藤真 健司01:39!!

39!!


 机の横に掛けた濃紺の紙袋に入ったそれを、一志のために用意したのだと言ったははにかむように笑った。
 傍らにあるスポーツバッグはぞんざいにも床に置かれているがそれを気にした素振りも見せないは、一志のことになると普段とは違った様相を見せる。
 今しがた浮かべた表情だってそうだ。軽く朱に染めた頬を隠しもせずに下唇を噛んだような笑みと下がりきった眉は、一志のことを想う瞬間にしか見られないものだった。アホくささを感じながらも、ふと、の身の回りに視線を向けたが、一志のもの以外にはチョコと思しきものは見当たらなかった。
「おい、
「なに?」
「オレの分のチョコは」
「え、無いよ?」
 邪気のない笑みで答えたに、オレは思わず一志宛のチョコに蹴りを入れそうになった。
 それを既で堪えて、頬杖をつく。大仰に溜息を吐いてみせたが、はオレの顔を目を丸くして見つめるだけで、何も自分が責められる要素はないとは考えているようだった。
「なんでオレのだけねぇんだよ」
「いや、長谷川にしか渡さないよ」
「嘘つけ、にも渡してたじゃん」
にはお世話になってるし、味が変じゃないか見てくれるって言うから…」
「お前、オレには世話になってねぇっていうつもりか」
 自然と尖ったものになった言葉に、は手を口元に持っていき、逡巡する素振りを見せる。の奥で呆れたような視線を向けてきたは、徐ろにが渡したチョコの箱を開け、ニヤついた笑みを隠しもせずに口に運んだ。
 その行動にカチンときたが、ラッピングの状態と先程のの発言からして、手作りのものを用意したことを察する。一志へのものも恐らくそれなのだろう。なかなかやるじゃん、と手放しで評価できるような心境ではなかったが、一志が喜べばいいなとは考えることができた。
「なってないわけじゃないけれど、やっぱり私は長谷川にしか渡したくない」
 やけにキリッとした顔で応えたに、一瞬丸め込まれそうになったが、そんな屁理屈を聞き入れたくない気持ちが勝る。
「……普段は一志のこと好きじゃないとか言うクセに」
 ポツリと言葉を零すと、は顔を赤く染め上げる。行動も思慮も視線も、何もかも一志にしか向けていないクセに、は一志への想いを否定する。
 昨年の春先に妙な噂を流されて痛い目に遭ったのが効いているのだろうけれど、未だにオレに対してさえも頑迷に違うと言い張るのだ。本当にコイツはアホだな、と再認識させられる。
「第一、藤真はチョコいっぱい貰ってるんだからもういらないでしょ」
 彼女の言うとおり、別にに貰わなくても、学校へ来るまでの道のりで先輩・同学年・他校生と充分チョコ攻めの憂き目に遭っている。
 だが、それとコレとは別で、普段の恩義に報いようともしないに無性に腹が立った。
「お前は今日一志にフラれればいい」
 呪いのような言葉を呟くと、は朱に染めていた頬を青白くさせた。

* * *

「あ、いた! 藤真っ」
 放課後、部室で着替えて体育館へ向かう途中、大きな声で名前を呼ばれた。
 先程までバレー部の女子に集られていたため、今の時点でいつもよりも部活に参加するのが遅れていることにムカついていて一瞬、逃げ出そうかとも考えた。だが、その声の耳障りの違和感の無さを感じ取り、首を捻って振り返ると練習着に身を包んだがそこにはいて、大きくこちらへと手を振っているのが目に入った。
 軽く手を掲げて返すとは片手に持っていたものを振りかぶり、そのままこちらへと投げて寄越す。白球では無さそうなそれは、歪な縦回転をしながら、5メートルほど離れたオレの胸の正面に飛んでくる。
 カサリと軽い感触とともに手の中に収まったそれに視線を落とし、それがパンであることを確認してへ視線を戻すとは楽しそうに「ナイキャー!」と叫んだ。
 恐らくナイスキャッチということなのだろう。面食らって目を瞬かせていると、は右手を高く掲げて帽子の鍔を手に取る。
「いつもお世話になってマッス!」
 被っていた帽子を脱ぎながら頭を下げたは「それじゃ」と短く言い残し、帽子を改めて深くかぶりなおして駆けていく。
 残されたオレは部活へと急ぐの後ろ姿を見送り、見えなくなってから手の中にあるパンを目の高さまで持ち上げた。学食でよく見かける銀チョコパンの袋には、マジックで大きく「39!」と書かれていたが、その上にはTANKと書いた上にぐちゃぐちゃとした横線を書き殴ってある。
 おそらくThank youと書きたかったのだろう。思い至った予想に口元が緩む。中学レベルの英語でさえも満足に自信も持てないほどバカなのか、それとも照れくさくなったのかは知らない。
 それでもこれがなりの感謝の印というやつなのだろうということは解った。
「つっても銀チョコって……」
 バレンタインのチョコの代わりだっつっても他にもっといいものがあっただろうに、と小さく苦笑する。
 確かに今朝、チョコをよこせとには言ったけれどそれは一志にしか用意しなかったというがあまりにも実直過ぎて、腹が立ったからだった。
 ただ普段何かと世話してやってるオレに対して義理チョコを用意するという考えが沸き起こらないほどに、一志のことしか考えていないのが少しだけ羨ましくもある。取り繕うように用意してもそれが学食のパンでしかも手渡しさえもせず投げて寄越すというのも彼女らしかった。
「ホント、アホだわ」
 絶対に一志に対してはそんな杜撰な真似をしないに、それでも一志とうまくいけばいいのにと願える程度に気持ちは上向いた。

 一度部室に戻るかとも考えたがその時間も惜しいとそのまま体育館へと向かう。
 部活の合間にでも食ってもいいかもしれないと考えながらタオルと一緒に体育館の脇に置くと、目ざとく見つけた高野が妙に眉根を寄せてこちらを見下ろしてくる。
「お前、どんだけチョコ好きなんだよ!いやみか!!」
 何も知らない高野が悪いわけでもないのに、からかいの対象にされたことが妙に腹が立ち、その煩い叫び声に、オレは思わず飛び後ろ回し蹴りをかましてしまった。  



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