菅原 孝支03

アルタイル


「わぁ……懐かしい……」
 久しぶりに俺の部屋に遊びに来たが、本棚の前でポツリと言葉を紡ぐ。俺が雑誌に落としていた視線を持ち上げるのと、がこちらを振り返るのはほぼ同時のようだった。ふわりと嬉しそうに笑うに、反射的に笑みを返す。
「見て、コウちゃん」
 声を弾ませたが、胸の前に薄っぺらいものを掲げる。濃紺の丸い円盤のようなそれに見覚えがなくて首を捻った。
「なんだ、それ?」
 答えをねだるような質問を投げかけると、は益々嬉しそうに笑う。
「ほしみひょーだよ」
「ほしみひょー?」
 聞き慣れない単語に眉を寄せたが、はそれ以上の言葉を述べてくれそうもない。もう一度、彼女の掲げるそれを目にし記憶を辿る。濃い色合いの中に蛍光色の光が反射したのを目にし、幼いころの記憶の欠片が引っ掛かる。
「あぁ、それ、星見表?」
 確認のためにもう一度告げると、うん、とは頭を揺らした。ベッドにおろしていた腰を上げ、の元へと歩み寄る。俺に見せるように持ち上げられたそれに目を落とし、表面に指を這わせた。少しぷくっとした感触が指先に残る。
 星見表だなんて数年ぶりに目にした。本棚に並ぶ雑誌や教科書の間に挟まっていたらしいが、捨てずに持っていた自分に驚いてしまう。
 もっとも、捨てなかったというよりも捨てる前に無くしてしまったという方が正しいのかもしれないが。
「今の時期だと……ここかなあ」
 くるくると表示を回し、夏の季節に合わせたは、目についたのであろう星の名前を小さく辿る。
「ベガ、アルタイル……と、デネブ」
「夏の大三角形ってやつか。懐かしいなぁ」
 の隣に並び、手の中を覗きこむと、今より幾分も汚い字で星の名前を書き連ねているのが目に入る。少し気恥ずかしいような気もしたが、幼い自分の残したものを懐かしむ気持ちの方が大きかった。
 クスリと笑うと、が俺を微かに見上げる。その視線に、歯を見せて笑い返すと、俺の目を見つめていたの視線が微かに揺れる。
「そういえば、これ……小学校の時にお星様みたいって言われてたよね」
 の指先が俺の左頬に伸びる。反射的に目を瞑ると、目の縁を細い指先でなぞられた。離れていった感触を追うように目を開けると、真っ直ぐに俺を見上げると視線がかち合う。の言わんとしていることがわかり、小さく笑う。
 俺の左目の際にある涙ぼくろは、の言うとおりに夜空の星に例えられることが少なくなかった。
 冬になれば瞳と合わせてオリオン座のようだとか、覚えたばかりの星の名前で評された。夏の時期は俺が男だということもあり、アルタイルのようだと言われたこともある。彦星を示すその星の名に合わせて、の顎にある小さなほくろを織姫を指し示すベガのようだと言ったクラスメイトもいた。
 間柄を誤解されていたからこその比喩表現も、案外悪いものじゃない。恋仲でなくても、が俺にとって大事な人であることは変わりないのだから。
 自然と手が伸び、の顎に触れた。親指の腹でなぞってやると、ははにかむように笑う。元々やましさは一欠片もないけれど、もまた俺と同様に他意なく受け止めてくれる。ここまで踏み込んでも許容しあえる俺達の関係を羨んできたやつも少なくなかった。
 クラスメイト相手に「いいだろ」と無邪気に自慢した記憶さえも懐かしい。今更、直接そんなことを言ってくるやつはいないから忘れがちだけど、特別であることが自然であることも結構スゴイことなんだよな。
 顎に触れていた手を持ち上げ、の額を撫で付ける。これもまた当然のように受け入れられた。
、今日は夜までいる?」
「え? どうして?」
「いや、久しぶりに星座観察もいいかなって」
 手を下ろしながらの持つ星見表を取り上げる。窓の外へと視線を向けたが、まだ星空どころか夕焼けも程遠い空が目に入るだけだった。
 気の早い提案だっただろうかとも思ったが、すんなりとは頭を一つ揺らす。
「じゃあ、あとでアイス買いに行こうよ」
「お、いいな、それ」
 の更なる提案に快諾すると、子供の頃と変わらない笑みをは浮かべる。
 幼いころは二人でひとつのアイスを半分こして食べていたけれど、もう高校生になったのだからそんなことをしなくても夕飯に支障が出ることはない。だけど、久しぶりにあの頃を思い出して、半分こにしてもいいかもしれない、だなんて思ってしまう。
 急にノスタルジックな想いを抱く引き金になった星見表に視線を落とす。あの頃なかなか見つけることが出来なかったベガやアルタイルを、今日は見つけることが出来るだろうか。
 きゅっと口元を引き締めると、俺の表情の変化を目にしたが、控えめに「コウちゃん?」と呟く。それに対してなんでもないと言う代わりに頭を振って応える。
「じゃあ、もうちっと涼しくなったらコンビニ行くべ」
「うんっ」
 口元を持ち上げてに告げると、俺と同じように笑ったが頭を大きく一つ揺らした。その笑みに安堵を感じつつ、もう一度手を持ち上げての顎に触れる。
 今日はひときわ輝くベガだけでなく、アルタイルも、夏の大三角形さえも今日は見つけられる気がする。根拠なんてなにもないのに、確信さえ抱けそうだった。



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