流川 楓03:ひとかけらの愛

ひとかけらの愛


 学校からの帰り道、友達と別れてすぐにあるコンビニで、ふと思いたって肉まんを調達した。本当はシャーペンの芯を買うことが目的だったのだけど、レジ前にあるそれがどうしても食べたくなったのだ。
 どうせ家に帰ってもご飯ができるまでは時間がかかるのだし、その前に少し位腹ごしらえをしていてもバチは当たらないだろう。
 先日乗った体重計の数字が頭を掠めたけれど、それを頭を横に振ることで打ち消す。部活後の小腹を満たすためだ、致し方ない。
 明日の自分よ、今日よりもっと動くんだと念じ、買ったばかりの肉まんに噛み付いた。
 熱々の湯気が口内を通って鼻に抜ける。舌に残る熱気を追い出すように、はふ、と口を開けて空気を取り込む。美味しい、と自然と口元が緩んだ。
 例え猫舌で、こんな食べ方をすれば口の中をやけどしてしまうことが解っていても、この熱さがいいのだと私は思う。
 この一口のために生きている、だなんてリーマンにとってのビールのようなことを考えながら、帰路につく。
 食べながら帰るのは行儀が悪いかもしれないけれど、もう家は目と鼻の先だし、玄関に着く頃にはちょうど食べ終わるはずだ。顎の側に肉まんを持ったまま、歩いていると、不意に後方からチリンとベルが鳴る。
 首だけを捻って振り返ると、遠くから自転車に乗った男の人がやって来るのが目に入る。ぶつかるのも良くないな、と道を譲るようにより店側に体を寄せ避けると、程なくしてその自転車は私のすぐ側を通り抜ける。通過した背中を見送った後、改めて肉まんを口に運ぶと、少し先のところで先程私を追い抜いたはずの自転車の人がこちらを振り返っていた。
 歩き肉まんをしている女子高生が珍しいんだろうか。珍しいよな、普通に。
 気まずさに視線を泳がせながらも、チラリとその男の人の様子を窺う。同じ年の頃の男の人だ、そう思うと同時に益々居たたまれないような心地に陥る。やはり家に帰って食べるか、せめて店先で食べるべきだったのかもしれない。
 チラリと視界に入る涼し気な彼の目元が、被害妄想かもしれないが、物珍しい物を見ているかのように感じられる。黒い学ランを着て、さらに真っ黒な髪にその彼の白い肌がいやに映えた。結構大きな身体してるし、なにかスポーツをやっているのかもしれない。
 恥ずかしさのあまりぐちゃぐちゃと取り留めのない彼の人となりの予想を立てていると、不意にその男が口を開いた。
「……か」
 名前を呼ばれ、え、と改めて視線を彼に向ける。その端正な顔立ちに覚えがなくて、軽く首を捻る。
 じっとこちらを見つめるその双眸に、思い当たる節があった。
「かえ――流川君?」
 ついうっかり幼いころのままで名前を呼びかけてしまう。慌てて取り繕ったけれど、きちんと楓の耳には入っていたようで、ほんの少しだけ眉根が寄せられた。
 ごめんと口にしてしまうのも憚られて曖昧に笑うことで返したが、当然、楓から笑顔が返って来ることはなかった。
「い、今帰り?」
 久しぶりだとか元気にしてたかとかそういう言葉を取り繕う考えが沸き起こらなかった。
 どう会話をしていいか戸惑ったのは、彼との間柄が断絶して久しかったからだ。
 家が近所で母親同士も仲がよく、所謂幼馴染として仲が良かったのも小学校の低学年までで、中学に入る頃にはもう既に疎遠で、高校に入って数ヶ月経って初めて顔を見たというありさまだった。
 「おぅ」と一言告げ、頭をコクンと縦に揺らした楓はじっと揺らがないその瞳でこちらを見つめてくる。思わず持っている肉まんで顔を隠してガードしたけれど、そんなもので守れる程度のものではなかった。
 食べかけの肉まん越しに楓の様子を盗み見る。中学卒業する頃にはもうだいぶ大きかったけれど、益々背が高くなったんじゃないかなぁ。自転車に乗ってるから解らないけれど、とうに180cmは超えてしまっているのではないだろうか。
 検分しながら、気分を誤魔化すように肉まんに噛み付くと、楓の手が自転車のハンドルから離れ、そのしなやかな指先で持ってこちらを示される。
「それ、何?」
「え、あぁ……肉まん」
 問われて、楓はたしかあんまんはそんなに好きじゃなかったな、と思い当たる。そしてそれと同時に自分がいつも肉まんを選ぶ理由さえも思い出してしまった。
 幼い頃に抱いた想いがにわかに蘇り、気まずさに頬に熱が差す。そんな私の表情の変化を気にも留めない楓は「ふぅん」と適当な相槌を返してきた。
「た、食べる?」
 聞いておきながら、食べねーだろ、と内心で自分に対してツッコミを入れる。
 だが、私の心境とは反して、先程と同じように小さく頭を揺らした楓に、自分で振っておきながら、食べるのかよ、と驚愕してしまう。
 食べると返事をした割には自転車にまたがったまま動かない楓に小さく溜息を吐く。少し離れた距離に居る楓へ近付き、その口元へ肉まんを捧げるように持ち上げた。
 ほんの少しだけ前傾し、それに噛み付いた楓は咀嚼しながら「アチ」と小さく零す。
 ――あ、なんか懐かしいかも。
 小さい時も同じようにしたことがあったはずだ。
 それはお祭りの日の縁日で買ったわたあめだったか、それともキャンプで作ったカレーだったか。
 遠い日の記憶に思いを馳せたが、その朧気な輪郭が明確な形になること無く、今の記憶として上書きされる。
「流川君は相変わらずだねぇ」
 頓着しないというか。マイペースというか。自分のしたいように振る舞って、周りがどう感じてても気にしていないように見える。
 こっちはそのおかげで随分やきもきさせられたってのに、お構いなしなところも変わらない。無くなったと思っていた淡い感情が蘇ってくるのを感じながら、小さく苦笑すると、楓は小さく口元をへの字に曲げた。
「それやめねー?」
「え?」
「楓でいーだろ」
 尖った声音に怯んだのも束の間で、続けられた言葉に目を丸くしてしまう。
 楓の真意がわからずにその目を見つめ返すと、私よりも幾分も力強い視線をぶつけられる。今度は逸らさなかった。今しがた、楓から告げられた言葉に支えられたからだ。
に苗字で呼ばれんの、なんかムズムズする」
 フイッと顔を逸らした楓は、やはりその口元を引き締め、小さく眉根を寄せた。
 あまり笑わないくせに、こういう面白くない、といった感情はすぐに伝わってくる。それさえも昔のままで、私は思わず笑ってしまう。
「えっと、じゃあ……楓?」
 躊躇いがちにそう呼ぶと、楓の顔が再度こちらへ向けられる。尖ったと感じたそれは既に無く、空気がほんの少しだけ和らいだようにさえ感じられた。
 満更でもないような顔に見えたのは、きっと私の贔屓目がもたらしたものだとしても、それが嬉しかった。    



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