魚住 純01:あんな表情、知らない

あんな表情、知らない


「うるっさい! 好きとか簡単に言うな、仙道のバカッ!」
 部室の外から飛び込んできた大声が、部室内にさえもいやに響く。その声の主が誰のものなのか判断できないわけがない。
 にわかに跳ねる心拍数を押さえ込みながら、脱いだばかりのワイシャツの前を合わせて折りたたみ、ロッカーの中からTシャツを取り出して袖を通す。
 程なくして扉が開き、へらへらと機嫌良さそうに笑う仙道と、顔を赤く染め柳眉を逆立てたが戸をくぐり入ってくる。
 同じクラスの二人が連れ立って部室に来ることは珍しくはない為、今更どうこう思わないが、先程のの言葉が耳に残れば意識せずにはいられない。オレと同様の考えを抱いたものが少なくないらしく、部室の中にいた連中の視線が彼女に集まっていることを知る。
 一方、着替えている連中を気にした素振りも見せずに入り込んできたは、同級生の越野や植草に手を翳して応え、オレや池上に対して頭を揺らす。バツが悪そうな顔をしてはいるが、そういうところは雑にしない辺り、律儀な彼女らしかった。
 手慣れた様子でドリンクサーバーやコップを手に、救急バッグを肩に掛けてマネージャー業務に必要なものを取りまとめたは、普段ならば越野あたりと軽く会話をしてから部室を出ることが多いのに、今日は床を靴先で叩くような勢いで扉へとまた足を向ける。
 自分のロッカーの前に立った仙道は、そんなの背中に向けてまた三日月の目を隠さずに笑いかける。
「アレ、、さっきの話の続きはもうしないの?」
「もういいって! 絶対にしないから!」
 律儀にも仙道の眼前まで踵を返し、勢い良く食って掛かるに、先程聞こえた彼女の言葉を思い出す。
 ――好きだ、と言われたのだろうか。仙道に。
 耳まで赤くしたの顔と、楽しそうな仙道の様子に、一つの仮説が頭を掠める。
 もしその言葉を言われたんだとして、今の彼女の表情があるのだとしたら、は仙道のことが好きなのか?それで戯れに仙道に好きだと言われて「簡単に言うな」と怒っているとか。
 ありそうな想像に、胸が軋むような痛みが生まれ、誤魔化すように小さく溜息を吐き出す。傍目から見ればじゃれ合っているようにしか見えない二人に、観念して向き直る。
、あまり部室内で騒ぐんじゃない」
 主将としての体裁を保てる範囲内の言葉を選び、彼女へ投げかける。イチャイチャしているのを見せつけられたくないという願望を見透かされないように気をつけたつもりだったが、普段以上に言葉が尖った感は否めない。
 何か言い返したそうに口をまごつかせただったが、キッと眉を上げ、そのままオレに対して頭を下げて部室を飛び出して行った。反して、彼女の背中に向かってとヒラヒラと手を翳して見送った仙道は相変わらず眉を下げて笑っていた。
「あー……面白い」
 感慨深げに溜息を吐いた仙道は、手早く制服を脱ぎながら、そしてまた笑った。
 人の良さそうな顔をして、なかなかひどいことをするやつだ。
 あんなにムキになっていたを、まったく意に介さない仙道は、まさに手玉に取っているだけのようにしか見えない。
 Tシャツを頭から被り、袖を通した仙道が、こちらへ視線を投げかけてくる。まるで同意を求めるかのように「ねぇ」と首を竦めた仙道に、オレはまた溜息を吐き出した。
「あまりをからかうのはやめてやれ」
「いやぁ、ついかまいたくなっちゃうんですよねぇ」
「反応がいいのはわかるが……アイツの血管が切れてぶっ倒れても責任負えんぞ」
 オレの言葉に「たしかに」と仙道はくつくつと笑う。普段は割とあっさりとした性格のだが、彼女の中にある地雷を踏みしだくと途端に激情型に豹変する。その変わりっぷりはたしかに仙道にして見れば面白いのかもしれない。
 役得だとも、特権だとも言ってもいいのだろう。があんな風にムキになるのは、いつも仙道の前だけだった。同じクラスで、同じ部活で、接点が多いからこそ気のおけない友達と言える仲になったのかもしれない。
 そして、もしかしたらその2人のかたちをは変えようとしているのかと思うと胸の奥がチクリと痛んだ。
「魚住さんだってそういうのありません?」
「は?」
、かわいいでしょう?」
 付け足されたその言葉に、をからかってみては、と唆されていることに気付く。
 仙道の言うかわいいというのは容姿のことではなく、仙道のみに見せるその反応のことを言っているのだろう。ああいう表情を見せられることに優越感を抱いたりしないのだろうか。
 ――こちらは劣等感を刺激されるだけだというのに。
 既に着替えは終わらせていたが、まだ会話を続けたそうな素振りを見せた仙道に、そのままのことを考える。
 仙道に示されたように考えてみたが、オレが好んでをからかうような言動を取ることはまったく考えられない。オレがを前にした時は、からかってやりたいという嗜虐心よりも、守ってやりたいと思えるような庇護欲を煽られるだけだった。
 気が強いところもあるけれど、時に素直にオレを見上げてくる真っ直ぐな双眸を前にしすると、ただ抱きしめてしまえたら、だなんて柄にもないことを思ってしまうことさえもあった。
 そのような心情を仙道に吐き出せるはずもなく、ただ「オレはお前じゃない」と曖昧に否定することしか出来なかった。
「まぁ、いいか……」
 ポツリと零した仙道は、履き替えた短パンの手を突っ込み、腰の位置を修正する。それにならい、オレもまた半分空けたままだったロッカーの扉を閉めた。
「そうか。とにかく部活中は集中しろよ」
「わかってますって」
「なら、いい」
「あ、でも」
「でも、なんだ」
「魚住さんも、ちょっとつついてみたらいいですよ」
 不穏な言葉を残し、先に部室のドアの方へと向かった背中に、何か反論の言葉を投げ返そうかと思ったが、何も言葉は出てこず、小さく唇を尖らせるだけに終わった。

* * *

 部活の休憩時間に、体育館の脇で涼んでいると、飲み干した後のコップが入ったカゴと空になったドリンクサーバーを運ぶの背中を見つける。
 一度体育館の中に視線を投げかけ、誰も出てこなさそうなことを確認すると彼女の方へと足を向けた
、今いいか」
 スタスタと淀みなく歩くは、振り返りざままっすぐにオレの顔を見上げて目を丸くする。
「え、どうしたんですか?キャプテン」
 普段、部活中に話しかけることが多くはないため驚いたのだろうが、それでも彼女は足を止め、サーバーを微かに揺らして持ち変える。その持ち手に手を伸ばして取り上げると、は小さく笑って「ありがとうございます」と口にした。
 改まって向き合っては見たものの、取り立てて何かしらの会話を用意していたわけではなかった。ただ、部活の前の仙道との様子にただならぬものを感じ取ってしまい、その不安に駆られての行動に過ぎないのだが、まさか仙道に言われるがままにからかいの言葉を投げかけるわけにもいかない。
 言葉を探して考えあぐねてみたものの、取り立てて良い会話の取っ掛かりが見つかるはずもなく左手で首の裏を掻いた。
「最近は――その、マネージャー業務で変わったことはないか?」
 久しぶりに顔を合わせた息子に声を掛ける父親のような言葉しか捻り出せなかった自分に呆れたが、生真面目に答えようとするは小さく首を捻って空いた手を自分の口元に持っていく。
「うーん、特に変わりはありませんねぇ」
 部員が増えたわけでもないし、と続けたは普段よりも少しだけ話しにくそうにオレから視線を逸らした。言い淀むだけならば気にはしないが、微かに頬を朱に染めた様子に気付いてしまい、口内に溜まり込んでもないツバをゴクリと飲み込む。
 の中で変わったことが、あるのかもしれない。その答えは部活に来る前のあの大きな声に詰められているのではないだろうか。
 部活中に頭を掠めて集中できないなんてことはなかったが、一度気にしてしまうと、聞かずにはいられないような焦燥に駆られる。
 聞くなら、今しかないんじゃないか。
「――
 唇が普段以上に震えた。喉に声が引っかかったのか妙に言葉がつかえた。
 オレの言葉に先程以上に丸い目をしたの瞳は、まるでビー玉のようだと思った。
「……え?」
「少し、聞きたいことがある」
「え、はい、それより今、って……」
 微かに手を持ち上げてこちらを指さしたの発言に、自分が今しがた普段のように「」と呼ばず「」と呼んだことを知覚させられる。
「いや、うっかり……すまない」
「いや、全然構わないんですけど……」
 名前で呼ぶつもりがまったくなかったのに、何故か突然呼んでしまったのは、仙道に対するせめてもの対抗心だったのかもしれない。
 バツが悪いのはオレだけではないらしく、……もまたオレから顔を背けて右掌で口元を抑え右指先を頬にかかるように隠し、左掌で目の横と額をそれぞれ隠す。浮かぶ熱を抑えこむようなその仕草の愛らしさに、胸が締め付けられるような感覚が走った。
 コホンと身内にくすぶる羞恥心を誤魔化すように咳払いをし、もう一度に向き直る。
「オレは、その……あまり、考えることは得意じゃないんだ」
「えぇ、あ、はい」
 同意の言葉を残したはチラリと目線を持ち上げオレの顔を一瞥し、またチラリと道の脇に視線をやった。
 ――コイツ、今オレのことを顔で判断しやがったな。
 ピクリとこめかみに怒りが浮かび上がりそうになったが極力、冷静を保つように声を抑えて先程から何度も頭を過る疑問を言葉にした。
「お前、仙道のことが好きなのか」
 これ以上情けない質問は無いだろう。解っていたが、聞かずにはいられなかった。
 宣言したとおり、あまり考え事が得意な性質ではないからこそ白黒ハッキリさせたい。もしも、本当に彼女の気持ちが仙道へと向いているというのなら、邪魔立てするわけにはいかないのだから。
 サーバーを持つ手に自然と力が篭もる。縋るような気持ちがそうさせた。
「ハァ?!」
 軽く視線を落として彼女の言葉を待っていると、耳に甲高い声が響く。
 想像してもいなかった声音に驚いて顔を上げると、がオレを信じられないものを見るような目で見上げている。丸っこい目は変わらないのに、呆気にとられたその表情に何か言葉を違えてしまったのかと危惧してしまうほどだった。
「ちょっと、なんでそんなこと……?!」
「さっき、見た時にチラッと思ったんだ」
「チラって……」
 オレの言葉を反芻したは、呆れてものが言えないかのように額を抑えて俯く。苛立っているのか、爪先で3回地面を叩いたその仕草に、後輩になぜそんなマネをされなければいけないのかとこちらにも苛立ちが沸き起こる。
 ムッと唇を尖らせて、なにか一言進言してやろうかと口を開きかけた途端、が制するように掌をこちらに翳した。
「あのねぇ、キャプテン……私は別に仙道のこと好きだなんて一言も言ってないし、勝手に見切りつけんのやめてほしいんですけど」
 翳した手を翻し、自分の眉間を抑え瞑目するは、溜息混じりに言葉を零す。
 彼女の言葉を耳にしても、いまいち信じられなくて首を傾けた。
「そうは言うが……お前はさっき仙道から告白されたんじゃないのか?」
「さっきって?」
「お前ら二人で部室に来たとき叫んでただろ」
 苛立ちを隠さない彼女の言葉につられて、オレの言葉も次第に尖ったものになっていく。
 違う。苛ついているのは彼女のせいじゃない。仙道に嫉妬してるクセに、まっすぐにへ向き直ろうとしない自分に腹が立っているだけだ。
 八つ当たりをしていることに気付いたが、それでもここまできて今更彼女に愛を告げる空気などあるはずもなく、ただ眉根に力を込めて立ち尽くすことしか出来なかった。
 額から手を外してオレを振り仰いだは、部室に入ってきた時よりも柳眉を逆立てる。
「アレは仙道に好きだって言われたんじゃなくて! 私の好きな人が、う――」
 言い止して唇をわなつかせたは、オレに対して怒鳴る言葉を探しているように見えた。
 唇を尖らせて固まったことと、チラリと聞こえた彼女の言葉に、続けられるべき言葉に期待した胸が確信も得ないままに跳ね上がる。だが、残念ながらオレはから「魚住さん」と呼ばれたことがない
 となると、その相手というのは自ずと答えが出てくる。
「そうか……植草か」
 意外なところに居たもんだと溜息を吐き出した。
 だが思い返せば彼女は植草と話している時は朗らかに笑っていて、仙道やオレに対して見せたような怒ったような表情を向けたりはしなかったように思える。
 ――それが答えなのか。
「……ハァ?」
 諦めるのだと感情を抑えていたものの、またしても耳に飛び込んできた、つんざくような声に、思わず目を瞑ってしまう。
 視線を落とせば目に見えて怒った様子のがいて、片手に持った籠を投げつけんばかりの剣幕を見せた。
「ホンットに……なんにもわかってない!」
 地面に向かって心情を吐き出すように叫んだは、キッと面を上げ、オレを睨みつけてくる。その苛烈さに気圧されて、半歩退いてしまう。
「キャプテンなんて……」
 ボソリと低い声で唸るに、「大嫌いだ」と続けられるのではと片目を瞑る。好かれていないことを思い知らされたばかりなのに、追い打ちをかけられるのではと膝が震えた。
「キャプテンなんて!!」
 何か謝った方が良いのではないかと思ったが、情けなくも手を翳して待ったをかけることしか出来ず、また、それを承知してくれるほどは優しくなかった。
「悪ぃ、オレが悪かった。――」
「大好きなんて! 絶対に言ってやらん!!」
 これ以上言わないでくれ、と続けられるはずだったオレの謝罪の声は、鮮やかにの怒声によって無視される。
 いーっと歯を剥き出しにして敵愾心を向けたは、真っ赤な顔で睨みつけてくる。その瞳が羞恥に潤むと、ビー玉のようだと思った瞳が海に荒れる波のように見えた。
 それ以上の言葉を告げず、空っぽのサーバーをオレからひったくり、水飲み場の方へと駆けて行ったの背中を見送ったオレは目を瞬かせることしか出来ない。
 何を言われたのか理解する間も無く、体育館から聞こえてきた監督の「魚住はどこだ!」という叫び声に、反射的に体育館へと戻る。駆け足で走ると、不意に先程のあの場から駆けて行ったの姿が脳裏をよぎる。
 カシャンカシャンとリズム良く鳴るコップのこすれ合う音が思い出されると、やけに耳を熱くさせた。      



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