月島 蛍02

永遠を掴むために


「ねぇ、それ、まだ掛かるの?」
 廊下の脇から声がかかった。その声に、ビクリとひとつ、目の前の少年が肩を揺らす。バツの悪そうな顔をしたその人は「それじゃ」と短く残して私の前から立ち去っていく。
 小さく溜息を吐いて遠のく足音を聞き流す。去り行くその背中を目で追うことは、しない。
 変わりに、私の横を通り過ぎる背の高い彼の横顔を見上げる。同じクラスの月島君は、うんと見上げないとその表情を伺うことは出来ない。もっとも、見つめたところでその表情の意味を知ることなんてもっと出来ないのだけど。
「なに?」
「いえ、別に」
 短い問いかけに曖昧に返すと、月島君はいとも簡単にその端正な表情を歪めた。今の表情の意味なら解る。
 だったら見ないでよ。
 多分、そんなことを考えているのだろう。
「君たち、別れたんだ」
 不機嫌そうな表情を翻し、眉をハの字に曲げて嫌味な笑みを浮かべた月島君に、私の眉根もまた顰められる。
「覗きなんて趣味が悪いよ」
「見られたくないならもっと別の場所でやりなよ」
 ここ、廊下。ともっともな言葉を続けられてデリカシーのないのは月島君ではなく彼氏――元カレの方だったのかと思い知らされる。別れ話を学校でされたことに対してはどうも思わなかったが、確かにもっと周囲のことを考えるべきだったかもしれない。
 いくら放課後とは言え、そこかしこの教室の中には生徒がまだ疎らに残っていたし、月島君のように通りかかる人が今までいなかったのが不思議なくらいだった。もしかしたら私が気付かなかっただけで他の人が気を使ってくれたのかもしれないけれど。
「あんな風にウザったく喚かれて、どうして黙って聞いてたの?」
「返す言葉を探してる内に切々と続けられたから、かな」
「ふぅん。案外、さんってドン臭いんだね」
 辛辣な言葉に苦笑して返すと、月島君は眉根を寄せて口元をへの字に曲げた。
 高校に入ってすぐに告白されて付き合った相手は、ものの3ヶ月も経たずに私の前から立ち去った。夏休みまで保たなかったな、と、ふと思う。そのくらいの感慨しか無い自分に諦めにも似た心地が胸に沸いた。
 彼が私を好きだったのは確かだったけれど、同じ愛情を返すことが出来なかった私に彼が愛想を尽かしたというのが正解なんだと思う。先程10分かそこらを掛けて告げられた言葉を思い返し、簡潔に自分の中にまとめる。
 引き金はつい先日のことで、彼が簡単に将来は結婚しようねだなんて言い出したことに満足にウンと頷くことさえ出来なかったことが要因だった。
 幼い口約束なんて、小学生の頃ならもしかしたら喜んで応じたかもしれない。だけど高校生にもなって今更それを信じようとは思えない。
「まぁ、僕も彼みたいに簡単に好きだとか結婚しようだとかいう相手はご免被りたいから気持ちはわかるけどね」
 慰めに聞こえなくもないその言葉に、驚いて月島君を振り仰ぐと、窓の奥へと視線を向けている姿が目に入る。グラウンドが見えるそこからは、それぞれの部活へと足を伸ばす生徒の姿しか見つけられない。
「うちん家さ」
 不意に口を開くと、月島君の視線がこちらへ戻ってくる。それを機に更に言葉を繋げた。
「両親離婚してるんだ」
「……その話、長くなる?」
 嫌そうな顔をした月島君に「かもね」と返すと、彼はまたその端正な表情を至極当然のように歪めた。その顔を無視して、捲し立てるように言葉を続けた。
「そもそも、結婚しようっだなんて馬鹿にしてると思うの」
 結婚なんてしたところでうちの両親みたいに別れてしまったら何の意味もない。子は鎹だなんて言ったところで、慰めにもならなかった。
 別に恨んでいるわけじゃないけれど、自分の人生設計を描いた時に幸せな結婚なんて、ありえないのかもしれないと思ってしまう。
 だから彼氏に結婚しようだとか言われても信じられないし、そもそも簡単に言われたことにスッと気持ちが冷めてしまった部分が多いにある。
 そういう話を、滅多に口も聞いたことのない月島君相手に愚痴をこぼすようなつもりでぶつけた。女友達にするには同意を得られる確証のなさすぎる言葉でも、先程の会話を見られた彼には簡単に伝えられた。
 先程の言葉に、一方的に気を許してしまったとも言える。運の尽きだと思って諦めてもらう他ない。
 表情はともかく、嫌味ひとつ言わずに聞いてくれた月島君は意外と優しい人なのかもしれない、だなんて見解を改める。ふぅ、と一つ息を吐いて話が終わったことを告げると、月島君は私のものよりも幾分も重い息を吐き出した。
「――くだらない」
「でしょうね。でもおかげでスッキリしたよ」
「僕は疲れたんだけど」
「盗み聞きの代償だかと思えば軽いもんでしょう」
 私の言葉に、また月島君は溜息を吐き出した。げんなりとした様子に悪いなと思ったけれど、3ヶ月分の重石が薄く引いていくような心地になれた。おかげ様です、と心の中で手のひらを合わせた。
「だいたい、さんの場合は視野が狭すぎるんだよ。別れること前提の結婚なんてそうあるもんじゃないデショ」
「そう? でも間近にあるサンプル見てると結構あるんじゃないかと思うよ」
「僕の家は円満だよ、多分、それに僕だって恋愛……というか、結婚するならちゃんと考えて決めて、別れないような努力はすると思うし」
「へぇ」
「そういう人はいくらでもいるんじゃないの?」
「じゃあ、将来私が月島君の理想に適った女になってて結婚してって言ったら、する?」
 元カレと同じように軽い言葉を繋げたのは、ひとつの抵抗のつもりだった。諭されるような言葉は望んでいない。黙って聞いて欲しいとか横暴なことを言うつもりはなかったけれど、簡単に月島君の言葉を受け止める心境にはなれなかった。
 努力をするとまで言った彼の言葉が、ただ単に聞いてみたかっただけなのかもしれない。
「五年後に実現できてたら考えてあげてもいいよ」
 実際にするかどうかは別だけど、と続けるあたり、全くその気がないのだろうことが伺われる。私だって月島君の理想に沿うような女になるつもりはない。今のところは、まだ。一応フラれたばかりの身なのでそうも簡単に次の恋を探すような心境にもなれない。
 ただ、今しがたの月島くんの言葉は、元カレの軽い言葉よりもずっと信じられる気がした。



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