いつ甘中学時代:01

好きと言えばよかったのに


「月島が好きだから、他の子と取り持つようなことは出来ない」
 耳に響いたのまっすぐな言葉に、俄に体が強張った。
 教室のドアの奥に見えるに視線を伸ばす。
 5、6人のクラスの女子たちと対峙したは、それでも背中をピンと伸ばし、誰よりも凛とした様子を見せた。
 こちらに背中を向けているの表情は見えないけれど、きっとこの背中と同じように潔い顔をしていることだろう。
 部活の休憩時間に、茹だるような暑さの篭もる体育館から逃れ、教室に忘れたドリンクホルダーを取りに来たのだけど、そもそもこんな時間まで誰かが教室に残っているなんて思ってもみなかったし、それ以上にの告白を聞くなんて1ミリも想像していなかった。
 心臓が破裂しそうなくらいに目まぐるしく血流が流れているのを感じる。指を当てなくても解るほどに首や耳の裏に熱が篭る。
 女子に告白されたことなんて初めてじゃない。面と向かって言われたわけでもなく、たまたまが僕を好きだと言ったのをただ単に盗み聞きしただけなのに、簡単に胸が熱くなった。
 ――嬉しい。
 もう頭の中にはのことしかなかった。取りに来たドリンクホルダーのことも、教室に以外の女子がいることも頭の中から吹っ飛んでしまっていた。
 伸ばしていたまま固まった指先をドアの隙間に触れさせる。ささくれた木目の感触に、一度反射的に手を引いたけれど、それが刺さるのも気にならないくらいに勢い良く教室のドアをスライドさせた。
 思ったよりも滑ったそれは勢い良く行き止まりの柱に当たり、ほんの少しだけこちらへ戻ってきた。僕が通る分は充分に残ったそのスペースをくぐると、目を丸くして振り返ったの姿が目に入る。入ったなんて生ぬるい。僕はもう、しか見てなかった。
「……月島!」
 僕の名前を叫んだは普段では見たことがないくらいに顔を赤くしていた。
 もしかしたら執拗に挑発して怒らせたらこういう顔色も見られるのかもしれない。だけどきっとこんなにかわいくは見えないはずだ。目元が潤んで、眉を下げて、困って逃げ出したいような顔をしているくせにそれでも僕から目をそらさないが、めちゃめちゃかわいく見えた。
 何度も何度も頭の中での言葉が渦巻いていた。どういう経緯で発したのかはわからないけれど、多分、売り言葉に買い言葉で告げたのだろう。
 僕を好きだと、は言った。
 ただそれだけのことに、どうしようもなく頬が熱をもつ。どうやったって意識してしまう。
 嬉しくて飛び上がりそうなほどの心地になった。
 教室に入るつもりなんてなかったのに、自然と身体が動いていたのも、正常な判断が下せなくなっていたからだ。
 だけじゃなく、他の女子たちの視線も僕に集まっていることを肌で感じる。
 くぐっただけだった足を教室の中に、の近くに進めていく。正面に立ってもなお、の視線は惑わずに僕の目だけを見上げてきた。
 逃げ出したい気持ちの現われなのか、自分を守るためのものなのか、は制服の胸の辺りを掴んでいる。皺になっちゃう、と思った時には手が伸びていた。
 そこから引き剥がすようにの手を取り、そのまま握り込める。冷たいの指先とは反対に熱くなった僕の手の熱が融け合っていくのを感じた。
……今の、ホント?」
 ほんの少しだけ背を屈め、の顔を覗きこむと、そこで初めては僕から顔を逸らした。耳まで赤くさせたさまが目に入り、肯定の意を示しているのだとは解っていた。
 だけど、口にしてそれを肯定して欲しくて、追い打ちを掛けるようにの手を更に引いた。反対の手を伸ばせば抱きすくめられそうな距離においても、は歯ぎしりしそうなくらいに歯を食いしばっている。照れくさそうにしているのは充分に解ったけれど、もう少し女の子っぽい照れ方をしてもいいんじゃないか。呆れの混じった考えを抱きながらも焦れったさに益々熱が篭っていくようだった。
 ――僕も、ずっとが好きだった。
 僕からも、肯定の言葉を繋げようとした。
 だけど、は僕の疑問の言葉に対して首を縦に振ることも、一向に言葉を繋げようともしない。
「……?」
 更に身を屈めて顔をのぞき込んだが、やはりは僕と顔を合わせ辛そうに顔を背ける。その顰められた眉根の溝に、不意に、怖くなった。
 が女子たちに向けていった言葉は確かに僕に対する情愛の吐露のように聞こえた。でもそれは、ただ単に降りかかった火の粉を払うようなつもりで吐いたものなんじゃないだろうか。

   だって、僕に向けてから告白なんて、されてない。

 耳で拾った都合のいい部分だけで、勝手に僕だけ盛り上がっただけなのではないか。
 頭を掠めたその考えに、前にも似たことがあったことが思い起こされる。胸に蘇ったのは小学生の頃の苦い思い出。
 僕が兄の嘘にはしゃいで、そしてその嘘に雁字搦めになった兄を追い込んだ。
 もしも、が、兄と同じように何らかの理由で嘘をついて、僕を喜ばせて、今、まさにその喜んでいるさまを見せていることで困らせているのかも、しれない。
 今、あの時と、同じ過ちを繰り返そうとしているんじゃないだろうか。
 掴んだこのの手のひらが冷たいままなのは、吐いた嘘がバレるのを恐れているからなんじゃないか。
 思い描いた仮定を否定しようと抗えば抗うほど、その考えが頭に纏わりついてくる。の手を掴んでいるのに、僕の方が逃げ出したい気持ちに襲われた。
 それと同時に、自己保身欲が生まれる。肯定してくれないのなら、僕が否定する。だって肯定してくれないんだし、そのくらいしてもいいでしょ。
「――好きとかそういうの、迷惑だから、やめてよね」
 喉の奥がヒリヒリと痛んだ。
 口をついて出た言葉は、その数秒前まで想像していた甘い言葉とはまったく違っていて、必要以上にを突っぱねる言葉へとすり替わっていた。
 横顔ながらも、が目を見開いたのが目に入る。それと同時に、微かに握り返されていた手のひらから力が抜けたのを感じた。
 それに合わせて、僕もまたの手を解放すると、するりとそのまま抜けて、だらしなくの体の前に垂れ下がる。
「……ごめん、私たち、これで……」
 成り行きを見守っていた女子たちが、気不味そうな言葉を残して教室から出て行った。
 チラリとそちらに視線を持ち上げたは、そのまま両手の平で顔を覆い、天井を仰ぐ。
 上向いた顎に手を伸ばしてこちらを向かせると、は手のひらで顔を隠したまま「なに」と呻いた。
「いや……」
 掛ける言葉を探したけれど、天邪鬼な気持ちが胸を占めていて、茶化すような言葉しか頭を過ぎらない。
 さっきのは嘘だよ、だなんて言って黙って抱きしめてしまえば、もしかしたら間に合うのかもしれないけれど、そんなこと出来るはずもなく、曖昧に口籠って誤魔化した。
 バツの悪そうに唇を尖らせたは、大きく肩で息を吐き、それから手のひらを下げて僕を見上げる。
 と目が合うと同時に、また胸の奥辺りに鈍い痛みが広がっていった。
「どうしてあぁいう風に煽っちゃうかなぁ」
「……煽るって」
「僕のこと好きだなんて、嘘まで吐いて、面倒くさがりにも程があるんじゃないの?」
 楽になりたいと思うと同時に選んだのは、僕の本心とは離れた言葉を口にすることだった。
 期待すると傷付くことばっかりだ。嘘をついてれば、僕は傷つかずに済む。そんな幼い考えに固執してしまった。
ならもっと良い言い訳思いついたデショ」
 ぺちぺちとワザと音が鳴るようにの頬を軽く手のひらで叩いた。本当は優しく手を添えてキスしたいくらいの心境のクセに、ワザとを突き放すような言葉を選ぶ。
「まぁ、本当に僕のことが好きだっていうなら考えてもいいけど」
 両手の平での顔に触れる。触れるというよりも掴むと言った方が正しいかもしれない。柔らかな両頬の感触を楽しむように手のひらを動かす。バレーボールとは似ても似つかないこの感触に、悪戯な心と単純な情愛が胸にないまぜになる。
 こうやって僕が突き放すようなことを言っても、それでもが踏み込んできてくれるなら、僕もそれを受け入れる。
 僕の方が優位に立ちたいとか、自分の思い通りに動かしたいだとか、そういう動機じゃない。
 ただ、からの確証が欲しかった。
 たまたま盗み聞きをするようなものではなく、背中越しなんかじゃなく、が僕の手を取って、真正面から伝えてくれるなら、僕はその想いを信じられる。
「月島」
 の手の平が僕のそれを覆う。重なった手にドア越しにの声を聞いた時以上に胸が高鳴った。期待しちゃいけないと自制していた心が綻んだのか、自然と頬が緩む。
「ゴメン、あんまり絡まれちゃうからさぁ。ついうっかり」
 明るい声音で告げたは僕の手を掴み、自分の頬から引き剥がす。
 もう触らないでという代わりに下に押し下げ、それから手を放された。
 目を見張って、微かに俯いたの額を見つめる。触れられる距離にいるのに、完璧に線引された。否、確かに僕の方が先にに対して距離を取るように仕向けたのだけど、でも本当にこんな簡単に距離を置かれるだなんて思ってなかった。
 足りなかった想像力に対する憤りが隠せず、下唇に噛み付いた。幸い顔を伏せたままのには僕の顔は見られれていない。
「つい……言っちゃった……」
 前髪を掴んで顔を伏せたは、肩を震わせながら大きく息を吐き出す。冷たいような熱いような、中途半端な温度の呼気が手の甲に触れた。
 溜息を吐き切ったは、顔を上げる。強張ったままだった口元がその動きに釣られて反射的にポカンと開く。
 ニッといつものように会話を楽しむ時に見せる笑みを見せたは迷いなく僕を見上げた。
「期待させちゃった? だったらゴメンなさいネ」
 わざとらしく舌をぺろっと出して笑ったは、顔の前に手のひらを立てて、言葉と同様にとても反省しているとは言えないポーズをとる。
 の普段と変わらないいたずらな笑顔を見ていると、確かについさっきまでそこに合ったはずの淡い空気が見えなくなる。
「期待なんかするわけないじゃん。僕と君はそういうのが無いから仲良く出来てるんデショ」
 更に追い打ちをかけるような言葉に「だよねー」と軽い態度では応える。
 いつもと同じように、なにひとつ変わらないように、安寧が保たれるようにと、すればするほどに、先程手に入り掛けたはずの未来が薄まっていくのをひしひしと感じていた。
 信じなくてよかった。そう思いながらも、吐き出せなかった「好き」という言葉が、誤って飲み込んだ魚の小骨のようにいつまでもチクチクと喉を傷ませた。



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