煉獄01

柱合会議の前に



 お館様のお屋敷へ向かう道中、一軒の食堂が目に入った。
 その店にはこちら方面に用事があるときには、必ずと言っていいほど頻繁に寄っている。理由はひとつ。魚を焼かせたら3本の指に入るほどの出来だと俺が確信しているからだ。
 朝食は出掛けに食べるには食べたが腹を満たすほどの量ではなかったし、これからの予定をこなす上で途中で腹を減らす可能性はなくはない。
 腹が減っては戦ができぬ。労働に勤しむ前に腹を満たすべきだ。そう判断した俺は、一も二もなく、足取りを変更し、食堂へと足を向けた。
 横に引けばするりと動く戸を滑らせ、暖簾をくぐる。威勢のいい「らっしゃい!」という声に片手を上げて応じながら店内をぐるりと見渡せば、朝だというのに一様に飯をかっ込む客の姿がわんさか目に入る。
 賑わってはいるが座れないほどではない。活気のある店内の奥へと足を進め、手近な座敷へと上がろうとしたところで、一際おおきな声が店内に響いた。
「わっしょい!」
 突然の怒号に、近くにいたおっさんがびくりと肩を震わせる。茶碗を抱え込んできょろきょろと周囲を見渡しながら警戒する素振りを見せるおっさんを横目に、からからと笑い声をあげた。それはおっさんがおかしかったからではなく、奇妙な掛け声をよく見知った相手が放ったものだと気付いたからだ。
「わっしょい!」
 二発目の怒号。その音の発生源へと首をのばせば、夕焼け色の髪が目に入る。咀嚼するたびに揺れる頭に近づき、その動きを止めるべく手のひらを置いた。
「よぉ、ご機嫌だなぁ。杏」
「おお! か! お前も来ると思っていたが腹が減っていたから先に始めさせてもらったぞ! すまん!」
 ぐるりと首をひねり、俺を見上げた男は、謝罪の意を口にしながらも一切の反省の色を浮かべず、快活に笑った。
 箱膳を前に、美味い美味いと叫びながら飯を食らうこの男は、煉獄杏寿郎。俺と同じく鬼殺隊の柱を担うものだ。
 今日はその〝柱〟が一堂に会する〝柱合会議〟が、お館様の屋敷で執り行われる。半年に一度の定例行事だ。前もって約束をしたわけではないが、気に入った店で図らずとも落ち合うことは少なくなかった。
 ポンポンと二回、杏の頭を軽く叩き、そのままするりと向かいに座る。「美味い!」と口にする杏に一瞥を流し、座敷に胡座をかきながら羽織の裾を払った。
「今日の飯はさつまいもご飯だったか?」
「いや! それが聞いてくれ、! 今日もさつまいもの味噌汁だったんだ! 前回もさつまいもだったから今回はさすがに違うだろうと踏んでいたのだが、いや、よもやよもやだ!」
 幸運に晴れやかな笑みを浮かべた杏は味噌汁の椀を掲げる。ちゃぷんと揺れた椀の中には、杏の言う通り丸く切られたさつまいもが浮かんでいた。
「ああ、それならお前のためにばぁちゃんが仕込んでくれてんだ。美味そうに食うのが微笑ましいんだとよ」
「そうか! ならば後でお礼を言わねばな!」
 腰の刀を外し、座した隣に添える。帯刀している俺たちを不思議そうに見やる人の数は少なくない。この店の店主や女将もそうだ。だが、彼らは深く立ち入ることなく、時に親切にしてくれる。
 どこに属しているか食堂にいる間は関係ない。馴染みの客のひとりが美味そうに飯を食っている。ただそれだけで好意的に見てくれる人もいることが救いに感じた。
「今日は何になさいます?」
 杏の正面に腰を据え、軽く足を崩したところで物腰の柔らかい老婆が声をかけてくる。馴染みの店員の登場に自然と頬は緩んだ。
「あぁ、そうねぇ。さんま、ありますか?」
「えぇ、いいのが入ってますよ」
「じゃあ、それを塩焼きでお願いします」
 注文を終え、飯が運ばれるのを待つ間、杏の食べる姿を見守る。あぐらをかいた膝に肘を置き、顎を支えて見つめていると、ふと杏が口を開いた。

「あぁ?」
「お前、今日の議題がなにか聞いているか?」
 声を潜めた杏の言葉に、自然と背筋を伸ばした。杏もまた茶碗をおろし、膝に手を置いている。真剣な眼差しに、友ではなく、柱が目の前にいるのだと意識した。
「ああ、鎹鴉を介したお館様の言伝では、十二鬼月の動きが活性化しつつあるという話だったな」
「そうだ。なぜ、今になって、というのがもっぱらの議題だ」
「ここ数カ月で、何かが変わったというのか?」
 俺の疑問に対し、杏は目を伏せ首を横に振った。
「わからない。だからこそ、今日の会議で互いに持ち寄った情報を精査する必要がある。の方では、何か変わったことは起こらなかったか? 例えば、階級も持たないのにやけに強い鬼に出くわした、などといったものは――」
 今度は、俺が首を横に振るう番だった。
「いや、こちらでは無いな。相変わらずコソコソと夜に現れては人を襲う小鬼の話しか聞かん。叶うことなら十二鬼月のひとりやふたり見つけ出してやりたいんだがな」
「うむ。……やはり聞かぬか」
 顎に手を添え、なにやら考え込むような素振りを見せる杏は、眉をひそめ唇を結ぶ。だが、考えまとまらなかったのだろうか。大仰な息を吐きこぼし、掲げていた腕を降ろした。
「杏の方はどうだ?」
「俺の方も同じようなものだ。どうも意図的に空振りさせられているような気がして敵わん」
「たしかにな」
 杏の言うとおりだった。鎹烏により示された鬼の出没情報を元に、出陣し、現着すればたしかに鬼はいる。だが、予め聞かされていた情報との食い違いがあるのだ。
 血鬼術どころか、言葉を交わすことさえできないほど未熟な鬼が、ひとりの人間に執着して食らう場面に幾度となく対面した。
 時には苦痛に顔を歪め、時には涙を流しながらも、本能の赴くままに血を啜る姿には見覚えがあった。あれは、鬼にされたばかりの人間だ。
 深く瞑目し、息を吐いた。深呼吸を繰り返すことで、浮かび上がりそうな嫌悪感を飲み下そうと試みる。染み付いた過去を、たったそれだけで忘れられるはずもなかったが、何もしないまま後悔に囚われるわけにはいかなかった。
 脳に浮かぶ映像を追いやり、薄く目を開けば杏と視線がかち合った。俺の変調に気づきながらも、黙って待っていてくれたらしい。差し出された思いやりに唇を緩めれば、深く頷いた杏は俺の目をまっすぐに見つめて笑った。大丈夫だ、と口にして言われるよりも心強い。感謝を口にする代わりに、陰りの残る表情を取り払った。
「そういや、鎹烏のやつが妙なことを口にしていたんだが、聞いているか?」
「鬼を連れた隊士の話か」
「あぁ、それだ」
 杏の言葉に頭を揺らして応じ、首の裏に手をやった。軽く視線を左上へと持ち上げ、店の梁を眺めながら記憶を辿る。
「竈門炭治郎なるガキが鬼を連れているらしい。たしか拘束された状態で今日の会議に連れてこられてるんだっけか?」
「の、ようだな」
 うむ、と頷いた杏の姿が横目に入る。視線を戻し、改めて杏に向き直れば、杏は胸の前で腕を組んだ。
「恐ろしいことをするガキもいたもんだ。……不死川さんあたりはそういうの許せないだろうな」
「荒れるだろうな」
 俺も杏も、自然と口を噤んだ。鬼殺を目的として生きる俺たちの前に、鬼が連れてこられる。その情景をいまいち思い描くことができない。
 飛んで火に入る夏の虫以上に、愚かな行為だ。不死川さんに限らず誰もが処刑するべきだと口にするはことは想像に難くない。鬼を殺すために生きる俺たちに、それ以外の選択肢があってはならないのだから。
 だが、鬼殺の本質を覆してまでわざわざ屋敷へと連れてくるよう命じたということは、お館様のお考えの中に別の選択肢が用意されているということにほかならない。
 お館様に限って、鬼が死ぬさまを間近で感じたいなどという悪趣味は言わぬはずだ。殺さないのであれば、生かすしか無い。生かす価値があるかどうかは、今回に限っては俺達の裁量の範囲外にあるということだ。だからこそ、杏は「荒れる」と言ったのだろう。
「なぁ、杏」
「ああ」
「正直なところ、お前、どう思う?」
「それは――」
「しっ!」
 顔をしかめながらも言葉を続けようとした杏に、人差し指を口の前に立てることで遮った。ぐっと唇を結んだ杏が押し黙る。杏の背後からのっそりと現れたばあさんは、静かな動作で座敷へと膝をついた。
「はい、お待ちどうさま。ゆっくり食べていってくださいね」
「ありがとう。いただきます」
 箱膳に乗せられた食事を受け取り、会釈をしながらばあさんが去っていくのを見届ける。何食わぬ顔をして箸を取り、味噌汁の入った椀に口をつけた。杏もまた俺と同様に残った飯に箸を運ぶ。
 会話がなくなれば、周囲の喧騒が耳に入る。ざわざわとした音を背に、俺も杏も黙ったまま食事を進めた。
「……」
「……もう、平気か?」
 2分ほど、押し黙ったままだった杏が不意に口を開いた。茶碗を下げた杏は、実直な眼差しをこちらへと向ける。
「あぁ、悪いな。遮って」
「いや、聞かれてはまずい話だ。感謝する」
「ってことはお前の腹の内は――」
「決まっている。――斬首だ」
「まぁ、それしかねぇよなぁ」
 ふ、と息を吐き出し、さんまが乗った皿へと手を伸ばした。頭から尾へ、骨に沿って箸を入れ、少しずつ取って口へと運ぶ。良いのが入っているとばあさんが言っていたが、本当だったようだ。塩梅よく焼かれた身を飲み下し、内心で舌鼓を打った。
 腹が膨れてくるのに合わせて、身内にあった緊張感が解けていく。伸ばしたままだった背から力を抜けば、思いの外肩に力が入っていたことを知った。
「家族が鬼にされても仲良く暮らせる世なら俺たちが戦う意味もなくなるんだがな」
 大きく口を開けて飯を口に運びながら言うと、杏は肩を揺らして笑った。
「はは。はそうやって甘いことを言う割には鬼を斬ることに躊躇がないから恐ろしい」
「なんだよ、悪いか?」
「いや、共に戦う上でこんなにも信のおける男はいないさ」
 笑い含んだ表情を浮かべた杏は、嘘をつくような男ではない。そう知っているからこそ、認められていることを示すようなまっすぐな言葉が妙に照れくさい。下唇に箸を押し付けたまま、視線を横に流し、気恥ずかしさを飲み込んだ。
「さぁて、そろそろお館様の屋敷へと向かうとするか!」
 箱膳のうえに乗ったすべてを平らげた杏は、直前まで傾けていた湯呑を置くと同時に躊躇なく立ち上がった。
「おい、待てぃ。俺がまだ食い終わっとらんのだが?」
「おぉ、そうだったな! では先に行くぞ!」
「待て、待て」
 くるりと踵を返した杏の羽織に手を伸ばす。ひらりと翻された裾を束ねて掴み、ぐいっと引き寄せれば、目を丸くした杏が不思議そうに俺を見下ろした。
 招集時刻まで今しばらく時間はあるが俺が遅れていくとたとえ定刻であっても遅刻をしたのではと疑われかねない。普段から時間に几帳面な杏を連れ立っていれば、その印象も覆るはずだ。
「あとちょっとで食い終わるから。少しは待ってくれよ」
「そうか! ならば茶でも飲んで待つとしよう!」
「そうしてくれ。あ、そうだ。杏」
「なんだ!」
 立ち上がった時と同じ勢いで座った杏が口を開くのを見計らい、味噌汁の椀へと手を伸ばす。そのまま箸でつまんださつまいもを口の中に投げ込んでやると店内に「わっしょい!」という咆哮が響いた。


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