山口 忠01

106.誘う


「忠」
 コンビニの前に差し掛かったところで声が掛かる。その声に、夏の暑さに朦朧とした視線が自然と足元に落ちていたことに気付かされた。
 迷いのないその呼びかけに、顔を上げる。コンビニの前の駐輪場、その端っこの日陰のところに、自転車に跨ったっちがいた。
 咥えていたホームランバーを口から離し、それを持ったまま掲げたっちの明るい黄色のTシャツが眩しくて目を細める。
「オッス」
 応えない俺に、もう一度っちが呼びかける。その声に漸く、俺は彼女と同じように手を挙げて応えた。
「どうしたの、っち」
 足音を鳴らしながらっちの元へと駆け寄る。自転車に跨ったままハンドルに凭れるようにしたっちは被ったキャスケットの鍔を持ち上げて俺に視線を合わせた。
「ちょっと、アイス食べたくなって」
「女の子なのに、お行儀悪いよ」
「だってこの暑さじゃ帰り着く頃には溶けちゃいそーなんだもん。走りながら食べるよりマシっしょ」
 立って食べるのも、しゃがんで食べるのも行儀が悪いと考えた上での行動なのだというっちに思わず苦笑する。溶けかかったバニラを舐めとるっちは「もし当たってまた貰いに来るのも面倒だ」と言葉を続けた。
「あ」
 何かを思いついたように俺を見上げたっちは、目を三日月に細めて笑いかけてくる。
「もし当たったら忠にあげるね」
 取らぬ狸の皮算用というやつを口にしたっちに素直に頷いて返すと、っちは満足そうに笑った。
 舌先でアイスを舐めるっちは、アイスを持つ手とは反対の手で半袖をさらに捲り上げて暑さを逃がそうとする。袖口に星のマークが3つ並んだそのTシャツは、ツッキーが練習の時に着るシャツとよく似ている。同じメーカーのものなんだろうか。
 服の趣味まで似ている二人に、照れくささからか、居心地の悪いものを感じてしまう。
「あ、俺ちょっと飲み物買ってくるから」
「ん」
 アイスを食べながら返事をしたっちから離れて、コンビニの中に駆け込む。
 クーラーのよく効いた店内に、思わず安堵の溜息が漏れる。有線から流れてきた曲は、随分昔の曲なのに、夏になるとよく聞く曲で、耳馴染みのいいその音を鼻歌で奏でてしまいそうになる。
 冷房によって急速に冷えていく肌に、っちは暑くないのだろうかと振り返る。
 チラリと外を覗けば、食べ終えたアイスの棒を一瞥して顔を顰めるっちの姿が目に入る。
 どうやら外れたらしい。もう食べ終わったということはこのまま帰ってしまうのだろうか。別に待ち合わせをしていたわけじゃないから、当然のことなのだけど、せっかく会えたのだからもう少し話がしたい。
 ドリンクを保管した冷蔵庫の取っ手に掛けたままだった指先に力を込め、目の前にあったポカリを2本掴んで精算を急ぐ。
 お釣りを受け取る手もそぞろに、慌ててコンビニを出ると、先程と寸分違わない格好で自転車に跨ったままのっちの姿が目に入る。安堵に胸を撫で下ろし、握りしめたままだった小銭をポケットの中にねじ込んだ。
 俺の方へと視線を伸ばし、両腕を頭上で組んで伸びをしたっちは、自転車のスタンドを後ろ足で蹴ってこちらへと滑らせてくる。
「あれ、っち。もう帰るの?」
「ん、外れた」
 ヒラヒラと食べ終えたばかりの棒を翳す。そこにはっちの言うとおりハズレを示す「アウト」の文字が描かれている。
「あらら……」
 しょんぼりとした声で返すと、っちは苦笑して手にした棒を少し離れたゴミ箱に放り投げる。
 綺麗な縦回転をしながらゴミ箱にすんなりと収まったのを視線で追っていると、脇腹に小さな衝撃が走る。身を捩ってそれから逃れ、っちへと視線を戻すと、案の定指先を俺の方へと伸ばしているさまが目に入る。
 脇腹が弱いことを知っている割に、こういうことを平気でやってくるところがっちらしかった。
「ねぇ、忠。遊ぼうよ」
「え、今から?」
 唐突な誘いに、思わず驚いて聞き返してしまう。事も無げに頭を縦に揺らしたっちはニッと口元を持ち上げて笑った。
「実は誰か来ないか張ってたんだよ。だから忠が来てラッキーだった」
 いたずらな笑みが深まったことに、俺は思わず閉口してしまう。
 確かにここは、俺にとってもっちにとっても家の近所のコンビニだ。だけどっちと鉢合わせることは滅多にない。学校の帰りならいざ知らず、今は夏休みで、しかも合宿が終わったばかりだから偶々部活も休みで、俺もっちと同じようにちょっとジュースが飲みたくなってコンビニ来ただけだった。
「メールくれたらよかったのに」
「それも考えたんだけど部活休みかどうかわかんなかったから」
 日の一番高い時間帯に、俺が私服でうろついているから、今日は部活が休みと判断したのだろう。そう思えば唐突な誘いであっても納得はできる。
「俺が来なかったらどうしてたの?」
「その時はおとなしく家帰ってたよ」
 本当なのだろうか、とチラリとっちの格好を見る。だいぶカジュアルな服装と日除けに被ったキャスケット、そして行動力抜群の自転車に、俺と鉢合わせなければそのままこの辺りをウロウロする気満々だったんじゃないだろうかと訝しむ。
「じゃあさ、俺んち来る?」
 夏でなければ外で遊ぶことも提案したのだろうけれど、こんな暑い日は自宅への避暑に限る。中学の頃からも幾度と無く俺んちに呼んで遊んだり勉強したりしていたから、今更照れるような間柄ではないからこその提案だった。
 多分、っちの提案を俺は待っていたんだと思う。コンビニで咄嗟にポカリを2本買ったのがその証明だった。
「やった、じゃあさ、マリカーかスマブラしようよ」
 きらきらと目を輝かせて笑ったっちは、つい最近も一緒に遊んだゲームの名前を列挙する。
「うん、それじゃツッキーも呼ぼう」
「え」
 俺の提案に、意外にもすごく嫌そうな顔をしたっちは、先程まで白い歯を見せていたのに唇を尖らせて不満を全面に押し出した。ハンドルを持つ手に力が入ったのか、キュッと乾いた音が鳴る。
「え、ってどうして?」
「月島ってゲームでもねちっこいから楽しめない……」
 低い声で唸ったっちの言葉に、彼女がツッキーを嫌がる理由が正当すぎることに思わず笑いそうになった。
 ぶすくれたその表情は、っちを抜き去った後にバナナの皮を置いたり、リング外に落ちるよう執拗に責め立てたツッキーの行動に拗ねた時によく見るものだった。
「……いや、ハブって拗ねられても面倒だし、呼ぼう」
 溜息混じりで言葉を続けたっちは、それでも素早い手つきでもってスマホを操作する。口では憎まれ口を叩きつつも、ツッキーを本気で疎ましく思うことなんて無いんだろう。
「あぁ、月島? だけど」
 発信ボタンを押し、スマホを耳に押し当てた直後に口を開いたっちに、思わず目を丸めてしまう。
 ツッキーは誰かから電話がかかってきてもすぐに出ることをしない。一緒に居る時に何度か見かけたが、日向や影山、更に言うと主将が相手であっても嫌そうな顔をして、どうにかしてやり過ごせないかと迷う姿を見せる。つい先日、田中さんと西谷さんからの波状攻撃とも言える着信にツッキーが応じず、結局俺の方にその流れ弾がやってきたことは記憶に新しい。
 俺が掛けた時もコールを長く鳴らさないと出てくれないことを思えば、多分、同じような迷いを見せているのだろうと推察できる。そんなツッキーであっても、っちの電話ならすぐに応じるんだな、なんてちょっとだけ寂しく思う。
 でも今度からツッキーに急な用事がある時はっちに掛けてもらうといいかもしれない。そう考えて気分を持ち直す。
「今、忠と一緒に居てさ……うるさいな。偶々コンビニで会ったんだよ」
 ツッキーと電話を続けるっちの横顔を眺めていたが、彼女が顔を顰めた上で声を尖らせたことに、ドキッとしてしまう。
 自分の名前が出た上で二人が喧嘩しているという事実に、気まずい以外の気持ちは沸き起こらない。っちの喧嘩腰とも言えるその剣呑とした口調に、思わず唇を引き締める。
「代われって……なんで……チッ」
 とうとう舌を打ち鳴らしたっちは、不機嫌なその表情をこちらに差し向け、更には手にしたスマホさえも俺へと差し出した。
「ん」
 柳眉を逆立てたままのっちの空気に飲まれてしまい、言葉を返すことが出来ない。首を傾げることで何故と問うと、っちは呆れに溜息を吐きこぼした。その対象が俺ではなく、ツッキーに対するものなのを肌で感じ取る。
「……月島が、代われって」
「……あぁ、うん」
 曖昧に返事をしながらっちから電話を受け取る。
 なんとなく、どういう類の言葉を言われるのかは予測がついていた。
 だからこそ電話を変わりたくはなかったけれど、出なければ出ないでツッキーが益々機嫌を損ねることまで予想済みだ。
「……やぁ、ツッキー」
「……なんで山口がと一緒居んの」
 スマホから紡がれたツッキーの声の冷たさに、コンビニで肌を冷やした時以上に、肝が冷える。
 ――あ、これ今日は俺がねちっこくされる予感。
 時折、っちが俺を誘ってくる、ふにゃポテデートにツッキーの同伴を促すのも、ひとえにこういうことが起こらないようにという事前対策のためのものだった。
 俺の家へ戻る前にケーキショップに寄ってショートケーキでも買って行ったほうがいいだろうか。でもそんなことをして「やましいことでもあったの」だなんて責められても堪らないし、どうしたもんだろうか。
 対策を考えながらも、口元が少しだけ持ち上がる。
 俺が相手であっても、っちに近付く男に対して嫉妬する姿を見せるツッキーに、少しだけ安堵するようだった。
 ツッキーのお小言に、いつものように「ゴメン、ツッキー」と返していると、いつの間にか自転車を止めてコンビニに入っていたらしいっちが、お菓子やジュースを買って戻ってくる。その袋の中にツッキーが最近よく食べているずんだあんまんが入ってるのが見えて、俺と同じことを考えたんだなと気付き、思わず笑ってしまう。
「ナニ笑ってんの、山口」
 冷たいその声が耳に届くと同時に、俺はこの日何度目かの「ゴメン、ツッキー」を口にした。  



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