水戸 洋平02:掠めた指先

掠めた指先


 昼休みののんびりとした空気にそぐわない足音が廊下に響く。
 チラリと廊下へと視線を向けると、ガラッと勢い良くドアが開かれた。
「洋平いいいい!!」
 涙目で教室に戻って来たは、ドアが開ききって柱にぶつかる音に負けじとオレの名前を叫ぶ。
 悲嘆に満ちたその表情に、彼女の身に何かが起こったのは明白だったが、割と日常的に行われる行動でもあったのであまり焦りは沸かない。
「どうした、
 自分の席についたままに呼びかける。
 戻って来た勢いのままに教室内を走るが掻き分けずとも、クラスメイトたちは後退って彼女のために道を譲る。
 当然、オレの前の席に座る奴も広げていた弁当箱を慌てて抱えて立ち去り、何の障害もなくオレの席の前に辿り着いたはすかさず椅子に跨って座る。
 パンツ見えんじゃねーの、その座り方、とちょっと焦ったけれど、スカートの下に短パンを履いていることを思い出して外しかけた視線を彼女へ戻した。
「花道に食われたああああ」
 机の上に放り投げたままだった学ランの袖を掴み、そこに額を押し付けたはオレに悲嘆を訴える。
 だがその言葉の中途半端具合では、花道になにかされたということしか解らない。
 否、それどころか普段の花道の食欲を知らない相手なら、誤解を十分孕んだ言葉にしか聞こえなかったことだろう。
 まつげを微かに濡らしたの表情も相まって、にわかにざわついた教室に、その懸念が徒労では終わらないことに気付く。
「ハァ? 一体、何の食べ物食われたってんだよ」
 親友2人の間に、いらぬ詮索をされないために、補足説明するがごとくに質問を投げかける。
 ぐすりと鼻を鳴らしたは顔は上げたものの、顎を机の上に押し付けたまま訥々と言葉を並べ始めた。
「……昼休みに学校抜けだしてドーナツを買いに行ったのね」
「あぁ…そういやお前そんなこと言ってたな」
 朝だが授業中だかにドーナツを買いに行くのだと宣言されていたことを思い出す。
 それと同時にポイントを10だか20だか貯めて弁当箱を貰うのだと意気込んでいたや、5点5点と念じながらスクラッチを削るの姿が頭を過ぎった。
「で、普通のと甘いのと6個入りのやつ買って、6個のは花道と半分こね、ってしてたんさ」
「うんうん」
「先に大きいの食べて、6個入りの…いちごが掛かってたやつを…最後に食べようと残してたら…」
 そこまで言ってじわりと目元に涙を浮かべたは、唇を尖らせて言葉を詰まらせる。
 思い出し泣きのような状況に陥ったにぎょっと目を見開いて宥めにかかる。
「あぁ、もう解った解った」
 の頭の天辺に手のひらを置いて撫でるというよりも頭をストレッチするようにぐるぐると回してやる。
 目を細めてそれを享受したはスンスンと鼻を鳴らしてぐずった。
「かわいそうになぁ……」
 唇を尖らせて不平を全面に押し出したは、ドーナツでなくても好きな食べ物を一番最後まで食べない性質だ。
 ラーメンのチャーシュー然り、ショートケーキのいちご然り。
 そしてそれを残していることで、何も考えてない食欲無尽蔵の花道がから取り上げて泣かすか怒らせるのもまた日常で、最終的にはオレに泣きついてくるまでが黄金パターンってやつだった。
 いつも何かしらコンビニでちょっと食い出来るようなものを買うのもひとえに泣きついてくるのためだった。
「甘くないもので悪いけど、これでも食っとけ」
 鞄の中に突っ込んでいた袋を破り、その中から一粒取っての口の中に差し入れる。
 抵抗もなくそれに噛み付いたは、前歯だけでゴリゴリとそれを咀嚼する。
 ゴクンと頭を揺らして飲み込んだのを確認し、の頭から手を避けるとそれに釣られたのかは机から顎を離して上体を起こした。
「柿ピー?」
「そ」
 言いながら袋から手のひらにそれを移す。目を細めてそれを見据えたは顔をほころばせてオレを見上げる。
「今度はピーがイイ」
 微妙に鼻が詰まったような声でせがむが、ピーナッツとは言わずに省略する彼女らしさに苦笑する。
「はいはい、お姫様。おひとつどうぞ」
 あーん、と口を開けて待ったは、オレがそれを放り込むのを待たずにピーナッツを唇に挟む。
 きょとんと目を丸くしたに苦笑し、ピーナッツを押し込んでやると指の先に唇が触れる。
 無防備なその様子に、照れくささを感じる必要はない。オレとの距離の近さもまた通常の範囲のものだ。
 美味そうに食ったはもっとくれとばかりにまた口を開ける。
 中学の頃、夏に一緒に見に行った水族館のアシカのショーを思い出しながらもを餌付けるがごとく柿ピーを食わせてやった。
 腹が膨れて満足したのか、あとで花道を懲らしめてやるんだと不敵に笑うに、頬杖をついたまま肩を竦めて溜息を吐いた。
 



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