007.想う
俺がずんずんと先を歩き、が俺の後ろをついてくる。
時折振り返ってのその小さな手を引いて、導いてやることが俺の役目だと思ってた。
転ばないように、傷つかないように、まるでRPGでいう勇者と姫のような、現実でいう兄妹のような、そういう関係。
でも、成長するにつれてが俺が手を引いても、はよそを向いて足を緩めることが多くなる。
目に止めたものは花だったり、鳥だったり、星だったり。俺の背中しか見てこなかったの興味を引くのはそういう暖かなものが多かった。
「」
名前を呼び、手を引けば、まだは俺の後をついてきていた。
でもそれは中学を卒業するまでのことで、烏野に入学して、の足が完全に止まる。
2人の手の長さ分しか無いはずなのに、どうしようもない距離が生まれていくように思えた。
立ち止まったその場所で、俺と同じくバレー部に所属する澤村大地を、は鮮烈に意識していく。
の淡い恋心を目の当たりにして、繋いだ手がもうすぐ離れてしまうことに気付くと同時に、じわじわと、もうひとつの感情が育っていった。
* * *
「さ、澤村くん!」
「ん。あぁ、さん。おはよう」
「おはようっ」
「今日も元気だなぁ」
教室の前の廊下で、2人が笑い合う。朝の挨拶ひとつ。それを大地と交わすだけで、本当に嬉しそうには笑う。
白い肌に色付く朱の色だけで、大地に対して相当な想いを抱いているのだと見せつけてくれる。
1年の頃から惹かれていたにも関わらず、大地との関係性が進む要素が見当たらなかったのはひとえにが俺の背中に隠れることを覚えたからだった。学ランの裾を掴んで、俺の腕越しに大地を見つめることを2年も飽きもせず続けていた。
3年生になってはじめて同じクラスになって、ようやっと「コウちゃんの部活友達」でも「スガの幼馴染」でもなく、「クラスメイト」になれた。
ささやかなアプローチが届いてるようには見えないけれど、それでもなりに果敢に大地に攻めこんでいく。
面と向かって聞くようなことはしていないけれど、多分、大地自身もに対して憎からず想っているんだろうな、という予感はあった。クラスの女子やマネージャーの清水と話す時よりも幾分もやわらかな視線が混じっているのがその証拠だ。
ただ、その覚束ないと、何事にも鷹揚に構える割に進む時は力強く進む大地との距離感はとても危なっかしく、時折、俺がフォロー入れてやんないと上手く噛み合わない時もあった。
「さん、今日はバレー部見に来る?」
挨拶を終え、教室に戻ろうと踵を返しかけたに、大地が話しかける。
目を丸くして大地を振り返り、自分のブレザーの裾を掴んだは訥々と言葉を零した。
「え、どうしよう。特に用事はないけど……試合するの?」
「いや、最近1年が入ってさ、結構面白いことやってるから見て欲しいなって」
「へ、へぇ。面白い練習方法でも始めたの?」
「練習というか、実践というか…凄い速攻が出来るコンビがいてさ。さん見たら驚くんじゃないかなって思って」
「そうなんだ……」
頬を微かに染め上げて曖昧に笑うに、大地が笑いかける。その目元の柔らかさは、旭が見たら「何を企んでるんだ!」だなんて卒倒するんじゃないかというほど、優しい笑顔だった。
「来る?」
「う」
「おいでよ。外から見るだけならボールもそんなに飛んでこないだろうし、飛んで行くようなら俺がカバーするからさ」
「う……」
「なんだったらさんが見てる間は田中を下げてもいいし」
「う、それは、さすがに……」
うん、と言いたそうなだが、大地が言葉を繋げる度にその返答は尻すぼみになっていく。大地は大地で承諾がほしいためか言葉をマシンガンのように続けるし、これはあまり良い流れとはいえない。
「いいじゃん、。最近来てないし、たまには来いよ」
会話を続ける2人に、言葉を投げかけながら歩み寄っていく。
おはよう、と言う代わりに肩に掛けた鞄を引っ掴んで持ち上げると、は安心したように笑った。
「コウちゃん!」
弾けるようなその声音は、昔から変わらない。気心のしれた俺にだけ向けられるそれに、ほんの少しだけ優越感が混じった笑みが浮かび上がる。
「うん! 行く!」
頭をブンと縦に一回振ったは、顔を上げてもなお俺を見上げたまま笑う。
大地に返事をしてやんなよ、と思いながらも、まだが俺の助け舟を必要としてくれていることが嬉しかった。
「よし、決まりっ」
幼さの残る額に手を当て、前髪を撫でてやると、首を竦めながらもは俺の手を受け入れる。チラリと大地に目を向けると、困ったような嬉しいような、曖昧な笑みを浮かべたままを見つめていた。
――甘い、甘いよ。大地。はまだ、お前には渡せない。
独占欲にも似た感情が胸に沸き起こる。幼馴染に向けるものよりも歪なそれは、娘を嫁に出したくない父親の心境と言って相応しいのかもしれない。
まったく、この年で父性愛に目覚めるとは思わなかった。
それも同級生で、兄妹のように過ごしてきたに対して、だなんて笑えない。
いつかおとなになって、が結婚する時、一緒にバージンロードを歩けたら───。
そんな夢を見たことがあった。
でも、それはと結婚したいというわけではなく、をその結婚相手に受け渡す側の道を歩きたいのだ。
もちろん親父さんもご健在だし、幼馴染にその役目がくることがないのは解っている。
単なる幼馴染というだけでなく。勇者と姫のような、親友のような、兄妹のような、そんな関係に一つ加わった父娘のような、そんな想い。
まだが誰かと付き合っているわけでもないのにそんな心配をしてしまうのは、この遠慮無く触れられる手が、俺のものではなくなりそうな焦燥感によるものだ。
大地と話す度に、日毎、輝きを増していくは、多分、近いうちに大地に想いを告げるだろう。
女の子は恋をして綺麗になるっていうのは本当なんだなだなんて、間近で見せつけられた上で、子供の頃から見守っているを持っていかれるだなんて、現実は時に無情だ。
「それじゃ、放課後、待ってるから」
「うん。誘ってくれてありがとう、澤村くん」
俺の手が触れたままでも気にせずに大地に話しかけるは、俺に向けたものよりも鮮やかな笑みを大地に返す。
「ん」
頭を揺らすことで返事とした大地もまた、と同じくらい嬉しそうに笑った。
俺がいても気にしないで淡い空気を振りまくる2人に、小さく肩を落とす。
――本当に、損な役回りだ。