三井 寿02:オレの幼馴染がこんなに可愛いわけがない

オレの幼馴染がこんなに可愛いわけがない


 5時間目の授業は3クラス合同での体育でサッカーをやることになっていた。上履きをグラウンドシューズに履き替えて校庭に出ると、周囲の視線がオレに集まり突き刺さるような緊張が走る。
 バスケ部に復帰したオレはともかく、徳男まで丸くなったのか授業に参加していることに対して、周囲の連中はビビり倒しているようだ。以前の行動を思えばそれは仕方が無いことだし、はねつけるようなマネしかしてこなかったのは事実だ。
 周囲の戸惑う視線にはイラつきを感じるが、それは自分に責任があるのだから甘んじて受け入れるしかないだろう。
「……ッチ」
 それでもあからさまな視線に晒されて、気分がいいはずもない。小さく舌を打ち鳴らし傍らにいた徳男へと視線を転じるが、徳男は然程気にしてない風であった。釈然としない思いは残ったが、教師の鳴らす笛に整列しながら平常心であるよう努める。
 教師の気まぐれか、クラス単位ではなく出席番号を基にランダムでチーム編成をされ、呼ばれたチームの集合場所へと足を進める。
「三井っ」
 先に呼ばれていた木暮が軽く手を上げてオレを迎え入れる。どうやら木暮と同じチームになったらしい。見知った顔、そして偏見を抱かず接してくれる木暮の態度に安堵する。
「おぅ、木暮。お前も同じチームか」
「あぁ、頼りにしてるぜ」
 言葉と同時にビブスを投げ渡される。何気ないこの動作に、1年の頃のことを少しだけ思い出してしまい、意識せずとも口元は緩んだ。そんなオレの様子を見た木暮は、うん、と小さく頷いて、オレの肩を叩き、そのままピッチへと入っていった。
 黄色いビブスに袖を通していると、程なくしてスタートの合図が鳴り響き、相手チームのキックオフで試合がスタートした。
 ポジションなどは何も決めていなかったが、今蹴ってるヤツはサッカー部のヤツだし、恐らくそいつらが仕切っていくのだろうと考える。オレもまたグラウンドを走りながら戦況を確認するが、ドリブルで運ぶよりもパス主体で回していく作戦らしく、代わる代わるボールを持つ選手が変わっていく。
 もちろん、合間合間でインターセプトなどはされているが、割と上手く攻めれてるんじゃないだろうか。ただし、まだ5月中頃ということもあり気候的にはちょうどいいのだが、つい最近までグレていたこともあり、真面目に授業に参加していなかったオレにとっては走りっぱなしの競技は結構堪えるものがあった。
 バスケのコートよりも広い場所ではスペースはガラ空きだったが、その代わり相手との距離を詰めるまでの距離があるため、どうも身体が動かし辛い。
 だけど、どうしてもボールが渡ってくると敵に渡すなんてことは絶対にしたくないし、自らが得点に絡んでいきたくなる。走っていると身体の内から熱が湧き出てくる。
 普段、サッカーは見る専門のオレは適当に流そうと思っていたが、いつの間にか自然と熱が入ってしまっているのは、オレの負けず嫌いさが大きな要因となっているのだろう。
 膝に手をついて息を吐き、額に浮かぶ汗を首に巻いたタオルで拭い去る。口元の汗を拭っていると、タオルの柄が目にると、このタオルが中学の頃にから借りたまま返してないものであることを思い出す。
 正確には勝手に取り上げただけだっただろうか。
 ……そういや、気に入ってるから返してと何度か言われたかもしれない。
 当時はこの肌触りをかなり気に入ってたから返す気など更々なかったけれど、もうそろそろ返してやってもいいだろうか。
 いや、待てよ。逆にオレがに貸して、返してもらってないタオルもあったような気がするが、アイツはそれについては何も言ってこなかった。そのようなことを思い返していると、段々腹が立ってきて、に文句の一つでも言いたいような心地がふつふつと湧き出てくる。
 ――そう言えばのクラスって2-1か2だったっけ?
 昨年の記憶を思い返しながら、教室の位置の大体の位置を思い浮かべる。クラスの並び的にはあの木の上辺りじゃなかっただろうか。
 そう思い、おもむろに顔を上げると、カーテンの窓が大きくはためいている教室に自然と目が行った。同時に、その場所に座っている生徒の顔が、瞬間的にこちらへと向く。

 思わず言葉が漏れたのは、今まさに目が合ったヤツの名前だった。その声が届いたわけではないないだろうに、の口元に緩やかなカーブが描かれる。
 ヤバい、と思った瞬間、すぐに視線を外し、タオルで口元を覆う。タオルの柄が視界にチラつくと同時にの顔が脳裏を過ぎり、耳まで熱が広がっていった。
 頬に熱が走ったのを誤魔化すために口元を隠したのに、これでは本末転倒だ。

 ――今、目が合った……よな。

 オレがアイツを認識したと同時に、アイツの大きな目はオレを捉えたに違いない。でなければ、退屈な授業中にあんな風にが微笑むわけがない。それにが集中して授業を受けるようなタマではないというのは、学年が違うのだからクラスは一緒になったことなどないが、充分想像できる。
 浅い呼吸を繰り返しながら心を落ち着け、何食わぬ顔をしてゴールの方へと視線を向けると、木暮が良い位置でパスを受けているのが見えた。自失している暇はない。そう思い直し、オレもまたゴール前へと上がっていく。
 その後は、時折がこちらを見ているような気がして、どうしても振り仰ぐことが出来なかった。

* * *

「じゃ、三っちゃん。オレたち帰るから」
「おぅ、じゃあな」
 教室から出る際、部活へと向かうオレの背中に、徳男の声が投げ掛けられる。それに手を振って応え、体育館の方へと足を向ける。
 歩いていると太股の裏辺りに痛みが走るのはきっと、体育の授業の影響だろう。あの後、に見られてるかもと意識したせいというのもあるが、どうしても試合に負けたくないという気持ちが強く出て、後半は全力で走ってしまったため、どうも身体にダルさが残っていた。
 6限目の授業は英語だったので寝て過ごしたが、それでも完全に回復するまでは行かなかったようだ。
「痛っ」
 階段に差し掛かると、筋肉の筋が張るのか急に痛みが増した。体育館に着いたら入念にストレッチをすればいくらか緩和するだろうか。コールドスプレーも借りたいところだが、に言うのは張り切ったことを見透かされるようで癪に障るな。
 そのようなことを考えていると、踊り場を挟んだ向こう側の階段の下にの姿が見えた。もまた、このまま部室へと足を進めるのだろう。
 あまり荷物の入って無さそうな薄い革鞄を提げて鼻歌交じりで階段を下りていくの背中を見ながら、声を掛けるべきか否か逡巡する。
 部活が始まると、どうしてもに対して声を掛け辛くなる。まだオレたちが幼馴染であることを木暮くらいしか知らないはずだし、ましてや、つい先だってまでバスケ部を潰そうとしていたオレとの関係がばれてしまうのはにとってよくないだろうと考えたからだ。
 オレが白い目で見られるのならば、バスケのためだと受け入れられる。だが、もし、がオレのせいで肩身の狭い思いをするようなことがあれば、それこそ居た堪れない。はそんなものを気にはしないだろうが、どうしてもオレのせいでに辛い想いを強いるのは許せなかった。
 周囲に視線を巡らせて、誰も来ていないことを確認して、一つ小さく咳払いをする。しかし聞えてないのか、それとも意図的に無視したのかは解らないがは振り返らなかった。
 反応のなさに対してムッと口元を引き締めて睨みつけてやったが、それでが振り返るはずもない。
 気を取り直して一段飛ばしで階段を下りる。太股の痛みは何故かもう感じなかった。
「よぉ、
 呼びかけると、はすぐに振り返り、オレの姿を目にした瞬間顔を顰めた。
 ――なんだよ、今日はまだお前を怒らせるような真似はしてねぇぞ。
 の迫力に怯んでしまい、脳裏に言い訳じみた考えが過ぎる。それでもオレが辿り着くまで待っているのだから、もしかしたらただ単に機嫌が悪いだけなのかもしれない。
 コイツの機嫌が悪くなると長いし煩わしいから気付かない振りしてやり過ごした方がいいはずだ。そう思い直し、の気持ちが変わらないうちに、との隣に並んだ。
「あ、お疲れ様です」
 余所行きの表情、とでも言うのだろうか。普段のでは取らないような澄ました顔でオレを見上げてくる。その笑顔を目にした途端、口元が引きつって半笑いで返してしまったのは、の眼が笑ってないように感じたからだろうか。
 階段を下りながらまじまじとの顔を眺めていると、じろじろ見んなと言うことだろうか、極軽い肘鉄を食らわされる。このような暴力的な様もそうだけど、相変わらずわけわかんねぇヤツだ。
 機嫌がいいかと思ったら、ちょっとしたことですぐキレる。もちろんその逆も然り。掴めないの性格を厄介だと思いながらも、他のヤツの前では結構従順そうな面してるからオレの意見なんて誰も聞いてくれなかった中学時代のことを思い出した。
 ――そういや、今日の体育の時みたいなことも中学の頃あったっけ。
 あの時は窓から大手を振って来やがるものだから、教科書を丸めた教師から殴られていたけれど。
「お前さ、授業中に外見んのやめろよなー。集中しろ、集中」
 懐かしい記憶に緩みそうになった口元を引き締め、感情を誤魔化すべく軽い説教をしてやると、はチラリとオレを見上げて不適に笑う。人差し指を立てて軽く横に振るうの、尊大とも取れるその態度がイチイチ癪に障る。
「チッチッ、違うよ、全然違う。センパイ見てたんだよ」
「……はぁ?」
「だからぁ、ひーく……」
「だー、もうっ聞えてっからやめろ!」
 ひーくん、だなんて呼称を誰かに聞かれたらまずいという気持ちが沸き起こり、反射的にに手を伸ばし口を塞ぐ。普段は空気を読んでか、自らの保身のためかは解らないが、オレのことを「センパイ」と呼んでるくせに、気を抜くとすぐにコイツは幼名で持ってオレを呼ぶ。
 言い聞かせる代わりに、睨みつけることでもう話すなよと示したがは膨れた顔して見上げるばかりで、オレが何に対して焦ったのかなんてまるっきり解ってない。
 チッと小さく舌を打ち鳴らしてを解放したが、その表情は憮然としたもので、反省した様子など皆無であった。
「なんでそんなにイヤがんのよ……」
 心底つまらなそうに唇を尖らせたに、こっちこそイヤがってること解っててなんで言うんだよって思う。
 オレはお前がオレと仲がいいだなんてバレて傷つくのが見たくないんだよ。別にバスケ部の奴らが危害を加えて来るなんて思わないけれど、この2年間でオレが殴り倒したやつなんてザラにいる。そいつらが、お前に対して何かしないとも限らない。
「あのなぁ……」
 何を言ったらの性格が改善されるかなんて、考えたところで無駄であろうことは解っている。三つ子の魂百までと言うが、今更変わるくらいならもっと前にどうにかなってたことだろう。
 考えが纏まらず、後頭部に手を伸ばしガシガシと掻いて言葉を探す。昔からコイツの言動はオレに対してはいつも理不尽なものが多かったが、それを甘やかして受け入れてきた昔のオレの教育が拙かったのだろうか。
「お前に見られたら……その、なんだ。気になって集中できねぇっつってんだよ」
「え、あ、そうなの?」
「……2回も言わそうとすんなっ」
 の額目掛けて手刀を落とすと、は酷く大げさに「痛っ!」と叫んだ。
 手加減してんだから大して痛くもないだろ、バァカ。
 実際、言うほど痛くなかったのだろう。機嫌良さそうに笑うに、コノヤロウと釈然としない気持ちが沸き起こる。
 半眼で睨みつけていると、はまたオレを振り仰いで笑みを深いものとした。ワザとらしくぶつかってくるに、オレもまた彼女が階段から落ちない程度にぶつかり返してやる。
「でもそんなヤワなこと言ってたらバスケはどーなんの?」
「あぁ?」
「私、試合中はひーくんしか見てないよ?」
 普段よりも声音を高くして、演技掛かった口調で話すは明らかにオレをからかって遊ぼうという魂胆が丸見えだった。
「……嘘吐け、バァカ」
「バレた?」
 悪びれもせずにいうに、コイツ本当に一回殴ってやろうか、などと乱暴な考えが頭を過ぎる。もちろん手なんて出せるはずもないのだから、悔し紛れにもう一度、今度は先程よりも強く当たってやった。
「わっ」
「危ねっ」
 不意の衝撃に当たり負けしたは、短い悲鳴を上げ、身体のバランスを崩して階段から落ちそうになる。すんでのところで手を伸ばして引き寄せたので大事には至らなかったが、焦らせてしまったのはオレのせいであることは明白だった。
 から手を離し、少し屈んで彼女の表情を見ると、目を大きく開いて唇を真一文字に引き締めており、衝撃に耐える様が見て取れる。気遣うように肩に手を置き、そっと撫で付けてやったが、こんなもので緩和されるはずもないだろう。
「大丈夫かよ」
「うん、へーき」
 目を瞬かせながら応えたは、平気では無さそうなのに気丈に振舞う。申し訳なさが胸に押し寄せ「悪ぃ」と小さく呟くと、は一瞬目を見開き、オレを見上げ、そのままニヤリと笑う。
「もー、ひーくんってばホント子供なんだから」
「あ?」
「ちょっとからかわれたからってすぐキレるんだもん」
「あぁ? キレてネェだろうが」
「ホラ、そういうとこ」
 笑いながら言うはオレの手から離れるようにリズム良く階段を降りていく。
 ……心配して損した。
 小さく溜息を吐いて、思い出す。が絶叫マシーン系が好きであったことを。このくらいの衝撃なんて大したものではないのだろう。
「可愛くねぇなぁ、ホント」
 傷つけたいとかではなく、少しくらいに言い返しても罰は当たらないだろう。だけど当然、はオレが本気でそう思っていないことなど知っているからこそつける悪態であり、あまり効果がないことなど百も承知だった。
 階段を降りきってチラリとを見ると、特に怒った素振りなど見せず、涼しい顔をしている。振り仰いだはオレと目が合うとべっと舌を出して、それから笑った。
「でもね、ひーくん」
 ぎゅっと掌を掴まれて引き寄せられると同時に、そのまま反対の手で肩を掴まれて、屈むようにとせがまれる。促されるままに膝を曲げてしゃがんでやると、ひっついてくることへの気恥ずかしさよりも、何故こんなことをするのかと疑問に思う気持ちの方が強く出る。
 耳元に口を寄せるの、少し伸びた横髪が頬をくすぐりこそばゆい。
「私がバスケやってる人でカッコいいなって思えるのはひーくんだけだからね」
 耳元でそっと囁いたは、チュッと音を鳴らしてオレの頬に口付ける。
「また後でね、ひーくん」
 身体を離したは手をひらりと振り、固まったオレを尻目に踵を返してすぐさま女子バスケット部の部室へと入っていく。女子更衣室に逃げ込まれたら、追える訳もないし、外から声をかけることも勿論憚られる。
 着替えをする為にいつも間借りしているのだとは言っていたけれど言い逃げでしかもやり逃げなんて、狡い。
 ――ガキのころはよくされてはいたけれど、それはもうしてはいけないことだろうが。
 解っててやったんだろうな。性質の悪い女だ、アイツは。本当に変わらない。
 それがムカつくと思いながらも、どうしてもそれが心地いいと思ってしまう理由なんて解りきっていた。

 多分、オレは。否、きっと、アイツを、を――。

 口元を引き締めていないと自然と緩みそうになる。
 柔らかな感触が頬に残っている。手のひらで先程が触れた箇所を覆ったが、それは誰かから隠すものではなく、その感触を守るために取ったものだった。
「クッソ、ムカつく」
 悪態をつく言葉を吐いてみたものの、それはに向けられるものではない。腹立たしいと感じたのは、そんなの行動ひとつで気分が高揚している自分自身だった。



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