三井 寿04:花の香る桃色の日(VD)

花の香る桃色の日


 昼休み、肌寒さを充分に感じさせる中庭にいる者は少ない。周囲に視線を延ばしても誰も目に入らないというのが結構気分がよかったりする。
「ひーくん、はい」
 校舎に背中を預けるように並んで座って飯を食い終わった後、右隣に座るから、何の気もなしに差し出されたものを、オレもまた何の意識もせずに受け取る。こんな風にモノを渡されることが少なくないからこその反応だったのだが、手の中に納まったものに改めて目を落として、ぎょっと目を見開く。
 可愛らしいラッピングを施された紙袋の、中身が何が入っているのか勘付いてしまったからだ。
 2月14日。バレンタイン・デーに贈るに相応しいものが入っているのであれば、中身はチョコレートに違いないはずだ。
 期待しなかったなんてことはない。寧ろ貰えるだろうという確信があった。だがこんなにもあっさりと、まるで消しゴムでも貸すかのように渡されてしまったら、どのような反応を返して良いか解らなくなる。
 コホンとワザとらしく咳を払うと、は肩を竦めて悪戯っぽく笑ってみせた。
「……お前なぁ、ちょっとくらい照れたりとかそういう可愛げのある仕草見せてみろよ」
「えー……」
 オレの言葉に、見るからに不満そうな表情を浮かべたは、オレを半目で睨みつける。平素より「可愛くない」と罵っているオレから、「可愛くしろよ」と言われても簡単に受け入れられないのだろう。
「そういうのってあざといよ?」
「なんだ、それ」
「別に? なんとなく言ってみたくなっただけ」
 いつもよりも言葉の言い回しに棘が含まれているような気がしたが、別にその表情が元に戻れば、普段のと変わりなかった。
「覚えたての言葉使いたがるなよな」
「別に最近知ったわけじゃないもん」
 頬を剥れさせて反論するの頭を小突いてやると、一度大きく右側に身体を揺らし、反動を利用してオレの肩に頭を乗せた。オレが痛がるように、とワザとらしくこめかみを押し付けているつもりなのだろうけれど、くっついていることが気になってそれどころではなかった。
 嫌なわけではない。寧ろオレだってに触れたいとは思っている。ただ、やはり学校という誰に見られるか解らない場所でイチャつくことには抵抗があるのだ。
 その行動を起こすに至った動機はどうあれ、こういうことを自然にやってのけるに、「可愛いんだよ、バカ」と内心で罵る。
 「参ったか」とでも言いたいのか、期待に満ちた目でオレを見上げてきたに、呆れて溜息を吐くと、自分の思い通りの反応が返ってこなかったことが気に食わなかったのかは小さく鼻を鳴らした。
「だったらさ、ひーくんが「嬉しいよ、ありがとう」なんて王子様みたいに言ってくれんの?」
 やけにキリッとした声を発したに、飲んでいたコーラを噴き出しそうになる。咽そうになるのを堪えてを睨みつけてやったが、どこ吹く風といった風貌で、まるで効いちゃいなかった。
「……言わねーよ、タコ」
「そうよね、ひーくん王子様タイプじゃないもんね」
「んだよ、それ」
 じゃあ誰が王子様タイプなんだよ。っていうか湘北にはいねぇだろ、そんなスカしたヤツ。
 内心で文句を言い連ねながらも、貰ったばかりの紙袋の中身に手を伸ばし、丁寧に巻かれたリボンを解いていく。
「これ、何作ったんだ?」
「え? チョコバナナマフィン」
「ふーん」
 積み重ねられた中の一つを取って、口元に運び、噛み砕く。普段甘いものを摂取しない性質のオレのためなのか、結構ビターに作られているのだが、もう一口食べたくなるような後を引く美味さがあった。
 が作ったというのも、もちろん理由に含まれている。普段からコイツが作った飯よく食ってるから、身体の受け入れ態勢が出来上がっちまってるんだろうな。
「……うめぇ」
「そう? よかった」
 正直な感想を漏らすと、は若干そっけない答え方をしつつも、その表情を喜色に満たしていく。
「あ、見て。ひーくん」
 何かに気付いたように顔を上げたは、前方に聳え立つ木に指先を向けて、オレの視線を促す。その木には、まだ枝葉にはほとんど何も付いていないようではあったが、が指した箇所に一つだけ、薄紅色に色付いた花が咲いていた。
「梅、咲いてる」
「はぁ? 桜じゃねーの?」
「ひーくんは木になってるピンクの花は全部桜だって思ってるでしょう?」
 バカにされるような口調に「うるせぇよ」と小突いてやったが、それさえも笑って受け入れたに溜息を吐くことしかできなかった。
「春はすぐそこだねぇ」
 ほんのりと色付いた頬に、春の到来への期待を抱いていることが見て取れる。春が来るということを意識した途端、心臓がドキリと撥ねる。
 その春に、オレの卒業が控えていることをは理解しているのだろうか。
 それと同時に高校入学したての頃を思い出し、の手を振り切ることしか出来なかった日々が頭を過ぎった。
 あんなことはもう二度としないと誓った。だけど生活が変わることで、もしもオレが変わらなくても、の気持ちが離れてしまったら、オレはコイツを引き止めることが出来るのだろうか。
 普段極力考えないようにしていた懸念に、堪らなくなって、オレはの手を取った。
 オレが触れた瞬間、小さな反応を取っただったが、すぐにオレの手を握り返してくれる。
「ねぇ、ひーくん」
 絡められた指先を動かしてオレの手をなぞるは、真っ直ぐな視線と共にオレの名を呼んだ。
「来年、ひーくんが通う大学に入学するから」
 聞き覚えのある、断定的な言葉。
 3年前にも同じことを言われたことがある。その時は拒絶したけれど、聞く耳を持つような女ではなかったは、今、こうしてここにいる。
「だから待っててね」
 言って、ふわりと笑ったに、何も言えなくなる。だけど、愛の言葉を並べ立てられるよりも強く、まだ続いていくのだと安心できた。
 この繋いだ手が、もう二度と離れないように、春が来ても、そしてその先も、の隣にいたい。そう強く願った。 



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