夜久 衛輔01

奇跡


 カキン、と一際、小気味よい金属音が響く。
 反射的に音の鳴る方へ視線を伸ばせば、かなりの長身の男の子がバットを振りきっている姿が目に入る。
 長い腕をきっちりと伸ばしたままフォロースルーを大きくとっているせいか、他の男子と比べてもかなりの飛距離を出しているようだ。
 バレーにも活かされるのだろうか。見たこともない彼のバレースタイルに思いを馳せる。
「俺やっぱすげー!!」
 子供のようにはしゃぐ声の奥で、同じくすげーと叫んで飛び跳ねる男子の姿が見えた。あの子もバレー部の子なのだろうか。ぼんやりとそんなことを考えていると、目の前を白球が横切った。
 背中にヒヤリとしたものが走り、慌てて自分が置かれている状況に意識を戻す。
 バッティングセンターで、バットを振っている。しかも男子バレー部の一団に混ざって、だ。
 ボールを投げる機械に目をやり、出てきたボールに当たれと念じながらバットを振る。
 当てることは出来てもそう簡単にボールがきれいに飛ぶはずもなく、鈍い痺れを残して地面に転がすことしかできなかった。
 ボテボテのゴロを量産するしかない状況に思わず唇を尖らせる。だけど気落ちする暇もなく次のボールへ身構えてしまえば、また懲りもせず当たれと願わずにはいられなかった。
 コイツが悪いのかと手にしたバットを掲げグリップの位置を睨みつける。なんだかテープが剥がれかかっているし、他のバットに比べて凹んだ箇所が多い気がする。うん、やっぱりコイツのせいだ。そう自己完結させながら、今一度機械に向き合い、この状況に至った経緯を思い返す。
 ――事の発端は黒尾にあった。

、バッセン行かね?」
 真夏の真っ盛り。部活を終えてもまだ空がほんの少しだけ明るさを残している帰り道、たまたま出くわした黒尾に唐突に呼びかけられた。アイスでも食べに行かないかという誘惑ならすぐに乗っかったことだろう。だけどバッセンって。バッティングセンター以外に候補が思いつかず、そこでまた汗を流さねばならぬのかと思えば、タオルで拭ったはずのものがまたじわりと蘇ってくるようだった。
 運動した直後のまだ熱の引かない襟元に指をさし込み、空気を送り込みながら首を捻る。
「なんで?」
「いやね、たいした理由じゃないんだけどさ」
 聞けば、部活が始まる前にたまたまつけたテレビで甲子園の予選が行われていたらしく、彼らの中で野球熱が高まったらしい。なんとも男の子らしい理由にクスリと笑ってしまう。
「お、笑ったな。悪い気がしないなら行こうぜ。お前の部活のやつもその辺いるんだろ。一緒に連れて来いよ」
「……さては、それが目当てだな」
「仕方ねぇだろ。山本が女子と話せないって悩んでるんだよ」
「自分で頑張れよ、山本」
 やいのやいのと言葉の応酬をしていると、黒尾のそばに人影が立つのが見えた。視線を微かに下ろすと、その人物と視線がかち合う。
「あ、夜久くん」
も、来るんだ?」
 ひょこっと顔を覗かせた夜久くんは、目尻を微かに下げて笑う。人懐っこいその表情は、学校で朝一番におはようと言葉を交わす時にも差し向けられるものだ。いつもよりも声のトーンが上がってるように感じたのが気のせいでなければ歓迎されているのだろう。
「いや、まだ、その――」
「いいじゃん、来なよ。なんだったら、ジュース奢るし」
 破格の待遇を提案され、無駄に抵抗する気もそもそもなかった私は恐縮してしまう。黒尾の誘いに素直に乗ることがシャクで、言葉をはぐらかせていただけなのだ。もし始めから夜久くんに誘われていたのなら二つ返事でうんと頷いていたはずだ。
「と、とりあえず他の子も行けるか声かけてくるよ」
 さっきまで余裕の態度ではぐらかしていたくせに、態度を変えた私がおかしかったのだろう。黒尾がブフッと音に出して笑い出す。それを一瞥で睨みつけ、態度を制し、くるりと彼らに背を向ける。
「正門のとこで待ってるからなー」
 夜久くんの声を背中に受けながら、部活の仲間のもとへと走った。

* * *

 結局、女子は私を含めて4人合流したのだが、件の山本は一向に紹介される様子が感じられない。やっぱり黒尾の適当な誘い文句だったのかと呆れて溜息しか出なかった。
 今一度、機械に目をやり、バットを構える。バッティングセンターに来たことが初めてならまともにバットを振るのも初めてだった。だけどやってみればバレー部の男子たちが夢中になるのも頷ける。案外面白いし、いい運動にもなるし、きっとボールが飛べば達成感も味わえるはずだ。
 じっとボールの吹き出し口に目を向けたまま、バットを構えてみたもののボールが飛び出してくる様子が見られない。小さく首をひねり、手近のコインを入れる機械に目を向けるとそこにカウントされていた数字が0になっていることに気付く。どうやらもうすべての球を吐き出したらしい。30球というのも意外とあっけないものだな。
 ぶかぶかだったヘルメットを脱ぎバットを立てかけ、微かにしびれの残る手のひらを擦り合わせながら網で囲われたバッターズボックスから出る。ゲージの扉に手を掛けながら外を見渡せば、バットを肩に担いで徘徊する男子の姿を見つけた。
「あの、ここ空くからどーぞっ」
「ひゃっ!!」
 善意でひと声かけただけなのに、驚かせてしまったようだ。彼の特徴的なソフトモヒカンのふさふさした髪が逆だつ。襲撃を警戒するねこのような背中に、微かに申し訳無さを感じてしまう。どうしたものかと、指先で頬を掻いていると、靴を鳴らして駆けてくる音が聞こえた。
「またお前は!ごめんなー、
 謝らせるかのように彼の頭を押さえつけたのは夜久くんだった。先輩としての行動というよりも躾をする飼い主のように見えて小さく笑ってしまう。
「いいよ、気にしてないし」
「申し訳……ござ、ござる……?」
 ガチガチに緊張している彼に声をかけるのもダメかなと思い、夜久くんに視線を向けると、夜久くんもまた困ったように眉を下げ、小さく溜息を吐くだけだった。
「ほら、山本もやりたがってただろ。代わってもらえ」
 山本、という名前にピンとくる。あぁ、この子が女子としゃべれない山本か。こんな風貌で珍しいものだとまじまじと無遠慮に見つめてしまう。その間も彼は視線を面白いようにぐるぐると惑わせながら震えていた。ヤンチャな出で立ちで構えていたバットを、今では縋り付くかのように握り締めている有様だった。
「おおおおおお、お邪魔、します」
「あ、はい。どうぞ」
 目を合わせてくれないままにこそこそとゲージの中に入っていく山本とやらは、人見知りなのだろうか。小さくなってしまった背中を見つめながらぼんやりと考えていると、夜久くんが私の隣に並んだ。
「そうだ、。なんか飲む?」
「え?」
「約束だったじゃん。来てくれるならジュース奢るって」
「あぁ、あれか。いいよ。悪いし」
 両手を振って固辞すると、納得の行かないような表情を夜久くんは取る。義理堅い人だな。こういう場合、甘えた方がいいのだろうかと微かに考えたが夜久くん相手にそう図々しい態度を取ることは憚られる。もし相手が黒尾だったらラッキーサンキューのふたことで片付けられるのに、参ったもんだ。
 なにか代替案はないのだろうか。目線を少し動かして夜久くんの視線から逃れると、立ち直ったらしい山本が楽しそうにバットを振るう姿が目に入る。
「あ、ねぇ、それよりも一個お願いしてもいい?」
「いいよ。なに?」
 狭い通路に立ちっ放しでいるのもなんだし、と夜久くんの袖口を引いて壁際に並べられたベンチに誘う。軽く腰掛け、夜久くんに目を向ける。ほんの少しだけ頬を赤くさせている夜久くんから熱を感じ取る。汗をかいているらしい夜久くんはもう何回かゲームを楽しんだのだろうか。まだその姿を見ていないことがひどく惜しいように感じる。
「ホームランみたいなあ、私」
「はぁ?」
 視線をゲージの奥に伸ばし、さらに奥の壁に取り付けられた丸い看板を見つめる。薄汚れたそれには赤い文字でホームランと書いてあった。せいぜい直径30センチ程度のそこだけがホームランというシビアな判定が見たいわけではない。ただ、普段バレーではリベロというポジションの夜久くんが、例え別の競技であっても、ガツンと一発、大きくボールを飛ばす姿が見てみたかった。
「ダメ?」
 軽くねだるように言い、夜久くんを振り返る私と入れ違うように、夜久くんはホームランの看板に目を伸ばしたところだった。先程以上に困った顔をした夜久くんは眉を下げて戸惑いを露にする。
「ダメっつか無理だわ、普通に。打ったことねェし」
「そっか。残念だなあ」
「なに、ホームラン見てぇの?」
 別のゲージから出てきた黒尾が唐突に声を掛けてくる。先程まで、確かにヘルメットを被っていたくせにちっともへたれていない髪型は本当に寝癖なのか。心底疑わしい。
「うん。黒尾打てんの?」
「さぁなー。でもそんなの見せちゃうとお前うっかり俺に惚れんだろ」
「あー、惚れちゃうかもねー。打てるもんなら打ってよー」
 黒尾のいつもの質の悪い冗談に乗る気がしなくて適当にあしらう。教室で幾度となく繰り返してきたその言葉に、夜久くんがほんの少しだけ唇を引き締めたのが目に入った。
 どうしたの。そう聞こうと口を開く前に、夜久くんが薄く唇を開く。
「――言ったな」
「ん?」
「ちゃんと打つから。見とけよ」
「えっ」
「あーぁ。火ィ付けちゃった」
 ニヤニヤと笑う黒尾と入れ違いに、夜久くんがゲージの中へと飛び込んだ。ヘルメットをかぶってこちらを一瞥した夜久くんの真剣な眼差しに息が止まりそうなくらい胸の奥が詰まる。
 私の隣に腰掛け、膝の上に肘を起いた黒尾の傍観者たるその姿に、釈然としない気持ちを吐き出したい衝動に駆られる。
 だけど、そんなにちょろくないよだとか、ただの冗談じゃん、ねぇ?だとか。水を差すような言葉が吐き出せる気がしない。
 夜久くんが、見とけって言った。だけどそれは「見るよ」と簡単に流していい言葉でなかったはずだ。
 縋るような視線になっていたのだろう。私の表情を一瞥した黒尾はいつものように癪に障る顔ではなく、軽く口元を緩めて笑った。
「俺じゃなくてちゃんと見なさいよ、お前」
「で、でも」
 どうしたらいいかわかんない。言葉を続けることができず、金魚のように口をパクつかせてしまう。
「よかったじゃん、
「よかったって、な、なんで」
「知ってるぞ。お前の〝夜久くん〟への気持ち」
 ワザとらしく、夜久くん、と呼んだ黒尾の言葉に、頬だけでなく顔やら首やら熱が集まるのがわかった。自覚していた。黒尾や他の男子にするように、夜久くんにだけは雑に出来ないことは。
 だけどまだ掴み兼ねて隠して蓋をしていたのに、どうしてそうもポイッと箱をひっくり返すようにぶちまけてしまうんだ。
 八つ当たりのようなことを考えても、一度自惚れてしまった心を落ち着かせることが出来そうになかった。チラリと夜久くんの姿に視線を戻す。ゲージの中でまっすぐな眼差しでボールを待つ彼は、バレーで試合に臨む時の姿を酷似していて、それだけ真剣なのだと勘違いしそうになる。
 奇跡が起こりそうな予感に胸騒ぎを抑えきれず、ただひたすらに体中を熱くさせる。
 やけに逸る心臓の音が耳に痛い。いくらか緩和されればと耳を塞ぐように両手で頬を挟んだ。ひんやりと冷たい指先とは反対に熱く燃える頬の温度が馴染む頃にはどうなってしまっているのだろうか。この奇跡を、私は受け止めてもいいのだろうか。ドキドキと鳴る心臓を持て余しながら、夜久くんの横顔を見つめていた。



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