沢北 栄治01:真心が足りません

真心が足りません


 授業の始まる2分前。もうそろそろ、気の早い教師が教室へとやって来る。ほとんどの生徒が自席について、次の授業の準備をしているあたり、みんな真面目だな、だなんて他人事のように考えた。
 例にももれず、私の前の席に座る沢北もまた、教科書やノート、筆箱に至るまでカッチリと机の端にに並べて準備万端の様子が垣間見える。背筋を伸ばし、黒板の方を向いたままの沢北の後頭部に手を伸ばす。程なくして手のひらにごわごわとした髪質が触れた。自分の頭では決して味わえないその何とも言えない感触に、夢中になるがままに撫で付けてやると、すぐさま沢北が真っ赤な顔をして振り返った。
「さわんなってっ!  っ!」
 頭を横に激しく振るうことで私の手を跳ね除けた沢北だったが、そのまま遠慮なしに2回目を触りいにくと、大抵おとなしく撫でさせてくれる。不意打ちに弱いだけで、触られるのが嫌ではないのだとわかるのはこんな瞬間だ。
「沢北はかわいいなぁ」
「かわいいって言うな!」
 それでも男の意地なのか。かわいいという言葉だけはいくら投げかけたところで受け止めてくれることはなかった。そのムキになるとこもまたかわいいんだよねぇ。そんな風に伝えたら沢北はどんな顔をするんだろう。さすがに頭はもう撫でさせてくれなくなりそうだな。簡単に想像のつく反応に、思わずクスッと笑ってしまう。私の反応を横目に見た沢北は、唇を尖らせてこちらを睨みつける。
「あーぁ。私はこんなにも沢北のことがかわいく仕方ないっていうのに全く伝わらないなんて辛いなぁ」
「嘘吐け! だいたいはオレのこといっつもからかってるだけじゃねぇかよ」
 恨みがましい目線が逸らされることはない。いつだって真剣に沢北は私のことを睨みつけてくる、真っ直ぐさもまた、かわいいんだよ、と伝えたいが、なかなか伝わらない。
 ストレートな私の言葉を曲解する沢北の誤解を解くにはどうしたらいいんだろうか。私は好きでもない男に触れ、かわいいと蔑んだり、でも彼氏としてはちょっとネだなんて沢北を安全圏に放り込んでしまう小悪魔タイプではないというのに。
 へそを曲げてしまった沢北がやっぱりかわいくて顔が緩んでしまう。ニヤついた私の表情を見咎めたのか、またしても沢北が顔を真っ赤に染め上げる。それだけでは飽き足らず、ここが教室であることを忘れているかのように立ち上がり叫んだ。
「ワザとらしく河田さんの前でオレのファンみたいな振る舞いしやがって! おかげでプロレス技を掛けられ捲くったんだぞ! 責任とれよっ!」
 机を叩く勢いで叫ぶ沢北の頬だけでなく、耳までも赤く染め上げている。よっぽどひどい技を仕掛けられたんだろう。その目には涙が滲んでいるようにさえ見えた。
「ああ、責任? とるとるー」
「軽いっ!!」
 愕然と椅子に崩れ落ちた沢北は、そのままの勢いで私の机の上に突っ伏した。忙しいやっちゃなあ。まるでお笑い芸人のコントのようなリアクションだ。案外そっちの道でもうまくやるんじゃないか。馬鹿げた提案はさすがに投げかけないだけの分別はある。沢北が全力で向かっているのはバスケ以外にないということは、私にだって理解できていた。
「日本一だって思ってるよ」
「バスケが?」
「まぁ、それもだけど」
 日本一という言葉に、即座にバスケを思い浮かべるあたり、沢北らしいや。相変わず読みやすい思考回路に小さく苦笑する。
 日本一、好きだ。そんな風に伝えてやろうか。どうせ、それだって沢北は真剣には捉えず、からかわれたんだと受け止められるんだろうな。その反応を見てみたい気もしたが、さすがに授業前の教室で、周囲の目がありまくる中で自分の本心をチラつかせる気にはならなかった。
「やっぱ、かわいさかなー」
 のほほんと、いつものように躱した。もしこれから先に、本心を見せることがあるのなら、それは沢北にだけ見せたい。そういう時くらいは、からかっているのだと誤解されたくなかった。
「なんっだよ! それっ!! のバカ! お前ホント最悪! 人の心をなんだと思ってんだよっ!!」
「うるせーぞ、沢北っ!!」
 教室の戸をスライドさせながら教師が怒鳴る。やって来たばかりの教師に「なんでオレだけっ!?」とまたしても沢北はいいリアクションで応じた。理不尽さに身を打ち震わせる沢北は、私の席から身を起こし、すごすごと前へと向き直ってしまう。丸くなってしまった背中の哀愁の漂いっぷりに思わず笑ってしまう。
 日直の号令もそこそこに、始まった授業を受けながらも目線の端では常に沢北を捉え続けた。前の席の沢北が黒板に視線を向ければ、その横顔が微かに覗かれる。ただそれだけで胸の内がほんのりと温かくなる。
 私が沢北のことを「かわいい」というのだって一種の愛情表現だ。愛す可き、と書いて可愛い。なんて優れた言葉なんだろう。こんな風に沢北のことをかわいいと愛でることが、私にとっては一途に沢北へと向ける愛情だってことを、いつか、ちゃんと知ってほしい。
 そんな風にからかってやるのはまた今度、河田さんがいる前でしようっと。



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