山口 忠02

いつかの君ともう一度


 学校へ続く道をツッキーと並んで歩く。それは小学校から中学校へ舞台を移しても変わらない習慣となるはずだ。入学して2日目の朝を迎え、これからの未来を確信した。
 運良く、俺とツッキーは同じクラスになることができた。こういうのってやっぱり小学校から情報が行っていたりするんだろうか。例えば俺とツッキーは仲がいいから同じクラスにしていたほうが便利だよ、とかなんとか。もし作為的なものであったとしても、それでツッキーと同じクラスになれたのなら願ったり叶ったりってやつだ。
 出席番号は遠いから席は離れてしまったけれど、それでもオリエンテーションや近々行われるであろう遠足のことを思えばツッキーが一緒だと思えば心強かった。
「へへっ」
「……なに笑ってんの、山口」
「なんでもないよ! ツッキー!」
 まだ通い慣れない道ではあったが、それでもツッキーが一緒ならきっと楽しくなるのだろう。そんなことをツッキーに訴えかけたところですげなくされることは理解していたのであえて誤魔化した。鼻白む様子で「あっそ」と言ったツッキーはふいっと顔を背けると足早に学校への道を進む。
「待ってよ、ツッキー!」
「待たない。早く行くよ」
「うん!」
 ツッキーの背中を追いかけ、隣に並ぶ。そのまま歩きながら今日のホームルームでは何を話すんだろうね、だとか委員会や係り決めはなにか立候補する?だとか、取りとめもなく会話を続けた。
 靴を履き替え、教室へ向かうべく階段をのびる。4月になってもまだほんの少し肌寒いのは毎年のこととは言え、今年は特に冷え込んだ時期が長かったように思える。セーターでも着てくればよかったかな。カバンの紐を掴んだままだった手のひらを口元に持っていき息を吐きかける。ぬくい、と思ったのは一瞬だけで、その息が途切れると途端に元の気温に戻ってしまう。ちっとも暖かくなった気はしなかった。
 寒さに気を取られながら歩いていると、ドアの上に俺たちのクラスの表札が目に入る。目当ての教室へと入る直前、不意に背中を叩かれた。驚くよりも先に軽い声が掛かる。
「おはよー」
 ひらりとかざした手は恐らくたった今、俺の背に触れたものなのだろう。快活さを具現化したような少女が、俺を見上げて笑った。あ、かわいい。反射的にそう思ったのは、彼女の笑顔がちょうど廊下から差す朝日に照らされたせいだろうか。
 ――俺、多分この子と仲良くなるんだ。
 直感だった。天啓かと思える程に忽然と脳裏に浮かび上がった想像は、すんなりと胸の内に溶けていった。
「おっ、おはよ!」
「……おはよ」
 俺とツッキーと順番に視線を合わせた彼女はニッと口元を引っ張って笑い、俺たちの返事も背に受け颯爽と教室へと入っていってしまう。
 教壇の近くに集まっていた女子の一団に先程と寸分違わぬ声を掛け、自席へと向かうその横顔に見覚えはない。中学に入って2日目の朝だ。小学校も違う相手では、例え見かけていたとしても記憶に残らない事の方が多い。よっぽど目立った自己紹介をかまさなければ、時間をかけて顔と名前を一致させるのが普通だ。
 チラリとツッキーに視線を流す。目に入ったツッキーの表情は想像した通り、不機嫌なものだった。顰めっ面を隠しもせず、彼女の方を睨んでいる。ああやって気軽に踏み込んでくるタイプの人間が苦手だというのは、浅からぬ付き合いの上で解っていた。それでも、俺の感想をツッキーに投げかけたくなる。
「今の子、感じよかったね」
「どこが?」
「どこがって聞かれたら困るけど……」
 教室の中をズンズン歩いていく背中に向かって声をかける。トゲのある言い方に、失敗したかなとほんの少し後悔した。だけど、誰に対しても変わらない笑顔を向ける彼女の笑顔がいいなと思ったことを誤魔化したくなかった。
「笑って挨拶できるとこ?」
「はぁ?」
 思いっきり顔を顰めたツッキーは自分の席に鞄を置き、俺を見下ろした。こんな風にツッキーから不機嫌さを強調されたことはあまり経験がなく、思わず言葉を詰まらせてしまう。
「そういうのって世間常識的な意味では普通なんじゃないの?」
「いや、俺あんまり知らない人には無理かも」
 人見知りをする性質ではないけれど、誰彼構わず愛想を振りまくようなことは出来ない。そんな勇気はなかった。だからこそ、入学して翌日、だなんて時期にみんなに挨拶して回れる彼女の良さが際立った。
さんがただの能天気バカなんでしょ」
「あぁ、そうかも」
 あくまで受け入れられないらしいツッキーの言葉に同調しながらも、立ち去っていったばかりの彼女の後ろ姿から目が離れなかった。

* * *

「ねぇ、山口君。ちょっといい?」
「あ、うんっ! いいよっ! なに?」
「山口君ってさ。あの月島君と小学校から一緒だったんだよね?」
「え、ああ……うん」
 女の子に話しかけらたことを内心で喜んだのも束の間で、続けられた言葉に落胆してしまう。まだ入学してから1ヶ月足らずなのに、何度も繰り返された会話だ。いい加減に慣れなきゃな、と思いながらも、いちいち「今回こそは違うかもしれない」だなんて期待してしまう。
 特に与えられる情報がないことを伝えると彼女たちは簡単に立ち去っていく。その背中を見つめながら、ハァ、と一つ溜息を吐きだした。
 ツッキーは背も高く、頭も、顔もいい。更に言えば女子に対して自分から話しかけるタイプではなく、かと言って面と向かって話しかけやすいタイプでもない。そんなツッキーは簡単に高嶺の花のような存在に仕立て上げられる。恋に恋するお年頃と称される彼女たちにとっては格好の憧れのシンボルにされるのだ。
 それは親友としてとても誇らしいことなのだけど、こうも続くとちょっと嫌だな、と思ってしまう。滅入るというほどではないかもしれないけれど、なんだか腑に落ちないものが胸の内に溜まっていくようだった。
「あ、ねぇ、山口。ちょっと聞きたいんだけど」
 入れ違うようにして背後から掛けられた声に振り向く。よっ、と手のひらをかざした少女は、俺と目が合うと、丸っこい目を柔和に細めた。
 ――あ、さんだ。
 ドキリ、と心臓が跳ねる。以前好印象を感じたそのままの笑顔を向けられ、少しだけ緊張してしまう。仲良くなれるかも、だなんて勝手な予感はまだ身内にあった。だが実際は単に俺がさんと仲良くなりたいと思っているだけなのかもしれない。無駄に意識してしまったせいで、逆に声をかけづらくなっているのが現状だ。人懐っこい笑顔で俺を見上げるさんに、俺もまたぎこちないながらも笑いかけた。
 さんが女子にも男子にも屈託なく話しかけるタイプの子だというのはなんとなく察知していた。さんはあまり関わりのない俺にでさえ、朝に顔を合わせればおはようと言い、帰る間際にもバイバイ、また明日、だなんて言葉を飛ばす。
 ただ、今までの経験則からして、さんが次に続けるであろう言葉はあまりいいものではない、という予感があった。予感よりも確信に近いと感じたのは、ついさっきの女子との会話が根拠だった。
 ――どうせまた、ツッキーのこと聞かれるんだろうな。
 諦念が胸の奥から湧き出てくる。勝手に落ち込むのもおかしな話だが、毎日のように聞かれるような現状を思えば、それも致し方ないことなのだ。
「この前の体育のときさ、バレーのサーブ、ジャンプして打ってたでしょ?」
「あ、そうだっけ」
 体育の球技選択でツッキーとともにバレーを選んだことは記憶に新しい。男女別ではあるものの同じ体育館に押し込められたのだから目に入っていたとしてもおかしくはない。
 だが肝心のツッキーがジャンプして打つ姿なんて見たことがない。俺が見てない間に戯れに打つようなことがあったんだろうか。でもツッキーはあまり目立つことが好きではないはずだし、もしそんなことがあったとしたらさんだけでなく他の女子から追求の嵐に巻き込まれていたはずだ。
 もしかしたらツッキーは背が高いからジャンプしなくたって、ほかの男子よりも随分高い打点で打つことが出来るから、それで勘違いしてしまったんじゃないだろうか。ニコニコと笑うさんに視線を流す。指摘することも憚られるくらい満面の笑みを浮かべているさんの様子に、なんだか言葉を続けられなくなる。
「してたじゃん。びっくりしたよー! 山口ってあんまり体育会系って感じしてなかったからさ」
「え?」
「えっ、て?」
「ツッキーのことじゃないの?」
「ツッキー?」
「あ、えっと……」
「あぁ、月島? 違うよー。山口のことだよ」
 俺の戸惑いを一蹴した彼女に、にわかに言葉を繋げられなくなる。ツッキーのことを言われているのだと思い込んでいた。心底不思議そうに首を捻ったさんに、自分の思慮のなさが恥ずかしくなる。勝手に決めつけて、勝手にさんに対して諦めた。失礼なことをされたと微塵も感じていないさんは、ニッと口元を引っ張って笑った。
「あれスッゴイね!」
 真正面から褒められた。ほかの誰でもなく、ツッキーでもなく、さんが俺のことを見てた。そのことが、ものすごく特別なことなんじゃないかと感じてしまう。
「どうやったらちゃんと向こうまで行くの?」
 俺の心境に気付いていないさんはサーブを真似してみたいのか、ブンブンと腕を振るう。肩を使わず肘だけの動きを繰り返すさんに釣られて、俺もまた普段打つ時の仕草を見せてみる。
「おぉ」
 キラキラとした瞳が、特撮ヒーローの番組を見る少年のようだと思う。ふと、そんなことを考えてしまい、またしても恥ずかしくなる。これじゃ俺がさんにとってのヒーローみたいじゃないか。ほんの少し気分が落ち込む。そのことに気付いたのか、さんはビー玉のような目を更に丸っこくさせた。
「私もやってみたくなってさ、真似してみたんだよ。けどさ、そしたら前衛の子の頭にドーンって……」
 高かったテンションが目に見えて萎んでいく。床に視線を落としてしまったさんのしょぼくれた表情に、その前衛の子とやらにひどく怒られたのだろうことが察しがつく。
「あちゃー……でもたしかにホームランしちゃうことあるよね。俺も昔ベンチにいたコーチにぶつけちゃったことあるし」
「うわ、それも怖いな……結構怒られたんじゃない?」
「うーん……怒られはしなかったかな。ツッキーは大爆笑してたけど」
「あはは。性格悪いなー」
 大きく口を開けてさんは笑う。明るい笑い方に、なんだか俺まで気分が持ち上がっていくような心地がした。
 ――なんだろう。この子、いいな。
 前にも感じた好感触が更に折り重なっていく。じっと見つめていた俺の視線に気付いたらしいさんは、軽く頭を傾げてなにかあったのかと目で聞いてくる。丸っこい目から向けられる眼差しに、心の内が暖かくなるのを感じた。
「ううん、なんでもないっ」
「そう? ならいいけど、何か面白いこと思い出したんなら教えてね」
「うん」
 目を細めて悪い笑みを浮かべたさんに釣られて、俺もまた口元を緩める。適度に意地悪なところを垣間見せるさんは、清廉潔白ではないんだろうけれど、妙な親しみやすさがあった。
 ふと、ひとつの提案が頭を掠めた。言葉にしようかどうか、ほんのわずかだが躊躇ってしまう。だけど、多分、さんなら大丈夫だ。以前感じた一方的な親近感が俺の背中を押した。
「今日の昼休みさ、一緒にボール借りてバレーしよっか。俺、教えてあげるし」
「いいの?! ありがとう!」
 きらきらした笑顔が、ほんの小さな心配を消し去っていく。断られなかったことに対する安堵よりも、やっぱり大丈夫だったという確信が強く残った。
「うん、じゃあまた昼休みによろしくっ」
 さんに向かってピースを掲げてみせる。俺の行動を目にしたさんもまた「イエイ!」だなんて口にして俺に向けてピースを作った。

* * *

「今のイイ感じだったよ!」
「ほんと? もう一回やってみてもいい?」
「いいよ!」
 昼休みに、部室からバレーボールを借りてきて、体育館の前でっちと向かい合う。定期的にバレーボールが打ちたくなるというっちに付き合うのも、もう4年目だ。あれからそんなに経ったのか。同じ高校に入れたこともそうだけど、中1の頃からの交流がいまだに根強く続いているということが心強かった。
っち、バレー上手くなったよね」
「へへ、先生がいいからだよ」
 あれからっちはジャンプサーブをマスターした。だが中2の時にまたしても前衛の子の後頭部にぶつけてからはそのサーブは封印されたままだ。もしもバレー部に入っていたら意外と活躍できたんじゃないかな。それとも味方を再起不能に陥らせたのだろうか。実現しなかった未来を思い浮かべて思わず笑ってしまう。
「あ、また何か面白いこと思いついたっしょ」
「えへへ、バレた?」
「バレるよー。忠、わかりやすいもん」
 あの頃と変わらない笑みを浮かべたっちは、拾い上げたバレーボールを右脇腹と肘の内側で挟み込むようにしてポーズを取る。お見通しだ、とでもいうつもりなのだろう。左手の親指と人差し指を丸くくっつけてその中心から覗き込むように俺を見つめた。
 仲良くなるだなんて予感が、今、こうやって現実として目の前にある。多分、一生、っちとはこうやって向かい合って笑っていられるはずだ、という予感もまたあった。続くんだろう、きっとこのまま。3年分の経験が、また俺の中の予感を確信に変えていく。
 小脇に挟んでいたボールを掲げたっちの構えに合わせて、俺もまた飛んでくるボールを待つ。
「ねぇ、っち!」
「んー?」
「初めて会ったときのこと、覚えてる?」
「中1のとき?」
「そー! っちさ、俺に挨拶するときすっごい笑ってた」
「なんだそりゃ。私そんなに能天気バカだった?」
 コミカルな口調ながらも俺を睨みつけたっちの機嫌が悪くないことは俺が一番わかっていた。っちの表情はコロコロ変わるけれど、俺に対して悪意を向けることはなかったからだ。
 ツッキーが本気でっちを怒らせた時に「なんで僕ばっかり」だなんて俺にぼやいてくるものだから、「俺は怒られたことないよ!」だなんて自慢してツッキーに八つ当たりされたこともあったっけ。
 っちとの思い出はどれも思い返すだけで口元に笑みが浮かび上がる。
「初めて会った時からだよ!」
「ん?」
っちだけが、俺の特別っ!!」
 ボールを打ち返しながらへへっと笑うと不思議そうな顔をしたっちが、「えー?」と言いながら頭を傾けた。レシーブしたボールが跳ねる。追いかけながらもまたしても笑ってしまう。
 言葉にしたのは初めてだった。だけどずっと前からそう思っていた。っちだけが、特別。ツッキーと同じように、ずっとこのまま仲良く出来たらいいなと思う。
 出来るかな、という不安はない。3年前と同じ予感が胸にある。っちに向かい合えば自然と溢れる笑みが、それを証明していた。



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