月島 蛍03

年に一度


「ねぇ、月島」
 向かいに座るが、口を開く。手元のノートに落としていた視線を持ち上げ、に向ける。
 下唇をシャーペンの頭で叩きながら、もう片方の手で教科書を捲るの視線はこちらには動かない。
 真剣とは言い難いものの、勉強に向き合っているのだという姿勢が感じられる。
「なに?」
 言葉を促したが、いまだ顔を上げないは、長いまつげを瞬かせながら声を潜めて言葉を続ける。
「私と1年に1回しか会えなかったらどうする?」
「……ハ?」
 仮定の言葉としても、あまりにも唐突過ぎる物言いに思わず目を瞠る。
 未だ顔を上げないが何をもってそのような言葉を告げたのか解らない。焦れるような感覚が胸に沸き起こる。
 年に一度というのは、どういう意味なのか。今、こうやって当然のように向かいに座っていることが、もう無くなったとしたら──。そんな残酷な話を想像させて、どうしたいというのだ。
「ナニ、それ…どっか引っ越すの?」
 喉に張り付きそうな声を漸く絞り出すと、漸くは面を上げた。その瞳がいつもより丸くなっているのを見て、驚いているらしいことを推察する。
「いや、そういうわけじゃないけど」
 目を瞬かせたはほんの少しだけ眉を下げる。安心させようとでも思っているのか、口元を緩めて笑うに反して、僕の方は眉根を顰めてしまう。
 手にしていた教科書を掴んだはこちらへと翳して見せる。古典の教科書の独特な絵柄が目に入る。僕が視線を表題に滑らせるのと、が言葉を続けるのとはほとんど同時だった。
「竹取物語読んでたら、なんとなく七夕の話思い出しちゃって」
 七夕と続けたに、子供の頃に読んだ絵本のエピソードが脳裏を過ぎる。それと同時に、が何故そんな突拍子もない質問をしたのか簡単に予想がついた。
 一年に一度しか会えないのは、僕達のことではなく、彦星と織姫のことなのだ。
 一瞬でも惑わされて動揺した自分がバカみたいだ。口元を引き締めを睨めつけたが、片眉を持ち上げて受け流すに、益々苛立ちが募る。
「別にどうもしないけど」
 動揺を悟られたくなくて冷たく突き放すような言葉をワザと選んだ。仮定でしかないのならそんなものに真剣に答える必要はない。握りが甘くなっていたペンを持ち替え、またノートの文字を連ねていく。試験範囲の現代語訳を、辞書も手引も見ずに思いつくがままに書いたが、未だにが僕に視線を向けているらしいことを額にひしひしと感じ取る。
 観念してもう一度、顔を上げると、想像した通りが薄い唇を尖らせて僕を見ていた。
 どうもしない、という回答が気に入らなかったのだろうか。否、そうじゃない。どうせのことだ。勉強に飽いて話題を振ったのに撥ね付けられたことがつまらなかったのだろう。
 山口が居ればたとえ試験勉強中であろうとどこまでも話を脱線させるだろう二人を思い描き、やはり呼ばなくて正解だったと胸を撫で下ろす
「七夕ってそもそも二人で仕事もしないで遊んでたから引き裂かれただけでしょ」
 溜息混じりで言葉を繋げると、は目を丸くする。辛辣な言葉が返されることを想定していなかったらしい。
「まぁ、簡単にいうとそうなるね」
「バッカみたい。やることちゃんとやってないから天罰が下るんだよ」
「……そういう教訓を促すような話だっけ?」
「知らない。興味ない」
 だからもうその話やめて。言外にそう含ませながら拒絶すると、は小さく肩を竦める。
「ロマンがないなぁ」
 呆れたように笑ったは、教科書とシャーペンを机の上に置き、頬杖をついて僕の顔を眺める。解けた表情は嫌いじゃない。だけど、小馬鹿にするようなその言葉は、いくらの発言だとはいえ耳障りの良いものだとは思えない。
「うるさい、
「はいはい」
 聞いているのかいないのか。まるで堪えた様子のないの態度が癇に障る。
もちゃんとやることやりなよ。僕がせっかく時間割いて勉強見てあげてるのにくだらないこと言ってるともう教えてあげないからね」
 僕の言葉に、は首を竦めた。どうやら痛いことを言われたという自覚はあるらしい。
 当然だ。期末試験もあと数日というところまで迫っていて焦らないわけがないのに、こうやって無駄口を叩くんだから、ちょっとくらい気にしてもらわないと意味が無い。
 小さく溜息を履いたは、ノートの中心に転がり込んでいたシャーペンを拾い上げ、改めて教科書を開いた。
「神様に月島との仲を引き裂かれないように頑張りますか」
 茶化すような言葉を放ったくせに、僕が動揺する様を目に入れることさえもしないに、弄ぶような真似をされていると知りながらも、頬に熱が生まれた。歯を食いしばっての額を睨みつけたが、僕の視線に気付かないは、手元のノートと教科書と視線を往復させるだけだ。
 なんの気も無しに告げたのであろうに、いちいち動揺させられる自分が本当に嫌になる。
 ――僕と離れたくないの?
 勢いに任せて聞いてみたい気がする。だけどこのの調子なら簡単に肯定しそうだとも思うと口を開くことが出来ない。冗談でしかないであろうの言葉に、自分に都合のいい考えを頭に浮かべていることが恥ずかしくて首の裏を掻く。
 引き裂かれても会いに行くよと告げるのも負けな気がして、僕は笑みが浮かび上がりそうな口元を掌で覆い隠して肘を机に置き、また教科書へと視線を戻した。



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