澤村 大地02

幸福な微睡み


「ったく、アイツどこに行ったんだ」
 昼休み、食堂から帰る途中で武田先生からスガに話があるから探すのを手伝って欲しいという依頼を受けた。
 教室にも居らず、職員室にも来ていないらしい。普段なら連絡もなく約束を違えることのないスガにしては珍しいことだ。
 緊急だし、と携帯に掛けてみたものの、放課後にならないと電源を入れない主義のスガの携帯に繋がることはなかった。
 唯一、スガの動向を知っていそうなさんも探したが、今日に限っては普段一緒にごはんを食べる女子と別行動でいるらしく、有益な情報を得られないままの捜索は困難を極めた。
 多分、2人で一緒にいるんだろう。
 小さく溜息を吐き、進路指導室のドアを閉める。当て所もなく思い当たる場所を散策しているのだが、教室はもちろん、屋上も含めて校舎内ではついぞ見つけることは出来なかった。
 体育館には先生が既に見て回ったと言っていたからそちら側には恐らく居ないのだろう。あとは中庭か運動場か。
 ひとまず、中庭に降り、それからまだ居ないようなら運動場も見ればいいか。そう思い、早速中庭へと足を伸ばす。
 上靴から下足へと履き替える際、スガの上靴が下駄箱に並べられていることに気付き、やはり外に居たのかと安堵する。一番最初に確認すればよかったとも思ったけれど、候補が絞られたのだから、それで満足するしか無い。
 中庭にたどり着くと、まだ半分以上昼休みの時間が残っているからか、疎らに人が居る様子が目に入る。
 周囲を見渡しながら歩いていると、足元に赤い粒が落ちていることに気付く。爪先がそれに当たり、コロコロと転がる。丸い形に緑色のへたが付いていることが見て取れて、そのモノの正体が判明する。
「……ミニトマト?」
 ポツリと言葉を零すと、カサリ、と側にあった植え込みが揺れた。
「大地? 大地なら、ちょっと来てっ」
 声を潜めて、それでも焦った様子で俺の名前を呼んだ男は、声で俺だと判断したのだろう。俺もまた、植え込みの向こうから聞こえてきた馴染みのある呼びかけとその声に、言われた通りに近付いた。
「スガ?」
「おぉ、助かったー」
 植え込みの向こうに設置されたベンチに腰掛け、心底嬉しそうに囁いたのは、想像していた通りスガだった。そしてこれまた予想通り、スガの側にはさんの姿があった。
 どっちもビンゴかよ、と嘆息する。
 だが、普段ならば控えめながらも元気よく俺に挨拶をくれるさんが、正面を向いたままこちらを向こうともしない。否、よく見れば彼女はスガの肩口に頬を寄せて座っていて、二人の時間を邪魔したことを怒らせてしまったのではと懸念する。
 狼狽混じりながらもさんに謝罪の言葉を掛けようとしたが、その動きはスガの口元に立てられた人差し指によって留められる。
 それを受けてキュッと口元を引き締めると、スガは満足そうに笑った。
、今寝てんだ」
 空気を含めたような声でこっそりと宣言したスガの言葉に、回りこんで正面に立つと、スガの言うとおり目を閉じたさんの姿が目に入る。自然にスガの右肩に頭を預けたさんは、安心したようにゆったりとした空気を醸し出している。
 微かに開いた口元が目に入ったが、扇情的なそれを正視できなくてすぐさま目を逸らした。
 俺の中に生まれたやましい気持ちをスガに見透かされたくなくて、肩で息を吐き出すことでその感情を追いやる。座ったまま俺を見上げたスガは、気付いているのかいないのか、いつもどおり人好きのする笑みを浮かべていた。
「良かったぁ。俺、昼休みの後半に先生に呼ばれてんだよね」
「あぁ、なんだ知ってたのか」
「朝、言われてたんだ」
 事も無げに言ったスガに、武田先生が探していたことを告げると、悪いことをしたなぁ、と苦笑する。
 朝受けた先生の頼みよりも、突発的にスガの右肩に収まった幼馴染を優先したということなのだろう。
「最近、、勉強頑張ってるみたいでさ。夜遅くまで起きてるんだ」
 目を細め、肩越しにさんの表情を目にしたスガは柔らかく笑んだ。
 労るように右手を持ち上げさんの頬に触れる。簡単に触れたその手のひらの優しさに、羨むような視線を向けてしまう。
 だが、その手を支えにし、スガはさんの横から離れようと身体を捻る。重心がずれて傾いださんに、思わず手を伸ばし、その細い肩を支える。
 瞬間、ニヤリと口元を持ち上げたスガは、この隙に、とばかりに中腰で立ち上がる。
「だから、さ。ちょっと大地、ここ変わって」
 唐突なスガの依頼に、ぎょっとして大きな声を出しそうになったが、既のところで堪えた。声を抑えた分だけ、表情に出てしまう。耳元に発生した熱が、羞恥以外の何物でもないことは自分でも痛烈に解っていた。
「はぁ? いや、それは……」
「大丈夫、大地の方が身体デカイから」
「そういう問題じゃなくてな……。さんはスガだから安心して寝てんだろ」
「そりゃ、そうだ」
 ほんの少しの劣等感と嫉妬を含めた言葉も、アッサリと同意されたことに意味を失ってしまう。そこまで解っていて、この場を譲ろうとするなんてよくも出来たものだ。
「まぁ、は大地の横じゃ寝てらんないだろうけど、もう寝ちゃってるから問題ないべ」
「だけど……」
 ニカッと他意なく笑って言ったスガの言葉に、眉根を寄せる。
 今こうやって肩を支えていることだって出過ぎた真似のような気がするのに、寝ている彼女に肩を貸すなんて踏み込み過ぎじゃないだろうか。
「うぅ……」
「あぁ、ホラ、起きる。が起きちゃうから、早くっ」
 小さく唸ったさんと、スガに腕を引かれたことで焦ってさんの横に座ってしまう。過ちに気付いたのは、彼女の頬から手を放したスガが、そのまま俺の肩にそれを寄せるように押し付けてからだった。
「ふぅ……これで一安心っと」
 ポンポンと柔らかく彼女の頭を叩いて言ったスガは、そのまま傍らにおいてあった弁当の入った包みを小脇に抱える。
「それじゃ、ちょっと行ってくるわ」
「あ、オイ」
「大丈夫だって。、一度寝るとなかなか起きないけど昼休み終了5分前には絶対起きるから!」
 ――さすが、よくご存知で。
 瞬時に沸き起こった嫉妬の言葉を叫ぶことも、また立ち上がって追いかけることも出来るはずがない。唯一俺に残された抵抗は、虚しく伸ばした手を宙で彷徨わせることだった。
 小さく溜息を吐き、右肩に触れたさんに視線をやり、そのまま堪え切れなくて左側へと視線を泳がせた。
 開いた足の両膝に肘を乗せ、ぎゅっと両手の平を組む。ギチギチと手の甲に指が食い込み、にわかにその周辺の肌の色が失われていった。
 好きな子にこんな風に側に居られて、平常心を保てる男がいるなら、その方法を御教示して欲しいところだ。
 手を出すとかは絶対にしないけれど、それでも容赦なく歪なジレンマは胸に沸き起こる。
 柔らかな髪や頬に触れるくらいなら、だとか、手を握るくらいなら、だとか。スガだからこそ許されているその行為に対する憧れは尽きない。
 その沸き起こる欲求に歯止めが効かなくなってしまってはいけないと、小さく呼吸を整える。
 ストップを掛けられるのは自分だけだ。精神鍛錬のような気持ちでいるしかこの状況を乗り越えられる気がしない。

 俺は枕。俺は枕なんだ、今だけは。さんの安眠を守るための、枕だ。

 そう考えて何分くらい経っただろうか。5分程度かもしれないし、もう10分以上そうしていたのかもしれない。だが何度そう念じても、じりじりと焦がれるような想いは薄れることはなかった。
 緊張感を拭おう、と一つ、大きく溜息を吐き出す。身体から力を抜き、リラックスできるように努める。
 リラックス、リラックス、と更に念じていると、ふと、脳裏に先日のバレー部での会話が頭を過ぎる。
 ――努力するリラックスなんて、日向みたいだ。
 クス、と小さく笑うと、瞬間的に体から力が抜ける。同時に、今の状況に対して心に余裕が出てきた。
 改めて、視線をさんに向ける。日に透けて普段よりも赤みがかったように見える髪に触れることは出来ないけれど、寝ているせいなのか、日差しに照らされていたせいなのか、俺よりも高いさんの体温が、じわじわと学ラン越しに滲んでくる。
 肩だけではない。いつの間にか傾いていたのか、腕や太ももにもさんのものが触れている。
 ただそれだけでも、胸の内が張り裂けそうなくらいの疼きに似た痛みが走る。
 普段おいそれと触れることが出来ないことを思えば、スガに押し付けられたとはいえ、この思いがけない幸運には感謝しないといけないのかもしれない。
 肌で感じる春の陽気に、目を細める。
 ほんの少しだけならいいだろうか。この甘く煌めくような状況に浸ってみても、許されるだろうか。
 先程、スガが自然とそうしていたように、さんの頭にこめかみを寄せる。
 距離が近付いたことで、石鹸かシャンプーかわからないけれどふわりといいにおいが鼻を掠める。
 いいにおい、じゃない。好きな、においだ。
 そのにおいを追うように、顔を少しだけ傾けると鼻先に、ふわふわとしたもの触れた。
 誰か寝ていると、こちらにも眠気が移るというのは本当のようで、うとうととした眠気が身体を包み込むように広がっていく。組んだままだった両手から力を抜いた。
 身体が浮かび上がるような至福感に、口元を緩める。
 起きて、側にいるのがスガではなく俺だと知ったら、君はどんな顔をするのだろうか。
 ――笑ってくれると、いいな。

 届かない祈りを一つ抱いて、俺は深く瞑目した。  



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