月島 蛍06

甘やかな接触


 夏休みに入っていつもより時間が取れるようになったとは言え、関東遠征などもあって中学の頃と比較して時間の確保が難しくなった。いつも部活で一緒の山口はともかく、クラスも部活も違うとは滅多に会えない状況が続いている。
 そんな中で、偶々コンビニで遭遇したという山口と連れ立って僕の家に来たを釈然としないものを感じつつも歓迎するほかなかった。
 心なしか夏休みに入る前よりも日焼けした肌について追求すると、クラスの友達とプールに行ったのだと自慢気には笑う。楽しんでいるようでなによりだと思う部分もあるにはある。だが、どうして僕がと共には居られないのに、ほかのどうでもいいやつらが過ごせるんだと鬱屈した気持ちの方が強く出る。
 その感情は友人である山口にさえ向けられる。邪魔だとまではいかないものの、少しは遠慮しろよと考えてしまう。だが、友情を疎かに出来ない性質のにそれを望むのは難しいのかもしれない。
 今だって、3人で一緒にマリオカートに興じているが、ゲームに熱中しているらしいは、楽しそうに山口と喋り続けていて、時折僕が向ける視線には何一つ気付かないでいる。
 もっとも、僕がベッドの上に座り、その下にふたりが並んでいるような状況では視線を合わせることなんて無理なのかもしれないけれど。
「やった! キラーだっ!」
 手に入れたアイテムは即使う主義ののマシンが、ぐんぐんとスピードを上げて飛び去っていく。一度で発動するものなのに、無駄に連打しているためかカチカチカチカチと耳障りな音が聞こえた。
「いいなぁ、俺コインしか出ないや」
 素直にの運を羨んだ山口に気をよくしたのか「いいでしょー」と、は山口に向かってニシシ、と笑った。僕を無視しているわけではないことはわかる。だけど、それでも眼下で繰り広げられる会話に苛立ちが募る。
 最終ラップに突入し、微かに前のめりになって集中し始めたに視線を落とす。今、に何を言っても効果がないことなんてわかりきっている。そして、嫌がらせをするのなら今のレースの中で仕掛けることが最高の効果をもたらすことも、だ。
 黙々とコントローラーを操作し、離されかけていた距離を詰め、取得したままだったアイテムを使用する。もちろん、僕の目の前を走るに向けてだ。
 僕の操作するキャラクターが、それを振りかぶった瞬間にが短い悲鳴を上げる。
「ああ! ブーメランやめて!!」
 やめて、と言われたところで一度発動してしまったものをキャンセルすることなんてできない。だが例え、可能であったとしてもするつもりも毛頭ない。クラッシュするのマシンを抜き去るのとほぼ同時にゴールする。また甲高い悲鳴をひとつあげたに、態とらしくケタケタと笑ってやった。
「せっかく手に入ったんだから使うに決まってんじゃん」
 途中まで花を持たせてやった上で、ゴール寸前で抜き去ってやったのは、意趣返しのつもりだった。しれっと山口もまたを抜き去ったのもまたのショックを増大させるのに一役買ったようだ。
「結局最下位じゃん。残念だったね」
 嫌味ったらしく労わるようにの頭を撫でてやると、苛立ちが頂点に達したのか乱暴に振り払われる。
「ゴメン、っち」
 宥めるように言う山口を一瞥したは、それでも唇を尖らせたまま不満げな態度を崩さない。
 不貞腐れたらしいは手にしていたコントローラを取り落としそのまま背にしていたベッドにのろのろと上がる。僕の隣に伏せるようにして寝転んだに自然と眉根が寄る。
「ちょっと、勝手に人のベッドに寝ないでよ」
「うー」
 聞く耳を持たずにいやいやと頭を振ったは恨みがましい唸り声を出すだけだった。こうなってしまったを宥め慣れている山口が軽く笑いながら立ち上がる。
「あ、ツッキー、俺ちょっとトイレ」
「は? 行くならこれどうにかしてからにしてよ」
っちー。次があるよ」
 おざなりな言葉をに投げかけた山口は、ポン、と一つ肩のあたりを叩いてその場を後にする。パタン、と閉められた扉の音を背に大仰に溜息を吐きこぼし、に手を伸ばす。
「もう、本当にいい加減にしてよ」
 伏臥したの肩を掴んで裏返す。もっと力を込めて抵抗されるかと思ったのに、案外簡単にひっくり返ったに視線を落とすと、放心したような表情で天井を見上げている様がみてて取れた。
 ワザとその視線を遮るようにの顔の頭上に乗りあげて見せたが、視線がかち合う様子が見られない。仰向けに寝っ転がったの背中とベッドの隙間に手を差し入れて起こしたが、それでもだ。ひとつ、溜息を吐き出した。通常であれば過剰に抵抗するくせに、子供のようにされるがままになっているに呆れて言葉が出てこない。たかがゲームで、それもたった一度のプレイで、こんなにも茫然自失するものだろうか。
 手の甲で頬を叩いてみても反応を返さないに、もう一つ溜息を吐く。僕に負かされたことに腹を立てて、ワザと無視を決め込んでいるのだろうか。態度の悪いの様子を、眉根を寄せて睨みつける。
 ――がそのつもりなら、僕にだって考えがある。
 起こしただけだった肩を引き寄せ、横抱きのまま膝に乗せる。予想にない行動だったのだろう。一度目を瞬かせたの視線が僕に向かう。ようやく絡め取れた視線に、自然と唇が笑みの形を作る。
 だけど、それだけで気をよくするほど僕は優しくない。丸っこい目と同様に薄く開いたままの唇に僕自身のそれを重ねる。柔らかさを確かめるよりも早く、が身動ぎ、抵抗を顕にした。
「ちょ、不意打ちはやめてよね」
「じゃあ、するよ」
 宣言して唇を重ねようとすると、届くよりも先に顔の間に手を差し込まれる。
「忠もいるし、そんな気分じゃないっ」
 柳眉を逆立て怒り出したは、手のひらいっぱいを僕の口元に押し付けて押し返そうとする。嫌がられると腹が立つ。かと言って、山口がいつ戻るかわからない状況でいつまでもにくっついているわけにもいかない。
「はいはい……わかったよ」
 抱き抱えたままだったを膝から降ろし、隣に座らせる。取り落としたままになっていたコントローラーを握らせると、の視線が僕の表情を追っているのを感じ取ったが、あえてその視線に気付かない振りをした。
 中途半端にふたりっきりにされても、満足にキスすら出来ないなんてロクなもんじゃない。拒絶されて傷ついた、なんて弱いことを言うつもりはないけれど虫の居所が悪くなるのは必然だ。
 次のステージでも選んで山口を待っていればいいか。思い直し、僕もまた自分のコントローラーを手を伸ばす。だが、僕がコントローラーを取るよりも先に、の手が重なった。
「ねぇ、月島」
「……なに」
 呼ばれるがままに顔を上げると同時に、視界いっぱいにの顔が広がる。鼻先がぶつかると同時に、ちょん、と唇同士が触れあった。気にしていなければ気づかないような軽い感触だった。だけど、つい先程触れたものと寸分違わぬものが重なった事は疑いようがない。
 の顔が離れてもなお、吃驚して声が出ない。何度かキスをしたことがあったけれど、からされたことは初めてだった。目を丸くして閉口したままでいると、僕の表情に満足したのか、は小さく笑った。
「ちょっと……なにすんの、
「仕返しに決まってんじゃん」
 あっけらかんと言ってのけたは、やってやったぜ、とばかりに誇らしげに胸をそらす。先程のキスに関しては不意打ち、というのがにとって怒りのポイントだったのだろう。だからこそ僕と同じ行動をとったのだ。の言い分はわかる。だがまったく仕返しになってない。むしろ僕にとっては願ったり叶ったり、ということに気付いていないようだ。
 頭悪いんだから、と内心で悪態をつく。だけど、それ以上に、塞ぎ込むようだった気持ちが和らいでいくのを感じた。
 かち合った視線でそれが伝わったのか、の空気もまた柔らかなものへと変遷する。重ねられただけだった手を取り、握り込める。同じ力が返ってくることに、胸の奥に熱が広がった。
 不貞腐れて中途半端だと感じたはずの時間が、今は愛おしい。も同じように思ったのか、緩んだ表情で僕の腕に額を擦りつけてくる。ねこのようなその仕草を、悪くないと思った。
 甘やかな空気が広がる中、軽快なリズムでスリッパが階段を叩く音が耳に入り込んでくる。互いに体がピクリと動く。そのままくっつき過ぎではない、という程度に身体を離した。
「ただいまー」
「おかえり、待ってたよー忠。さー、次選ぼう」
 のんきに笑う山口の帰還に、パッと顔を翻しただったが、その表情にはまだ熱が残っている。怒りにムキになって赤くなった時とは違う頬の色。その違いに気付けるのは僕だけでいい。



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