俺ととの間で爆ぜるような感覚さえあった。
 取り合っているのが岩ちゃんだというのがしょっぱい気持ちになるが、俺の幼馴染がこんなやつに目を奪われているというのは好ましくはなかった。
 無自覚の間は問題なかったが、自覚してしまった今では相手に頬を染めるような仕草まで見せるようになったのだからゲロゲロだなんておどけてる場合じゃないのだろう。
 だが、こうやって牽制したところで意味がない事は解りきっていた。「叩くなら折れるまで」が信条だが、そんなことをしたところでが凹むとも、岩ちゃんが進展を諦めるとも思えなかったからだ。岩ちゃんが幸せならそれでいいよだなんていじらしいことを思うわけではないが、両手を上げて歓迎できる相手じゃないことを差っ引いても俺の出る幕はないのだ。
 人の恋路を邪魔する奴はなんとやら、ってやつだしね。だからと言って、恋のキューピッドに成り下がるような真似だけはできないけれど。俺に出来るのはチクチクと小姑のようにに対してイヤミをぶつけることしか残されていないんだ。
 俺の嫌味に対して同等の言葉を投げ返してくるは、案外楽しそうに頬を緩める。やっぱりこいつ性根は腐ってるんじゃないのかと目を細めてを見下ろしていると、天使の輪ができた艷やかな髪が目に入る。
 柔らかそうだ。そう思ったときには手が動いていた。
「な、なにっ?!」
「……別に。ムカついただけ」
「えぇー……どういうことなの……」
 ふわりとした柔らかさが手のひらに残っている。まかり間違ってもそうすることはないはずだったに触れてしまった気まずさに、苦虫を噛み潰したかのような表情が浮かんでいることは鏡を見なくてもわかった。
 別にはほかの子みたいに俺が触れて喜んだりしないのに、どうして頭撫でるような真似をしちゃったんだよ。それに部活の時はワックスで固めているくせに、今日に限ってなんで整えてないんだ。頭の中で後悔や八つ当たりがうねうねと絡まる中で、そういや部長会だったんだ、だなんて今更ながらに思い出す。混乱している頭の片隅で、岩ちゃんが見たら怒るんだろうな、だなんて肝を冷やした。
 チラリと横目でを観察する。触れられた感触が嫌だったのか、犬のように頭を横にブンブンと振る様が目に入り、やっぱりこいつ嫌いだ、だなんて改めて自覚した。

 その後も岩ちゃんをネタにいじったり、効果的なトレーニング方法の教えあいっこをしたりとしゃべり続けた。意外と話題に困らないものだなと感心しつつ、20分ほど経った頃には、最初の頃に感じていた雨足が随分弱くなっていた。
「だいぶ小雨になったし俺はもう行くけど」
 手のひらを軒から差し出してに問いかける。軒下で仲睦まじく喋ったところで、別に一緒に帰るような仲じゃない。判断をに委ねたのは、なんとなく答えを察していたからかもしれない。
「そっか。私はもう少し待って行こうかな」
「あっそ。じゃーな」
「また明日。足元滑らないように気をつけてね」
 ひらひらと手のひらをかざしたは、いつもどおり、優等生な表情を浮かべている。胡散臭いというよりも卒がなさすぎて面白みがないな、と感じるには十分だった。
 バイバイ、と軽く返し、習慣で持って来ていたスポーツタオルを頭にかぶせ、帰路を駆け足で辿った。
 弱いと感じていた雨も、外に出てみれば意外とまだ本降りだといっても良いほどの勢いがあるようで、靴だけでなく、シャツやズボンまでもが瞬時に濡れそぼる。
 これは走るスピードを上げるよりもまたどこかに避難したほうが良さそうだ。失敗したな、だなんて考えながら走っていると、車道を挟んだ向こう側にあるコンビニが目に入る。普段ならば寄り付きもしないそこが砂漠のオアシスかのように感じてしまう。ここで傘を買ってしまえば後の道中がだいぶ楽になる。車が通らないことを確認し、一目散にコンビニへと駆け込んだ。
 レジで500円玉を出し、すぐに使うことを店員さんに告げる。手に入れたばかりのビニール傘はRPGの序盤で手に入れる剣のように頼もしいものだと感じた。
 傘を差し、自宅へと足を向ける。だが、その足が動き出すよりも先に、後頭部がチリっと痛んだ。感触を追うように振り返れば、視界の先に微かに学校の面影を感じ取る。同時に過ぎったのは、つい先程まで談笑していたの姿だった。
 ――あのバカはまだ待っているんだろうか。
 戻ったところでもしかしたら、たまたま残っていた誰かと一緒に帰って既にいないかもしれない。それ以外にも誰かに迎えに来てくれだなんて頼んだ可能性だってある。
 天を仰ぐ。どんよりと薄暗い空は、雨足を弱めるつもりはないと宣言しているようだった。
「クソっ……」
 ままならない。放っておけばいい理由を並べ立てたところで動向を気にしてしまうのなら動くしかないじゃないか。

* * *

「ったく……なんで俺がここまでしてやんなくちゃいけないんだか」
「え」
 足元でパチャと水が跳ねる音がした。防水もそこそこのレベルでしかないスニーカーは水や泥を吸いまくっていて鈍く重い。眉根が自然と顰められるのは、自らの行動のせいなのか。それとも雨に対するものなのか。不機嫌さをぶつける場所がなく、目の前に立つに遠慮なく不平を口にする。のんきな顔をして携帯電話をいじっていたが目を丸くして俺を見上げた。
「どうしたの、及川君。忘れ物?」
 忘れ物、といえば忘れ物なのかもしれない。だが、別に俺のものじゃないそれは、捨て置いてもいいものだ。だが、多分、このまま置いて帰ったら家についてからもがちゃんと帰れたかどうか気を揉んでしまう。
 気にするくらいならばとっとと原因を取り払ってやればいい。
「ん」
 軒下に入り込み、差したままだった傘をに向けて突き出す。自分でやっておきながら小さい頃に見たジブリのキャラのようだと思った。
 口元を三角にしたは、俺の手元と俺の顔の間で視線を彷徨わせる。戸惑う様子に益々苛立った。
 ――俺だって驚いてんだよ。に優しくしたって何のメリットもないのにさ。
「……送ってくから、早く来いよ」
 察しの悪いに、渋々口を開いた。俺の言葉に「えぇ?」と驚いた様子を見せるに苛立ちは増幅される。手にしていた携帯電話をカバンの中に仕舞いこんだは俺を見上げて、改めて目を瞬かせた。
「意外と優しいね」
「ちょっとそこはかとなく上から目線でのコメントやめてくんない?」
「いやぁ……本当に意外だったからさ」
「入れてやんないよ?」
「あー、うそうそ。及川君チョー優しい」
「そっちの方が嘘くさいじゃん!」
 差し出したままだった傘を手元に引き寄せれば、慌てたが追い縋るように手を伸ばしてくる。だが触れるか触れないかのギリギリのところで添えるだけに終わった手のひらが、普段女子相手に対応するらしかった。
 そのままの勢いで昇降口から飛び出した。傘を叩く雨の音は、学校へ戻るときよりも気にならなかった。
「せめて傘もつよ」
「やだよ、お前傘持って走って逃げそうだもん」
「そんなことしないって」
 歯に絹着せぬ言葉を投げつけたところではさらりと流す。初めから変わらないコイツの態度が癪に障ると思いつつも、へこたれないところを認めてやってもいいかな、だなんて思えた。
「俺、お前のこと女子だって思ってないから、歩くスピード緩めてやんないからね」
「あははっ。足の長さならそんなに変わらないから平気だよ」
「ハァー?! 俺の方が長いし!」
「どうかな? 今度測ってみようか?」
 あくまで減らず口を叩く俺と対等に渡り合うつもりらしいは口元を引っ張ってニッと笑う。豪快に笑い飛ばされるよりも自信ありげに見えるその笑い方は、多分俺が浮かべるものとよく似ているのだろう。
 やっぱりコイツとは仲良くしたくない。本当に可愛くないし、女子っぽさの欠片もないから調子が狂う。
 もし将来的に岩ちゃんと付き合うことになっても祝福なんてしてやんないし、同棲なんかしても家に遊びに行きたくない。
 辿りついてもいない未来を憎んでいると、ふと、一つの考えが脳裏に浮かび上がる。
 ……いや、待てよ。むしろそこまで持って行って俺が常に入り浸って邪魔してやるっていうのも悪くないのか?
 口元に手を持っていき思案するポーズを取り、を見下ろす。俺の悪巧みに気付いていないは、俺を見上げ何も考えてない緩い笑みを浮かべた。
「そうだ。今度アイスでも奢るよ。何が好き?」
「えー、俺ラーメンがいいなぁ」
「いいけどその時は岩泉くんも誘ってよね」
「……お前本当に抜け目ないな」
 強欲な姿を垣間見せるは、やっぱり王子なんかじゃない。単なる恋する女の子の一人だった。その相手が岩ちゃんっていうのが本当に応援したくないんだけど。本当に、嫌だけど。
 くっつくまでは邪魔しちゃお、だなんて思いながらも、優しくしなくてもいい距離感は、意外と悪くないと感じていた。



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