神 宗一郎03:雪の舞う白い日(VD)

雪の舞う白い日


 今年の夏頃から、武石中と練習試合を組むことが多くなった。
 レベルが拮抗しているのも理由なのだろうけれど、自転車を使えばそう遠くない距離と、監督同士が大学の先輩後輩であったこともまた理由となったのだろう。
 交代で招待しあう練習試合は、今日はオレの学校で執り行われたのだが、武石中のバスケ部の人たちが帰ってから掃除を始めたため、彼らが帰ってからオレたちが帰るまでの時間は15分以上ズレてしまった。もしも5分くらいで終わってたら、外で会えたかもしれないのに、という仄かな期待は早々に打ち砕かれる。
 ――と少しくらい話せたら良かったのにな。
 そのような想いと共に小さな溜息を吐けば、恋煩いかと同じ部活のメンバーに冷やかされる。バレンタインともなると、普段はバスケ一本にストイックに情熱を傾ける奴らも、恋愛の方向へと気持ちが傾いてしまうらしい。
 やれ後輩の誰それに貰っただの、他校の女の子に貰っただのと騒ぐくせに、頬を赤く染め上げてどうしようかなんて狼狽する。そんな恋愛に不慣れな彼らの姿は、覚束なく余裕もまったく無さそうなのに心底羨ましく感じる。
 オレが欲しいものを持っている子は、誰かにチョコを渡したりしたのだろうか。
 想像するだけで込み上げてくる苦い感情に蓋をするため、ここ15分で何度目かの溜息を零した。
 着替えが終わった後、部室の鍵を閉めて駐輪場へと歩いていく途中で、はたと脳裏に記憶がチラついた。着替えた時に、脱ぎ捨てたバッシュ用の靴下を鞄に入れた記憶が無い。
 肩から流すように掛けた鞄の中を軽く探ってみたが見当たらないということは、どうやら普段置かないロッカーの上に置いたきりなのだろう。失意の淵に立っていたため、どうしても気持ちが散漫になってしまったらしい。
「ごめん、忘れ物した」
「何?」
「バッソク。洗わないとヤバい」
「マジか、先帰ってるぞ」
「悪ぃ、また明日な」
 先を行く部員たちに手を振り別れを告げると、部室へと踵を返し、顧問から預かっている合鍵を使って部室の扉を開ける。普段は面倒ごとに借り出されることが専らだけど、こういう時だけは部長って便利だなと思う。
 案の定、ロッカーの上に放り投げられたままだったバッソクは、慎ましやかにオレの帰りを待っていた。それを鞄に投げ入れてまた部室から出ると、視界に白いものがチラつく。
 なんだ、と思って視線を斜め上に持ち上げると、薄暗い空からチラチラと雪が降り注いでいるのが目に入る。
 やけに冷えると思ったが、雪まで降るほどだったとは。目に見えた寒さの結果に、汗はとっくに引いていたが、底冷えしたような感覚が走り、思わず身震いしてしまう。
 ――早く帰った方がいいな。
 駐輪場への足を速めながら、空を振り仰ぐ。しんしんと降る雪は、周囲の空気を普段よりも澄んだものに変貌させる。同時に静かな世界が広がっていることに気付き、部活生の喧騒が無いと、学校はこんなにも静かなんだなと実感した。
 自転車に跨って正門へと向かう途中、正門の前に設置された校訓の書かれた石の台に腰掛けた人物が目に入り、思わず足を止めてしまう。
?」
 名前を零すと同時に、強く彼女の姿がオレの中に印象付けられる。
 もう既に帰ったと思っていたが目の前にいるのに、落ち着いていられるわけは無かった。当のはというと、オレの到来に気付いた様子は無く寒さに少しだけ背を丸め、ポケットに手を突っ込んだまま、あーん、と大きく口を開けて空中を仰いでいる。その間抜けとも言える格好でさえ、どこか愛らしさまで感じてしまうのは惚れた贔屓目というやつなんだろうな。
 武石中の人たちが帰って、もう既に30分以上経過しているのに、何故彼女がここに居残っているのだろうか。
 他の部員も帰って、それでも尚、ここにいるということは、もしかしてオレを待っていてくれたのか。
 ――今日、待っててくれたということに期待してもいいのだろうか。
 逸る気持ちを抑えながら彼女の元へと進める足は、自然と速いものになった。
「何やってんの、
 オレを待っていたの、とは流石に聞けなくて曖昧な言葉を投げかける。落ち着いた声で、と心がけたつもりなのに、嬉しさのせいか、普段よりも声音が高くなってしまう。
 オレを振り仰いだの表情は、一瞬の驚きの後、柔らかなものへと変貌する。肌の白さと相俟って寒さに益々血の気を引かせていたの鼻だけが局地的に赤くなっているのを見て、鼻を擦ってでも寒さを我慢してくれた証に、オレの胸が歓喜によって満たされていく。
「雪ってどんな味がするのかなって思って」
 疑問に思うままに行動を起こしたの子供っぽさに思わず笑ってしまう。それと同時に悪戯心が働いてしまうのを抑えきれなかった。
 別に好きな子を虐めたいとか、そういう性癖は無いと思っていたけれど、に対しては自然とそのような行動を取ってしまうのが常であった。
「雑菌とか埃とか混じってるから身体に悪いと思うよ」
「うっ」
 オレの言葉に俄かに身体を硬直させたは、面白いほどに顔色を青褪めさせた。
「大丈夫、まだ口に入ってないっ! ……予定」
 強がりな言葉を吐くと同時に立ち上がっただったが、語尾が弱々しくなるに連れて、ポケットに手を入れたまま項垂れ、子供のように唇を尖らせる。無防備な頭に手を乗せて撫で付けてやると、更に不満を押し出す癖に、耳を赤く染め上げるが可愛くてたまらなかった。
「今日は学校の子たちと帰らなくてよかったの?」
「うん、宗のこと待ってるなら置いてくって言われて」
 顔を伏せたまま応えたの言葉に、瞬間的に心臓が撥ね踊る。オレを待っていたのだと言葉で表されたことで、確証もなく期待だけが先行したいた時よりも、更に欲張りになってしまう。
 真実味を帯びてきた期待に、不安も同時に膨らんだけれど、オレに頭を撫でられたままでいるに、裏切られることは無いだろうという確信もあった。
「そうなんだ。何か用事でもあった?」
 まるで誘導尋問のようだと思った。は気付いていないから良いものの、あまりにもあざとい自分自身に苦笑してしまう。
「あのね、宗。えっとね」
 言って、はオレから身を翻すと傍らに止めていた自分の自転車の前カゴに入れたスポーツバッグの中に手を差し入れる。
 その表情が、少しでもはにかんだように見えるのは、オレの期待が錯覚させたものではないといいな。



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