月島 蛍01

秘密の、本音


 いつだったか、クラスの女子から出された心理テストで聞いたことがある。ショートケーキに乗っているいちごを食べるタイミングで、どういう恋愛をする人なのかが解る、と。
 僕の代わりに山口が答えた「一番最後に食べる」という答えも、知りたくもないのに知った。未だに覚えているのはその答えが的を射ていたとかそういうわけではない。腹が立ったからだ。
 僕がショートケーキを食べる時に一番最後に食べることを選んでいるのは、生クリームで甘ったるくなった口の中をいちごの酸味で中和したいがためだ。後口がスッキリして、また食べたいという余韻が残る方が都合がいいというのもあった。たしかに食事の最後に一番好きなものを食べる癖が付いているというのもあるけれど、年の離れた兄が、弟の食事に手を伸ばすような兄ではなかったからこそ、そういう食べ方が出来ただけだ。もし兄が日向のように人の食事にまで執着を見せる男だったらまた変わっていただろう。
 そういう背景や建前や理屈をすべて取り払われて、無慈悲で傲慢で一般的な教科書のような回答を突きつけられたことが、僕を苛立たせた。レッテルでしか無い回答。ショートケーキのいちごを最後に食べる奴は臆病な恋をする者だ。その答えがケーキを食べる度に何度も頭を掠めた。
 好きなものを食べるのにどうしてそんな苛々しなければいけないのか。出題してきた相手だってたいして仲がいい相手でもなかったのに、どこからか僕がショートケーキを好きだと聞きつけてやってきた。恐らく山口あたりが吹聴したのだろう。その山口だって得意気に答える必要もないし、そもそもなんでどのタイミングで食べるかまで知ってるんだよ。誰も彼も、土足で踏みにじってきて、本当に苛立たしい。

* * *

「月島。今日の放課後、デートしよう」
 GW中に合宿を行う関係上か、練習試合を行った関係かは分からないが、部活休みの日を一日だけ与えられた。それはの部活も同じだったようで、学校側の意図的なものを感じる。だが、その休みを有効活用してやろうと狙って声を掛けてきたのだろう。周囲に誤解されたくないと言うくせに、言い回しを選ばないが、戯れにそんな声を掛けてくることは少なくなかった。一々、ドキドキするのも馬鹿らしいほどあっけらかんとそんな言葉を口にする。
 デートというのは、二人で駅前のスイーツショップにケーキを食べに行くことを示していた。ふにゃふにゃのポテトを食べるデートの誘いも行われているようだが、そういう時は山口が「っちとポテト食べに行くからツッキーも行こう!」と誘ってくるので二人きりでは行われてないのかもしれない。僕は山口を誘わないけれど、も誘っていないようだし、山口も来ないからそれでいいんだろう。
「別にいいけど。終礼終わったらそっちのクラス迎えに行けばいい?」
「うん、待ってる」
 短い会話の中でも更に早口でそう答えると、僕の答えを受けて満足そうに笑ったがスルリと踵を返して戻ってしまう。放課後の約束があるから話を続けないでもいいというこのかもしれないけれど、別にまだ授業が始まるまで時間があるのだからここにいればいいのに。そう思いながらも、追いかけることも声を掛けることも出来ず、の背中を見送った。
 それから一日、つつがなく授業を受け、放課後になって約束通りを迎えに行った。教室を出る際に山口に声を掛けられたけれど「のところに行く」と告げただけで何を勘違いしたかはわからないけれど「そうなんだ!頑張ってねツッキー!」と見送られた。ついて来ようとせず送り出されたことはありがたかったけれど、何を頑張ればいいのやら。
 意味されているだろうことに蓋をする癖がついたのは別に最近のことじゃない。山口こそ頑張ればいいのにと思いながらも、意図して山口を出し抜いて、罪悪感に見舞われないために2人で会うことを告げる。そこまでしてとぼけたところで、自分が本当にどうしたいのかなんて隠しようがなかった。
 3組の前でを捕まえ、そのまま駅前へと並んで歩く。お互いに過剰に喋る性質ではなかったけれど、それでも会話が途切れることはなかった。そもそも会話が弾まないようならだって僕を誘わないだろうから当たり前なのかもしれない。
 程なくして辿り着いたスイーツショップに入る。カウンターでそれぞれが注文して、イートインのコーナーへと足を伸ばす。
 少し高めに作られた椅子に、飛び乗るように座ったを眺めながら僕もまたの正面に腰掛けた。横広い割には奥行きの狭いテーブルで、正面に座って互いが肘を付いて頭を寄せればすぐに額がぶつかりそうな距離になる。ケーキを食べるには手狭という程ではなかったが話をするには照れくさい距離にはまる。
 気持ちを誤魔化すようにテーブルの上に置いたケーキに視線を落とす。ショートケーキを眺めると、また例の心理テストが頭を掠めた。それと同時に、はいちごをどのタイミングで食べるのだろうと考える。
 とケーキを食べに行ったことは何回もあるけれど、彼女がショートケーキを選ぶことは少ない。モンブランだったりガトーショコラだったり、その時の気分によって変わる。拘りのない気まぐれさというよりも色々味わいたい、楽しみたいというの人となりがそういうところに垣間見えた。今日だってはチーズケーキを選んでしまっていたから観察することは出来ない。だが、そもそもの性格からして、ショートケーキを選んでいたとしてその時の気分でいちごを食べてそうだとも思う。参考にならないと考えを一蹴し、目の前にあるケーキにフォークを落とした。
 ケーキを口に運びながらも話は続く。時折、猫舌のが紅茶に「熱っ」と文句を言う声が混じる。「ぬるかったらそれでも怒るくせに」と口を挟むとが「うるせ」と返してきた。
 右手で持ったカップに左手を添え、呼気を吹き付ける様を見つめながら、フォークの背でスポンジの上に乗ったいちごを皿の上に落とす。そのままちょうどケーキの真ん中あたりのスポンジを掬いあげると同時に、正面のの目線が僕の手元に注がれていることに気付く。ケーキを口元に運ぶ途中で動きを止め、の視線を射抜く。
「……なに?」
「あぁ、いや。月島っていちごをどのタイミングで食べるのかなぁって思って」
「……ハァ?」
 思わず声が出たのは、僕が今しがた考えたばかりのことをが口にしたからだった。の聞きようによっては「何馬鹿なこと言ってんの」という風に捉えられたかもしれないが、僕自身は胸中を言い当てられたような錯覚に陥り、内心穏やかではなかった。
「気になるの?」
「少しね」
 曖昧に濁したは、冷ましている途中だった紅茶を唇に添え、まだ熱かったのだろう、顔を小さく歪めて飲むことを諦めるかのようにソーサーの上に戻した。そのままテーブルの上に右肘をつき、その手のひらで頬を覆った。顔を傾けたまま僕に目を向けたの視線は、当然僕の目を捉える。長いまつげの奥の、その瞳に捕まえられ、ぐっと喉の奥が詰まるような心地がしたのも、初めてのことじゃない。視線を外しながら、途中まで持ち上げていたケーキに噛み付いた。甘い味が口内に広がる。先程までは美味しいとすぐ飲み込めたのに、今だけはやけに喉に詰まった。
「知ってるよ。最後に食べる奴は臆病者だとかそういうのでしょ?」
「珍しい。月島でもそういうの知ってるんだ」
「バカにしてるの?そういうのが好きな女子に聞かれたことがあるんだよ。何度も。僕が興味あるわけないじゃん」
「仲良くしてる女子いるんだ」
 二度にわたってバカにするような口調を続けられたことに、自然と唇が尖る。他の人の言葉なら簡単に受け流せるようなものでも、のものだとそうはいかなかった。
「山口が勝手に答えただけだよ」
「あぁ。ちょっと納得」
「どうでもいいよ。そんなの、僕は信じない」
「だろうねぇ」
 クツクツと人が悪い笑い方をしたは、顎を引き、いたずら小僧のように歯を見せる。僕が小さな嘘を吐いたことには気付かないようだ。本当はいつまでも女々しく気にして、そしてはどうなのだろうかとまで考えているというのに、信じないだなんて良くも言えたもんだと自分でも思う。妙に自分自身に腹が立ち、八つ当たりをしたい気分が沸き起こる。
「でもさ、。そういうの気になるなんてやっぱり僕のこと、好きなの?」
「またそういうこと言う」
 久々にからかいの言葉を投げつけたが、いとも簡単にはそれを往なした。呆れたように笑うだけで、否定も肯定もしてくれない。しつこく聞き過ぎた弊害なのだろう。
 益々面白くなくて、心が妙にささくれ立つ。
「好きなら好きって言えばいいのに。僕が気が向いたら受け止めてあげてもいいんだよ?」
「はいはい」
 追求の言葉を投げつけた。焦るか怒るかするかと思っていたのには曖昧に笑った。
 眉を下げ、口元を持ち上げている笑みは、一見、困っているようにも見えた。だがそれ以上に頬に現れた薄紅色が別の意味を表しているのではと期待してしまいそうになる。
 肩で息を吐き、僕もまたと同じように手に顎を乗せてから視線を外した。
 本当に、から好きだと言ってくれないだろうか。想われてるわけでもないのに行動できるわけがない。そんなかっこ悪いこと好き好んでやれるやつはよっぽどの自惚れ屋か、空気が読めないか、もしくはその両方だ。
「月島」
「なに?」
 の呼びかけに、視線を彼女に戻す。意地悪な笑みはいつの間にか消えていた。
 柔らかく笑んだその表情に、図らずも戸惑いを覚えてしまう。
「世界で一番、月島が好きだ」
 頬杖をついて、横着な態度を保ったまま、は言葉を口にする。真っ直ぐなその視線は、僕の目に向けられたまま揺らがない。
 耳に残る言葉の意味が漸く理解出来た途端、喉の奥がまたいつぞやのように詰まったような錯覚に陥る。指先を鎖骨の中心に持って行き、軽く咳払いをする。特に違和感なく通るそれに、小さく唇を尖らせた。
 僕がそうしている間もの視線は離れない。余裕たっぷりの笑みを浮かべたまま、僕を微かに見上げている。
 そのの表情を目の当たりにして、躊躇いも恥じらいも見せないことを妙に思い、先程の言葉をすんなり受け取めるべきではないことに気付く。
「……それ、ホント?」
「さぁ、どうでしょう?」
 またしても否定も肯定も示さないに閉口してしまう。やはり本心ではなかったのかと納得する気持ちで胸中が満ちていく。からかいの言葉を連ねた僕に対する仕返しなのだろう。こんな簡単にの本音が知れるはずがないと、ずっと前から解っていた。
 ――クソ、やっぱりイヤな女だ。
 忌々しく思う態度を隠さずに、悪態をつきながらを睨めつける。僕の視線を物ともしない彼女は、また小さく笑う。
 その笑顔でさえも、簡単に心を震わせる。同時に、心の奥底から熱が生まれてくるのは誤魔化しが効きそうになかった。
 顔には出てないのだろうか。気になって頬杖をついたままの手のひらを動かしてみたものの、その手さえも熱を持っていて、全く解らなかった。
 平然とした様子のを見つめているのも癪で、少し残ったショートケーキに視線を落とす。まるっと一つ、残ったいちごを目にし、またしても頭を掠めた心理テストの答えに、眉根を寄せた。
 僕が臆病だというのとはきっと違う。相手がじゃなければ、きっとこんな風にあしらわれたりしない。
 過去に数度告白されたことがあるが、それらはどれも告白される前から相手からの好意を察することが出来ていた。そういう媚びを振る舞えたり、態度で察しがつくような手合を相手にした方が僕も楽になれるというのも充分解っている。
 だけど、こんな戯れの「好きだ」という言葉ひとつで、僕が隠したい想いを簡単にこじ開けるような真似ができるのは、きっとしか居ない。
 いつか、そのの言葉が本心で向けられればいいのにと願わずにはいられない。抗いたいくせに、想われたい。矛盾しながらも辿り着いたこの心情を以外の他の誰にも向けられる気がしなかった。
 ケーキはまだ残っていたけれど、例の心理テストを知っているらしいに見抜かれたくなくて、いちごをフォークで貫いて口に運ぶ。
 噛み潰して口内に広がったその味は、いやに酸っぱくて、胸の内に詰まるような想いによく馴染んだ。



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