001.焦がれる
壁があるように感じているのは、ひとえに自分があの人を好きだと思っているから。
ちゃんと友達のように振る舞えているのか、いつも不安でぎこちなくなってしまうのもそのせい。
あの人は私のことを友達くらいには思ってくれているのか。それともコウちゃんの幼馴染の人、友達の友達、みたいなポジションなんだろうか。
いっそ私の気持ちに気付いてくれないのかなぁ、だなんて他人任せのようなことを思う。
進路指導の順番を待ちながら、そういうことをコウちゃんに言うと、「が素直になればいいだけだよ」とコウちゃんは笑った。
幼馴染の贔屓目にしかならない慰めでも、その心遣いが嬉しかった。
「噂をすれば…帰って来たぞ」
人差し指を廊下に示したコウちゃんに促され、視線を右に転じると、澤村くんがドアをスライドさせながら教室に入ってくるさまが目に入った。
目にした瞬間、にわかに跳ねる心臓を隠すように、机の上に置いたままだった両手を胸の側に持っていく。
「スガ、交代だ」
親指を立てて肩越しに廊下を示した澤村くんの言葉に、コウちゃんは立ち上がる。
「おーう、じゃあ行ってくんべ」
「いってらっしゃい」
「おう」
去り際に、頑張れと言葉を残す代わりに、コウちゃんの手の平が私の頭の上で跳ねる。それに手のひらを翳して応えていると、コウちゃんが座っていた席に、言葉通りに澤村くんが入れ替わるかのように座る。
コウちゃんがドアを閉めるまで見送った後、机に、否、澤村くんに向き直る。
窓枠にもたれかかるように座った澤村くんの横顔を、無遠慮にもまじまじと見つめてしまう。
少し髪が伸びてきたな、と眉毛にも掛からない前髪を見つめる。髪の短い男の子って、切った瞬間と伸びかけの時と、結構雰囲気が変わる。
切りたての雰囲気は2週間かそこらで終わってしまうけれど、この髪が馴染んでくる感じも好きだなぁと、胸の内を温める。
「ん、どうした?」
私の視線に気付いたのか、こちらを振り返った澤村くんの問いかけに、ゴキュと喉の奥が鳴った。目を見張って澤村くんになんと答えようかと逡巡する。
まさか見惚れていたなどとは言えない。冗談を装ったとしても、絶対に本心がチラついてしまう自信があった。それ以前に澤村くんとはそういう冗談を言い合えるような仲には到底至っていない。コウちゃんがいればまた違ったのかもしれないけれど、二人きりの状態でそれを口にすることは憚られた。
「え、いや。コウちゃんまだかなぁって……」
「まだって……今行ったばかりだろ」
眉を下げて苦笑する澤村くんに、私も曖昧に笑って見せた。
こそばゆくもないのに、照れくささに耳の下辺りを指先で掻く。
二人きりの時間を嬉しく思いながらも居た堪れなくなる気持ちの方が強く出てしまう。
コウちゃんさえいれば、3人になれる。3人になれば、それが例え1人と2人の間柄が2つできるだけであっても、一緒に時間を共有していられればそれで満足だった。
「仲いいよなぁ、スガと」
「うん、幼馴染だからね」
「いつから一緒なんだ?」
「幼稚園からかな?あ、入る前だったかも」
「あー……物心ついた頃からってやつか」
共通の知人の話をしてるだけだというのに、上手く答えられているのかどうか気になってしまう。
澤村くんの言うとおり、コウちゃんとは仲がいい。それはもちろん小学生の頃もそうだったし、中学に入ってからも思春期特有の自意識によって仲違いすることもなく、今まで過ごせてきた。
澤村くんを好きになって、一緒にいる理由が一つ増えたけれど、もしコウちゃんが澤村くんと仲が良くなかったとしても、コウちゃんと離れることはなかったと思う。
そのくらい、コウちゃんと一緒にいることは、私にとって自然に慣れ親しんだものだった。
答えながら机の上に肘を置き、指先同士を交互に重ね、人差し指に唇を押し付ける。
ちょっとだけ前のめりになるこの姿勢は、澤村くんに近付くためのものでもあり、少しだ け視線を逸らしても違和感がないようにするためのものでもあった。
目を伏せ、椅子の背もたれにそって置かれた澤村くんの手の甲に浮かぶ血管を見つめる。コウちゃんよりも幾分か分厚く、筋立った手をいつか捕まえることが出来れば、だなんて出来もしない空想に耽る。
「そういうの、羨ましいなぁ」
ポツリと零された声に伏せていた目線を少し持ち上げて、澤村くんの表情を探る。
視線がすぐにかち合ったのは、澤村くんがずっと私を見ていたからなのだろうか。それとも私が動いたからそれを目で追っただけなのだろうか。
染まる頬の熱を抑えきることが出来ず、言葉に変えてその熱を発散させようと試みる。
「澤村くんには幼馴染っていないの?」
「いや、いるのはいるけどもう随分顔も見てないし、そもそもさんたちみたいには仲良くないよ」
歯を見せながらも眉を下げて笑った澤村くんに、さっきもその顔見たな、と思い当たる。
もしかしたら私は澤村くんに苦笑いしか浮かべさせられないんじゃないか。
そんな仮定が脳裏を掠めると、自然と唇が尖った。
私の表情の変化を目にした澤村くんは、微かに首を傾げて目元を丸める。
頭を横に振って、何でもないのだと示すと、澤村くんは一つ頷き、それから口を開いた。
「もしさ」
「ん」
「もし、さんと俺が幼馴染だったら、どうだったかな」
唐突な澤村くんの質問に、ポカンと口を開く。どういう意味で捉えていいか解らなくて「え?」と聞き返すと、澤村くんは首の後に手をやって、それから私の目を覗きこむように背を丸めた。
「結構羨ましいんだよね。なんでも話せて、どんなことも信じられるような関係って、そう手に入るものじゃないから」
澤村くんの言葉になんだか胸がむず痒いような心地に陥る。
確かにコウちゃんとは仲良くしているけれど、他人に、ましては澤村くんに羨まれるほどのものだとは思っていなかった。
恐縮した気持ちに、自然と肩が丸まる。膝の上に両手を揃えておいて、照れくさくて澤村くんから視線を外した。
小さくなった私に、澤村くんは声に出して笑った。
「だから、想像したくなっちゃうんだよね」
「うん?」
「だから……もし、さんが俺と幼馴染だったら、俺ともスガみたいに仲良くしてくれたのかなって」
前傾だった姿勢を起こし、また窓枠にもたれかかった澤村くんは机の上に頬杖をつき私の顔をまじまじと見つめる。
こんな風に澤村くんとじっと目を合わせるようなことは初めてで、頭の奥と胸の中心とで2つ心臓があるみたいに甘苦い痛みが広がっていった。考えるふりをして机の上に視線を落とし、呼吸もままならないのに、口を金魚のようにぱくぱくとさせ、言葉を探す。
もしもコウちゃんと澤村くんとのポジションが違って、澤村くんが私の幼馴染だったら、どうなっていたのか。
そんなこと考えたこともなかった。
私が一方的に澤村くんを好きだと思っているだけで、まさか澤村くんが私とコウちゃんの関係をいいものだと思ってくれているなんて想像すらしなかったからだ。
――澤村くんと、もし幼馴染だったら。
微かに想像すると、胸に焦れるような感覚が生まれる。コウちゃんと過ごしてきた十数年の出来事がすべて、澤村くんと共有していたとしたら、どうなるかなんて答えは解っている。
空想だけで耳が溶けそうなほどに熱くなった。
片手を口元に持って行き指の甲で唇を抑えつける。言葉では失敗しそうだと自覚していた。
伏せていた顔を上げ、澤村くんに視線を向ける。手のひらで押さえることで少し盛り上がった頬の上の眼差しは、それでも柔らかく私に注がれる。
必要以上に熱を持ったせいか、目の淵が涙で滲んだようになっているのを感じる。
熱に浮かされたような視線に、想いのすべてを込めて、澤村くんの目を見返した。
もしも私と澤村くんが幼馴染だったら。
その時は、幼馴染である澤村大地を好きになり、今よりももっと早く、恋をする。
まだ言葉には出来ない想いが全部、この視線で伝わればいいのに、と少しだけ思った。
そんなことあるわけがないか。小さく苦笑してみせると、澤村くんは目を丸くさせる。
「今と、変わらないと、思う」
今と変わらない、というのはもちろん私が澤村くんを好きになる、ということだ。
上手く言葉に出来なかった想いが届くはずもなく、澤村くんはまた曖昧に笑った。